34.  妖魔の棲み処

文字数 2,326文字

 彼らは気を取り直して先へ進んだ。しかし今のことで、その足取りはさらに慎重さを増している。
 緊迫した空気が漂う。
 全神経を集中させ、どんな(かす)かな音も聞き逃すまいと耳をそばだてた。

 曲がり角を三つ通り越した。それから突き当たりの丁字路(ていじろ)を左に曲がって、しばらく進んだ時 ―― 。

 先頭にいるリューイ、そして、あとに続いている者たちも同時に立ち止まった

 冷や汗をにじませて苦笑を浮かべたギルは、剣を構えながらエミリオと背中合わせになった。間にはカイルがいる。エミリオも同様、剣を握り締めて壁の至るところに鋭い目を向けている。リューイは腰を落として、どんなふうにも動かせるよう鉄棒に両手を当てていた。レッドもすでに背中を返して、カイルを背後に。基本的に、そのカイルを囲むフォーメーションだ。

 レッドは二本の剣を油断なく構えながら、「カイル、一応用意しておけ。もし、俺たちが敵わないようなら・・・」と言い、少し振り向いて、カイルのその深緑(ふかみどり)色の瞳を食い入るように見つめた。「お前だけが頼りだ。」

 カイルは真剣にうなずいて、その場に立膝(たてひざ)をついた。これがカイルにとっての楽な戦闘態勢である。そして、すぐさま呪術を行えるよう、この恐怖と緊張感に負けじと精神統一に入った。一秒一瞬の遅れが、仲間の生死を分ける。何が起ころうと決してうろたえてはならなかった。

 壁の中を、何かが走り抜けたような感覚を覚えた。
 気のせいではない、次から次へと集まってくる 。

 後ろ ――! リューイはいち早く察知した。
「レッド!」

 耳をつんざく金切(かなぎ)り声がしたかと思うと、左の壁から何か黒い物体が飛び出してきた ―― !
 体を回すように動いたレッドは、ほとんど感覚で袈裟懸(けさが)けに()り下ろす。

 手応(てごた)えありだ!

「斬れた!」
「よし!」

 レッドの報告に、カイル以外はそろって声を張り上げた。それに加えて、ギルとリューイはニヤッと不敵な笑みを浮かべる。こうなれば、しめたものだ。一度経験しているだけに魔物を相手にする恐怖は変わらないが、カイル一人に負担をかけるよりはずっといい。

 レッドがしとめた物体は、まさしく魔物以外の何でもなかった。裂かれた体からたちまち溢れ出した液体は黒くてぎらぎらしており、歯は細かな(のこぎり)歯で、コウモリのような羽と、例によって炭火のような赤い目玉を持っている。が、獣や鳥といった動物で例えきれるものではない。強烈な負の感情―― (にく)しみ、(うら)み、悲しみ ―― が生み出した醜怪(しゅうかい)な謎の生き物。

 それを初めに、似たような怪物がひっきりなしに壁から現れた。鮮度のいい御馳走にありつこうと、無我夢中で体を(ひるがえ)してはめまぐるしく宙を飛び交う。美味しそうな血の匂いに、気も狂わんばかりだ。

 エミリオやギル、そしてレッドは、敵を背後に回さないよう確実に斬り伏せた。リューイは次々と打ちのめしていく。もし中へ入れてしまえばいっかんの終わりだ。一人でも崩れそれば、仲間ともども道連れにたちまち魔物の手にかかり、無残に引き裂かれ、あげく餌にされてしまうに違いない。持ち場を死にもの狂いで死守しなければならない。この危うい均衡(きんこう)を、何としても保ち続けなければ。

 カイルはまだ呪術の構えをとったまま、静かに精神を集中させている。何か役に立てることが・・・仲間たちに力を貸して少しでも楽にしてやることができるのに、それが分かっていながら躊躇(ちゅうちょ)した。最後まで体力がもたなくなるのを恐れていた。これだけの数を(おさ)えるとなると、かなりの呪力と体力が必要になる。事をやりおおせるまでは、何が待ち構えているか知れないのだ。いざという時にスタミナ切れでは、何にもならない。

 カイルは祈る思いで、仲間たちがもうこれまでというその瞬間まで、(あせ)る気持ちをじっとこらえた。

 次々と湧いて出てくる魔物を事務的に始末するという絶え間ない作業は、延々と続いた。恐怖を覚える暇すらない。

 魔物が(のど)に、肩や胸に、無暗やたらに(つか)みかかろうとしてくる。
 すんでのところで斬りつけ、押し退()けて、どうにか命ながらえる。

 どれくらい経っただろうか。ようやく次第に数が減ってきたと目で見て分かるようになった頃には、さすがの屈強(くっきょう)の戦士たちも呼吸が荒くなっていた。人間を相手にするよりも遥かに疲れる。

 通路には殺したそれらが積み重なって、辺りに胸の悪くなるような毒々しい血を垂れ流していた。

 壁を()って突進してきた一体を脳天から叩き割ると、ギルはそのまま崩れるようにして両膝を付いた。

 これが最後らしかった。

 あとに続いて、ほかの者も一斉にその場にくずおれる。
 やっとのことで全てを退治し終えた彼らは、武器を床に立てて力無く寄りかかった。珍しく、みな疲れきった顔でひどく乱れた息をしている。  

「だ・・・大丈夫?」
 カイルは仲間たちのそんな様子を順ぐりにうかがった。
 その答えとして、誰もがただ無言で首を縦に振ってみせるだけである。

 そのまましばらくは、何か(しゃべ)りだす者はいなかった。

「こいつら・・・リサの奴らとは違って・・・平気なのか。」
 どうにか呼吸が落ち着いてきた時になって、ギルがつぶやいた。
「明るい場所でも・・・全くめげない奴ら・・・ばっかりなんだろうな。」顔を上げながらそう応えたレッドだったが、それから思わず、「勘弁してくれ・・・。」
 それに「う・・・そだろ。」という、リューイの吐きそうな声が続いた。

 通ってきた曲がり角のあたりに、黒いものがいる・・・。
 そうと気づいて意識を向ければ、背筋(せすじ)を凍りつかせる金切り声。それは精霊の光が切れるところに複数いて、その姿も声もまだはっきりとしていなかったが、分かった。

 同じようなのが大勢、さっき、ここにいたから。





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