43. 最後の手段
文字数 2,453文字
「エミリオ、力を貸し・・・しぇぇっ⁉」
悲鳴を上げたカイルは、とっさに首をすくめて前のめりに蹲 った。
刹那 に、つい先ほどまで上半身があったところを、ゾッとするものが豪快に横断していった。
「すまない、大丈夫か。」
あわてて駆け戻ってきたエミリオは、一人にしてしまったことを詫 びた。
「そうじゃなくて、神精術を・・・僕の言うことをそのまま繰り返して!」
エミリオのパワーなら、それだけでも必ず効果は表れるはず。だが、知らない者にとっては異大陸語のような呪文。訳の分からない、意味不明な言葉の連続。それを完璧に記憶し、繰り返すことが果たして可能だろうか。エミリオの恐ろしく秀 でた頭脳を信じて、あえて危険な賭けに臨む決心をしたが、そのパワーゆえに、万が一にでも呪文を言い誤ったならば・・・。
「なん・・・だって。」
自身の霊能力がどうであるかは別として、エミリオにも、今までカイルに付き添って呪術の戦いをつぶさに見てきただけに、その世界を何一つ知らない者に神精術というものを行わせることの危険性は、直感的に想像がついた。
ただ、この時のエミリオとカイルの不安は、少し違っていた。呪力の反動を知らないエミリオの方は、精霊たちが上手くいうことを聞いてくれるとは思えず、暴走させてしまうのではないかという心配だけである。
「僕の言うことをそのまま繰り返して ! こいつは僕じゃ手に負えない、エミリオでないと !」
カイルは精霊使いだが、神精術の知識を持っていた。カイルは、祖父であるテオにいっとき神精術の一部を教え込まれていたのである。テオは、カイルの中の神の血に気付いたことから、カイルの霊能力が増すことを予想していたのだが、いつまで経っても精霊使いレベルのままなので、結局は知識だけでこれまで使われることもなかったのだった。
普段使わないまま月日が経っているため、呪文を言い誤る恐れはカイルの方にもあり、危険性はさらに倍となる。一刻の猶予もならないほどのこの窮地 に追い込まれるまで、躊躇 し続けるのも無理はなかった。
「しかし私は・・・」
「うあっ!」
何も知らない。何も分からない。エミリオがそう答えようとした時、リューイの叫びが鋭い鏃 となって背中を貫 いた。反射的に振り向いたエミリオは、唸 りを上げた魔物のひと振りにかかったリューイが、数メートル上の壁まで弾 き飛ばされて、そのまま真下に落下するのを見た。
「ほかに打つ手はないのか。」
「だから、早く。」
エミリオは焦燥 に駆られたが、かつてないほど戸惑っていた。
「ぐああっ!」
今度はレッドの悲鳴。その体もまた一瞬にして壁まで運ばれ、しかも、そのまま身動きできない威力で貼り付けにされている。
やるしかない・・!
「繰り返すだけで、いいんだな。」
「でも何があっても集中して。皆がどんな悲鳴を上げようと、あいつをやっつけることだけを考えて、僕の言うことをただ繰り返して。」
その理由は分からないが、異様に強張った顔のカイルに、そうしなければ何か大変なことになる、呪術を行っている間はほかに気をとられてはならないのだと、エミリオは理解した。
真剣そのものの固い表情で見つめ返して、エミリオはうなずいた。
それにうなずき返したカイルは、心許 ない記憶の中から神精術の呪文を引っ張り出してきて、慎重に頭中に並べ上げる。
「いい?いっきにいくよ。」
カイルはそう言うと、深呼吸をして目を閉じた。
言われて、エミリオもその驚異的な記憶力と集中力を高め、一心に気持ちを落ち着かせた。
カイルは意識して一言一句はっきりと発し、エミリオはそれを正確に繰り返す。
すると、カイルの声に続いて最初の呪文 —— 単語ではなく一文 —— がエミリオの口をついた途端 に、魔物に異変が起こった。その巨体から無数に伸びているものが、どれもいきなり同じ動きをみせたかと思うと、束 になってまっしぐらに走り出したのだ。
無防備にも見えるエミリオとカイルの方へ・・・⁉
危ない !
ギルもレッドも、そしてリューイも、声が出せずにただ目を背 けた。
エミリオは、自身のものとも、ほかから得たものとも分からない、途方もない力が体内を駆けめぐって、全身から迸 り出るのを感じた。
それは二つ目の呪文を口にした、直後のことだ。
足元を起点にサッと広がった青白い光が、同時に強風を吹き上げたのである。そして気づけば、エミリオは、あたかも断崖 に打ち寄せる高波 に囲まれていた。光る風の高波。
思わず顔を背けたギルが恐る恐る薄目 を開けると、周囲にボタボタと何か物体が降ってきた。魔物が吐き出していた縄 ―― のようなもの ―― の残骸 。無残に切り刻まれている。ギルはハッとして目を向け直した。波のような青白い光が、エミリオとカイルを取り巻いているようだ。あの青白い光に触れたせいかと、ギルは推測した。とにかく、よかった。二人はあれに守られたのだと理解した。
その時、ギルは不意に解放されて、大理石の床に崩れ落ちた。近くで床を打ち付ける音が聞こえた。顔を上げてみれば、切断されたロープ状の何かが頭上でめちゃくちゃに動き回っている。魔物がもがいているようだ。だが今はそれまで確認できる余裕はなかった。まだ危険のただ中にいるのである。早く避難しないと。しかし長い圧迫感に耐え続けた体の自由はすぐにはきかず、胸に手を当てたギルは咳 こみながら無理に体を動かした。上手く歩くことができない。よろめき、倒れそうになって、何度も手や膝 をついた。
「しっかり。」
そこへ駆けつけたリューイが急いで肩を貸し、ギルを助け起こした。
「お前は大丈夫か。」と、ギルはきいた。ききながらレッドを探した。
「ああ・・・レッドも。」とリューイは答えて、一瞬、首を動かした。
見ると、こちらの様子を気にしているレッドがうなずいて、身振りで伝えてきたのが分かった。青白い光の向こう側を、エミリオたちの背後を示したのだ。それからレッドは、すぐにその場を離れた。ギルとリューイもあとに続いた。
悲鳴を上げたカイルは、とっさに首をすくめて前のめりに
「すまない、大丈夫か。」
あわてて駆け戻ってきたエミリオは、一人にしてしまったことを
「そうじゃなくて、神精術を・・・僕の言うことをそのまま繰り返して!」
エミリオのパワーなら、それだけでも必ず効果は表れるはず。だが、知らない者にとっては異大陸語のような呪文。訳の分からない、意味不明な言葉の連続。それを完璧に記憶し、繰り返すことが果たして可能だろうか。エミリオの恐ろしく
「なん・・・だって。」
自身の霊能力がどうであるかは別として、エミリオにも、今までカイルに付き添って呪術の戦いをつぶさに見てきただけに、その世界を何一つ知らない者に神精術というものを行わせることの危険性は、直感的に想像がついた。
ただ、この時のエミリオとカイルの不安は、少し違っていた。呪力の反動を知らないエミリオの方は、精霊たちが上手くいうことを聞いてくれるとは思えず、暴走させてしまうのではないかという心配だけである。
「僕の言うことをそのまま繰り返して ! こいつは僕じゃ手に負えない、エミリオでないと !」
カイルは精霊使いだが、神精術の知識を持っていた。カイルは、祖父であるテオにいっとき神精術の一部を教え込まれていたのである。テオは、カイルの中の神の血に気付いたことから、カイルの霊能力が増すことを予想していたのだが、いつまで経っても精霊使いレベルのままなので、結局は知識だけでこれまで使われることもなかったのだった。
普段使わないまま月日が経っているため、呪文を言い誤る恐れはカイルの方にもあり、危険性はさらに倍となる。一刻の猶予もならないほどのこの
「しかし私は・・・」
「うあっ!」
何も知らない。何も分からない。エミリオがそう答えようとした時、リューイの叫びが鋭い
「ほかに打つ手はないのか。」
「だから、早く。」
エミリオは
「ぐああっ!」
今度はレッドの悲鳴。その体もまた一瞬にして壁まで運ばれ、しかも、そのまま身動きできない威力で貼り付けにされている。
やるしかない・・!
「繰り返すだけで、いいんだな。」
「でも何があっても集中して。皆がどんな悲鳴を上げようと、あいつをやっつけることだけを考えて、僕の言うことをただ繰り返して。」
その理由は分からないが、異様に強張った顔のカイルに、そうしなければ何か大変なことになる、呪術を行っている間はほかに気をとられてはならないのだと、エミリオは理解した。
真剣そのものの固い表情で見つめ返して、エミリオはうなずいた。
それにうなずき返したカイルは、
「いい?いっきにいくよ。」
カイルはそう言うと、深呼吸をして目を閉じた。
言われて、エミリオもその驚異的な記憶力と集中力を高め、一心に気持ちを落ち着かせた。
カイルは意識して一言一句はっきりと発し、エミリオはそれを正確に繰り返す。
すると、カイルの声に続いて最初の呪文 —— 単語ではなく一文 —— がエミリオの口をついた
無防備にも見えるエミリオとカイルの方へ・・・⁉
危ない !
ギルもレッドも、そしてリューイも、声が出せずにただ目を
エミリオは、自身のものとも、ほかから得たものとも分からない、途方もない力が体内を駆けめぐって、全身から
それは二つ目の呪文を口にした、直後のことだ。
足元を起点にサッと広がった青白い光が、同時に強風を吹き上げたのである。そして気づけば、エミリオは、あたかも
思わず顔を背けたギルが恐る恐る
その時、ギルは不意に解放されて、大理石の床に崩れ落ちた。近くで床を打ち付ける音が聞こえた。顔を上げてみれば、切断されたロープ状の何かが頭上でめちゃくちゃに動き回っている。魔物がもがいているようだ。だが今はそれまで確認できる余裕はなかった。まだ危険のただ中にいるのである。早く避難しないと。しかし長い圧迫感に耐え続けた体の自由はすぐにはきかず、胸に手を当てたギルは
「しっかり。」
そこへ駆けつけたリューイが急いで肩を貸し、ギルを助け起こした。
「お前は大丈夫か。」と、ギルはきいた。ききながらレッドを探した。
「ああ・・・レッドも。」とリューイは答えて、一瞬、首を動かした。
見ると、こちらの様子を気にしているレッドがうなずいて、身振りで伝えてきたのが分かった。青白い光の向こう側を、エミリオたちの背後を示したのだ。それからレッドは、すぐにその場を離れた。ギルとリューイもあとに続いた。