31.  戦いの夜明け

文字数 2,105文字

 空は、どんよりとした厚い雲に覆われていた。おかげで日の出の時がきても、朝にしてはまだ濃い暗がりを残している。吹き抜ける風は、なぜか不気味に生温(なまぬる)かった。

「ギル、用意はいいかい。」
「準備完了。」

 弓をしっかりと背中に装備したギルは、エミリオの目を見ながら愛用の大剣に手を当ててみせる。

 剣の使い手たちはみな、その手入れをしっかりと済ませている。前回、魔物を相手に素手で苦戦したリューイも、主人に頼んで、武器にできそうな鉄の長い棒を見つけてもらっていた。怪物が相手となれば、素手では大して役には立てない。だが棒術が使えれば、その何倍も働くことができる。

 そしてカイルも、少しも物怖(ものお)じする様子もなく準備万端整えている。というのは、精霊使いにとって、最も必要なのは体力。カイルはつい先ほどまで眠っていて、誰よりも長く睡眠時間をとった。 

 ミーアをベッドに残してきたシャナイアは、夫人と共に見送ろうとしていた。そうして軒先(のきさき)(たたず)んで、不安な気持ちを(おさ)えるのに必死になっていた。

 小舟を出してくれる主人は、湖まで見送りに行くことになっている。しかしながら、彼らが立ち入り禁止区域にあえて(おもむ)くそのわけを聞いていたので、そうすることに非常に抵抗を感じていた。おととい聞いたその話は、普通なら非現実的なものだが、この呪われた町においては信じられないことではなかった。

「恐れて・・・誰も疑問に思ったり、詳しく調べようという者はいませんでした。」
 主人は苦い表情で、エミリオにそう話しかけてきた。
「一年前のあの日から、この町の者はみな、生きた心地がしないまま暮らしてきました。ただ諦めて、耐えるしかないと・・・。あなた方の勇気には、本当に頭が下がる思いです。ですが、やはり・・・」

「この町は好きですか。」と、エミリオは微笑した。

 主人は答えられずに、ため息をついただけだった。

「これほど立派で美しい町は、そうはない。だが私には、助けて欲しいと(ひど)(おび)えている声が聞こえてくるようです。町の人々のではなく、この城郭(じょうかく)都市の。今日、救ってあげられるかもしれません。ただそれだけを祈っていてください。」

 彼の(いさぎよ)い声と表情に思わず魅了されていた主人だったが、不意に呼びかけられて我に返った。
 そばにいたのは、いつも赤い布を(ひたい)に結んでいる青年だ。

「ご主人、この家に剣は?」
 レッドは、ふと思ってきいてみた。居間に長弓(ロングボウ)が飾られていたことから、ほかの武器の用意もあるかもしれないと。
「はあ、軽量タイプの細い長剣でしたら。」と、主人。
 レッドは、ほっと吐息をついた。
「ありがたい。それなら申し分ない。」 

 そしてレッドは、やがて主人が持ち出してきた剣を、そのままシャナイアに手渡した。

 女戦士の多くは、鋭さを持ち味とする細くて軽い剣を選ぶ。シャナイアも例外ではなく、幸いその細剣(さいけん)は、彼女が愛用していたものと同じタイプだ。

「シャナイア、斬れるものなら斬ってくれ。ミーアを頼む。」
 そう懇願(こんがん)しながら、レッドはすがるような瞳で見つめた。何か・・・嫌な予感がしてならなかった。

「任せて。」
 正直なところ、シャナイアははっきりとそう請け合える心境ではなかったが、今は堂々とうなずいてみせた。本当なら、自分がそばにいてやりたいはず。そんなレッドの前で、頼りない顔はできなかった。
 受け取った剣を(さや)から引き抜いたシャナイアは、軽く白刃を閃かせて、その感じに満足したという笑みを返した。

「キース、ちゃんと皆のそばに付いててやるんだぞ。」
 そう言い聞かせながら、リューイはキースの頭を()でていた。身を案じるかのように、留守番のキースはしきりに体をすり寄せてくるのである。

 エミリオは、仲間あるいは戦友一人一人を見た。その誰もが凛々(りり)しい表情と、勇ましい態度でしっかりと目を合わせてきた。

 エミリオはうなずいて、言った。
「行こうか。」

 そして彼らが背中を向けかけた時。

 シャナイアの脳裏に、リサの村での死闘がバッと浮かんだ。思わず駆け出しそうになって、踏みとどまる。何か言葉をかけたかったが、頭の中でまとまらない。

 そんな彼女と目が合ったのは、ギルだった。その隠しきれない、弱気な表情から心境が伝わってくる。残される不安と、送りだす心配が胸の中でうずまいているだろう。

 ギルは事もなげに笑ってみせた。
「じゃあ、夕飯までには帰るから。」

 (さと)られたと分かって、シャナイアはあわてて気を引きしめ、調子を合わせようとした。が、やはり口元(くちもと)に笑みを浮かべてみせるだけが、やっと・・・。

 ギルがエミリオにうなずきかけ、二人は同時に背中を返した。
 続いて次々と。

 シャナイアは胸の前で両手を握りしめた。
 そうして間もなく歩き出した彼らを、黙って見送った。



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