63. 戦いを終えて
文字数 2,647文字
一方、そんなギルやカイルの言葉を聞いていたリューイは、この時また何か教えられた気がしていた。リューイは、ネメレのことを、関係のない町の住人までも巻き込んだ身勝手な悪魔だと思い、これまでたいして同情もできずにいた。だがその胸には、あの時の彼女の悲痛な叫びがずっと引っ掛かっていたのである。
〝・・・幸せで平和だった日々の儚 さが、悲しみの深さが、憎 しみの強さが、恨 みのほどが、お前に分かるのか!〟
分からない・・・と、リューイは思った。悲しみに覚えはあっても、リーヴェの樹海で自由にのびのびと育ってきただけの自分には、憎しみや恨みを抱くことがなかった。何かハッとさせられたリューイの胸に、それは突き刺さってきたのだ。
「あの女が喚 いてた言葉・・・お前、聞いてたよな。」
急に重くなった声で、リューイが言いだした。
「ああ。」と、レッドはリューイに視線を向けた。
「お前でも・・・あんなふうに、誰かを憎いなんて思ったことあるか。」
レッドが見ている前で、また力無く水面に向けられたリューイの双眸 はぼんやりとし、虚ろな翳 りを帯 びている。
「・・・あるよ。」
真面目な顔でそう答えたレッドに、リューイだけでなくエミリオやギル、そしてカイルも少し驚いて目をやった。
「それって・・・どうなる感じだ ? やっぱり、我慢できないものなのか。」
「そんなこと訊 くか ? ほんとに子供みたいだな。」
レッドは呆 れて苦笑したが、すぐに真顔に戻って答えた。
「殺してやりたいって思う。いや、必ず殺してやる。地の果てまでも追いかけてやる・・・なんてことも本気で思ってたさ、あの頃は。俺は敵国に親を奪われた戦災孤児だった。ちょっと、いろいろあってな。その時、俺は相手の指揮官にひどい目にあわされた。だから、そいつのことをずっと恨み続けたよ。それがどうなる感じかって・・・自分が自分でなくなる感じ・・・かな。」
「その気持ちは・・・消せたのか。」
「消せやしないさ。俺はそんなに強くも優しくもない。ただ、前向きに生きられるようになっただけだ。ライデルたちのおかげでな。」
「あの酒場の親父さんか。」
ギルが思い出して言った。
それを知らないエミリオとカイルは、目を見合い、首をかしげ合う。
「ああ。あの連中の思いやりと陽気さ、それにライデルの言葉に救われた。あいつらが気づかせてくれなかったら、俺は人生を無駄にしてたところだ。」
「辛い事に打ち勝つのは、敵を何十人まとめて蹴倒 すよりも難しいだろうな。」
リューイにそう教えたギル自身、彼女に向かって、子供を奪われた親の気持ちを思い出せ・・・などと言うには、実際 抵抗があった。親になったことのない自分が偉 そうに言えたセリフではないと感じ、同じ目に遭 ったらと想像しようとしたが、恐ろしすぎてできなかったからである。可愛い盛りの我が子をむごたらしく殺害された彼女の、復讐の鬼と化すほどの辛さや悲しみは想像を絶した。
ギルは、静かな声で言葉を続けた。
「彼女の場合は、もはや王族だけでなく、その生活を華 やかに色づかせていた者もみな許せなかったらしい。その血までも呪い、二度とこの町が、またあの頃のように華やぐことのないように・・・。」
「古き残酷なその悲話が語り継がれることは、あまり無かったそうだ。罪も恐怖も綺麗に拭 い去ってしまった時代の風。そして漂う幸福と、輝きに満ちた空気。彼女がよみがえった時、あの街にあふれていたものはきっと、まさに彼女が失ったもの。でも今頃は・・・」
そう付け足したエミリオもまた、微笑を浮かべて空を見上げた。
「たどり着けたかな・・・家族のもとに。」
つられるようにして、みな一様に曇り空を眺めた。
「そもそも、彼女は何も悪くはなかった。この不条理な世の中に、ほかにいくらでも想像を絶する不幸はあるだろう。」
ギルは、あとの言葉は胸の内だけでつぶやいた。
そんな世の真の姿を知らなければ、俺は自身の人間性を成長させることができない。自分の気持ちに素直に行動し、苦しむ者をできるだけ救いたいと思って、俺は出てきた。勝手な罪滅 ぼしの旅に。だが良かった。とりあえず、今日一つ町を救うことができたのだから・・・。
一方、それを聞いたリューイはゾッとし、心はいよいよ重く沈んでいった。
想像を絶する不幸がいくらでもある・・・現実。何の罪もない者が突然見舞われ、そのまま悲惨な最期を遂げる・・・あってはならないことのはず。しかし、無情にもそれは人を選ばず襲いかかる。思えば、シオンの森の少女もそうだ。
リューイは、深々とため息をついて考えた。やるせなくて切ない、そんな世の中を知るのは怖いと。
まだ他 にもあるだろうか、この旅路に・・・。
「こんな・・・呪われた町が。」
「違うよ。」
カイルは、森の向こうにある白一色の町を透かし見た。
「白亜 の街、ニルスだ。きっとこれからは、ずっと。」
するとその時、不意にリューイの耳に聞こえてきたのは、子供の頃の記憶にある師匠の声。
〝多くの人が、お前を待っているような気がする。〟
そしてリューイは、改めて気づいた気がしたのだった。
「俺・・・さ、師匠に・・・自分を越えて帰って来いって・・・言われたんだ。」
ギルはそう言ったリューイを黙って見つめていたが、やがて微笑して、「・・・なるほど。」とだけ返した。
自分を越えて帰ってこい・・・師匠のその言葉は、やはり肉体的に強くなることだけを言っていたのでは、きっとない。それに、正しく生きる者を狙う不幸があるなら、止めてやればいい。それがきっと、自分を超える旅になる。
この仲間たちとなら・・・。
意味するものに気づいたリューイは、急に晴れやかになったその顔で、そばにいる一人一人を順ぐりに見た。
それに気づいたレッドが、気味悪そうに顔をしかめていた。
実際、その小舟からニルスの町はほとんど見えない。視界を支配するのは、ひっそりとした広漠 たる湖である。
「白亜の街と、そして、四つの風が集 う湖・・・リトレア。」
詩を読み上げるように、エミリオが老婆から聞いた話をまた口にしたが、今は無風だった。
「風など ―― 。」
言おうとして、ギルは声を喉 に詰まらせた。
風が吹いたのである。
空を隠していた灰色の雲がすれ違いながらゆっくりと動き出し、その隙間 から一筋 、また一筋と白い光が降りてきて、陰鬱 な色の水面を明るく照らしだした。
四方から風が集い始めたその湖は、目も眩 むばかりに美しく光り輝いた。
―― 完 ――
〝・・・幸せで平和だった日々の
分からない・・・と、リューイは思った。悲しみに覚えはあっても、リーヴェの樹海で自由にのびのびと育ってきただけの自分には、憎しみや恨みを抱くことがなかった。何かハッとさせられたリューイの胸に、それは突き刺さってきたのだ。
「あの女が
急に重くなった声で、リューイが言いだした。
「ああ。」と、レッドはリューイに視線を向けた。
「お前でも・・・あんなふうに、誰かを憎いなんて思ったことあるか。」
レッドが見ている前で、また力無く水面に向けられたリューイの
「・・・あるよ。」
真面目な顔でそう答えたレッドに、リューイだけでなくエミリオやギル、そしてカイルも少し驚いて目をやった。
「それって・・・どうなる感じだ ? やっぱり、我慢できないものなのか。」
「そんなこと
レッドは
「殺してやりたいって思う。いや、必ず殺してやる。地の果てまでも追いかけてやる・・・なんてことも本気で思ってたさ、あの頃は。俺は敵国に親を奪われた戦災孤児だった。ちょっと、いろいろあってな。その時、俺は相手の指揮官にひどい目にあわされた。だから、そいつのことをずっと恨み続けたよ。それがどうなる感じかって・・・自分が自分でなくなる感じ・・・かな。」
「その気持ちは・・・消せたのか。」
「消せやしないさ。俺はそんなに強くも優しくもない。ただ、前向きに生きられるようになっただけだ。ライデルたちのおかげでな。」
「あの酒場の親父さんか。」
ギルが思い出して言った。
それを知らないエミリオとカイルは、目を見合い、首をかしげ合う。
「ああ。あの連中の思いやりと陽気さ、それにライデルの言葉に救われた。あいつらが気づかせてくれなかったら、俺は人生を無駄にしてたところだ。」
「辛い事に打ち勝つのは、敵を何十人まとめて
リューイにそう教えたギル自身、彼女に向かって、子供を奪われた親の気持ちを思い出せ・・・などと言うには、実際 抵抗があった。親になったことのない自分が
ギルは、静かな声で言葉を続けた。
「彼女の場合は、もはや王族だけでなく、その生活を
「古き残酷なその悲話が語り継がれることは、あまり無かったそうだ。罪も恐怖も綺麗に
そう付け足したエミリオもまた、微笑を浮かべて空を見上げた。
「たどり着けたかな・・・家族のもとに。」
つられるようにして、みな一様に曇り空を眺めた。
「そもそも、彼女は何も悪くはなかった。この不条理な世の中に、ほかにいくらでも想像を絶する不幸はあるだろう。」
ギルは、あとの言葉は胸の内だけでつぶやいた。
そんな世の真の姿を知らなければ、俺は自身の人間性を成長させることができない。自分の気持ちに素直に行動し、苦しむ者をできるだけ救いたいと思って、俺は出てきた。勝手な
一方、それを聞いたリューイはゾッとし、心はいよいよ重く沈んでいった。
想像を絶する不幸がいくらでもある・・・現実。何の罪もない者が突然見舞われ、そのまま悲惨な最期を遂げる・・・あってはならないことのはず。しかし、無情にもそれは人を選ばず襲いかかる。思えば、シオンの森の少女もそうだ。
リューイは、深々とため息をついて考えた。やるせなくて切ない、そんな世の中を知るのは怖いと。
まだ
「こんな・・・呪われた町が。」
「違うよ。」
カイルは、森の向こうにある白一色の町を透かし見た。
「
するとその時、不意にリューイの耳に聞こえてきたのは、子供の頃の記憶にある師匠の声。
〝多くの人が、お前を待っているような気がする。〟
そしてリューイは、改めて気づいた気がしたのだった。
「俺・・・さ、師匠に・・・自分を越えて帰って来いって・・・言われたんだ。」
ギルはそう言ったリューイを黙って見つめていたが、やがて微笑して、「・・・なるほど。」とだけ返した。
自分を越えて帰ってこい・・・師匠のその言葉は、やはり肉体的に強くなることだけを言っていたのでは、きっとない。それに、正しく生きる者を狙う不幸があるなら、止めてやればいい。それがきっと、自分を超える旅になる。
この仲間たちとなら・・・。
意味するものに気づいたリューイは、急に晴れやかになったその顔で、そばにいる一人一人を順ぐりに見た。
それに気づいたレッドが、気味悪そうに顔をしかめていた。
実際、その小舟からニルスの町はほとんど見えない。視界を支配するのは、ひっそりとした
「白亜の街と、そして、四つの風が
詩を読み上げるように、エミリオが老婆から聞いた話をまた口にしたが、今は無風だった。
「風など ―― 。」
言おうとして、ギルは声を
風が吹いたのである。
空を隠していた灰色の雲がすれ違いながらゆっくりと動き出し、その
四方から風が集い始めたその湖は、目も
―― 完 ――