十三 また、お会いしましたなぁ
文字数 4,030文字
◇
「兄ちゃん大変だ」
慌てた声を出して方太が階段を駆け上がって来た。
うたた寝をしていた私は「なんだ、もうそんな時間か」と身体を起こした。
「ひ、昼寝してたの」
「ああ、ずっと寝てなかったからなぁ」
「え、ずっと寝てないの?」
「ああ、睡眠不足だ」
「ごめん、疲れてたのに起こしちゃったね」
「大丈夫だ。で、どうしたんだこんなに早く。まだ明るいぞ」
「……そッ、そうだった。兄ちゃん落ち着けよ」
「……? 慌ててねぇって」
「え?」
「――で?」
「あッ、そうだよ! 学校が半日だったらしくて、僕―― じゃなくて、俺見失ってしまって、慌ててコンビニから出て来たらバッタリ会ったんだ。で、ついお辞儀をしちゃったら、そしたら――」
「おい、落ち着け。コンビニから出て来た恭子様とバッタリ会ってお辞儀をしてしまった。って、そういうことか?」
「そ、そう」
「そのくらいなら問題ないだろ」
「でもね、兄ちゃん。僕を見て、恭子様が笑ったんだよ。(あれ? ポンちゃんじゃないんだ)って」
顔色を変えた。
「ごめん。恭子様の心を読むつもりはなかったんだ。だけど、いきなりだったんで、つい」
「――」
もしかして、三年前からずっと――
「兄ちゃん?」
「構わない。いきなりじゃしょうがない」
「ポンちゃんって、兄ちゃんが小さい時に鬼子様からそう呼ばれてたんだよね」
「ああ、恭子様も俺をそう呼んでいた」
「ずっと知ってたんだろうか」
「――そうみたいだな」
また敗北感を感じた。恭子様は未熟な私をずっと見守っていたのだろうかと、そう思った。
この三年間、俺は何をしてたんだろう――
次の日もいつもと同じように恭子様の見守りについた。モチベーションも今までと変わらない。いや、今まで以上に上がっていた。
紅姉だった。
今までちゃらんぽらんで好き勝手やっている紅姉を敬遠していた。だが、紅姉が残した書き置きからは姉ちゃんたちがどれほど辛い思いをしてやって来たかが伝わってきた。半妖の力と引き替えの対価は私が思っている以上に辛いものだと感じた。
紅姉が来てなかったらどうなったんだろう――
「負けていられませんよね、鬼子様ッ!」
気合いを入れ直した。
恭子様が家を出て通っている専門学校の門をくぐると、近くにある茶店に入って昼まで過ごす。昼食を摂ると店を出て化け直し、また同じ店で授業が終わるまで待つ。恭子様が家に帰るまでずっと見守る。それが関東での私の仕事である。
今日もこの長い待ち時間で恭子様をつけ狙っていた半妖が蒼樹様に喰い殺されたこと、その後の飯能署でのことを方太に話をして聞かせた。だが、方太は「じゃ、誰に化かされたんだろう」と意味不明なことを言い「方太? どうした、大丈夫か」と訝しげに声をかけた時だった。
「また、お会いしましたなぁ」
白髪で六十代後半と思われる男が声をかけてきた。
「……あ、昨日はお世話になりました」
軽く頭を下げた。
私は「博君、少し席を外すから頼んだよ」と立ち上がった。
キョトンと見上げる方太を残し、その男と奥の席に着いた。
注文を聞きに来た店員が下がると「平次郎ちゃん、ずっとつけてたの」と嫌らしい顔を向けた。
「へ、平次郎ちゃんはよせって」男は声をひそめた。
「だって、小堀平次郎刑事でしょ」
「な、なんでそんなことまで知ってるんだ」
「自分で言ったんでしょ、高清水平太郎署長の弟の平次郎だって」
「そ、そんなことまで言わせられたのか!」
平次郎は地団駄を踏むかのように返した。が、すぐに冷静な顔を装う。
「で、あの色女はどこにいる。あれは、お前の女か」
「知らない。どうせ、また術でもかけようとしてるんでしょ」
そう返して、席を立った。
「待て待て。かけない、かけないから待てって」
訝しげな顔を向けていたが、少し探りを入れてやろうと渋々といった体で座り直した。
「なんでこんなとこまでついて来るんすか。あんた等はあの半妖と関係ないんでしょ」
顔色を窺いながら「ははぁーん。もしかして姉ちゃんに惚れたの?」と嫌らしい冷笑を向けた。
「姉ちゃん―― そ、蒼太君だったよね。そうか、あの人は君のお姉さんだったのか」
なッ、なんだこの嬉しそうな顔は……
恐る恐る訊いてみた。
「な、なんで姉ちゃんて知ってんの。……もしかして、術使ってる?」
「つ、使ってないって、お前さんが自分で言ったんだ」
「……」
「いやぁ、そうだったか―― そうかそうか、お姉様か」
今にも胸に手を合わせてしまうのではないかと思うほど平次郎がルンルンし始めた。
お前は恋する乙女かッ! ったく、気色悪い。
しかし間違いなく劣勢である。あの嬉しそうな顔を見るととても優勢とは思えない。
が、この状況を優勢に運ぶ一手が閃いた。
「フフッ、狸が狐に惚れちゃっていいんすか」不敵に笑って見せた。
「こ、恋いに垣根など無い。っていうだろう」と、思いの外動揺を見せている。
「フッ、それは人間のいうこと」と、若干優勢に回った。だが、そう言いながらも恭子様の顔が浮かんでくる。
えッ! 俺、何考えてんだ。恭子様は鬼子様の―― と首を振った。
「あッ、術かけようとしたろッ!」
平次郎が呆れ顔を向けてくる。
「なんで、そう勝手にかけてもいない術に落ちるんだ」
「――」
なんか、劣勢だな……
「いやいや、そうじゃない。俺は御厨を調べてる」
顔色を変えた。徐に見返した。
「御厨製薬を調べているのか」
「製薬だけじゃない。お前さんが言った世界財閥に肩を並べる御厨グループだ」
くぅーッ、そんなことまで言ってたのか、俺は――
「確かに、半妖が喰い殺されたことも気にはなる。おそらく人の姿でやられたんだろうから、そんなことができる化けもんが縄張りに入ったのかとな。――だが、俺は御厨の正体の方が知りたいんだ」
まるで場面が変わったかのように冷静な声で訊いた。
「平次郎さん、あんた家族は」
「な、なんだ急に」
平次郎は引いた。訝しげな顔を向けてくる。だが、御厨の手がかりを失いたくない。そう思ったのだろう、素直に応えた。
「ああ、いる。女房とは別れたが、八つになる娘が飯能の小学校に通ってる」
「なら、やめた方がいい。半妖の姉ちゃんたちが出て来てるうちはいいが、蒼樹様が、山神様が出て来たらあんた喰われるぞ」
脅しをかけて手を引かせようと考えた。
「それが、そうもいかんのだ。半分仕事のようなもんでさ、えらく世話になった人から頼まれてる。まぁ、そう言いながらもいざ足を踏み入れたら、御厨が知りたくてどうしようもなくなってる自分がいるんだが――」
「その、えらく世話になってる人って、半妖か?」
「俺等まがいものとは違う。全国の狸を統べる長老で偉いお方だ。半妖以上だと思う。――あッ」
平次郎は顔色を変えた。
「お、お前、術使ってる?」
「使ってない。――って言うか、使えるほどの力を持ってないし、修行だってやらせてもらってない。昨日からそんな自分が情けなくて…… って、術使うなッ!」
「使ってない!」
私が言うのもなんだが、ただ、素直なだけの狐と狸のような気もした。何故か私は平次郎に警戒心が持てず、何故か平次郎も同じだと感じた。
「兄ちゃん」
顔を向けると、少し離れたところで方太が手招きをしていた。
「ついて来ちゃダメですよ」釘を刺して席を立った。
――「えーッ! なんで、ここにいるんだ」
さっきまで私が座っていた席に緑姉が座っていた。
「緑姉ちゃん、どうしたんだ。都内で仕事でもしてたのか」と、隣に座った。
「御厨から戻って来たところ」
相変わらず無表情だった。
「もしかして、主様からの言伝か?」
「そう、話があるから蒼太に戻るように伝えてくれと仰っていた」
「話が――」
そう返したところで三人が座っている脇へ男が現れた。
「いやぁ、これはこれは蒼太君のお姉様でしたか。私は蒼太君に昵懇にしてもらってる小堀という者です」
平次郎だった。いつの間にかいつもの姿に化け直して声をかけてきた。
しかし釘刺してんのになんで顔出すんだよ。で、どこで着替えたんだ? そう思いながらも笑みを浮かべた。「平次郎さん、今はちょっと。仕事の話なんで」と、席を立って袖を掴んだ。
奥の席に連れ戻して睨めつけた。
「いやぁ、すまん。てっきり昨日のお姉様がお出でになったと勘違いした。すまんすまん。俺としたことが、ハハハ」
ニヤけた顔で、頭を掻きながら謝る平次郎に「今日は仕事なんで、また別の日にしましょう」と戒めた。
「そ、そうだな。俺も仕事の途中なんで、これ以上油を売ってると本部長に怒鳴られる」
ニヤケ顔のまま平次郎がそう返すと、いつの間に来ていたのか「小堀さんでしたか?」と、私越しに緑姉が声をかけてきた。
りょ、緑姉、なんで……
呆気にとられていると「はい。いつも蒼太君の世話をさせてもらってます。小堀平次郎です」と、平次郎が姿勢を正して返した。
はぁ? 何出任せを、こいつは――
「平次郎さん、お時間を取れますか? これから鎌倉の叔母のところに行くのですが都内は初めてで、蒼太たちは待ち合わせがあるようなので、もしよろしければ近くの駅までご一緒して頂ければと」
「ああ、それは偶然ですね。私は今日非番です。仕事なんて全くありません。良ければ鎌倉までお送りしましょう」
はぁ? 仕事は? 本部長は? ホント出任せ野郎だな。――しかし、完全に手玉に取られてやんの。さすがハニートラップ成功率百パー!
私はニヤケた。
だが、傍らの方太は店を出て行く二人を見て力なく口にする。
「あぁ―― せっかく緑姉ちゃんが蒲焼きに行ってくれるって、そう言ってたのに」
「ま、そう言うな。帰ったら俺が連れてってやっから。緑姉はなぁ、俺等の邪魔をさせないよう術を使って平次郎を連れ出してくれたんだ」
「緑姉ちゃんは術なんて使ってないよ」
「え?」
「術であの男を追い出してって言ったら『あれは、術なんて要らないよ』って言ってた」
「そ、――そうなの」
「兄ちゃん大変だ」
慌てた声を出して方太が階段を駆け上がって来た。
うたた寝をしていた私は「なんだ、もうそんな時間か」と身体を起こした。
「ひ、昼寝してたの」
「ああ、ずっと寝てなかったからなぁ」
「え、ずっと寝てないの?」
「ああ、睡眠不足だ」
「ごめん、疲れてたのに起こしちゃったね」
「大丈夫だ。で、どうしたんだこんなに早く。まだ明るいぞ」
「……そッ、そうだった。兄ちゃん落ち着けよ」
「……? 慌ててねぇって」
「え?」
「――で?」
「あッ、そうだよ! 学校が半日だったらしくて、僕―― じゃなくて、俺見失ってしまって、慌ててコンビニから出て来たらバッタリ会ったんだ。で、ついお辞儀をしちゃったら、そしたら――」
「おい、落ち着け。コンビニから出て来た恭子様とバッタリ会ってお辞儀をしてしまった。って、そういうことか?」
「そ、そう」
「そのくらいなら問題ないだろ」
「でもね、兄ちゃん。僕を見て、恭子様が笑ったんだよ。(あれ? ポンちゃんじゃないんだ)って」
顔色を変えた。
「ごめん。恭子様の心を読むつもりはなかったんだ。だけど、いきなりだったんで、つい」
「――」
もしかして、三年前からずっと――
「兄ちゃん?」
「構わない。いきなりじゃしょうがない」
「ポンちゃんって、兄ちゃんが小さい時に鬼子様からそう呼ばれてたんだよね」
「ああ、恭子様も俺をそう呼んでいた」
「ずっと知ってたんだろうか」
「――そうみたいだな」
また敗北感を感じた。恭子様は未熟な私をずっと見守っていたのだろうかと、そう思った。
この三年間、俺は何をしてたんだろう――
次の日もいつもと同じように恭子様の見守りについた。モチベーションも今までと変わらない。いや、今まで以上に上がっていた。
紅姉だった。
今までちゃらんぽらんで好き勝手やっている紅姉を敬遠していた。だが、紅姉が残した書き置きからは姉ちゃんたちがどれほど辛い思いをしてやって来たかが伝わってきた。半妖の力と引き替えの対価は私が思っている以上に辛いものだと感じた。
紅姉が来てなかったらどうなったんだろう――
「負けていられませんよね、鬼子様ッ!」
気合いを入れ直した。
恭子様が家を出て通っている専門学校の門をくぐると、近くにある茶店に入って昼まで過ごす。昼食を摂ると店を出て化け直し、また同じ店で授業が終わるまで待つ。恭子様が家に帰るまでずっと見守る。それが関東での私の仕事である。
今日もこの長い待ち時間で恭子様をつけ狙っていた半妖が蒼樹様に喰い殺されたこと、その後の飯能署でのことを方太に話をして聞かせた。だが、方太は「じゃ、誰に化かされたんだろう」と意味不明なことを言い「方太? どうした、大丈夫か」と訝しげに声をかけた時だった。
「また、お会いしましたなぁ」
白髪で六十代後半と思われる男が声をかけてきた。
「……あ、昨日はお世話になりました」
軽く頭を下げた。
私は「博君、少し席を外すから頼んだよ」と立ち上がった。
キョトンと見上げる方太を残し、その男と奥の席に着いた。
注文を聞きに来た店員が下がると「平次郎ちゃん、ずっとつけてたの」と嫌らしい顔を向けた。
「へ、平次郎ちゃんはよせって」男は声をひそめた。
「だって、小堀平次郎刑事でしょ」
「な、なんでそんなことまで知ってるんだ」
「自分で言ったんでしょ、高清水平太郎署長の弟の平次郎だって」
「そ、そんなことまで言わせられたのか!」
平次郎は地団駄を踏むかのように返した。が、すぐに冷静な顔を装う。
「で、あの色女はどこにいる。あれは、お前の女か」
「知らない。どうせ、また術でもかけようとしてるんでしょ」
そう返して、席を立った。
「待て待て。かけない、かけないから待てって」
訝しげな顔を向けていたが、少し探りを入れてやろうと渋々といった体で座り直した。
「なんでこんなとこまでついて来るんすか。あんた等はあの半妖と関係ないんでしょ」
顔色を窺いながら「ははぁーん。もしかして姉ちゃんに惚れたの?」と嫌らしい冷笑を向けた。
「姉ちゃん―― そ、蒼太君だったよね。そうか、あの人は君のお姉さんだったのか」
なッ、なんだこの嬉しそうな顔は……
恐る恐る訊いてみた。
「な、なんで姉ちゃんて知ってんの。……もしかして、術使ってる?」
「つ、使ってないって、お前さんが自分で言ったんだ」
「……」
「いやぁ、そうだったか―― そうかそうか、お姉様か」
今にも胸に手を合わせてしまうのではないかと思うほど平次郎がルンルンし始めた。
お前は恋する乙女かッ! ったく、気色悪い。
しかし間違いなく劣勢である。あの嬉しそうな顔を見るととても優勢とは思えない。
が、この状況を優勢に運ぶ一手が閃いた。
「フフッ、狸が狐に惚れちゃっていいんすか」不敵に笑って見せた。
「こ、恋いに垣根など無い。っていうだろう」と、思いの外動揺を見せている。
「フッ、それは人間のいうこと」と、若干優勢に回った。だが、そう言いながらも恭子様の顔が浮かんでくる。
えッ! 俺、何考えてんだ。恭子様は鬼子様の―― と首を振った。
「あッ、術かけようとしたろッ!」
平次郎が呆れ顔を向けてくる。
「なんで、そう勝手にかけてもいない術に落ちるんだ」
「――」
なんか、劣勢だな……
「いやいや、そうじゃない。俺は御厨を調べてる」
顔色を変えた。徐に見返した。
「御厨製薬を調べているのか」
「製薬だけじゃない。お前さんが言った世界財閥に肩を並べる御厨グループだ」
くぅーッ、そんなことまで言ってたのか、俺は――
「確かに、半妖が喰い殺されたことも気にはなる。おそらく人の姿でやられたんだろうから、そんなことができる化けもんが縄張りに入ったのかとな。――だが、俺は御厨の正体の方が知りたいんだ」
まるで場面が変わったかのように冷静な声で訊いた。
「平次郎さん、あんた家族は」
「な、なんだ急に」
平次郎は引いた。訝しげな顔を向けてくる。だが、御厨の手がかりを失いたくない。そう思ったのだろう、素直に応えた。
「ああ、いる。女房とは別れたが、八つになる娘が飯能の小学校に通ってる」
「なら、やめた方がいい。半妖の姉ちゃんたちが出て来てるうちはいいが、蒼樹様が、山神様が出て来たらあんた喰われるぞ」
脅しをかけて手を引かせようと考えた。
「それが、そうもいかんのだ。半分仕事のようなもんでさ、えらく世話になった人から頼まれてる。まぁ、そう言いながらもいざ足を踏み入れたら、御厨が知りたくてどうしようもなくなってる自分がいるんだが――」
「その、えらく世話になってる人って、半妖か?」
「俺等まがいものとは違う。全国の狸を統べる長老で偉いお方だ。半妖以上だと思う。――あッ」
平次郎は顔色を変えた。
「お、お前、術使ってる?」
「使ってない。――って言うか、使えるほどの力を持ってないし、修行だってやらせてもらってない。昨日からそんな自分が情けなくて…… って、術使うなッ!」
「使ってない!」
私が言うのもなんだが、ただ、素直なだけの狐と狸のような気もした。何故か私は平次郎に警戒心が持てず、何故か平次郎も同じだと感じた。
「兄ちゃん」
顔を向けると、少し離れたところで方太が手招きをしていた。
「ついて来ちゃダメですよ」釘を刺して席を立った。
――「えーッ! なんで、ここにいるんだ」
さっきまで私が座っていた席に緑姉が座っていた。
「緑姉ちゃん、どうしたんだ。都内で仕事でもしてたのか」と、隣に座った。
「御厨から戻って来たところ」
相変わらず無表情だった。
「もしかして、主様からの言伝か?」
「そう、話があるから蒼太に戻るように伝えてくれと仰っていた」
「話が――」
そう返したところで三人が座っている脇へ男が現れた。
「いやぁ、これはこれは蒼太君のお姉様でしたか。私は蒼太君に昵懇にしてもらってる小堀という者です」
平次郎だった。いつの間にかいつもの姿に化け直して声をかけてきた。
しかし釘刺してんのになんで顔出すんだよ。で、どこで着替えたんだ? そう思いながらも笑みを浮かべた。「平次郎さん、今はちょっと。仕事の話なんで」と、席を立って袖を掴んだ。
奥の席に連れ戻して睨めつけた。
「いやぁ、すまん。てっきり昨日のお姉様がお出でになったと勘違いした。すまんすまん。俺としたことが、ハハハ」
ニヤけた顔で、頭を掻きながら謝る平次郎に「今日は仕事なんで、また別の日にしましょう」と戒めた。
「そ、そうだな。俺も仕事の途中なんで、これ以上油を売ってると本部長に怒鳴られる」
ニヤケ顔のまま平次郎がそう返すと、いつの間に来ていたのか「小堀さんでしたか?」と、私越しに緑姉が声をかけてきた。
りょ、緑姉、なんで……
呆気にとられていると「はい。いつも蒼太君の世話をさせてもらってます。小堀平次郎です」と、平次郎が姿勢を正して返した。
はぁ? 何出任せを、こいつは――
「平次郎さん、お時間を取れますか? これから鎌倉の叔母のところに行くのですが都内は初めてで、蒼太たちは待ち合わせがあるようなので、もしよろしければ近くの駅までご一緒して頂ければと」
「ああ、それは偶然ですね。私は今日非番です。仕事なんて全くありません。良ければ鎌倉までお送りしましょう」
はぁ? 仕事は? 本部長は? ホント出任せ野郎だな。――しかし、完全に手玉に取られてやんの。さすがハニートラップ成功率百パー!
私はニヤケた。
だが、傍らの方太は店を出て行く二人を見て力なく口にする。
「あぁ―― せっかく緑姉ちゃんが蒲焼きに行ってくれるって、そう言ってたのに」
「ま、そう言うな。帰ったら俺が連れてってやっから。緑姉はなぁ、俺等の邪魔をさせないよう術を使って平次郎を連れ出してくれたんだ」
「緑姉ちゃんは術なんて使ってないよ」
「え?」
「術であの男を追い出してって言ったら『あれは、術なんて要らないよ』って言ってた」
「そ、――そうなの」