七 翠令、再び激昂する(一)

文字数 3,110文字

「貴方が右近衛大将でいらっしゃるのですか?」

 佳卓(かたく)は近衛大将として名高いが、正確に言えば左右近衛府の左の大将であり、右の近衛大将は別にいる。

 姫宮がお住みの昭陽舎には左近衛の方が近いため翠令は左近衛府に配属されたが、同じ近衛仲間なのだから右の近衛府にも挨拶せねばならない。

 そこで、左近衛を訪ねた翌日、翠令は今度は右近衛府に出向いた。そして右大将から「直接会う」との言葉を頂き、中に通されて「初におめもじ仕る……」と申し上げかけて気づいたのだ。この方には既に会っている、と。

 右大将は、あの山崎の津で佳卓の傍にいた男だった。佳卓に刃を向けた翠令に「よせ、この方は近衛大将だ」ととりなそうとした人物だ。

 趙元(ちょうげん)と名乗った右大将は、自分の執務机の前に呆然と立つ翠令を椅子から見上げて笑う。

「翠令に会うのは二度目だな。山崎では私のことを佳卓様の麾下だと思っていたようだが」

「申し訳ありません」

 右近衛大将は穏やかな態度を崩さない。

「いや、立場上は左大将とほぼ同格ではあるけれども、私は佳卓様には到底及ばない身だからね。それに私自身あの方に心酔している。まあ、麾下のようなものだ」

 翠令は追従でもなく本心から思う所を述べた。

「貴方様の方が良き将のように思えますが……」

 佳卓が有能な人物だとは翠令とて認める。だが、本来、近衛大将の重職にはもう少し威厳と落ち着きのある人物の方が好ましいのではないだろうか。

 相手は笑った。

「翠令は佳卓様に辛口だな。錦濤の姫宮を囮としてしまったことに、まだ(わだかま)りがあるからかな」

「いえ……」

 全く何もないと言えば噓になるが、姫宮が良しとし、自分も刃を向けて抗議した。それに佳卓自身が非を認めている。だからこの一件を蒸し返す気は翠令にない。ただ……。

「佳卓様の武芸の腕は確かなのでしょう。異能の持ち主で傑物と評価されるのも納得はしています。ただ、あまりに個性的でいらっしゃる。武門の長には今少しもの柔らかな方の方が向いているのではないかと」

「まあ、それが私が右近衛を任されている理由だよ。佳卓様が『自分の片腕の右大将には人当たりのいい人物に就任して欲しい』とご希望で、それで私を推薦して下さったからね。あの方は自分に欠けたものはきちんとお分かりだよ」

「……」

「佳卓様が癖の強い方なのは確かだ。だから敵も多い。私を右大将に推薦する件もすんなり通ったわけじゃない。私が適任かどうかというより、佳卓様一派が要職を占めることを快く思わない連中が居てね。円偉(えんい)様がお味方して下さったので、私が無事着任したのだが」

「円偉様がですか?」

 翠令は首を傾げた。そこで文官の円偉の名が出てくるのは何故なのだろう?

「この朝廷で佳卓様と張り合えるほどの有能な人間は、円偉様しかいらっしゃらない。佳卓様を嫌う連中は、円偉様に近づき(おもね)ろうとする」

「……でしょうね」

 双璧と呼ばれるからには対立するはず──それが自然な連想だろう。翠令もそう考えていた。どうやら必ずしもそうではないようだが……。

「下っ端連中はそうやって佳卓様一派と円偉様一派に分かれて互いを敵視しがちだ。近衛府にも何人か佳卓様に敵意を持っている者が居る。しかし、当人たちは互いの器量を認め合っていらっしゃるよ。私の任官について反対する者達が円偉様のもとに集まったようだが、当の円偉様が私を推して下さった」

「それは、ようございました」

 趙元は肩を竦めて見せた。

「もっとも私個人としてはそうともばかりも言えなくてね」

「……?」

「円偉様は文を愛する。私の人事を是とするのも、私がそれなりの名家の生まれで大学寮で学んでおり、多少成績が良かったからなんだよ」

「はあ……」

 それを理由に評価されるのは、なるほど武人として素直に喜べないだろう。

「まあ、私も武門の家に生まれて人よりは武芸が出来るつもりでいるが……。白狼にはなかなか勝てなくてね。だから、鍛錬の相手になってもらおうと、白狼については右近衛に配属して貰ったんだ」

「あの……? 誰ですか、その白狼というのは?」

 その答えに翠令は仰天することになる。

「山崎の津で会っただろう? あの白人の賊だ」

「……⁉」

 翠令は驚きの余り暫く絶句してから、とぎれとぎれに言葉を絞り出す。

「……賊を……近衛に……雇い入れたのですか……?」

「ああ、腕もいいし人望もある。前々から佳卓様も近衛に迎え入れたいと思っていらした。今回翠令と合わせて二人の人材を迎え入れることが出来て重畳だ」

 趙元は穏やかな顔で目を細めた。

「白狼の方は私の手元において武芸の鍛錬相手になってもらう。今までさんざん取り逃がしてしまった分、彼と剣を交えて自分の腕を磨いておきたい」

「あの賊が公に召し抱えられるのですか?」と、翠令はもう一度同じことを問うた。

「私が……『錦濤の姫宮の守刀』と言われたこの私が、盗賊と同じ扱いなのですか?」

「……」

 趙元は翠令の声音に不穏なものを感じて言葉を失ったようだった。翠令は怒鳴り声を張り上げる。

「どうかしておられる! 無法を働いてきた賊と長年主公に忠誠を誓って来た臣とを同列に扱うとは!」

 いや、こんなことを常識的な右大将が思いつくとは思えない。こうも奇想天外な発想は、きっとあの御方のものに違いない。

「左近衛に行って参ります!」

 佳卓は今日も書類の山に埋もれていた。翠令が沓を床に叩きつけて高々とした足音を立て、荒い息とともに騒々しく駆け込んできたというのに、彼はちらりと目線を上げただけで書き物の手を休めない。それでいて小憎らしいほど優美にもう片方の手を上げて見せた。

「やあ、翠令。連日の(おとな)いとは嬉しいことだ。まるで私たちは仲の良い恋人同士のようだね?」

「おふざけになるのも大概にして頂きたいっ!」

 翠令が何か言う前に佳卓が用件を先取りする。

「白狼の件かね?」

「……!」

「翠令は、今日は右近衛に行くと言っていた。白狼の件を耳にすれば、まあ怒鳴り込んでくるかなとは思っていた」

 翠令の頭に血が上る。

「当然です! 賊を罰するどころか、都を守る公の武官に召し抱えるとはどういう了見ですか!」

 自分が盗賊と一括りに扱われているという事実。そして、自分がそれを知ったら激昂すると佳卓が予想していた事実。それに、それでもなおそのまま白狼という名の賊が今後自分と同じ近衛として共に働くことになるという事実。

 どれをとっても憤懣やるかたない。ここは納得のいく説明を佳卓から聞かねば引き下がれない。

 佳卓の返答は素っ気なかった。恬として恥じず、至極当然のことだとでも言いたげだ。

「都を平らげ、民の心を掌握し、そして帝の宸襟を安んじる。それが武門の長の務めだ。その手段として、白狼の存在は有益だ」

 翠令は唸るような声に皮肉を滲ませる。

「賊が、でございますか?」

 佳卓は書き物が一段落したのか筆を置いて、机に襲い掛かるように立つ翠令を見上げた。

「我らがなぜ長い間、白狼一味を取り逃がしてきたと思う?」

 それは取り締まる側が不甲斐ないせいなのでは……と言いかけて翠令は口をつぐむ。

 非礼に当たるからではない。佳卓は決して無能ではなく相当に秀でた人物だ。現に京から白狼を駆逐し、最終的には捕縛した。姫宮を囮とする方法には許しがたいものはあるけれども。

 この佳卓をもってしても取り押さえることが困難だったのならば……。

「白狼というあの男の腕が立つからでしょうか?」

 右大将の趙元も敵わないと言っていた。文官の円偉に学問の成績を評価されたと言っても、趙元とてもともとはそれなりに腕の立つ人物のはずだ。

「白狼個人の腕もなかなかだがね。彼は人に守られている」

「……?」
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