44.  風神オルセイディウスの力

文字数 2,870文字

 エミリオとカイルは、青白い光の輪の中心にいる。座り込んでいるカイルの姿は見えないが、(たたず)むエミリオの後ろ姿には思わず息を呑むものがあった。かつて長髪だった柔らかい琥珀(こはく)色の髪は優雅になびき、長い上着の(すそ)は、どこから吹いているのか分からない強風にあおられて揺れ動いている。本人の体だけが何の影響も受けずに、勇ましい態度で堂々と足を踏みしめているかに見えた。その姿は、見ている方には美しくさえある。

 実際、エミリオ自身は、ひどい重圧と疲労感に耐えかねていた。この非常時にもかかわらず、そうしてほかの三人が半分見惚(みと)れているあいだにも、カイルはもう(いく)つもの呪文を口にし、それをエミリオは正確に繰り返している。全身、押さえつけられているように重く、血が沸きたつように熱い。高熱で立ったまま、無理にしゃべり続けているようなものだった

 すると、今度は竜巻(たつまき)が訪れた。鋭利な(やいば)と化した風が、魔物の胴体をズタズタに切り刻む。

「あいつの・・・力なのか。」
 ギルが震える声でつぶやいた。
 するとレッドが、(なか)ば無意識に言葉を続けていた。
「神々の・・・中心。」と。

 よし、いける!
 魔物はもはや虫の息。とどめを刺すくらいはできると判断したカイルは、呪文を言い終えて隣に立っているエミリオを見上げた。

「あとは僕が。」

 エミリオは息をきらせて(うなず)いた。声が出せなかった。

 すっと右腕を上げたカイルは、いつしか当たり前のようにしてきたことを、初心にかえり気を引き締めて、丁寧に行った。その支配下にある精霊の気をひくために、()べる神を(たた)え、召喚(しょうかん)する(ゆる)しを請うこと。実際には、神とは交信などできはしないが、霊能力をもつ術使いであれば、この下界のどこかに(ひそ)む精霊には声が届く。神々を(たた)えるのは、古来、精霊たちの反応を得るのに最も効果的だとされてきたから。事実、これまでは何の問題もなく召喚できた。

 そして今、(すみ)やかに、その(しもべ)の精霊たちはやってきた。

 (こた)えた・・・やっと捕まえた。
 カイルはキレのある動作で右腕を動かしながら、静かに呪文を唱え始める。さっきまでの見捨てられたような寂しさはまだ残っていたが、立ち直り精進(しょうじん)しようと誓った。

 驚いたことに、息も絶え絶えだったはずの魔物が大きく体を震わせた・・・が、それは反撃に出る気力を取り戻したのではなく、むしろシメられる前の鮮魚のようなもの。

 その突然の動きにも焦ることなく、カイルは落ち着いて呪文をあげ連ね、容赦なくたたみかける。そして最後、四つの(いん)をしっかりと結んだ。

 離れた場所に避難した者たちの目には、まるで(アリ)大群(たいぐん)が捕食する様子を見ているように映った。衝撃を受けた。精霊とは、それを操る存在によって様々に、全く違った顔を見せる。

 そうして、もがき回るだけの体はみるみる(むさぼ)られ、やがて、どさりと廊下に腹を付けたかと思うと、ピクリとも動かなくなった。

 ついに、死に至らしめた。

 終わったと確信して、エミリオはふっと右の(ひざ)を折った。

 背後で見守るしかできなかった仲間たちが、あわてて駆け寄ってくる。
 ギルだけは、まだ頼りない足を引きずっていた。

「ごめん、エミリオ。僕、キツイ呪文使ったと思う。でも一番記憶に自信があったから。」

 この時代、術使いによる精霊同士の戦いが起こること自体、そうあることでも無くなった。そんな今、カイルが唱えたものは、祖父が使った戦闘術の中で最も記憶に新しかった。しかも都合のよいことに、風の精霊を使役する呪文だ。

 膝を付いたままのエミリオは、青ざめた微笑を浮かべた。
「いや、少し(こた)えたが大丈夫だ。君は・・・。」
「僕は平気。立てる?」

 エミリオはうなずいたが、レッドが素早く肩を貸してやると遠慮せずに(もた)れかかった。

 そうしながら、エミリオの脳裏に、信じ難い、だが実際に今この場で起こった出来事が、ありありとよみがえる。
 本当に・・・私が・・・? エミリオは、ちらとカイルに目を向けた。

「今のは・・・本当にお前がやったのか?」

 困惑しているエミリオは、同じ面持(おもも)ちでそう()いてきたギルを見つめ返すだけである。

「そうだよ、エミリオがやったんだ。とどめは僕が刺したけど。呪文の系統が違うの聞いてて分からなかった?」

 ほかの誰にも分かるはずのないことをもっともらしく、カイルはそんな話を続けた。

「余裕がなくて分かり辛かったかもしれないけど、あの呪文はエミリオが・・・神精術師が唱えて初めて機能するんだ。あなたは間違いなく、この大陸を救うべく生まれた人。じきに、嫌でも自覚できるようになるよ。精霊を自在に操れるようになるはず。」

「体がもちそうにない。」と、エミリオは言下に返した。カイルの言うことを受け入れるかというよりも前に、真っ先に抱いた感想だった。

「今のは全くの呪文だけで、手を使わなかった分、解りやすく導いてやることができなかったから、精霊たちの方でも戸惑って少し混乱状態だった。それらを押さえつけるようにして支配してたから体に応えたんだ。ちゃんと神精術を体得して、迷わさないようコントロールできるようになれば、体にかかる負担は軽くなるはずだよ。」

「やはり・・・本気なのかい。」

「だがエミリオ、これを確かにお前がやったとしたら凄いぞ。その神精術ってのも、ほんとにちょっと挑戦してみてもいいんじゃないか。」
 ギルはずいぶん軽い声でそう言った。
「挑戦って・・・。」と、カイル。
「エミリオにそんな力があるってのは、さすがにちょっとは信じられるな。」と、レッド。
「ああ、ちょっと実感できたよな。」と、リューイ。
「嘘でしょ・・・。」
 カイルはがっくりと肩を落とした。この人たちに自覚してもらえるようになるまで、まだまだかかりそうだ。

 大きなため息をつきながら、リューイは廊下に足をのばした
 レッドもその隣にきて座りこんだ。
 そして、嘘のように静まり返った辺りの様子を、ただ呆然と眺めた。急に、どっと疲れが襲ってきた。ふと目を向ければ、魔物の死骸がそこにあってゾッとするが、すぐに先へ進もうという気にはなれない。

「ふ・・・ふは・・・ははは・・・。」 
 不意に、リューイの口から笑い声が。

 だがレッドは、それを変だとは思わなかった。それどころか、同じように笑い始めたのである。死ぬほど恐ろしい目にあったあとに、なぜだか可笑(おか)しさがこみ上げてくる。その気持ちに共感できた。

「俺たち、虫のお化けと喧嘩してたんだぜ、最高。」
 リューイが言った。
「あいつ強すぎだろ。」と、レッド。 

 ギルはやれやれと肩をすくい、エミリオとカイルは呆れて見ている。

「まったくもう・・・早く自覚してよね、やりにくいから。それにしてもよかったあ、呪文間違えないで。さすがエミリオ。」

 呪術による戦闘術というものは、下手をすると自身の肉体に跳ね返ってくる。その反動で炎に包まれたり、吹き飛ばされたり、体を切られたり、(おぼ)れたり・・・その結果、最悪の場合には命を落とす。

 恐怖と切迫感と、紙一重(かみひとえ)の緊張感がよみがえってくる。

「この手は、怖くってもう使えないね・・・。」




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