4-63 籠城

文字数 4,767文字

「ヴィズル?」
「あっ……ああ」

 シャインが怪訝な表情でヴィズルの顔を覗き込んでいた。ヴィズルは後部ハッチの壁から手を放して軽く頭を振った。

 ブルーエイジの短剣を帯びている時は感覚が鋭くなる。よって他人の思いに引きずられやすくなるのだ。ヴィズルは舌打ちしつつ眉間を寄せた。

 ブルーエイジのせいで嫌なものを見てしまった。
 シャインの感情なんて知らない方がよかった。今から後悔しても始まらないが。

「おい、それより聞きたい事って何だ。早く言え」

 あくまでも関心がなさそうにぶっきらぼうに呟く。シャインの事が気にならないわけではないが、それは彼自身の問題であって、自分が今成すべきことを忘れるわけにはいかない。

 こうしている間にもアスラトルを出たアドビスの船は、刻一刻とアジトの島を目指して航海している。ヴィズルは早く島に戻り、罠の最終段階を張り終えねばならないのだ。

 シャインが青ざめた唇をゆっくりと開いてヴィズルに問いかける。

「君は二十年前……スカーヴィズが殺された日からずっと、その仇を討つためだけに生きてきたと言っていた」
「だったらどうした」

 その話は聞き飽きたとばかりにヴィズルはシャインを睨む。
 シャインは肩を動かして、さも怠そうに大きく息をついていた。
 無理もない。
 追い払うか喰われるか。
 ブルーエイジの意志に逆らうにはそれを上回る

がいる。

「アドビス・グラヴェールを殺した所で、君の目的は果たされない……」
「何だと?」

 シャインは今までもたれかかっていた壁から、そっと身を起こしてヴィズルを見つめた。

「真犯人はのうのうと生き長らえて、君の事を笑うからだ。スカーヴィズも君に失望し、きっと浮かばれやしない」
「シャイン……貴様」

 ヴィズルは唇を思わず噛みしめ、シャインの言う意味を考えた。シャインはお節介にも自分がアドビスに敵わないと考えている。だから戦わせまいとして、しつこく付きまとってくるのだ。

 海賊を取り締まる海軍のくせに、その命の心配をする馬鹿はこの世間知らずの坊っちゃんぐらいなものだ。ヴィズルはこみあげてきた笑いに耐えきれず、つい声を漏らした。

「でたらめもいい加減にしろよ!」

 シャインが前髪を震わせながら息を飲んだ。左手を握りしめ強い口調で叫ぶ。

「でたらめじゃない! 俺はある人からあの夜の真相を聞いて……」
「真相だと? はっ! その話が正しいと言う

はあるのか? あるんならみせてみろよ。今すぐ、ここで!」

 シャインはヴィズルを見つめたまま、再び眉間を寄せてうつむいた。すぐに反論しない所から見て、その話が正しいと証明することができないと分かる。

「何よ! シャインが嘘ついてるって言うの! どうしてシャインがそんな事しなくちゃいけないのよ? シャインはね……」

 黙ったシャインに腹を立てたのか、隣で心配げにしていたロワールが叫ぶ。
 シャインは左手でロワールを制した。

「ロワール。今はヴィズルの言う通り、俺は自分の知っている話が真実だと、それをここで証明することができない」
「シャイン!」

 ロワールが納得いかないようにシャインの腕をつかんだ。

「だけど、あの人は少なくとも、あの夜の真相を知っているはずだ。だからアドビス・グラヴェ-ルの話を君が聞いてくれたら、きっと……」

 ヴィズルは唇の端を吊り上げて、再び含み笑いを浮かべた。

「アドビスがスカーヴィズを殺したんだから、知っていて当然だろう。グラヴェール艦長?」

 シャインが顔を強ばらせてヴィズルを見た。
 ヴィズルにとって、相手が戸惑う様を見るのはちょっとした余興だ。心の中を言い当てた時になど、驚きのあまり目を見張る、その茫然となった顔を見るのがたまらなく楽しい。

 お前が何を考えているのか、その化けの皮を剥がしてやるよ。
 ヴィズルはシャインを眺めながらそう思った。

 シャインは上っ面は良くても、本心は何を考えているかまったく分からない所がある。だからこちらがかまをかけてみて、どんな反応を返すか。
 判断は慎重にしなければならない相手だから、まったくもって落とし甲斐がある。剣を振い斬りあう戦闘とは違った興奮が、駆け引きに熱くなる血が、心臓の鼓動と共にヴィズルの全身をかけめぐる。背中がぞくぞくした。

「もう少しで

所だったぜ。真犯人がいるかもしれないと聞いた時にはな」
「……」

 ヴィズルは両手を腰に当てて息を吐いた。じっと見返すシャインの顔を眺めながらその反応をうかがう。

「俺に、アドビスの話を聞けと言ったな。お前は。つまり、真犯人をでっちあげたのはアドビスで、それをエサに俺をおびきだそうっていう魂胆なんだろう? お前はただ、俺をアドビスの所に連れていくことを命じられた。もしくはそうすることで、あの男の期待に応えたいだけなんだ。褒められたいだけなのさ! 違うか、シャイン?」

 ただでさえ色を失っているシャインが、その顔を青ざめさせた。
 唇が震え、肩を震わせ、瞬きを忘れた瞳がヴィズルを射た。

「……君は、どうしてそんな風に捉えるんだ。ヴィズル……」

 乾いた喉から声を絞り出すようにシャインが口を開いた。後部ハッチの板壁にふらりと背中を再び預け、うつむきながらも、ヴィズルから視線は外そうとしなかった。ヴィズルはうんざりしたように首を振る。

「なら証明してみせろ! アドビスの命令じゃないことを。えっ?」
「それはできない。でも!」

 シャインはすっと背を伸ばし、やおら左手の人差し指をヴィズルに突き付けた。高ぶった感情に穏やかな青緑の瞳が熱を帯びる。

「ヴィズル。君は君自身の目で、何が偽りで何が真実なのか……それを確認する義務がある。だが君はその義務を果たさず、真実から目を反らし、無実の罪であの人の命を狙うと言う。あくまでも君がそうするつもりなら、俺にも考えがある」
「……何だと?」

 シャインの反応はヴィズルの予想の範疇(はんちゅう)を超えていた。

「ロワール。俺がいいと言うまでここで一時停船だ。頼んだよ」
「シャイン!?」

 戸惑うロワールを一瞥した後、シャインはざんばらの金髪を翻して背後のハッチの扉を開けた。素早く下甲板への階段を降りていく。

「シャイン! おい、待てよ!」

 ヴィズルは面喰らった。こんなことは考えてもいなかった。
 慌ててシャインの後を追って後部ハッチに入り階段を降りる。

「くそっ、どこへ行きやがった!?」

 ヴィズルは暗闇に慣れない目をしきりにしばたいて、下甲板を見回した。

「こっちか!」

 船首の方へ向かう靴音が聞こえる。ヴィズルは頭を天井にぶつけないようにしながら、急いで船首方向に向かって走った。
 大船室を抜け、食堂を抜け、その先の部屋で重い扉を閉じるような音がした。

「シャイン! どこだ!」

 ヴィズルは辺りを見回した。前方は予備の帆を格納している倉庫。左手も備品をしまう棚があり、右手はこじんまりとした厨房――調理室だ。
 ヴィズルは迷わず右手の調理室に入った。

 こう暗くては何も見えない。ヴィズルは出入口の壁にぶらさがっていたランプを手に取り、持ち歩いている発火石をズボンのポケットから取り出して火を灯した。それを前方に掲げ、ぐるりと調理室を見回す。

 この狭い部屋で身を隠せる場所は――。
 ふとロワールハイネス号で航海長として乗っていた頃の記憶が蘇る。

 ヴィズルはかまどの隣にある鉄の扉に視線を向けた。確かここは小さな部屋になっていたはずだ。船倉から持って上がった食料などを、一時的に保管しておくための場所だ。その時、何かが倒れるようなこすれた音がした。あの小部屋から。

 ヴィズルは口元に笑みを浮かべ、扉の取っ手を握りしめた。
 手前に引っ張ってみる。
 開かない。
 眉をしかめて奥に押してみる。
 開かない。
 舌打ちして取っ手を揺さぶる。
 ――内側から鍵がかかっている。

「シャイン! こんな所に隠れて何をするつもりだ!!」

 ヴィズルは腹立たしさのあまり扉を足で蹴っ飛ばした。
 ドスッ!

「シャイン! おい、聞いてるのか!」

 数回扉を蹴飛ばした時。
 扉の向こう側からくぐもった、けれど毅然としたシャインの声が返ってきた。

「君がわかってくれるまで、話をするつもりはない!」

 ヴィズルは一瞬息を飲み、穴が開くほど目の前の扉を睨みつけた。

「おい冗談じゃないぞ! 俺は何があろうと島に戻るんだ! お前と遊んでいるヒマなんてないんだよ。開けろ! シャイン!」

 握りしめた拳で扉を打ち付ける。だがシャインの返事はない。
 肩で大きく息をつき、ヴィズルは扉に手を置きながら、どうするべきか考えた。ロワールはシャインに言われた通り、船をここで停船させ続けるだろう。
 残念ながら、今回はロワールを従わせることはできない。以前それができたのは、シャインがロワールハイネス号に乗っていなかったからだ。

「……ならば」

 ヴィズルはそっと目を伏せた。
 ロワールの鮮やかな紅毛とこまっしゃくれた顔が浮かんでくる。

「気に入っていたんだがな」

 ふっと息を吐いて、うっすらと微笑を唇にのぼらせつつヴィズルは思った。
 だが俺は、島に戻らなくてはならない。

 ヴィズルは再びドン! と扉を叩いた。

「シャイン、いいか、良く聞けよ。島に戻るようにロワールに命じろ。さもなければ、船尾の『船鐘(シップベル)』を外して海に放り込む! これがどういう意味かお前はわかるだろうな!」
「……」

 扉の向こうから応える声はない。ヴィズルはじれて唇を噛んだ。

「シャイン、貴様……」
「やれるもんならやってみなさいよ!」

 ヴィズルは急に感じたその気配に驚いて背後を振り返った。
 バチーン!!
 左頬に刺すような痛みが走る。

「ぐはっ!!」

 ヴィズルは銀髪を振り乱しながら頬に手を寄せ顔を上げた。

「ロワール。やりやがったな!」
「ふんっ!」

 ヴィズルの前にロワールが紅髪をくねらせて、腰に両手を当て、挑発的な瞳で睨みながら立っていた。いつでも二発目の平手を放てるように右手を軽く振っている。

「力で言うことをきかせられないからって、次は脅し? ホント最低な男よね」

 シャインといい、ロワールといい。
 ヴィズルは目眩を起こしそうになる自分を叱咤した。

「仕方ねえだろ、シャインが強情なんだからよ。ロワール、あんたには悪いがこれから船鐘(シップベル)を外して海に放り込むぜ。そうすればこの船は『ただの船』に戻るんだ」
「ヴィズル。あなたの思い通りにはさせないわ」

 ロワールの水色(アクアマリン)の瞳に一つの決意が込められた光が宿る。

「その前に船を海に沈めてやるから。あなたも私もシャインも……この海の藻屑になって死ぬの」

 ロワールハイネス号の横揺れが急に大きく感じられた。ヴィズルは思わず扉に両手を突いて体を支えた。外は晴天だったのだ。この揺れは嵐のはずがない。
 ずずっとヴィズルの足が左舷側に滑る。ロワールハイネス号が左舷側に傾いている。

「くそっ……! 揃いも揃って死にたがりなんだから始末が悪いぜ! お前等はよ!!」

 うっすらと瞳を開き、ロワールは微笑んだ。とても穏やかに。

「どうするの? 本当にこのまま沈んでいいの?」

 ヴィズルはいまいましげにロワールを睨んだ。

「今すぐやめろ! 俺は何としてでも島に帰るからな!」

 ロワールは黙ったまま、その場からかき消すように姿を消した。傾いていたロワールハイネス号のそれが、再び水平に戻っていく。
 ヴィズルは額から滴り落ちた汗を思わずぬぐった。そして大きく息をついた後、シャインが閉じこもっている小部屋の扉を、へこまさん限りの力を込めて蹴飛ばした。

 沈黙――。
 扉から返る声はない。
 ヴィズルは振り返ることなく、調理室を後にした。
 こうなったら、何が何でも自力で島に帰る手段を見つけるしかない。
 それを求めて、上甲板へとヴィズルは向かった。
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