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文字数 2,448文字
松明がぱちとはぜる音が響く。先程まで海賊達が飲めや歌えの大さわぎをしていた光景はすでにない。
酒場のある大広間には、酒の相手をしていた数名の女達と副船長ティレグのみが残っていた。
酒樽がずらりとならんだカウンターの席で、ティレグは針金のように立ったヒゲが生えた頬を、片手で掻きむしりがら、ストームが手際良く左手に包帯を巻いていくのを眺めていた。時折ぴくぴくと顔面をひきつらせながら。
「ほら、できたよ」
「すまねぇな、ストーム」
うっすらと血の滲むそれを眺め、ティレグはいまいましげに肩を震わせた。
「あの小僧だけは許さねえ。捕まえて来たら、同じように左手に風穴開けてやるからな!」
ストームは消毒用に使っていた、アルコール度数の高い蒸留酒を傍らのカップに注ぎ、黙ったままティレグに差し出した。
「おう、すまねぇ」
ティレグが美味しそうにカップに唇を寄せて酒を飲む。
ティレグの高ぶった神経を鎮めるには酒が有効だ。とびきり強いのを飲ませてやれば、副船長は猫のようにおとなしくなる。
「ストーム、おめえも散々だったな。あのガキには気を許すなって、忠告してやればよかった……」
珍しくティレグが他人を思いやる言葉をかけてきたので、ストームは今にも吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
酒の効き目は抜群だ。
しかもティレグは、シャインを牢から出したのは、ストームが彼に脅されてやむを得ずやったことだと思い込んでいる。
「今度から気をつけるよ。可愛い顔した坊やにはね」
胸をなで下ろしながらストームは、酒をカップに再び注いでやった。
「そうしろよ。まったく、良い年のくせに、おめえは面食いなんだからよ」
「それは余計なお世話だよ!」
ストームがその分厚い唇をすぼめて、ティレグのむさくるしいヒゲ面を睨んだ時、ばたばたと足音が聞こえて来た。
ティレグと一緒に大広間の扉のない入口を見たストームの前には、息を切らせはぁはぁ喘いでいる青年がいる。肩まで伸ばした黒髪はぼさぼさで、細い肩が大きく上下している。足の早さだけがとりえのため、主に連絡係でこきつかわれている、ノエルという二十代前半の青年だ。
「副船長……ぜぇぜぇ……だめです。あの野郎に逃げられました……」
「なんだと!」
酒を飲み干したティレグがダン! と大きく机の上にカップを叩き付けて席から立ち上がった。
「何をしてたんだ。奴が行く所はてめぇの船の所しかねぇ! そこで足止めしろって言っただろうが」
「ですけど……副船長。奴はもう船を出す所だったんです。それで風もないのに、船が海に向かって出て行っちまったんです!」
「何!」
ティレグの顔に緊張が走る。ぶるぶると握りしめた拳が震えている。
怒りのせいではない。冷ややかにティレグの様子を見ていたストームは、彼の赤黒い顔がみるまに青ざめていくのを不審に思った。
「あそこの船を
ティレグは大きくため息をついて、カウンターの上に置いてあった蒸留酒の入ったビンを手にすると、ごくごくと喉をならしてそれを飲み干した。
「……くそっ……! 化け物共が。……おい、ノエル」
「は、はい! 副船長!」
青年はティレグのすわった眼を見て、度胆を抜かれて青ざめている。
「船長に報告してこい。捕虜が逃げて、てめえらが捕まえ損なったってな」
「ええっ! 俺達のせいですかい!」
「うるせえ! 早く行って来い! まだ浜にいるはずだ」
「へっ、へい!」
青年が腰をひけながら回れ右をしたとき、彼は大広間に入ってきた人物と正面からぶつかりそうになった。
「うわああっ!」
みっともなく両足をばたつかせてノエルが尻餅をつく。
「おやおや、怪我はないかね?」
思わずその足にすがりつきたくなるほど、落ち着いた優しい声色だ。
声の主の滑らかな光沢を放つ黒いマントがふわりと持ち上がり、革手袋をはめた手がノエルに向かって差し出された。海賊の青年はその手にすがり、茫然としながらも身を起こす。
「船長の所へ行くのは時間の無駄だ。どうやら
ティレグは黒いつばのついた帽子に、黒いマント姿の男を睨みつけた。
「……ツヴァイス! なんでてめえがそんなことを」
顔を上げた黒マントの男――ジェミナ・クラス軍港司令官ツヴァイスは、銀縁の眼鏡に手をやり薄紫の瞳を細めた。
「なに、君の手下達から聞いたまでのこと。副船長ティレグどの。ロワールハイネス号の甲板で、シャインと話をしている船長の姿を崖の上から見たそうだ。しかもそれ以来、誰もスカーヴィズ船長の姿を見ていないそうだ」
「……」
ティレグが魂でも抜かれたように、目を見開いてツヴァイスを睨んでいる。
それを横目でみながらストームは心中でほくそえんだ。
ヴィズルがシャインの船に乗り込んでいる事に若干不安を感じるが、シャインは無事に島から出ることができたのだ。
根は真面目なあの坊やは、ほとぼりがさめたころストームに取引の金を支払ってくれるにちがいない。
「へっ……そいつは、ちょっと面倒なことになったな」
ツヴァイスは薄い唇を噛みしめてティレグを眺める。
「それはどういうことだ」
ティレグはその場にいる者達に向かって手を振った。
「みんな、悪いがしばらく自分の部屋に戻ってくれ。それからノエル!」
「は、はい」
出入口でぽかんと突っ立っている青年にティレグは吠えた。
「外にいる連中はとにかく船長を探すように伝えろ。島中くまなくだ。いいな」
ノエルは何かいいたそうに口をもごもご動かしたが、ティレグの剣幕に負けてすごすごと大広間から出て行った。続いて女達がツヴァイスに軽く頭を下げて退出する。
ストームも人払いをしたティレグが何を話すのか気にはなったが、関わりたくないのでその場を後にした。
取りあえず、やるべきことはやった。
後はあの坊や の運次第。
酒場のある大広間には、酒の相手をしていた数名の女達と副船長ティレグのみが残っていた。
酒樽がずらりとならんだカウンターの席で、ティレグは針金のように立ったヒゲが生えた頬を、片手で掻きむしりがら、ストームが手際良く左手に包帯を巻いていくのを眺めていた。時折ぴくぴくと顔面をひきつらせながら。
「ほら、できたよ」
「すまねぇな、ストーム」
うっすらと血の滲むそれを眺め、ティレグはいまいましげに肩を震わせた。
「あの小僧だけは許さねえ。捕まえて来たら、同じように左手に風穴開けてやるからな!」
ストームは消毒用に使っていた、アルコール度数の高い蒸留酒を傍らのカップに注ぎ、黙ったままティレグに差し出した。
「おう、すまねぇ」
ティレグが美味しそうにカップに唇を寄せて酒を飲む。
ティレグの高ぶった神経を鎮めるには酒が有効だ。とびきり強いのを飲ませてやれば、副船長は猫のようにおとなしくなる。
「ストーム、おめえも散々だったな。あのガキには気を許すなって、忠告してやればよかった……」
珍しくティレグが他人を思いやる言葉をかけてきたので、ストームは今にも吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
酒の効き目は抜群だ。
しかもティレグは、シャインを牢から出したのは、ストームが彼に脅されてやむを得ずやったことだと思い込んでいる。
「今度から気をつけるよ。可愛い顔した坊やにはね」
胸をなで下ろしながらストームは、酒をカップに再び注いでやった。
「そうしろよ。まったく、良い年のくせに、おめえは面食いなんだからよ」
「それは余計なお世話だよ!」
ストームがその分厚い唇をすぼめて、ティレグのむさくるしいヒゲ面を睨んだ時、ばたばたと足音が聞こえて来た。
ティレグと一緒に大広間の扉のない入口を見たストームの前には、息を切らせはぁはぁ喘いでいる青年がいる。肩まで伸ばした黒髪はぼさぼさで、細い肩が大きく上下している。足の早さだけがとりえのため、主に連絡係でこきつかわれている、ノエルという二十代前半の青年だ。
「副船長……ぜぇぜぇ……だめです。あの野郎に逃げられました……」
「なんだと!」
酒を飲み干したティレグがダン! と大きく机の上にカップを叩き付けて席から立ち上がった。
「何をしてたんだ。奴が行く所はてめぇの船の所しかねぇ! そこで足止めしろって言っただろうが」
「ですけど……副船長。奴はもう船を出す所だったんです。それで風もないのに、船が海に向かって出て行っちまったんです!」
「何!」
ティレグの顔に緊張が走る。ぶるぶると握りしめた拳が震えている。
怒りのせいではない。冷ややかにティレグの様子を見ていたストームは、彼の赤黒い顔がみるまに青ざめていくのを不審に思った。
「あそこの船を
一人で動かす
なんぞ……俺達普通
の人間じゃできっこねぇ。それをやってのけたってことは……そうか……やっぱり……奴も同じ……」ティレグは大きくため息をついて、カウンターの上に置いてあった蒸留酒の入ったビンを手にすると、ごくごくと喉をならしてそれを飲み干した。
「……くそっ……! 化け物共が。……おい、ノエル」
「は、はい! 副船長!」
青年はティレグのすわった眼を見て、度胆を抜かれて青ざめている。
「船長に報告してこい。捕虜が逃げて、てめえらが捕まえ損なったってな」
「ええっ! 俺達のせいですかい!」
「うるせえ! 早く行って来い! まだ浜にいるはずだ」
「へっ、へい!」
青年が腰をひけながら回れ右をしたとき、彼は大広間に入ってきた人物と正面からぶつかりそうになった。
「うわああっ!」
みっともなく両足をばたつかせてノエルが尻餅をつく。
「おやおや、怪我はないかね?」
思わずその足にすがりつきたくなるほど、落ち着いた優しい声色だ。
声の主の滑らかな光沢を放つ黒いマントがふわりと持ち上がり、革手袋をはめた手がノエルに向かって差し出された。海賊の青年はその手にすがり、茫然としながらも身を起こす。
「船長の所へ行くのは時間の無駄だ。どうやら
彼も
、シャインと一緒にロワールハイネス号でこの島を出て行ったようだよ」ティレグは黒いつばのついた帽子に、黒いマント姿の男を睨みつけた。
「……ツヴァイス! なんでてめえがそんなことを」
顔を上げた黒マントの男――ジェミナ・クラス軍港司令官ツヴァイスは、銀縁の眼鏡に手をやり薄紫の瞳を細めた。
「なに、君の手下達から聞いたまでのこと。副船長ティレグどの。ロワールハイネス号の甲板で、シャインと話をしている船長の姿を崖の上から見たそうだ。しかもそれ以来、誰もスカーヴィズ船長の姿を見ていないそうだ」
「……」
ティレグが魂でも抜かれたように、目を見開いてツヴァイスを睨んでいる。
それを横目でみながらストームは心中でほくそえんだ。
ヴィズルがシャインの船に乗り込んでいる事に若干不安を感じるが、シャインは無事に島から出ることができたのだ。
根は真面目なあの坊やは、ほとぼりがさめたころストームに取引の金を支払ってくれるにちがいない。
「へっ……そいつは、ちょっと面倒なことになったな」
ツヴァイスは薄い唇を噛みしめてティレグを眺める。
「それはどういうことだ」
ティレグはその場にいる者達に向かって手を振った。
「みんな、悪いがしばらく自分の部屋に戻ってくれ。それからノエル!」
「は、はい」
出入口でぽかんと突っ立っている青年にティレグは吠えた。
「外にいる連中はとにかく船長を探すように伝えろ。島中くまなくだ。いいな」
ノエルは何かいいたそうに口をもごもご動かしたが、ティレグの剣幕に負けてすごすごと大広間から出て行った。続いて女達がツヴァイスに軽く頭を下げて退出する。
ストームも人払いをしたティレグが何を話すのか気にはなったが、関わりたくないのでその場を後にした。
取りあえず、やるべきことはやった。
後はあの