52.  笑う標的

文字数 1,814文字

 いけない! エミリオは不吉を感じた。
「戻れ!」

 五人はあわてて(きびす)を返した。

 ドアが(ふさ)がれた。

「二階だ!」
 レッドが鬼気迫る声で叫ぶ。

 そして階段を上り始めると、たちまち眼下は火の海に包まれた。

「うわ、火事だ!」
 (あせ)ったリューイが叫んだ。
「建物が崩れるぞ。」
 レッドもうろたえて言った。

 突然バッと立ち昇った猛火。急いで駆け上がろうとしている階段の上には、やはり命令をじっと待っていた魔物の集団が。

 (はさ)み撃ちにされた。

「どけと言っとろうが!」
 飛びかかってきた一体をたたき斬ると、ギルが苛立(いらだ)たしげに言い放った。

 リューイもそれらを打ちのめして、次々と火の中へ突き落としていく。

「これは精霊による炎だよ。僕がおさえる。」
 曲がり階段の中腹で奮闘する仲間たちの間を、カイルはいっきに走り抜けた。

 そうして、先に二階へとたどり着いたカイルは、そこで女の高笑いが聞こえて、反射的にホールの奥に目を向けた。

 すると、玉座(ぎょくざ)があった。

 長い階段が設けられている高い位置に、ただ一つである大きな肘掛(ひじか)け椅子。金飾りをあしらったセイレン王のその椅子に、女は傲慢(ごうまん)にも見える態度でゆったりと腰掛けている。

 カイルは呪術を行えるスペースを探して、周囲を見回した。そしてすぐ、この吹き抜けの二階回廊(かいろう)をまわって、大きく張り出したテラスのようになっている場所に立った。そこは、奥にある玉座とを真っ直ぐに結んでいる、入ってきた正面出入り口の真上だ。つまり、最も遠い距離をおいて、ちょうど向かいにその女の姿が見えた。

 カイルはもう一度、じっと目を()らしてみた。

 儀式で見た女の姿ではなかった。いや、女などと呼べたものではない。骨に皮膚を貼り付けただけのミイラのような身体。土色(つちいろ)の肌。目玉だけは不自然に大きく、まるで生き血を吸い取られて干乾びたような姿。着衣だけは綺麗なものを(まと)っていたが、その袖をさっと上げて(あらわ)になった腕は、(ひじ)の骨が剥き出しになっている。

「体が残ってる・・・それに、声も。」

 霊体はとり憑いた体が生きているからこそ、話すことが(かな)う。しかしあの体は大昔に息絶(いきた)えた本人のもの。なんて執念(しゅうねん)・・・。封印されるとはこういうことなのかと、カイルは驚愕(きょうがく)した。しかも本人のものであるとはいえ、もはや血の通わない体でこれだけの呪術を駆使できるなど信じられなかった。

 だが動揺してはいけないと、カイルはすぐさま腰を落として、戦闘術の体勢をとった。
 素早く虚空(こくう)に二つの印を描いたカイルは、間もなく召喚(しょうかん)に成功したあと、ぶつぶつと呪文を唱えながら、今度はゆっくりと(あお)ぐような両腕の動きを行った。

 舞踏会場の中心から、青や緑がうっすらと浮かび上がるさざ波が現れた。煌々(こうこう)と燃えさかる紅蓮の海を、会場の端々(はしばし)へ舐めるように向かい、壁に打ち寄せる精霊たち。すると、それにつれて炎は鎮圧(ちんあつ)され、魔物の方は金縛(かなしば)りにでもかかったかのように身悶(みもだ)え始めた。

 不必要に合わせ技をやることは、まず無い。二つのことに同時に集中するのは、ただでさえ難しいもの。それに加えて、呪力が途切れてしまわないよう念をこらし続けなければならない。そのため、カイルの力ではまだ炎をおさえる、魔物をおさえるといった同じ分かりやすいことをやるしかなかった。ギルが終わらせてくれると信じて。

 あとの四人は戦いを中断し、残りの数段を飛ぶように駆けあがって、カイルのもとへ急いだ。

 彼らもまた女の正体を見た瞬間は驚いたものの、誰もが、もはや冷静に見澄(みす)ますことができた。女は含み笑っている。だが、そうなった訳を知った今、その姿は(みにく)いというより、むしろ痛ましく思えた。

 その女・・・名は・・・。

「ネメレ・・・。」と、エミリオ。

 目に映る惨憺(さんたん)たる光景に、まつわる昔話を聞かせてくれた老婆の声が、そのまま思い出された。

 夫と、生まれて間もない我が子と、三人は幸せで平穏な日々を送っていた。姉の子、つまり王子を預かるまでは・・・。

 不適な笑みを浮かべていたネメレが、その口を開いた。
「儀式は成就(じょうじゅ)させねばね。」

 意味が分からない者はいなかった。

 ギルが低い声で確認する。
「何を言ってる。」と。

「儀式を今日やり直すことにしたわ。赤子の代わりに、あの子を生贄にしてね。それからあの女、あの若くて美しい身体と顔は、これから私のものになるの。」

「いったい何をしやがった。」
 レッドも(うな)るようにきいた。

 ネメレはさも愉快(ゆかい)そうに、また(ふく)み笑いを重ねた。







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