14.  意味深な霊

文字数 2,338文字

 周りを樹木で囲まれた静かで和やかな雰囲気の旅籠屋(はたごや)に、ようやく一行は落ち着くことができた。煉瓦造(れんがづく)りの二階建てがL字型に(たたず)んでいる宿である。洒落(しゃれ)た外観だが、ひなびた感じが周囲の自然とうまく調和している。あまり(もう)けにはこだわらないらしく、配慮の行き届いた二人部屋ばかりが用意されていた。辺鄙(へんぴ)な場所にあるためか、ほかに客は無い様子。集中して立ち並ぶ旅館の中には、当然のように相部屋となることも珍しくはない。だがここは、家庭的な匂いがして待遇も居心地もよい宿だった。

 ただ、二人部屋ばかりなら、ミーアが決まって添い寝なので問題はないはずが、そうもいかなかった。二人部屋といっても寝台は一つ。セミダブルよりも小さめのものが、一台だけなのである。ここは、閑静(かんせい)辺鄙(へんぴ)な場所にある小洒落(こじゃれ)たペンション。どうもそういう利用客も多いらしい。

 だが、ギルが自ら一人を選び、レッドとリューイが同じでいいと言ったので、自動的にミーアとシャナイア。そしてエミリオとカイルが同室となった。

 実は、これには理由があった。彼らのうち三人が、あることを(くわだ)てているのである。提案者はレッド。そしてそれに乗ったのが、ギルとリューイの二人。

 そもそも、このことは、リサの村でレッドがギルと約束をしていたからだったが、決めたのは、昼間の料理店で三人がエミリオたちから離れた時だ。夜の十一時を過ぎた頃、三人は密かに決行するつもりでいる。

 エミリオは小さな肘掛(ひじか)け椅子に腰掛けて、また地図を眺めていた。その目の前で、カイルは、昼間()んだ薬草の種類分けにいそしんでいる。シャナイアはミーアのお喋りに付き合い、リューイは部屋で静かに武術の動功(技法)の練習をし、ギルは、サービスで部屋に用意されていた赤ワインを一人で味わっている。

 そしてレッドは、玄関ポーチの階段の(はし)に座り込んで、肌身に()みる夜気(やき)を浴びながら、物思いに沈んでいた。

 イヴとの再会を控えた今、複雑で不安定なこの心境をどうにか整理し、少しでも気持ちを落ち着かせておきたかったのである。だが、いつまでも苦渋の面持ちで、ため息ばかり繰り返していた。

 今更どんな顔で、どんな態度で会えというのか・・・。

 雲が夜の強風に(あお)られて、のろのろと移動している。

 そのうち悩み疲れたレッドは、顔を上げて、夜空をただぼんやりと眺めた。

 しばらくそうしていると、背後の妙な気配に気付いた。その前の静かに玄関が開く音は気にならなかったが、確かに気配があるのに動きがない・・・。怪訝(けげん)に思って振り向くと、やはり人が立っていた。この宿の主人の奥さんだ。

 ところが、レッドがなんだ・・・と、ほっとしたのも(つか)の間、彼女は後ろ手に何かを隠し持っているらしい・・・異様な無表情で。

 その様子のおかしさに、レッドは顔をしかめた。

 夫人の口元が、奇妙にゆがんだ。
「かえ・・・し・・・て。」
「え・・・。」
「返して・・・あの子を・・・あの人を・・・。」

 その口から(うめ)くような低い声が聞こえた。続いて、後ろ手に握っていたものが(あらわ)になる・・・鋭利な果物ナイフだ⁉

 レッドは立ち上がった。

「埋め尽くす・・・この町を・・・。」

 意味不明なことを呟きながら、彼女は一歩一歩とにじり寄ってくる。
 レッドも逃げ腰で後ずさりした。

「私の・・・怨念で。」
「何言ってるんだ、うわっ⁉」

 レッドはあわてて()け反った。夫人が突如(とつじょ)ナイフを振るってきたからだ。幸い、あばらの辺りをわずかに(かす)っただけだった。

「止めろ!」

 ただならないレッドの声は、二階にいる仲間たちの血相を変えた。窓から玄関先を見下ろして、次々と階段を駆け下りてくる。

 そのあいだも、夫人は逆手に握りしめたナイフを容赦なく向けてくる。それをどうすることもできずに、レッドはただひたすら(かわ)し続けていた。むやみやたらに凶器を振るっているので動きが読み(づら)く、攻撃の見当がつかない。それに相手が女性で、しかも世話になる宿の管理人となれば、下手に手を出すわけにもいかなかった。 
  
 そんな状況で、レッドにはずつと気になってならないことがある。それは彼女のその、刃物を振り回しているというのに、いやに冷静な顔だ。

 間もなく、仲間たちがあわてて駆けつけてきた。

 レッドと夫人は接近して、互いにくるくると動き回っている。様子のおかしさがいよいよ尋常(じんじょう)でないと判断したレッドも今、ようやく決心がついた。まずは彼女の動きを止めなければならない。

 その時 ―― 。

「悪霊が !」
「え・・・つうっ ⁉」

 カイルの声に気をとられた一瞬、夫人のしかけた一撃がきまった……!

 シャナイアは思わず口に手を当てる。

 ナイフは鋭く、レッドの左の前腕(ぜんわん)をグサリと突き刺していた。
 レッドは歯を食いしばり、激痛に耐えた。とっさに押さえた傷口から血がポタポタと地面に(したた)り落ちるのを見つめる。つい注意を()らしてしまった自分に腹が立った。

 一方、右手を上げたカイルは、立ったまま急いで呪文を唱え始めている。 

 ところが悪霊は執着(しゅうちゃく)せず、すぐに彼女を解放して去って行った。
 カイルから見れば、逃げられた……というものだったが。
 実は、こうなる前にはもう、先に異変を感じていたカイル。そして、夫人の狂気の姿を見るなり確信した。
 カイルは厳しい顔で佇んだ。(すさ)まじい怨念を感じたからだ。それは恐ろしいことに、昼間のモノとよく似ていた。

 それを同様に感じているエミリオも青ざめている。

 ひとまず、気を失って倒れた夫人は、エミリオが抱き上げて管理人室へ。この時、主人は出掛けていて不在だった。
 そして、負傷したレッドは手当てを受けるためにカイルの部屋へ向かい、ほかの者はそれぞれの部屋へと戻って行った。

 今の出来事に、戦慄(せんりつ)を覚えながら。



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