三十五 白狼、同行者に辟易する

文字数 3,073文字

 その男が白狼に優越感を抱く理由は何となく察しがついた。

 彼は四人の男の中で話題の中心にいた。自分の周りに人が集まることが自慢で、白狼が独りぼっちであることを小ばかにしているのだろう。

 いつも誰かと群れていないと落ち着かない人間というのは多い。彼らは、単独で行動する者を見ると友達がいないのだと見下しがちだ。どちらかといえば女に多い気がするが、この男もそうなのだろう。

 その男は人と打ち解けやすい性格ではあるらしく、確かに話は上手かった。語彙が豊富で話の展開に無駄がない。だが……。その、巧みな話術の内容がほとんど猥談なのだった。

 それも男女の陰部の形状の描写などやけに生々しい。白狼も上品な暮らしをしてきたわけではないが、こんな真昼の明るい日差しの中で聞きたい話題だと思えない。

 他の四人も昼日中(ひるひなか)の猥談は避けたいようで、別の話題も振ってみる。「かみさんはいないのか」「かみさんとはどう知り合ったのか」と聞くが、その妻にしても、もとは使用人だったのを立場と奸計を用いて身体の関係を強要したものらしい。

 男はだらしない口調で猥談の一つとして己の妻を語る。

「なんだかんだ言ってもよう。女は男にやられるのを待ってんだよ。女房だって俺に組み敷かれてから『実はお慕いしておりました』って言ってたんだから」

 それはその女がなけなしの誇りを守ろうとしてのことではないかと白狼は思う。どうにも逃げられない中で、少しでも自分が惨めにならないために自分は自分を襲う男が前から好きだったのだと思い込むことにしたのかもしれない。

 白狼は直接その妻女を知らないから想像でしかないし、その女のためにはその想像など外れて欲しい。そんな悲しい嘘などなかった方がもちろんいい。

 もっとも、事実がどうであれ、今現在ずっと男の肉欲のありようばかりを聞かされるこちらが不愉快なのに変わりはないが。

 昼を過ぎ、日がゆっくりと西に傾き始めた。
 湿地が切れ切れに続く土地を抜け、緩やかな山の稜線が目に入る。その麓に広がる竹林ももうすぐだ。

 そろそろこの不愉快な道行きも終わってくれるだろう……。それを待っているのは白狼だけではないようだった。
 白狼の後ろで固まって歩く他の者達も、朝から続く猥談にいいかげん飽きたようで生返事しか寄越さない。すると、男はもっと過激な話題をしなければと思ったようだった。

「ほら、俺たちの前にいるあの獣の子。ああいうのはさ、母親が獣とやってできたんだぜぇ」

 白狼が振り向くと、男が彼を指さしていた。奇妙に見開かれた目とゆがんだ口許。
 隣に並んだ別の男が「おい……」とたしなめようとするが、その男はどこかはしゃいだ様子を変えることがない。

 白狼は、他の人々と大きくこ異なる自分の容貌について、ものの例えとして「獣のようだ」と言われたことはある。しかし、この男は文字通りの意味でその言葉を使いたいようだ。

「前にさあ、妓楼で買った女をよう、犬とやらせたんだよ。へっ。女は泣いて嫌がってたが、そこを獣に襲われてるのを見るのがいいんだ。興奮したぜえ。俺もそうだが、女だって興奮してた。嫌だ嫌だって叫んでてもよう、結局やりたかったんだよ、きっと」

 ──胸糞が悪い。

 白狼はペッと唾を吐き捨てると、男に構わず再び前を向いた。

 猥談を聞く機会は多々あったし、白狼自身も興が乗ればすることもある。だが、獣姦というのはかなり特殊な性癖だろう。いや、白狼が知らないだけでそれを好む人間も意外と身近にいるのかも知らないが、白狼が知らずに済んでいるのは、いくら気心が知れた仲間内でも簡単に口に出せるものではないと誰もが自制しているからだ。

 白狼からすると、そんな趣味の人間がいると知るだけでも気持ちが悪い。同好の士だけでこっそり語り合うならまだしも、こんな昼下がりに大っぴらに話す輩など側にいるだけで反吐が出そうだ。

 いちいち相手をするのも馬鹿馬鹿しい。だから白狼は歩幅を広げて距離を置こうとした。

 しかし、その男は白狼の沈黙につけこむ。

「娼婦ってのは金だしゃどんな客でも取るからよお、獣とよろしくやって、獣の子が生まれるんだあ。人間の形(なり)に似てるが、やっぱり人間の紛い物でしかない奇妙な子どもがよお」

 ちりりと胸の奥が痛んだ。ああ、そうだ。俺は娼婦の子だ。獣のような風貌の遠い異国の男が女を金で買って欲望を吐き出した。その残り滓が俺という存在だ。
 望んで産んだわけではない女は、何度もお前のような奇妙な顔の子どもなど生まれてこなければよかったのだと口汚く罵っていたものだ。

 残りの男たちも、男から白狼へのあまりに下卑た当てこすりに同情したのか、気まずそうな顔になる。その男は周囲の気を惹くためになおも猥談を繰り出すが、もうほとんど反応がない。男は苛立ったように叫んだ。

「おい、俺はよう、みんなを盛り上げようとしてるんだぜ!」

 その猥談好きは続ける。

「男と女のことなんて『二人は閨を共にしました』だけで済ませるのは簡単だ。だが、俺はみんなを楽しませるようにその光景を詳しく描写してやってるんだよ。珍しい話も聞きたいだろ、例えば獣……」

 白狼はそこで一睨みした。男は怯む。それでも小声でブツブツと続ける。

「なんだよう! なんだなんだよう……」

 彼は両の拳を握って大声を上げた。

「これから竹の宮に行くんだぜ? 興奮しないのかよう! 男に手籠めにされた高貴な美貌の女の、その独り住まいだってのによう!」

「……」

「……」

 誰かが渋々応じた。

「だから何だっていうんだよ」

「女がよう、男の味を知っている女がよう、侘しく身を慎まなきゃいけないんだぜえ。絶対やりたがっているって!」

 白狼が初めてその男に口を開いた。口の片端を皮肉気に上げている。

「やり?」

「そうだよ! やりたがってる、絶対にだ」

 白狼はくすくす笑った。一行は姫君が住む竹林の中に差し掛かっている。

「ああ、竹林に鋭く尖らせた切り株があるという話は本当だったな」

 白狼が指さした先にそれがあった。

「ほら、槍が立ってる」

“やりたがっている”に引っ掛けた駄洒落で、白狼がこんなくだらないことを言うのは本当に珍しい。普段の人柄を知るほど親しくはない他の面々も、朝から無表情の異形の男の軽口に驚き、そして声を立てて笑ってみせた。

「おい、お前、面白いことを言うじゃないか」

「いつも仏頂面で愛嬌のない奴だと思ってたんだがな」

「案外柔らかい奴で良かったよ」

 別に出来の良い冗談ではないと白狼だって分かっている。普通なら皆もそう思うだろう。
 ただ、あの男以外は笑いたいのだ。どんなつまらぬ冗談でも。今は真昼間なのだから。明るい空の下では明るい話を楽しみたい。初夏の爽やかな風を台無しにするような話題にはもううんざりだ。

 他の男たちも白狼の歩く速さに合わせて歩き始めた。猥談好きの男だけが、その集団から取り残されるように後に続く。

 誰も相手をしないのに「なんだよう……」といつまでも繰り返し呟き続ける様子に、気味の悪さを覚えて白狼が振り返った。
 その男は慌てて目を逸らし、わざとらしく前方を見た。

「竹の宮だ……」

 竹林が途切れ、その先に檜皮葺きの宮殿が見えて来た。その男は妙に据わった目でそれを見つめていた。白狼はその男の様子が気にかかる。

 ──この男には気を付けた方がいい。

 この男にはまともなこらえ性がない。女主人の邸宅で、こいつが自分勝手な暗い感情をいつ暴発させるか分からない。白狼は、竹の宮に着いたらしかるべき人間に忠告しておかなくてはと考えた。

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