56.  ソナタヲ導ク

文字数 2,165文字

「少しお喋りが過ぎたようね。すぐに楽になれたものを。」

 ギルは傷口に手をやらなかった。まさに(つか)むべきものは、今手にしている弓と矢筈(やはず)の方だからだ。

 ギルは、再び腕を上げて構えた。

「どのみち、あんたには眠っていただく。今度こそ・・・永遠に。」

 ネメレは冷笑を返した。
「できるかしら、そんな体で。」

 ギルは悲鳴を(のど)で押し殺していた。手が、指先が、妙な動きを見せる度に、形のない(やいば)で体を切り刻まれていく。長引く耐えがたい痛みに、目が(くら)んだが必死で足を踏みしめた。しかし、そうしていたぶられているうちは、しめたと思った。相手は完全に見くびっている。弓を壊さないからだ。これをやられたらお仕舞いだ。

「死んでも決める・・・決めてやる。」

 ギルは気力を振りしぼり、(はず)を引く手に力を加える。弓を支えている左腕は、もう感覚が()せつつあった。

「悲鳴一つ上げないなんて……そろそろ死ぬかもしれなくてよ。」
「やかましい。今にその減らず口を止めてやるからな。」

 ギルの口から、(うめ)くような悪態が漏れた。そうして強気と冷静を保とうとした。自分に負ければ、倒れざまに(あわ)てて矢を放ちかねない。その瞬間に、何もかもが水泡に帰す。確実にとらえなければ。

 内心、ネメレは(あせ)りを覚え始めていた。今の衝撃で倒れると思っていたのに、微動(びどう)だにしなかったことに、ひどく驚かされた。不覚にも脅威さえ感じた。どうして立っていられるの。本気でできると思っているの・・・この男は・・・。そこでネメレは気付いた。彼の内から、何か神々(こうごう)しい強靭(きょうじん)な力が放たれていることに。

「いいわ・・・かたをつけましょう。」
 ネメレは腕を上げた。
「ひと思いに。」

 ギルは歯をくいしばった。時間がない。次は、間違いなく殺られる。標的はまだ朦朧(もうろう)としている。もう、()けに出るほかないのか。

「ギル!」
 エミリオもついに動いた。これまでか・・・。

〝我ノ血ヲ受ケ継イダ者ヨ・・・〟 

 どこからともなく・・・声がした。初めてのことではない。
 エミリオは驚いて立ち止り、耳をすました。
 確かに聞き覚えのあるその声は言う。

〝ナカマヲ救イタクバ、我ヲ感ジヨ〟

 風の神の血を受け継いでいる・・・エミリオはカイルの言葉を思い出して、心の中でつぶやいた。

 オルセイ・・・ディウス?

〝彼ラヲ導キ、月ノ女神ヲ呼び覚マスガイイ〟

 どうすれば・・・。

〝ソナタヲ導ク〟

 とたんに、エミリオは妙な感覚にとらわれた。体が不安定になったような気がした。
 風になったような感覚・・・。

「これは・・・どうしたことだ。」
 エミリオは困惑してつぶやいた。そして、あっと息をのんだ。

 今まで見ていたものとは違うものが見える。雨が見える・・・墓石が見える。そこはだだっ広い丘の上の墓地で、墓の前には誰かがいる。たった一人で。知らない女性・・・いや、あの時・・・シャナイアの体にとり()いた・・・その女性のようだ。その人は、雨に打たれながら目の前にある墓石をじっと見つめていたが、実際には何か別のものを・・・そこには無いほかのものを(にら)みつけてでもいるようだった。鬼のような(すさ)まじい形相(ぎょうそう)をしているからだ。

 エミリオは、実際にそこに居るような感覚だった。しかも、少し離れて、その女性のななめ前に立っていた。だが、彼女の方には見えてはいないようだ。

 するとその時、隣にふと気配を感じた。そちらに首を向けると、そばに二人並んで立っている。一人は、とても優しい顔立ちの黒髪の男性で、もう一人は目を奪われるような、だがどこか(はかな)げな美女。そしてその男性は、エミリオの肩に手を置いてほほ笑み、うなずいて、その美女と共に消えた。

 次の瞬間のこと。

 エミリオは、体内を駆け巡る血がサッと沸き立ち、熱く燃え上がるのを感じた。(あせ)る間もなく凄まじい圧力に全身を支配され、その力で体をきつく締めあげられたのである。あまりのことに、意識が無くなる・・・と、とっさに頭をよぎったが、そこへ意味不明の文字の羅列(られつ)が流れ込んできた。

「イメ テオス オルセイディウス アヴァン ディ セウ スピラシャウア・・・」
 ほとんど無意識に、エミリオはつぶやいた。

「え・・・。」

 エミリオが何かをつぶやいた気がした、その時。リューイは支えていたカイルと共に、いきなり訳も分からず吹き飛ばされた。とっさに体をはって(かば)ったリューイ。腕や背中が()り切れて痛むのも構わず背中を起こし、抱きこんだカイルの顔をうかがった。
 気を失っていた。それにどういうわけか、顔や手足にいくつもの不自然な切り傷を負っている。

「なんだ・・・これ。なんで・・・。」

 一方、背後でしたその物音にたちまち意識がいったレッドだったが、ハッと気付いて、あわてて二本の剣を構えた。

「魔物が・・・⁉」

 そして油断なく周囲に視線を走らせたレッドは、急に肩の力を抜いて(たたず)んだ。

 何も向かってきはしなかった。

「消えた・・・?」

 それだけではない。状況を理解しようと落ち着いてみると、カイルがおさえていた舞踏会場の火の海はさらに(おとろ)えて火種(ひだね)のような赤い絨毯(じゅうたん)となり、ギルを痛めつけていたネメレの攻撃は止んでいた。

 だが、まだ終わってはいない。ギルはまだ(はず)をしっかりと(つか)んでいる。それにどうしたのか、エミリオの様子がおかしい。今、何が起きているのか分からない。レッドは戸惑(とまど)った。









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