16.  窓の気配

文字数 2,524文字


 シャナイアは、落ち着かなくてどうしようもなかった。彼を知りたかった。好きになってはならない人・・・そう自分に言い聞かせた。だが、それでも知りたくて仕方がなかった。

 ミーアがぐっすり眠ったのを確認すると、シャナイアはそっと窓を開けて、彼の部屋の位置を確かめた。

 ギルは、先ほど頂戴した赤ワインのおかげで、ほろ酔いの状態でいた。だが、頭の中は少しも浮かれてなどいなかった。

 ベッドに仰向(あおむ)けになったギルは、天井を見つめたまま、森で聞いたエミリオの呟きや叫び、それらの言葉を思い出していた。それは、毎晩のようにあいつを苦しめている原因に対する言葉・・・そうに違いないと。

 すると連想されて、ギルの脳裏にもまた、しばらく思い出さずにいられた過去の辛い記憶がよみがえった・・・。※



〝助けなんて来ない・・・ここには。〟 ※



 ギルは、息の根が止まったように目覚めた。実際、呼吸を忘れたかのようになり、落ち着いて背中を起こすと、一つ大きな深呼吸をした。
 いつの間にか眠っていたらしい・・・。

「久しぶりに見た・・・あの夢。」

 それはあの日のほんの一場面でしかなかったが、アルコールが入った状態でそのことを考えながら横になっていたせいか・・・。おかげで、思い出したことがそのまま夢となって追い打ちをかけてきた。正直、悪夢と言えるものだったが、そう呼んでしまうには抵抗がある。そこでの出会いを、悪いようには言いたくないからだ。

 ギルは頭を抱えて、しばらくベッドに座りこんだ。

 不意に、気配を感じた。窓の外にいる・・・。ギルは、急に険しくなったその顔を向けずに、しばらくはただ様子をうかがった。

 やがてギルは、影が映らないよう壁際(かべぎわ)に沿って窓辺に忍び寄った。カーテンが風によって少し浮いた状態になっている開けっぱなしの窓の外に・・・やはり気配を感じる。
 ただ、そこは大きな腰窓(こしまど)でベランダは無い。影も映ってはいないので、何かを足掛かりにして窓の横にへばりついているようだ。

 ギルは息を殺して窓際に立ち、そして勢いよくカーテンを引き開けた。

「何者だ。」
「きゃあっ。」

 ギルはハッとした。あわてて手を伸ばし、その曲者(くせもの)のしなやかな体を素早く片腕で抱き寄せる。もう片手でしっかりと窓枠(まどわく)をつかみ、窓から身を乗り出したまま。

「さっきの一件のあとで冗談キツいよ。」と、ギルは唖然(あぜん)として言った。

 彼が支えているのは、心臓が飛び出るほど驚いて、腰を抜かしかけているシャナイアだったのである。

「驚かせようと・・・思って。」
 シャナイアは上目使いに、とても魅力的なあどけない顔をした。
「俺を? それとも自分? とにかく、さあ早くこっちへ。」
 ギルは彼女の腰をぐいと引き寄せ、室内へと迎え入れた。
「大丈夫?」
「ええ、もう平気。」
 そうされて思わず赤くなったシャナイアは、(あせ)ったように彼から離れた。
「まったく、女だろう君は。」
「でも戦士よ。お忘れじゃない?」

 冗談めかしてそう言う彼女に、ギルは肩をすくった。

「まだ眠らないのか。」
「ええ、目が冴えちゃって。起こしてごめんなさいね。」
「構わないよ。起こされたわけじゃないしな。」
 ギルはそれから、「飲むかい?」と言って、さっき円卓の上に置いた、緑色に透き通る(びん)を指差した。

「それ飲んだら眠れるかしら。」

 レッドと同じ狙いで、さりげなく彼女にそう勧めたギルは、管理人の心遣いで用意されていたもう一つのグラスをひっくり返した。そして四分の一ほど注いだワインを、彼女に手渡した。

「で、どうして俺の部屋へ? 君ならレッドのところへ行きそうなものだが。」
「あら、どうして? 戦友だから?」
 シャナイアはそう反問しながらグラスを受け取り、手を振った。
「あの子の所へ遊びに行ったって、どうせ追い返されちゃうに決まってるもの。エミリオは何だか恐れ多い気がするし、リューイやカイルはまるで子供だし。お姉さんとしては、せっかく眠ろうとしているところを邪魔できないわ。」
「俺の邪魔をする分には、一向に構わないけどって?」と、ギルは苦笑してみせた。
「ごめんなさいってば。だって親しみやすいんだもの、あなた。面白い話も聞けそうだし。」
「俺なんて、つまらない男だよ。」

 そんなわけないじゃない・・・と、シャナイアは思ったが、口にはしなかった。代わりにワインをひと口飲みくだし、それから勢いよく飲み干した。そして、空になったグラスを見つめながら呟いた。

「ギルベルト・・・皇太子・・・か。」と。

 ギルはやれやれと首を振り、ベッドに座った。
「その名前は忘れてくれ。この顔の時は、ギルで通ってたんだ。」
「通ってた?」
「こう見えて、けっこうな不良でね。城を抜け出して夜遊びしてたんだ。城から一番近い町の酒場で、毎晩のように仲間と落ち合っていた。」
「冗談でしょう? 国の人なら(ひと)目で分かっちゃうじゃない。」
「ああ、皆たまげてたよ。ただ、誰も本人とは気付かずにいた。皇太子とそっくりなよそ者で通してたんだ。君は、今の俺を見て想像できるかい。俺が堅苦(かたくる)しい言葉遣いで家来に命令し、召使いたちが(うやうや)しく立ち並んでいる大理石の廊下を、澄ました顔で歩く姿を。」

「顔を知ってても・・・あのレッドでさえ見事に(だま)されちゃったものね。」
「もっとも、有り得ないという状況にも助けられたけどな。」

「どっちが・・・本当のあなたなの?」
「俺は、生まれ変わったつもりも、昔の自分を(ほうむ)るつもりもない。だが、それはそれとして、俺自身は、ギルとしての自分の方が性に合っているとは思った。この先も、俺はギルとしてやっていく。」
「この先も・・・ずっと?」
「ああ。戻るつもりはない。」

 彼はなぜ、一人で皇居を出てきたのか・・・その理由を探りたくて、部屋までやってきたシャナイア。エミリオのように、何かそうするしかなかったのだとしたら、まだ割り切れると思っていた。それなのに、この会話からすると、彼は勝手に出てきた疑いがあった。もしそうなら、彼自身は戻るつもりはなくても、国家や皇室にとってはそうはいかないはず。やっぱり・・・好きになってはならない人だと思った。





 ※『アルタクティスzero』― 外伝「運命のヘルクトロイ」 14. 瓦礫の街


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