四十九 まほろばの丘
文字数 3,259文字
御厨に着くと地上には上がらずに待合室にとどまった。
「このまま地下を移動するんですか?」美波が不安気に問いかけた。
「そう、もうすぐ御厨への連結車両が来るの」
「え? ここ御厨じゃないんですか?」
「連結線の駅名はそうなっているけど、上は神楽ノ宮 という駅になっているの。一本桜の西側にある社が神楽ノ宮。一本桜のある丘が『まほろばの丘』と云われるところ」
「まほろばの丘――」私と美波が声を合わせた。いや、合せてしまった。
僅かなタイムラグを置いて「フッ、ま、いいですよ」とすました声が聞こえてくる。
固まった。「お前にも聞こえたろう、美波!」と声なき声を上げた。
「あッ、来たみたいね。さぁ、行くわよ」
壁の向こうで何かが入って来たような音がすると閉じていた待合室の壁が開いた。入れ替わった車両は乗り場に面した七メートル程の側面が上に開き、中に入ると前後は無くカプセルのような物だった。七つの座席が対面し進行方向に対して直角を向いている。
「では、皆さん。奥の列に座ってください」
「ハルちゃん、他にも誰か乗るの」
「はい、先程ナツからメールがきて光浩様と麟様がご一緒するとのことです。ナツがお伴して来ます。五分程待つようですけど」
「そう、光浩様が――」
お姉は早く光浩君に会いたいと言っていた。今までも会うために二度御厨を訪れたが会うことができないままだと―― だが、どう見てもそんな感じはしない。「光浩様って、どんな人なんでしょう」と美波が好奇心顔を向けても、考え込んでいるかのように「え? そうだね」とだけ返し「どうしたんですか、昨日は光浩様に会いたいって、そんな風に思ったんですけど」との問いかけにも、少しだけ笑って「会いたいよ」と言葉少なに返している。
「光浩様、こっちですよ!」待合室の方から元気な声が聞こえた。
乗り場に姿を現したナッちゃんは相変わらず明るい。ニコニコしながら「純菜様、お待たせしてすみません」と頭を下げ、振り返って「光浩様、こっちですよ」と手招きをしている。
お姉は「て、手招きしていいの? 同世代でもないのに」と口にした。が、麟ちゃんを伴った光浩君が姿を見せると目が点になった。鳩が豆鉄砲を食らった。そんな顔をしている。
光浩君と麟ちゃんは、昨日まほろばの丘で会った時と同じだった。
光浩君がどう見ても十五、六。無理してみても十七、八で麟ちゃんは十歳ぐらい。二人とも色は白く透き通るような肌をしていて、年端もいかない美少年と幼い少女の初々しいカップルのようでさえある。
「純菜様?」ナッちゃんが訝しげに声をかけた。
光浩君のあまりの若さに唖然としていたお姉は慌てた。「ご、ごめん。思っていたより、な、なんていうの」と、あたふたと返している。
「フフッ、泡食ってるよ」目を細めた。
が、やはり里絵も同じように目を細めていた。そう、いつでも私への敵意を忘れることはない。
何も言えないでいるお姉に光浩君が笑みを向けた。
「いつも沙夜がお世話になっています。皆さんが来てくれて沙夜は大喜びでしたよ」
「あッ、はい。――どれだけお役に立てるか分かりませんが、できるだけのことはやらせて頂きます」
そう返したお姉はいつもの室長の顔に戻っていた。昨夜と今朝の不安が消え、失いかけていた自信を取り戻したかのように凛々しい顔付きになっている。不安を覚えていたメンバーにもそれは伝わった。
「沙夜は皆さんが笑顔でいてくれればそれが何よりでしょう。――麟、ご挨拶を」
後ろに隠れるようにしていた麟ちゃんが少しだけ進み出て小さくお辞儀をした。
麟ちゃんを手前側の端に座らせ、光浩君はその隣で私の正面に座った。
ゆっくり動き始めた車両はここまで乗って来た車両の進行方向に対して直角方向へ動き出し、感覚的には下降して行くように感じた。
光浩君と私が話し始めると美波はアイドルを見るかのような目を光浩君に向け、そんな美波にお姉が笑みを浮かべている。
やはり、いつものお姉に戻っている―― 胸を撫で下ろした。
十分程すると車両は車速を緩めた。
「もうすぐ御社 です。光浩様と麟様はここで降りられます。皆さんは五分程のところにある御厨の中心、白砂ノ御所 まで行って頂きます」
ハルちゃんの案内が終わると車両は静かに停車した。
「夏海、今日はありがとう。おかげで随分と早く帰れるよ」
立ち上がった光浩君…… いや、光浩さんはお姉のところまで行って「純菜さん、今日は帰ったと沙夜に伝えてください」と笑みを向けた。私たちにも会釈をして麟ちゃんと車両を出て行く。
唖然と見送った。ハルちゃんとナッちゃん以外、空いた口を塞ぐのを忘れて見送った。
一人ひとりに向けた笑顔とその横顔、麟ちゃんを労るようにして車両を出て行くその後ろ姿。それは神楽ノ宮の待合室に現れた時の光浩君とは別人だった。とても君付けで呼ぶ感じではなかった。お姉と同世代か、それよりも上に見えた。
話をしてる時には確かにあの丘で会った光浩君だった…… と、唖然と見送った。
車両がゆっくり動き始めると美波がナッちゃんの隣に来て座った。私たちが光浩君や麟ちゃんの話をしているのを黙って聴いている。だが、そのどことなく怪しい素振りに何故席を移ったかをなんとなく把握している私だった。で、迷った。ナッちゃんは掴み所がない。いや、この際正直に言おう、沙夜派ではないと踏んでいる。ハルちゃんなら守るがナッちゃんは様子見である。
思ったとおりだった。すぐに「な、何をしてるんですか!」との声が上がった。
「きたなッ!」僅かにほくそ笑んで目を向けた。
美波の心理戦はなんとも理解し難いものがあるが行動パターンは単純である。本能のままにしか動けないのだ。
「なんか、プニョプニョだねぇ」
美波はナッちゃんの太腿の外側に付いている高速移動装置の取付部を触っていた。
ん? ち、違う……
我が目を疑った。「ふ、太腿の付け根辺りも触ってんのかッ」と、声なき声を上げて見入ってしまった。そ、想像を絶する美波の行動だった。「女同士なら許されんのか?」と、声なき声とともに身を震わせた。確信を得なければとすぐに過去を振り返った。――が、どこにもデータがない。しょうがないので男同士に置き換えてみようと――
やめた。「どうやら、冷静さを欠いていたようだ」と独り平静を装う。
が、「へぇー、ここにタンクが付くのか…… もっと筋肉質かなぁって思ったけど、これで良くあの加速に耐えているねぇ。あ、動いちゃダメだよナッちゃん。じっとしてて」と、美波の手は動きを止めない。いや、持てる全ての技量を投入している、そんな性格の嫌らしさが顔に滲み出ている。さすがのナッちゃんも恥じらいを見せて、なんとか上半身だけは反対側に逃した。助けを求めるようにお姉に顔を向けた。しかし、お姉は「ダメだよナツ、そんな格好して美波の前に来ちゃ。直の前に下着で出て来たようなもんだよ」と、親父化した美波を否定しない。
……ん? っていうか、それって反則じゃね? 心が揺さぶられた。
だが、こうなったらしょうがない。「な、なんだよそれ」と、上ずった声ながらも平静を装う。
甘かった。その存在を忘れていた。「だから、直先輩って最低なんですよッ」と、ここぞとばかりに突っ込みを入れてくる、そんなやつの存在を――
不覚にも「な、なんで?」と焦った顔を向ける私の横、私のことなど眼中にないのだろう、美波は「ハルちゃん、なんで顔赤くしてんの? そうかそうかその状況に自分を重ねちゃったんだねぇ」と嫌らしく笑って、その手を止めた。
ナッちゃんは力なく項垂れた。
も、もしかして、これってメスのマウンティング? お、おそらくそうだ……
「ハイハイッ、もうバカやめてね」
お姉の声に合わせるかのように車両は減速を始めた。
「さぁ、ようやく着いたわよ、御厨に」
女たちは姿勢を正して座り直した。「笑われないよう、気を引き締めていくわよ!」とのお姉に続けとばかりに「はいッ!」と声を合わせる。
「このまま地下を移動するんですか?」美波が不安気に問いかけた。
「そう、もうすぐ御厨への連結車両が来るの」
「え? ここ御厨じゃないんですか?」
「連結線の駅名はそうなっているけど、上は神楽ノ
「まほろばの丘――」私と美波が声を合わせた。いや、合せてしまった。
僅かなタイムラグを置いて「フッ、ま、いいですよ」とすました声が聞こえてくる。
固まった。「お前にも聞こえたろう、美波!」と声なき声を上げた。
「あッ、来たみたいね。さぁ、行くわよ」
壁の向こうで何かが入って来たような音がすると閉じていた待合室の壁が開いた。入れ替わった車両は乗り場に面した七メートル程の側面が上に開き、中に入ると前後は無くカプセルのような物だった。七つの座席が対面し進行方向に対して直角を向いている。
「では、皆さん。奥の列に座ってください」
「ハルちゃん、他にも誰か乗るの」
「はい、先程ナツからメールがきて光浩様と麟様がご一緒するとのことです。ナツがお伴して来ます。五分程待つようですけど」
「そう、光浩様が――」
お姉は早く光浩君に会いたいと言っていた。今までも会うために二度御厨を訪れたが会うことができないままだと―― だが、どう見てもそんな感じはしない。「光浩様って、どんな人なんでしょう」と美波が好奇心顔を向けても、考え込んでいるかのように「え? そうだね」とだけ返し「どうしたんですか、昨日は光浩様に会いたいって、そんな風に思ったんですけど」との問いかけにも、少しだけ笑って「会いたいよ」と言葉少なに返している。
「光浩様、こっちですよ!」待合室の方から元気な声が聞こえた。
乗り場に姿を現したナッちゃんは相変わらず明るい。ニコニコしながら「純菜様、お待たせしてすみません」と頭を下げ、振り返って「光浩様、こっちですよ」と手招きをしている。
お姉は「て、手招きしていいの? 同世代でもないのに」と口にした。が、麟ちゃんを伴った光浩君が姿を見せると目が点になった。鳩が豆鉄砲を食らった。そんな顔をしている。
光浩君と麟ちゃんは、昨日まほろばの丘で会った時と同じだった。
光浩君がどう見ても十五、六。無理してみても十七、八で麟ちゃんは十歳ぐらい。二人とも色は白く透き通るような肌をしていて、年端もいかない美少年と幼い少女の初々しいカップルのようでさえある。
「純菜様?」ナッちゃんが訝しげに声をかけた。
光浩君のあまりの若さに唖然としていたお姉は慌てた。「ご、ごめん。思っていたより、な、なんていうの」と、あたふたと返している。
「フフッ、泡食ってるよ」目を細めた。
が、やはり里絵も同じように目を細めていた。そう、いつでも私への敵意を忘れることはない。
何も言えないでいるお姉に光浩君が笑みを向けた。
「いつも沙夜がお世話になっています。皆さんが来てくれて沙夜は大喜びでしたよ」
「あッ、はい。――どれだけお役に立てるか分かりませんが、できるだけのことはやらせて頂きます」
そう返したお姉はいつもの室長の顔に戻っていた。昨夜と今朝の不安が消え、失いかけていた自信を取り戻したかのように凛々しい顔付きになっている。不安を覚えていたメンバーにもそれは伝わった。
「沙夜は皆さんが笑顔でいてくれればそれが何よりでしょう。――麟、ご挨拶を」
後ろに隠れるようにしていた麟ちゃんが少しだけ進み出て小さくお辞儀をした。
麟ちゃんを手前側の端に座らせ、光浩君はその隣で私の正面に座った。
ゆっくり動き始めた車両はここまで乗って来た車両の進行方向に対して直角方向へ動き出し、感覚的には下降して行くように感じた。
光浩君と私が話し始めると美波はアイドルを見るかのような目を光浩君に向け、そんな美波にお姉が笑みを浮かべている。
やはり、いつものお姉に戻っている―― 胸を撫で下ろした。
十分程すると車両は車速を緩めた。
「もうすぐ
ハルちゃんの案内が終わると車両は静かに停車した。
「夏海、今日はありがとう。おかげで随分と早く帰れるよ」
立ち上がった光浩君…… いや、光浩さんはお姉のところまで行って「純菜さん、今日は帰ったと沙夜に伝えてください」と笑みを向けた。私たちにも会釈をして麟ちゃんと車両を出て行く。
唖然と見送った。ハルちゃんとナッちゃん以外、空いた口を塞ぐのを忘れて見送った。
一人ひとりに向けた笑顔とその横顔、麟ちゃんを労るようにして車両を出て行くその後ろ姿。それは神楽ノ宮の待合室に現れた時の光浩君とは別人だった。とても君付けで呼ぶ感じではなかった。お姉と同世代か、それよりも上に見えた。
話をしてる時には確かにあの丘で会った光浩君だった…… と、唖然と見送った。
車両がゆっくり動き始めると美波がナッちゃんの隣に来て座った。私たちが光浩君や麟ちゃんの話をしているのを黙って聴いている。だが、そのどことなく怪しい素振りに何故席を移ったかをなんとなく把握している私だった。で、迷った。ナッちゃんは掴み所がない。いや、この際正直に言おう、沙夜派ではないと踏んでいる。ハルちゃんなら守るがナッちゃんは様子見である。
思ったとおりだった。すぐに「な、何をしてるんですか!」との声が上がった。
「きたなッ!」僅かにほくそ笑んで目を向けた。
美波の心理戦はなんとも理解し難いものがあるが行動パターンは単純である。本能のままにしか動けないのだ。
「なんか、プニョプニョだねぇ」
美波はナッちゃんの太腿の外側に付いている高速移動装置の取付部を触っていた。
ん? ち、違う……
我が目を疑った。「ふ、太腿の付け根辺りも触ってんのかッ」と、声なき声を上げて見入ってしまった。そ、想像を絶する美波の行動だった。「女同士なら許されんのか?」と、声なき声とともに身を震わせた。確信を得なければとすぐに過去を振り返った。――が、どこにもデータがない。しょうがないので男同士に置き換えてみようと――
やめた。「どうやら、冷静さを欠いていたようだ」と独り平静を装う。
が、「へぇー、ここにタンクが付くのか…… もっと筋肉質かなぁって思ったけど、これで良くあの加速に耐えているねぇ。あ、動いちゃダメだよナッちゃん。じっとしてて」と、美波の手は動きを止めない。いや、持てる全ての技量を投入している、そんな性格の嫌らしさが顔に滲み出ている。さすがのナッちゃんも恥じらいを見せて、なんとか上半身だけは反対側に逃した。助けを求めるようにお姉に顔を向けた。しかし、お姉は「ダメだよナツ、そんな格好して美波の前に来ちゃ。直の前に下着で出て来たようなもんだよ」と、親父化した美波を否定しない。
……ん? っていうか、それって反則じゃね? 心が揺さぶられた。
だが、こうなったらしょうがない。「な、なんだよそれ」と、上ずった声ながらも平静を装う。
甘かった。その存在を忘れていた。「だから、直先輩って最低なんですよッ」と、ここぞとばかりに突っ込みを入れてくる、そんなやつの存在を――
不覚にも「な、なんで?」と焦った顔を向ける私の横、私のことなど眼中にないのだろう、美波は「ハルちゃん、なんで顔赤くしてんの? そうかそうかその状況に自分を重ねちゃったんだねぇ」と嫌らしく笑って、その手を止めた。
ナッちゃんは力なく項垂れた。
も、もしかして、これってメスのマウンティング? お、おそらくそうだ……
「ハイハイッ、もうバカやめてね」
お姉の声に合わせるかのように車両は減速を始めた。
「さぁ、ようやく着いたわよ、御厨に」
女たちは姿勢を正して座り直した。「笑われないよう、気を引き締めていくわよ!」とのお姉に続けとばかりに「はいッ!」と声を合わせる。