4-39 スカーヴィズ殺し
文字数 3,468文字
「じゃ、次はヴィズルの事を知りたい。彼は今どこで何をしている?」
「おや、特別料金を支払ってくれるのかい?」
大きく前に身を乗り出して、満面の笑みを浮かべたストームがにじり寄ってきた。シャインは彼女の肩を左手で押さえながら、やっとの思いで突き放す。
「ストーム! めんどくさいから、後で請求金額を計算してくれ。俺は、知るべきことを知って、早くここから出たいんだ!」
「坊や、焦っちゃだめだよ」
いい金づるができてそれがうれしいのか。ストームのにやけた笑みが止まらない。
ぴたぴたとシャインの頬に手を触れて軽く叩く。
「ちゃんとあたしが手はずを整えて、ここから出してあげるから。安心おし。でも、今はだめだ。まだ日が高いし、外ではアドビスと一戦交えるために、その準備を浜で皆がしているからね」
ストームと少し距離をとったシャインは、じりじりと後退する動きをやめた。
「一戦交えるって……まさか」
「頭――ヴィズルはやる気だよ。あんたを囮にして、アドビスをこの島におびき寄せるつもりなんだ」
シャインはしばし口を半開きにしたまま、今言ったストームの言葉の意味を考えようとした。だが頭が凍ったように機能しない。
自分を囮にしてどうなるというのだ?
あの男が海賊であるヴィズルの要求にすんなり従うはずがない。
むしろ、ヴィズルを捕らえるために、万全の体勢を整えてこの島に乗り込んでくるに違いない。
シャインは小さく声を立てて笑った。胡座をかいて痛めた右腕を膝の上に乗せ、ゆっくりと首を振る。その動きに合わせてほのかに輝く金の前髪を、無造作に額に垂らしたまま、シャインは顔を上げた。
「無駄だ。海賊に容赦しないあの人のやり方は知っているだろう? ストーム、ヴィズルに会って、すぐこの海域から逃げるように言ってくれ。お前達がどれほどの数かは知らないが、外洋艦隊を引き連れたあの人に、真っ向から挑んで勝てるはずがない」
ストームが分厚い唇をきゅっとすぼめて低く口笛を吹いた。
「うちの頭を止めることはできやしないよ、坊や」
シャインは息を詰めストームを凝視した。ストームの声は思いのほか静かで、そしてシャインの提案を拒絶する響きに満ちていた。
頬が上気してきて熱くなる。
水分が失せて口が乾いているのか、喉の奥がいがらっぽい。
ヴィズルを止めることができない。説得の一つもできず見ているだけの自分。そんな状況が許せず、左手を握りしめてシャインは叫んでいた。
「ただの犬死だ。それでもか!?」
いきりたつシャインとは対照的に、ストームは口を閉じたまま冷ややかに首を振った。まるで静まり返った水面のように落ち着き払った表情で。
「ヴィズルの恨みは、このエルシーアの海の底よりずっと暗くて深い。いや、あたしを含め、かつてエルシーア海賊だった人間は、二十年前アドビスが島を急襲した事件を忘れることなど……できやしないんだよ」
「……」
スト-ムの言い分は当然だ。人として。
シャインは左手の拳を握りしめたまま、すぐに言葉を返すことができなかった。
追われる身である海賊とそれを追いつめる海軍。敵対するこの二つの勢力が、お互いを分かりあうことは絶対にできない。
勿論追う側であるシャインも海賊には良い感情をもっていない。海賊の中には強欲な商人の荷ばかり狙う義賊もいるようだが、彼等のやっていることは所詮違法であり、それを取り締まることに躊躇はしない。
大義のために海賊を駆逐するアドビスの精神は理解できる。
だがそのやり方が問題なのだ。
シャインは視線を床に落とし目を伏せた。
海賊も人間である。罪を犯しているとはいえ、無闇にその命を奪うのが正しいとは思わない。むしろそれで罪が贖われると考えるのは論外だ。罪を犯した者がそれを認識し、償う気持ちになって初めて贖いといえるのではないのか。
でなければ海軍も、やっていることは海賊と同じになってしまう。
暫し訪れた重い沈黙を破ったのは、自らの思索から醒めたシャインだった。
「……二十年前。この島であった海軍の掃討は、そんなに酷いものだったのか」
じっとシャインの様子を見ていたストームが、冷ややかな顔のままうなずく。
「ああ。すべてはみんな、二十年前のあの夜から狂っちまったのさ」
シャインは眉をひそめた。
「あの夜って、それは『月影のスカーヴィズ』が、アドビス・グラヴェールに殺されたという夜のことか?」
ストームが意外そうにまばたきする。
「おや、どうして坊やがその話を知っているんだね? 『スカーヴィズ殺し』は、あたしら海賊でも口にするのを忌んでいるんだ。誰からそれを聞いた?」
「ヴィズル自身の口から。それで彼があの人……アドビス・グラヴェールを憎んでいることを知ったんだ。そしてあの夜起きた大嵐は、俺の母が起こしたものだって事も知っている」
ストームが今度は口を半開きにしたまま、穴が空く程シャインを見つめた。
「なっ……なんだって……」
「こっちはツヴァイスから教えてもらった。知っているだろ? ジェミナ・クラス軍港司令官である彼の事は」
「あ、ああ……」
シャインはざっとツヴァイスから聞いた話をストームに話して聞かせた。
アドビスがスカーヴィズとたもとを分かった後、海軍が彼女のアジトを急襲する事を知って、それを伝えるために再び島に舞い戻ったこと。
そして海賊に追われるアドビスを助けるために、母リュイーシャが大嵐を呼び寄せ、その行為は術者の誓約に背くものであったため、命を落としたことも。
ストームは両腕を組んで、何か考え込むように黙り込んでいる。
どうやらストームは知らなかったらしい。
シャインは彼女の難しそうに顔をしかめる表情からそれを読み取った。
「そこでストーム、一つ、ひっかからないか?」
「なんだって?」
シャインはツヴァイスの話を聞いてから、どうしてもアドビスのある行動が理解できず気になっていた。
「勿論それは、あの人が本当に『月影のスカーヴィズ』を殺したかってことだ」
「……」
ひと呼吸おいてストームが鼻でシャインを笑った。
「当然アドビスに決まってるよ。スカーヴィズをアドビスが手にしていた短剣で刺した所を、他ならぬヴィズル自身が見てるんだ。疑いの余地なんてないだろう!」
決めつけるストームの言い方が気に入らなくて、思わずシャインは彼女を睨んだ。
「刺した瞬間を見たのか? あの人は、誰かに短刀で突かれたスカーヴィズを介抱していただけかもしれない」
「だーーっ! そんなことあたしは知らないよ。けど坊や、何の根拠があってそんな事を言うんだい」
頭の中が混乱してきたのか、両手を頭に振り上げたストームは、綺麗に巻かれた髪をがしがしとかきむしっている。
シャインは軽くため息をついて、ストームに根気強く話しかけた。
「ストーム、思い出してみてくれ。だってあの人は、海軍がスカーヴィズのアジトを急襲する計画を知って、それを彼女に知らせるために、わざわざ戻ってきたんだ。スカーヴィズを助けるために戻った人間が、何故彼女を殺さなくてはならない? 筋が通らないと思わないか?」
「……うう」
ストームの顔は幾分血の気が失せて青ざめていた。薄暗い牢の中にいるせいではなく。ストームは考え込むように目の前の床を見つめながら、ちらちらとシャインの方をうかがっている。そして唇をゆがめながら、重々しく口を開いた。
「ここだけの話だけどね、坊や。アドビスはスカーヴィズ殺しの濡れ衣を着せられたんだって、古い海賊仲間からウワサを聞いたことがある」
「ストーム、それは本当か?」
思わず身を乗り出してシャインは言った。
「あくまでもウワサだけど、あんたのツヴァイスから聞いた話、ってやつを聞いて、あながち嘘ではなさそうだと思ったのさ。坊や、どうだい。あたしの知っている話を聞いてみるかい? あたしはスカーヴィズを本当に殺した人間って奴に心当たりがある」
目の前に一筋の光明が射した気がした。シャインは興奮で震える体を押さえようと、左手で右肩をつかみ口走った。
「ストーム……もちろん、聞かせてくれ。俺は真実が知りたい。そうすれば、ヴィズルとあの人が、無意味な殺し合いをしなくてすむかもしれない!」
ふっとストームが笑みをもらした。
それは肯定なのか否定なのか。
けれどどことなく、シャインを憂いた微笑だった。
「それはどうだろうね。けれど二十年前……。スカーヴィズのアジトは確かに、海軍に襲われる運命だったのさ。『月影のスカーヴィズ』その人自身の計略によってね」
「おや、特別料金を支払ってくれるのかい?」
大きく前に身を乗り出して、満面の笑みを浮かべたストームがにじり寄ってきた。シャインは彼女の肩を左手で押さえながら、やっとの思いで突き放す。
「ストーム! めんどくさいから、後で請求金額を計算してくれ。俺は、知るべきことを知って、早くここから出たいんだ!」
「坊や、焦っちゃだめだよ」
いい金づるができてそれがうれしいのか。ストームのにやけた笑みが止まらない。
ぴたぴたとシャインの頬に手を触れて軽く叩く。
「ちゃんとあたしが手はずを整えて、ここから出してあげるから。安心おし。でも、今はだめだ。まだ日が高いし、外ではアドビスと一戦交えるために、その準備を浜で皆がしているからね」
ストームと少し距離をとったシャインは、じりじりと後退する動きをやめた。
「一戦交えるって……まさか」
「頭――ヴィズルはやる気だよ。あんたを囮にして、アドビスをこの島におびき寄せるつもりなんだ」
シャインはしばし口を半開きにしたまま、今言ったストームの言葉の意味を考えようとした。だが頭が凍ったように機能しない。
自分を囮にしてどうなるというのだ?
あの男が海賊であるヴィズルの要求にすんなり従うはずがない。
むしろ、ヴィズルを捕らえるために、万全の体勢を整えてこの島に乗り込んでくるに違いない。
シャインは小さく声を立てて笑った。胡座をかいて痛めた右腕を膝の上に乗せ、ゆっくりと首を振る。その動きに合わせてほのかに輝く金の前髪を、無造作に額に垂らしたまま、シャインは顔を上げた。
「無駄だ。海賊に容赦しないあの人のやり方は知っているだろう? ストーム、ヴィズルに会って、すぐこの海域から逃げるように言ってくれ。お前達がどれほどの数かは知らないが、外洋艦隊を引き連れたあの人に、真っ向から挑んで勝てるはずがない」
ストームが分厚い唇をきゅっとすぼめて低く口笛を吹いた。
「うちの頭を止めることはできやしないよ、坊や」
シャインは息を詰めストームを凝視した。ストームの声は思いのほか静かで、そしてシャインの提案を拒絶する響きに満ちていた。
頬が上気してきて熱くなる。
水分が失せて口が乾いているのか、喉の奥がいがらっぽい。
ヴィズルを止めることができない。説得の一つもできず見ているだけの自分。そんな状況が許せず、左手を握りしめてシャインは叫んでいた。
「ただの犬死だ。それでもか!?」
いきりたつシャインとは対照的に、ストームは口を閉じたまま冷ややかに首を振った。まるで静まり返った水面のように落ち着き払った表情で。
「ヴィズルの恨みは、このエルシーアの海の底よりずっと暗くて深い。いや、あたしを含め、かつてエルシーア海賊だった人間は、二十年前アドビスが島を急襲した事件を忘れることなど……できやしないんだよ」
「……」
スト-ムの言い分は当然だ。人として。
シャインは左手の拳を握りしめたまま、すぐに言葉を返すことができなかった。
追われる身である海賊とそれを追いつめる海軍。敵対するこの二つの勢力が、お互いを分かりあうことは絶対にできない。
勿論追う側であるシャインも海賊には良い感情をもっていない。海賊の中には強欲な商人の荷ばかり狙う義賊もいるようだが、彼等のやっていることは所詮違法であり、それを取り締まることに躊躇はしない。
大義のために海賊を駆逐するアドビスの精神は理解できる。
だがそのやり方が問題なのだ。
シャインは視線を床に落とし目を伏せた。
海賊も人間である。罪を犯しているとはいえ、無闇にその命を奪うのが正しいとは思わない。むしろそれで罪が贖われると考えるのは論外だ。罪を犯した者がそれを認識し、償う気持ちになって初めて贖いといえるのではないのか。
でなければ海軍も、やっていることは海賊と同じになってしまう。
暫し訪れた重い沈黙を破ったのは、自らの思索から醒めたシャインだった。
「……二十年前。この島であった海軍の掃討は、そんなに酷いものだったのか」
じっとシャインの様子を見ていたストームが、冷ややかな顔のままうなずく。
「ああ。すべてはみんな、二十年前のあの夜から狂っちまったのさ」
シャインは眉をひそめた。
「あの夜って、それは『月影のスカーヴィズ』が、アドビス・グラヴェールに殺されたという夜のことか?」
ストームが意外そうにまばたきする。
「おや、どうして坊やがその話を知っているんだね? 『スカーヴィズ殺し』は、あたしら海賊でも口にするのを忌んでいるんだ。誰からそれを聞いた?」
「ヴィズル自身の口から。それで彼があの人……アドビス・グラヴェールを憎んでいることを知ったんだ。そしてあの夜起きた大嵐は、俺の母が起こしたものだって事も知っている」
ストームが今度は口を半開きにしたまま、穴が空く程シャインを見つめた。
「なっ……なんだって……」
「こっちはツヴァイスから教えてもらった。知っているだろ? ジェミナ・クラス軍港司令官である彼の事は」
「あ、ああ……」
シャインはざっとツヴァイスから聞いた話をストームに話して聞かせた。
アドビスがスカーヴィズとたもとを分かった後、海軍が彼女のアジトを急襲する事を知って、それを伝えるために再び島に舞い戻ったこと。
そして海賊に追われるアドビスを助けるために、母リュイーシャが大嵐を呼び寄せ、その行為は術者の誓約に背くものであったため、命を落としたことも。
ストームは両腕を組んで、何か考え込むように黙り込んでいる。
どうやらストームは知らなかったらしい。
シャインは彼女の難しそうに顔をしかめる表情からそれを読み取った。
「そこでストーム、一つ、ひっかからないか?」
「なんだって?」
シャインはツヴァイスの話を聞いてから、どうしてもアドビスのある行動が理解できず気になっていた。
「勿論それは、あの人が本当に『月影のスカーヴィズ』を殺したかってことだ」
「……」
ひと呼吸おいてストームが鼻でシャインを笑った。
「当然アドビスに決まってるよ。スカーヴィズをアドビスが手にしていた短剣で刺した所を、他ならぬヴィズル自身が見てるんだ。疑いの余地なんてないだろう!」
決めつけるストームの言い方が気に入らなくて、思わずシャインは彼女を睨んだ。
「刺した瞬間を見たのか? あの人は、誰かに短刀で突かれたスカーヴィズを介抱していただけかもしれない」
「だーーっ! そんなことあたしは知らないよ。けど坊や、何の根拠があってそんな事を言うんだい」
頭の中が混乱してきたのか、両手を頭に振り上げたストームは、綺麗に巻かれた髪をがしがしとかきむしっている。
シャインは軽くため息をついて、ストームに根気強く話しかけた。
「ストーム、思い出してみてくれ。だってあの人は、海軍がスカーヴィズのアジトを急襲する計画を知って、それを彼女に知らせるために、わざわざ戻ってきたんだ。スカーヴィズを助けるために戻った人間が、何故彼女を殺さなくてはならない? 筋が通らないと思わないか?」
「……うう」
ストームの顔は幾分血の気が失せて青ざめていた。薄暗い牢の中にいるせいではなく。ストームは考え込むように目の前の床を見つめながら、ちらちらとシャインの方をうかがっている。そして唇をゆがめながら、重々しく口を開いた。
「ここだけの話だけどね、坊や。アドビスはスカーヴィズ殺しの濡れ衣を着せられたんだって、古い海賊仲間からウワサを聞いたことがある」
「ストーム、それは本当か?」
思わず身を乗り出してシャインは言った。
「あくまでもウワサだけど、あんたのツヴァイスから聞いた話、ってやつを聞いて、あながち嘘ではなさそうだと思ったのさ。坊や、どうだい。あたしの知っている話を聞いてみるかい? あたしはスカーヴィズを本当に殺した人間って奴に心当たりがある」
目の前に一筋の光明が射した気がした。シャインは興奮で震える体を押さえようと、左手で右肩をつかみ口走った。
「ストーム……もちろん、聞かせてくれ。俺は真実が知りたい。そうすれば、ヴィズルとあの人が、無意味な殺し合いをしなくてすむかもしれない!」
ふっとストームが笑みをもらした。
それは肯定なのか否定なのか。
けれどどことなく、シャインを憂いた微笑だった。
「それはどうだろうね。けれど二十年前……。スカーヴィズのアジトは確かに、海軍に襲われる運命だったのさ。『月影のスカーヴィズ』その人自身の計略によってね」