37.  精霊術の裏技

文字数 2,155文字

 魔物は、完全にその場にとどまってはいなかった。わずかに、ほんの少しずつじりじりと動いて、呪縛(じゅばく)から逃れようとしている。

 (やみ)の敵に対して、カイルは同じ闇で対抗している。しかし、その性質は全く違う。天界と冥界(めいかい)の闇だ。夜のように純粋な闇からやってきたものたちと、悪感情が()くった闇から生み出されたものたち。

 カイルにとって、そのような相手とやり合うのは二度目である。おかげで、少しは勝手が分かった気がしていた。ただ前回よりも手強(てごわ)い。光の中にいても(ひる)まないし、凶暴だ。カイルは様子をみながら戦法を考えた。まだ何もしていないうちから、疲れるわけにはいかない。この場合に、体力の消耗を最小限にできる方法は・・・むしろ持久戦より一発勝負。けれども、普通にそれをやれば大幅に体力を消耗してしまう。

 少ない呪力、体力でも大きな力を使える裏技・・・それをやれば。
 カイルは、ちらと横目にエミリオを見た。
 怖い・・・覚悟がいる。

 今、そばにいるのはエミリオなのである。風の神オルセイディウスの成り代わりであるその力は覚醒(かくせい)している。だけど、今欲しいのは、彼自身の本来の霊能力 ―― 呪力。今、感じることができているその能力を、自分のさじ加減で引き込むことができれば、自分の呪力と体力の消耗を抑えることができる。

 そう考える一方で、思い出されるのは砂漠の戦い。レッドが感情的になった瞬間、恐らく反応した大地の神の力が強力な精霊を呼び寄せた、あの時。危うく自滅するところだった。

 体がすくむ。だが、その恐怖心とは裏腹に、試してみたい気持ちもあった。カイルは冷静に考えた。エミリオが感情を乱すことは、きっとない。上手く利用できると分かれば、この先、強力な武器になる。

 そうしているうち、カイルは魔物の気力が弱まったのを感じた。キーキーとうるさかったわめき声が、苦悶(くもん)(うめ)きに変わっている。

 思いきって意識をエミリオの方にも向けたカイルは、彼と自分のパワーが一つにつながるよう念を凝らし、集中し、調整しながら呪文を唱えた。

 するとすぐに、本来カイルが扱うには少し強力な精霊たちが、その召喚(しょうかん)に応えてやってきた。そして、それら三つの力が絶妙なバランスで混ざり合ったのを感じ取れた時、カイルは今だとばかりにサッと腕を動かして五つの(いん)を結んだ。

 (いや)な、生々しい(にぶ)い音と共に、(ねば)りのある黒い液体が一面にバッと広がった。それらは一瞬にして、形のないどろどろとした水たまりになった。まるで巨大な岩石に押しつぶされたか、体内から破裂したかのよう。それらの残骸(ざんがい)からは、脳や内臓といったものがあったかどうかは分からない。戦いの中で(するど)い歯や(つめ)のようなものは見たが、今見て分かるのは、魔物の血液らしいその黒い液体に混じっている、特に目立っていた赤い目玉のようなものだけだ。

「よかった、成功!」と手を打ち合わせたその指で、カイルは頭をかいた。「やりすぎた・・・かな。」

 カイルは今、あえてわざと風の精霊を呼び寄せた。試したのである。恐らくエミリオの能力が最も発揮されやすい風の精霊でも、自分が望むだけを呼ぶことができるかを。

〝 霊能力 〟にも個性があり、受け入れやすいもの、体質に合わず拒絶反応を起こしてしまうものと、それは人によって様々(さまざま)。そしてエミリオのものには、強烈なパワーだが、同時に温かく包みこまれるような感触を覚えた。体に優しく馴染(なじ)みやすかった。彼が神精術を体得した日には、使役される精霊たちは、きっとその力に()いしれることだろう・・・と、カイルは思った。

 そこへ、駆け足の靴音(くつおと)が響いてきた。

 エミリオとカイルが気付いて目を向けると、三人がそろって戻ってくるのを見ることができた。

「無事でよかった・・・とりあえず。」
 エミリオは彼らを迎えて言った。実際には、一人負傷者がいるからである。
「お互いに。」と、ギルは辺り一面を塗りつぶしている気味の悪い液体を見つめた。

 リューイは、カイルに銀の矢を差し出した。
「ほら、これだろ ? 俺の活躍のおかげだぜ。」

 リューイは軽い声でそう言ったが、うなずいてそれを受け取ったカイルの方は、手を伸ばしてリューイの右頬に触れ、ひと(すじ)の切り傷をのぞきこんで眉をひそめた。命がけで取ってきてくれたに違いない。

「応急処置しかできないけど。」
 カイルは、腰に下げてきた袋の中から軟膏(なんこう)を取り出して、傷口に薄く塗った。

 リューイは屈託(くったく)ない笑顔で応えたが、それもすぐに真顔に変わる。
 リューイだけではない。同様に、ほかの者も険しい表情をしている。

「問題はこれからだ。」
 語気を強く、ギルが言った。

 地下迷路を(とどこお)りなく進み、罠も切り抜け、残虐無慈悲な魔物を相手に奮闘し、底無しの峡谷(きょうこく)を渡って、ようやくラグナザウロンの銀の矢を手に入れた。
 どれも単なる前提にすぎない。

「じゃあ・・・戻りますか。」
 レッドがため息混じりに言った。もう勘弁(かんべん)してくれと泣きたくもなる場所を、また通らなくてはならないのか…。

 するとエミリオが、「いや・・・。」と言って顔を上げ、遠くを見るような目をした。三人が銀の矢を取りに向かった方向である。

 そして、カイルも。
(すさ)まじい怨念・・・それに・・・。」

 もう、案内を必要としなかった。それほど強い邪悪な力が呼び(いざな)っていた。






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