4-60 心底に眠る想い(1)
文字数 2,143文字
ヴィズルが目を細めたかと思うと、喉に押し当てられていた刃が熱を帯びてくるのがわかった。まるで血が通っているように、刃自体が脈打っている。刃から伝わる無気味な感覚に、シャインは肌が粟立つのを感じた。
「お前の強情さはよく知っている。だが今回は、俺の言う事を聞いてもらうぜ」
ヴィズルの言葉にシャインは断固反論する。
「君こそ俺の言う事を聞いてもらう。アスラトルへ戻って、そしてあの人……アドビス・グラヴェールの話を聞くんだ」
アドビスと聞いてヴィズルが銀の眉をひそめた。みるみる表情が険しくなる。
「今更奴とする話なんてないね!」
「いや、しなければならない。君は間違った話を今まで聞かされてきたんだ。だから、あの人自身の口から、本当の事を教えてもらうんだ!」
「本当の事? 何だそれは」
明らかにシャインを侮蔑する口調でヴィズルが呟く。
「スカーヴィズ殺しのことだ。あの人はスカーヴィズを殺す事なんて、絶対にできな……」
シャインの肩を押さえ、左手にブルーエイジの短剣を持ったヴィズルの紺色の瞳が瞬時に血色を帯びた。唇を噛みしめながら言葉を吐き出す。
「お前の指図など受けたくない」
音が聞こえる。
怒りの色に染まるヴィズルの目を見つめながら、シャインはそれに耳をすませた。
金と銀をこすりあわせるような透き通った声。ささやき声にも似たそれは。
すごく近くから聞こえてくる。
ブルーエイジの短剣――あの短剣が、
一瞬耳を疑った。短剣が歌うはずがない。
だが熱を帯びた金属の塊が襟飾りの上の素肌へと、シャインの喉にじりじりと食い込んでくる。それは表皮を切り裂き温かな血潮が滲み出て、三日月を象った刃へと伝っていく。
「うっ……」
誰かが耳元で歓喜の声をあげながら、刃が生きているようにどくどくと脈動する。
「お前はなんでブルーエイジが、“青き悪魔”と呼ばれるか知ってるか? シャイン」
「……」
シャインはどこか遠いヴィズルの声で我に返った。
どうしたのだろう。
日は昇っているはずなのに、辺りが夜の闇に包まれたかのように暗い。
「ブルーエイジなんて、今はどうだっていい……」
大切なのはヴィズルにスカーヴィズ殺しの真実を知るよう働きかけることなのだ。
シャインはそう自分に言い聞かせた。
だがヴィズルは余裕があるときに見せる、人懐っこい笑みを浮かべていた。
目を細め、大きめの唇を歯を見せずに吊り上げて、うっすらと微笑みながらシャインを見つめている。
「そんなこと言っていいのか? シャイン。こいつは
「そんな……馬鹿な」
ヴィズルが低く笑い声を上げた。
彼の話を肯定するように、シャインの喉に喰らいついた短剣の刃が、どくんと体を震わせた。
「こいつは可哀想に餓えてやがる。しっかり働かせたからな。そろそろ上質な魂を喰わせなければ……俺がこいつに喰われちまうんだ」
シャインは唐突にヴィズルの言っている意味を理解した。
刃が傷つけた首の痛みは感じない。だが何かが自分の中に入って来る。
容赦なく皮膚を喰い破って入ってくる。
それは狂おしいほど飢餓に満ちている意識。荒々しくシャインの心の中に入り込み、手当りしだいにあらゆる感情を貪り喰らい――それでもまだ満たされぬ思いが嘆きが、シャインの頭の中で不協和音のように鳴り響く。
この感覚は――知っている。
ロワールハイネス号の『船鐘』に閉じ込められたロワールを助け出そうとした時。
あの時もシャインの心に干渉してきた数多の存在を感じた。
この短剣に封じられている意識の数は『船鐘』とは比べ物にならないが、感じるのは恐ろしいまでの『飢餓』の心。
ヴィズルの短剣に宿る『青き悪魔』ブルーエイジの意識は、自らが穿ったほころびから大きな穴を開けて無理矢理シャインの中に心の奥へと入っていく。
「……やめろ」
シャインは自分の領域を侵される感覚に怒りを覚えた。
これ以上好き勝手に心の中をのぞかれるのは嫌だ。
思い出したくない事を、再びほじくり返されるのも嫌だ。
「ならばロワールに命じろ。島に向かえと。お前がそう言えばやめてやる!」
耳元でヴィズルが叫ぶ。
それを聞きながらシャインはぼんやりとヴィズルの言葉の意味を考えていた。
ロワールハイネス号の舵輪は今、ロワールの支配下にある。そして彼女はシャインの言葉にしか従わないし、シャインの指示なくては、船を目的地まで動かす事ができない。よってヴィズルは、ロワールハイネス号の向きを自分で変えることが不可能なのだ。
シャインはじりじりと左手を上げて、短剣を握るヴィズルの手首をつかんだ。
荒くなった息を吐き出して、けれど明瞭に拒否の言葉を呟く。
「断る」
ヴィズルが顔を歪め小さく舌打ちした。
「馬鹿野郎……本当にこいつの餌食になるぞ、いいのか!」
肩を揺すられるが、シャインはうなだれたまま返事をしなかった。
ブルーエイジの邪悪な意識が、また一つ胸の奥に封じていた思いを掘り起こしていたから。それは流れゆく映像として脳裏にのぼり、シャインの目の前で再び見せつける。
「お前の強情さはよく知っている。だが今回は、俺の言う事を聞いてもらうぜ」
ヴィズルの言葉にシャインは断固反論する。
「君こそ俺の言う事を聞いてもらう。アスラトルへ戻って、そしてあの人……アドビス・グラヴェールの話を聞くんだ」
アドビスと聞いてヴィズルが銀の眉をひそめた。みるみる表情が険しくなる。
「今更奴とする話なんてないね!」
「いや、しなければならない。君は間違った話を今まで聞かされてきたんだ。だから、あの人自身の口から、本当の事を教えてもらうんだ!」
「本当の事? 何だそれは」
明らかにシャインを侮蔑する口調でヴィズルが呟く。
「スカーヴィズ殺しのことだ。あの人はスカーヴィズを殺す事なんて、絶対にできな……」
シャインの肩を押さえ、左手にブルーエイジの短剣を持ったヴィズルの紺色の瞳が瞬時に血色を帯びた。唇を噛みしめながら言葉を吐き出す。
「お前の指図など受けたくない」
音が聞こえる。
怒りの色に染まるヴィズルの目を見つめながら、シャインはそれに耳をすませた。
金と銀をこすりあわせるような透き通った声。ささやき声にも似たそれは。
すごく近くから聞こえてくる。
ブルーエイジの短剣――あの短剣が、
歌っている
。一瞬耳を疑った。短剣が歌うはずがない。
だが熱を帯びた金属の塊が襟飾りの上の素肌へと、シャインの喉にじりじりと食い込んでくる。それは表皮を切り裂き温かな血潮が滲み出て、三日月を象った刃へと伝っていく。
「うっ……」
誰かが耳元で歓喜の声をあげながら、刃が生きているようにどくどくと脈動する。
「お前はなんでブルーエイジが、“青き悪魔”と呼ばれるか知ってるか? シャイン」
「……」
シャインはどこか遠いヴィズルの声で我に返った。
どうしたのだろう。
日は昇っているはずなのに、辺りが夜の闇に包まれたかのように暗い。
「ブルーエイジなんて、今はどうだっていい……」
大切なのはヴィズルにスカーヴィズ殺しの真実を知るよう働きかけることなのだ。
シャインはそう自分に言い聞かせた。
だがヴィズルは余裕があるときに見せる、人懐っこい笑みを浮かべていた。
目を細め、大きめの唇を歯を見せずに吊り上げて、うっすらと微笑みながらシャインを見つめている。
「そんなこと言っていいのか? シャイン。こいつは
生きていて
人の血を求めるんだぜ? そして魂をも喰らう
。ブルーエイジが持ち主を破滅させる『呪い』は本当なんだぜ? なにしろこいつが持ち主を喰っちまうからな」「そんな……馬鹿な」
ヴィズルが低く笑い声を上げた。
彼の話を肯定するように、シャインの喉に喰らいついた短剣の刃が、どくんと体を震わせた。
「こいつは可哀想に餓えてやがる。しっかり働かせたからな。そろそろ上質な魂を喰わせなければ……俺がこいつに喰われちまうんだ」
シャインは唐突にヴィズルの言っている意味を理解した。
刃が傷つけた首の痛みは感じない。だが何かが自分の中に入って来る。
容赦なく皮膚を喰い破って入ってくる。
それは狂おしいほど飢餓に満ちている意識。荒々しくシャインの心の中に入り込み、手当りしだいにあらゆる感情を貪り喰らい――それでもまだ満たされぬ思いが嘆きが、シャインの頭の中で不協和音のように鳴り響く。
この感覚は――知っている。
ロワールハイネス号の『船鐘』に閉じ込められたロワールを助け出そうとした時。
あの時もシャインの心に干渉してきた数多の存在を感じた。
この短剣に封じられている意識の数は『船鐘』とは比べ物にならないが、感じるのは恐ろしいまでの『飢餓』の心。
ヴィズルの短剣に宿る『青き悪魔』ブルーエイジの意識は、自らが穿ったほころびから大きな穴を開けて無理矢理シャインの中に心の奥へと入っていく。
「……やめろ」
シャインは自分の領域を侵される感覚に怒りを覚えた。
これ以上好き勝手に心の中をのぞかれるのは嫌だ。
思い出したくない事を、再びほじくり返されるのも嫌だ。
「ならばロワールに命じろ。島に向かえと。お前がそう言えばやめてやる!」
耳元でヴィズルが叫ぶ。
それを聞きながらシャインはぼんやりとヴィズルの言葉の意味を考えていた。
ロワールハイネス号の舵輪は今、ロワールの支配下にある。そして彼女はシャインの言葉にしか従わないし、シャインの指示なくては、船を目的地まで動かす事ができない。よってヴィズルは、ロワールハイネス号の向きを自分で変えることが不可能なのだ。
シャインはじりじりと左手を上げて、短剣を握るヴィズルの手首をつかんだ。
荒くなった息を吐き出して、けれど明瞭に拒否の言葉を呟く。
「断る」
ヴィズルが顔を歪め小さく舌打ちした。
「馬鹿野郎……本当にこいつの餌食になるぞ、いいのか!」
肩を揺すられるが、シャインはうなだれたまま返事をしなかった。
ブルーエイジの邪悪な意識が、また一つ胸の奥に封じていた思いを掘り起こしていたから。それは流れゆく映像として脳裏にのぼり、シャインの目の前で再び見せつける。