62.  外れた・・・

文字数 1,480文字

 リトレア湖の(おき)に、何の動きもなく静止している小舟が一艇(いってい)。乗り込んだ者はみな、精根尽き果てたといった表情で、ただそこに座り込んでいた。

 ずいぶん長い間、誰も口をきかなかった。

 長かった・・・あの戦慄(せんりつ)の異世界を夢中で駆け抜けていた時間と、そして、今やっと得られた休息の時。

 静かだ・・・。 

 視界一杯に見渡せる森の緑と広大な湖を、五人は呆然と眺めていた。そして時々、山の稜線(りょうせん)が綺麗に連なっている遠くの風景にも目を向けた。

「どうなったんだと思う。」
 やがてレッドが、ぼんやりと景色を眺めているそのままで口を開いた。

「さあ・・・。」
 リューイはややうな垂れて、遠景よりは湖面の一点を見つめている。口調はレッドと同じくらい(うつ)ろだ。

「きっと・・・呪いが封印されたせいだよ。」

 カイルが二人よりはしっかりとした声で答え、そして続けた。

(にく)しみ、(うら)み、悲しみ・・・そして、怒り。あの宮殿や洞窟(どうくつ)は、そういった感情が生み出した最も恐るべき力で埋め尽くされていた。呪いの儀式に使われる祭壇(さいだん)なんかを浄化すると、それは粉々に(くだ)けてしまう。だから、封印によってそれと同じようなことが起こったんじゃないかな。」

 そこまで言うと、カイルはひと息おいた。

「見えないものでも神秘の力で形になる。感情がそうして力になった時、それは最も強力で、巨大で、ずっと底知れないんだ。」

 その言葉に、ほかの者は黙って耳をかたむけた。次第に、心は暗く重く沈んでいった。

 カイルは宮殿があった辺りを見つめた。
「もし・・・また封印が解かれたら・・・。」

「いや・・・。」と、エミリオが口を挟んだ。それから(ほお)に笑みを浮かべて、ギルの方を向いた。「銀の矢は当たったのかい。」

 なぜかエミリオを見つめ返したまま苦笑いをしているギルは、ふっと息を漏らしてこう答えた。

「外れた。」

 レッドもリューイも、そしてカイルも唖然(あぜん)となる。そして・・・。

「外れたあっ⁉」

 息ぴったりのオウム返し。

「ああ・・・俺の放った矢は当たってないよ。悪りい。」
「え、じゃあ何で ? 外れたのに、なんであんなことになって、目の前こうなるの⁉」

 カイルは、呪いが浄化されたとも言える現象が起きたこと、つまり、それによって恐らく呪われていた宮殿が崩れたことを言った。

 するとギルは、ゆっくりと大空を眺めた。その面上にうっすらと優しい笑みを浮かべて。

「あの時・・・彼女の様子が不意におかしくなって、俺が(はず)を手放す少し前には急に弱々しくなった。それが俺には、ひどく寂しそうな切なくていたたまれない姿に見えた。誰かに導いて欲しそうにしていたようだった。それが気になって、動揺して、手元が狂って、外れちまったんだ。あちこち痛かったしな。」

「つまり・・・どういうわけかぎりぎり()い改めた彼女は、矢が外れたおかげでまた封印されることもなく、自然に昇天できた・・・本当に浄化されたってこと?」

「だろうな。」

「外れた・・・ね。」

 エミリオは意味深な微笑をまたギルに向け、ギルもまた同じような苦笑を返した。

「知ってたのか。」
「最後に見たから・・・昇って行く彼女を。安らかで嬉しそうな顔をしていた。」
「そうか・・・良かった。」

 これに、ようやくレッドにも合点がいった。

 ギルは己の確信のもとに、独断で賭けにでたのだと。つまり正確には、〝外れた。〟ではなく、〝外した。〟・・・である。

「そういうわけか・・・。」

 恨みや憎しみ、執念(しゅうねん)といった強烈な感情だけでここにとどまっていた魂は、黄泉(よみ)の国の使者たちに導かれて、この日やっと昇天していったのだ。彼女が差し出したその両手をとられて。






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