55.  カイルの限界

文字数 1,876文字

「ここにあるものは何もかも汚らわしい。汚してやる・・・何もかも呪ってやる。白亜(はくあ)の街などと、自慢できないようにしてやるわ。」
「自分が何をしているか、分かっているのか。」
 傷つけられても、ギルは言い止めなかった。それどころか、ますます声を張り上げた。
「何も知らない幼子(おさなご)をためらいもなく殺せる。罪のない者を平気で不幸にできる。同じことだぞ、あんたが恨み、汚らわしいとけなした一族と ―― 」
「うるさいっ!」
「あんたも・・・同類だ。」

 痛みをこらえて無理に言い返したギルの(もも)に、大きな生々しい裂傷(れっしょう)ができていた。

「カイル!」
 止めてくれ! 言おうとしてリューイは振り向いたが、(あせ)る気持ちに拍車(はくしゃ)をかけただけだった。

 カイルは炎と魔物をおさえるだけで精一杯だ。青ざめた顔で眉間(みけん)(しわ)を寄せ、目をかたく(つむ)り、一心不乱に呪文を唱え続けている。深く、深く自身の中にもぐって、念を一つにありったけの力を()み上げようとしている。

「レッド・・・。」

 リューイに呼びかけられて、ギルに気をとられていたレッドが顔を向けると、リューイはひどく不安そうな目をしていた。その目で、リューイはカイルを見た。

 (うなが)されるままに目をやったレッドは、同時にあることに気付いて、リューイが思う以上の懸念(けねん)を抱いた。レッドはカイルの様子をみにそばへ寄り、それから視線を上げて、この舞踏会場を見回した。

 この炎は精霊によるもので、カイルがおさえてくれてはいても、閉めきられた室内で実際に熱さを感じ、蒸され続けているような状態で休みなく口を動かしていれば、体は恐らく熱射病などと同じようになってしまう。この状況下で呪文を唱え呪術を続けることは、見ている方が思う以上に危険で、(つら)いだろう。

 まずい・・・このままでは・・・。

「カイルが・・・自滅しちまう。」
「え・・・。」
「ここで、こんな調子で喋り続けたら、体はきっとまともでいられなくなる。機能障害が起こって、そのうち、し・・・。」
 レッドが何を言いかけたかが分かって、リューイはハッと驚き、うろたえた。
「今すぐ止めさせようっ。」

 しかしリューイ自身、そうもいかないことは分かっていた。リューイは、苦渋の表情で黙り込んだレッドを見つめ、それからエミリオを見た。何かといつも最善の決断をしてくれるのは、ギルとエミリオの二人だった。

 背後のそんな様子にはエミリオも気付いていて、肩越しに顔を向けていた。それから、そっとギルのそばを離れたエミリオは、リューイを見て、ギルに聞こえないよう静かな声で言った。
「リューイ・・・ギルがきめるまで・・・耐えてくれるのを祈るしかない。ギルが集中して相手を狙えるようにするには、カイルの力が必要だから。」

「俺たちにできるのは・・・それだけかよ。」
 (くや)しくて(こぶし)を固めたリューイは、ふと思い出した。それからパッと動いて、カイルの背後から軽く肩を支えた。そして、どうしたのかと目を向けていたレッドやエミリオに言った。
「砂漠でこいつ・・・支えてて・・・って言ったんだ。だから・・・。」

 そういえば、バルカ・サリ砂漠の戦い(※)で、リューイはずっと、カイルの肩に手を置いていた。それを思い出したレッドは、リューイを見て微笑した。
「そうか。カイルを頼む。」

 目を見合ったレッドとエミリオは、再びギルのそばに(ひか)えた。

 ギルの首筋を何かがかすめ、血が流れた。

「思い出せよ。ここに埋め尽くされている怨念は全て、我が子や、夫への愛が変貌(へんぼう)したものなんだろうが。子供を奪われた親の気持ちを思い出せ。」

 (いさ)ましかったギルの声は、二人が戻ってきた時には無理に押し出すようなものになっていた。

「愛など本性は残酷なもの。胸を切り裂くだけでは飽き足らず、精神も人格までも破壊して、容赦(ようしゃ)なく破滅(はめつ)へと追いやる残忍な凶器。そんなもの、もういらぬわ ! 子供を亡くしたから何だというの。私の子や夫を簡単に殺した兵士も、この町の者たち。所詮(しょせん)は罪にまみれた醜い時代の末裔(まつえい)。哀れな者たちよ。」

「愚かなことを言うな!」

 ギルが本気で怒鳴った直後に、左肩から血が噴き出した。

 思わずレッドが身を乗り出す。

「レッド。」
 エミリオが苦い表情で呼び止め、そして首を振った。

 体で(かば)おうとすれば視界をさえぎり、邪魔をすることになる。分かっていたが、とても黙ってじっとしてなどいられない。毅然(きぜん)たる態度を崩しはしないが、ギルはもう立っているのがやっとのはずだ。その後ろ姿から、レッドは苛立(いらだ)たしげに顔をそむけた。





※ 『アルタクティス 邂逅編 〜 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 〜』 第3章 精霊石



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