7. ささやかな呪術

文字数 1,670文字

 注目を浴びながら地面に座ったカイルは、目の前に、ただの小石を置いた。少しうつむいて、両腕を高く差し伸べる。虚空(こくう)を見つめる時と同様に、呪術の構えだ。とにかく、こうなると、カイルの甘いマスクは一変して凛々(りり)しくなる。

 それから、例によって、腕や指先を(なめ)らかに動かし始めたカイルは、抑揚(よくよう)のない静かな声で呪文なるものを唱え、風の精霊を呼び寄せ始めた。

 すると、間もなくそよ風が(おとず)れた。

 異様な風だった。これまでは風が吹いてもすっと吹き過ぎていたのに、それが急に止まない風に変わったのである。

 そんな中、シャナイアが驚愕(きょうがく)して(つぶや)いた。
「空気が・・・。」

 誰もが目を大きくしていた。さらには、どこからともなく(ただよ)ってきた、淡い紫色の(きり)のようなものに、カイルが取り巻かれているのである。無害のようだが、それは精霊使いの少年が起こした超常現象。

 その中でゆっくりと顔を上げたカイルは、なにか確認するように周りを少し見て、それから呪文を別の種に変えた。そして、次に手のひらで小石を覆った瞬間、まるで手品のようなことが起こった。それが質を失って、中がうっすらと透けて見えたのである。

 その間にも紫の霧は次第につながり、薄いレースのようになって舞い続けている。

 呪術による作業は淡々と続けられた。

 ほかの者から見れば怪しい動きで、カイルは、今度は両手の指先を合わせた。そしてそれを、硝子玉(ガラスだま)のようになった小石の上にかざした。空中を漂っている薄紫の(おび)は、指先で作られた輪を通り抜け、小石の中へと吸い込まれていく。

「あ・・・。」
 思わず、エミリオは声を漏らした。

 もとはただの石ころだった。それをカイルは、見事な薄紫色の宝石に、まるで、エミリオが持つ精霊石そのものに変化させたのだ。

 暗殺部隊の男たちもみな仰天して、一様にあんぐりと口を開けている。

 こうして、ささやかな呪術は終了した。

 立ち上がったカイルは、精霊石の偽物をエミリオに見せて、ほほ笑んだ。
「どう?」

 エミリオは声もなくそれを見つめていたが、やがて、震える手を動かして受け取った。そしてまだ不安そうに、ギルの顔をうかがう。

 大丈夫・・・。ギルは、そんな声が聞こえてきそうな笑顔で、大きく(うなず)いてみせた。

 エミリオがそれを手放すのは、彼がこの世を去る時以外にないと、彼を知る者になら誰にだって分かるだろう。カイルの言葉を信じて、上手く偽装できるはず。

 エミリオは、そばで呆然(ぼうぜん)と佇んでいる隊長に歩み寄り、その手を取った。そして、薄紫に染まった小石を、しっかりと握らせる。さらにその手を、自分の両手で覆った。

「あの家のご主人・・・彼のおかげで生き延びたこの命、もう私だけのものではないのだ。だが、皇子としての一切を葬った。エミリオ・ルークウル・ユリウス・エルファラムという名の男は、とうにこの世から消えている。」

 隊長は目頭(めがしら)が熱くなり、思わず空いている方の手を重ねて、さらに力強く握り返していた。
「殿下を心からお(した)いし、尊敬しておりました。いえ、今でもこの先も生涯ずっと・・・。」

「誠に辛い思いをさせた・・・だが、私のことは忘れて欲しい。そして、ランセル皇子に忠誠を。彼には、いかなる時も自信を持つようにと。己の心に耳を(かたむ)けるようにと、一言そう伝えてはくれないか。私からの遺言だと。」

「・・・かしこまりました。必ずお伝え申し上げます。」
 隊長はそう()け合って、部下たちに退散する意を目で伝えた。
「それでは・・・どうかお達者で。」

 彼はうやうやしく一礼し、続いて敬礼したその部下たちも、名残(なご)り惜しそうに背中を向けた。

 彼らは、ようやく解放された気でいた。自身も、臣民の誰もが敬愛するエミリオ皇子を手にかける・・・その不名誉な任務から。無論、まだ安心はできないが、生きた心地がしないほど疲弊(ひへい)した無意味な日々は終わった、と思いたかった。

 やがて、辺りは元の(おだ)やかな静けさを取り戻した・・・が、空気が違った。

 同時に、新たな問題が生じてしまったからである。

 早くも、エミリオとギルの正体が仲間に知れてしまったのだ。



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