54. 見えない凶器
文字数 2,083文字
ギルは背中に手を回して、再び背負っていた長弓をつかんだ。
「いけるか。」
エミリオがきいた。
「ちょろいね。」
ギルは銀の矢をつがえながら、さらりと言ってのけた。
しかし、自信に満ちたその口ぶりとは裏腹に、正直それに欠けるというのが本音だ。矢が飛び過ぎていくのは一瞬。そのまま玉座にいてくれさえすれば、不意をついて標的を捉 えることはできるだろう。だが・・・。
視界が・・・悪い。
「ほんとか ? 届きゃあいいってもんじゃないんだぜ。」
レッドもそんな声をかけてきた。
「任せろ。」
ギルはいたって冷静に仲間たちを宥 める。無理にでも訳ないふうを装っていなければ、緊張して手元が狂ってしまう。ギルは目を凝らし、矢を引き寄せて遠くを睨 んだ。揺らめく炎の向こうでは、やはり視界がかすんで照準を合わせにくい。不安が胸に差しこんでくる。
一方、エミリオはこの時考えていた。矢で封印する・・・それはつまり、彼女の魂は憎 しみにまみれたまま、またこの世に貼り付けにされることになるのではと。このまま、間に合わせのような解決の仕方しか、方法はないのだろうか。もし彼女が悔 い改めることができれば、あるいは・・・。
「ギル、待ってくれ。」
「え・・・。」
「話がしたい。」
「・・・準備だけはしておくぞ。」
弦 にしかけた矢はそのまま、ギルは再び狙いをつけにかかった。どうせ、それだけにも時間がかかる。
ギルの隣に立ったエミリオは、声を張り上げてネメレに言った。
「あなたのしていることは、いくら続けても復讐にはならない。過 ちに気付いてあなたが望みさえすれば、きっと帰れる・・・あなたが愛する家族や、そしてクレアのもとに。」と。
しばらく何の返事もなかった。
実際、その名前がエミリオの口から出た時、ネメレは驚いて虚 ろな目を大きくしていた。憎悪 に駆られるあまり忘れていた記憶が、一瞬、よみがえった。
「あなたがこの矢にかかれば、また封印されることになる。そうなれば・・・帰れなくなってしまう。」
ネメレはまだ口を利 こうとしなかった。だが少しすると、エミリオの隣でいきなりギルが、「ぐあっ!」という痛烈な悲鳴を漏らし、それにネメレの冷淡な声が続いた。
「余計な口をたたけば、お友達が痛い思いをするわよ。」
ギルの筈 を握っている右腕から一筋 、何が起きたのか血が流れている。
「まだ話がしたいか。取り付く島もないと思うぞ。」
痛みのせいで、ギルは呻 くようにそう言った。
「いや・・・もういい。」
エミリオは悲しげに目を伏せた。
するとどうしたのか、ギルが痛みをこらえて再び構えだしたその時、急にネメレがうつむいて、弱々しくなったように見えたのである。
「本当に来るとはね・・・この復讐の鬼と化した・・・私を殺 めに。」
違う空気を感じたと思った。自嘲 ・・・しているように聞こえた。その響きに、ギルの凝らしている鋭い瞳は、ふと曇 りを帯びた。
「町の美しさが許せなかった・・・。」
彼女の中に潜む何かがある。それは、先ほどまでの彼女とは逆の立場にあって、対立するもの・・・エミリオやギルは、そんな直感を覚えた。
「王の不名誉や王妃の罪業 は世間には知られず、美徳のみを臣民 にひけらかしていた。町の誰もが王や王妃を崇 め、称 え、王族のために働いて、この町を美しく立派なものにしていた。王は、この町の栄誉は全て己が築き上げたものと自負 していた。だから私が、この町を自慢などできないものにしてやったわ。白亜 の街ですって。いいえ、呪われた町。ここは世の末までそう罵 られるのよ。」
ネメレの落ち着き払っていた声が、次第に憤 り始める。
「なのにこの町はまた息を吹き返し、あの頃と同じ姿でここにあった。この町の輝かしい栄誉は全て、あの罪深き非道な歴史の上に平気で居座っているというのに。」
骨と皮だけの体は、目もくらむばかりの憤怒 でわなわなと震えていた。この時、ネメレは、薄暗 い丘の上の墓地で、雨にうたれながら佇 んでいる自分の姿を見つめていた。目の前にある墓石に目を向けていながら、入れ替わる思い出の断片と、凄惨 な記憶を見ている自分を。そこで復讐を誓ったことを思い出した。
「エミリオ、気が変わった。」
ギルは腕を下ろして、急に構えるのを止めた。
「説得する気はないが、言ってやりたいことがある。」
妙な力で傷を負わされたはずのギルは、恐れもせずに一歩前へ出た。
「王家一族は滅んだ。当時の城も、今は町の人々のためにある、もはやただの城館だ。この町の輝かしさは、新しい歴史の上に生まれた。同じ姿などではない。」
「おだまり・・・。」
ネメレが毒のこもった声で重くつぶやいたが、ギルは言い募 った。
「ここに、あんたの子供はいるか ? 夫はどうだ ? まだあの世へ行けずに彷徨 っているか ? いつまでも、そんな恨 みや憎 しみに縛られているから、また自分だけ取り残されるんだ。そうしている限り、あんたは暗闇から抜け出せない。」
「おだまりっ!」
興奮して怒鳴ったネメレが妙な動きをしたのと、ギルが左頬に痛みを感じたのとは、ほぼ同時の出来事だった。血が伝うのが感触で分かった。
「いけるか。」
エミリオがきいた。
「ちょろいね。」
ギルは銀の矢をつがえながら、さらりと言ってのけた。
しかし、自信に満ちたその口ぶりとは裏腹に、正直それに欠けるというのが本音だ。矢が飛び過ぎていくのは一瞬。そのまま玉座にいてくれさえすれば、不意をついて標的を
視界が・・・悪い。
「ほんとか ? 届きゃあいいってもんじゃないんだぜ。」
レッドもそんな声をかけてきた。
「任せろ。」
ギルはいたって冷静に仲間たちを
一方、エミリオはこの時考えていた。矢で封印する・・・それはつまり、彼女の魂は
「ギル、待ってくれ。」
「え・・・。」
「話がしたい。」
「・・・準備だけはしておくぞ。」
ギルの隣に立ったエミリオは、声を張り上げてネメレに言った。
「あなたのしていることは、いくら続けても復讐にはならない。
しばらく何の返事もなかった。
実際、その名前がエミリオの口から出た時、ネメレは驚いて
「あなたがこの矢にかかれば、また封印されることになる。そうなれば・・・帰れなくなってしまう。」
ネメレはまだ口を
「余計な口をたたけば、お友達が痛い思いをするわよ。」
ギルの
「まだ話がしたいか。取り付く島もないと思うぞ。」
痛みのせいで、ギルは
「いや・・・もういい。」
エミリオは悲しげに目を伏せた。
するとどうしたのか、ギルが痛みをこらえて再び構えだしたその時、急にネメレがうつむいて、弱々しくなったように見えたのである。
「本当に来るとはね・・・この復讐の鬼と化した・・・私を
違う空気を感じたと思った。
「町の美しさが許せなかった・・・。」
彼女の中に潜む何かがある。それは、先ほどまでの彼女とは逆の立場にあって、対立するもの・・・エミリオやギルは、そんな直感を覚えた。
「王の不名誉や王妃の
ネメレの落ち着き払っていた声が、次第に
「なのにこの町はまた息を吹き返し、あの頃と同じ姿でここにあった。この町の輝かしい栄誉は全て、あの罪深き非道な歴史の上に平気で居座っているというのに。」
骨と皮だけの体は、目もくらむばかりの
「エミリオ、気が変わった。」
ギルは腕を下ろして、急に構えるのを止めた。
「説得する気はないが、言ってやりたいことがある。」
妙な力で傷を負わされたはずのギルは、恐れもせずに一歩前へ出た。
「王家一族は滅んだ。当時の城も、今は町の人々のためにある、もはやただの城館だ。この町の輝かしさは、新しい歴史の上に生まれた。同じ姿などではない。」
「おだまり・・・。」
ネメレが毒のこもった声で重くつぶやいたが、ギルは言い
「ここに、あんたの子供はいるか ? 夫はどうだ ? まだあの世へ行けずに
「おだまりっ!」
興奮して怒鳴ったネメレが妙な動きをしたのと、ギルが左頬に痛みを感じたのとは、ほぼ同時の出来事だった。血が伝うのが感触で分かった。