二十二 神々(二)

文字数 3,827文字

 歩けない平次郎を咥えて御社に向かった。

「重いなぁ、ホントに歩けないのかよ」

「すまない、腰が抜けて歩けん。どうせなら人に化けてぶら下げたらどうだ。咥えたままだと何言ってるか分からん」

「何、贅沢言ってんだ。御社ノ森とはいえ、たまに子供たちが遊びに来る。裸で狸をぶら下げてるところを見られたら、もう二度とここへは帰れん」

 憤慨気味に返し、私は面持ちを変えた。

「そうか、あんたも服が無いのか」

「事情があって車に置いてきた」

「車? ――あッ! よくも騙してくれたなッ。やっぱ、車に発信器を付けたんだろ。ったく、もうあんたの言うことは信じない。あの子だって誰かに化けさせたんだな!」

 そう言って、平次郎をぶら下げる口に力を入れた。

「あの子も兄貴たちの話も本当だ。化かすことがあっても嘘などつかない」

「それって、一緒だろッ」

「いやいや、お前さんに話したことはみんな本当だ。それと――」

「――それと、なんだ」

「もう、お前さんたちに嘘も化かすこともしない。お前さんと主のやりとりで分かった。化かしていい者たちじゃないと――」

 力なく返す平次郎に、私の気持ちもいくらか落ち着いた。

「……しかし、何故蒼樹様はお許しになったんだろう。お年でも召されたか」

「で、あの雪だるまのちっこい奴はなんだ。赤子のような声で囀っていたが」

「モリコの声が聞こえたのか?」

「モリコっていうのか」

「ああ、大樹の妖精みたいなやつだ。日高見の獣でもモリコの声を聞くことはなかなかできない」

「なんか、クチャクチャ囀りながら俺の脇腹の上を歩き回ってた」

 だから、蒼樹様は許したんだな――

 森の外れで脱ぎ捨てた服を見つけ、人に化けた。

 平次郎を手に持ち替えて言った。

「人に化けるなよ、平次郎ちゃんのぶら下がった物なんて見たくないからな」

 平次郎にはなんの反応もなく、ただぶらぶらしていた。

「どうした、元気ないなぁ。……えッ、死んだのか!」

 慌てて持ち上げた。

「いや、生きてる」平次郎は閉じていた目をうっすら開けた。

「どうしたんだよ平次郎ちゃん」

「人の化け方が思い出せない。忘れた気がする」

「服が無いからだよ。イメージが湧かないと化けれんからなぁ」

「……そんなもんだったかなぁ」

 平次郞をぶらぶらさせながら家に着く頃には既に日は落ち、すぐに取って返して御社へ向かった。



「ハハハーッ」

 光浩様は大声を出して笑った。

「光浩様……」

 まるで、紅姉のようだ――

「しかし、ポン太を恭子のところにやって良かった。こんな楽しい話を私にしてくれるのはお前だけだ。ポン太、いや蒼太。あの御印は恭子以外にはなんの効力も持たない。おそらくその化け狸は化け狐に叩かれて自我に目覚めたんだ。お前は悩まなくていい」

「自我に――」

「いやぁ、いい話も聞けた。今宵は良い月も出てる。どうだ、関東の話を肴に一杯やっていかんか。沙樹がいい焼きウニとキンキが入ったと言っていた」

「はい、喜んで」と頭を垂れた。

 それにしても、今宵の光浩様は随分と御年配だなぁ――

 厨川の家は女系の家である。光浩様の相手をするのは蒼樹様と鬼子様、私ぐらいのものだった。既に鬼子様はお隠れになり、蒼樹様は酒も飲まず口も重い。私は十の頃から光浩様の酒飲み友達にさせられていた。だが、そういう光浩様も酒に弱く、また、私も弱い。二、三杯酌み交わすと、そのまま朝まで寝てしまう。

 どんな話を、どんな風にお話しすればお喜びになるかは身に染み付いていた。方太や紅姉、平次郎のことを面白可笑しくお話しして聞かせた。

 あっという間に時間は過ぎた。三杯目を空にするころには、二人共に煌々と降り注ぐ月明かりを枕に眠っていた。

 夜明け前、いつものように先にお屋根を下りようと身体を起こした。

 本当に酒に酔ったときだけしか眠らないのだろうか…… と、月明かりに浮かび上がった光浩様の寝顔を見つめた。

 そして、思った。

 やはり平次郎の言ったことは狸話であり、光浩様が人を喰うはずがないと――

 用意してもらった服を畳み、光浩様を起こさないよう静かにお屋根を下りた。



 家に戻ると「どうだった。光浩様はお喜びになった?」と、母が起きて待っていた。私が戻らないので、いつものお付き合いをしているのだと分かったらしい。

「ああ、楽しそうだった。でも、酒を酌み交わしたのは一時間ぐらい。いつものように二人共すぐに寝ちゃった」

「もう、お前ぐらいしかお相手がいなかったからねぇ。――えッ、蒼太。もしかして、裸でお付き合いしたの!」

「沙樹様が着物を用意していてくださった」

「ああ、そう。裸で御前は失礼だからね」

「平次郎ちゃんは?」

「さっき、ごそごそしていたけど―― 散歩かしらねぇ」

「店の前にはいなかったなぁ。少し、その辺でも探してみるか」

 ――近くの河原で、平次郎はボーっと立ち竦んでいた。

「平次郎ちゃん、随分探したぞ」

「あっちこっち彷徨いていた」

「――」

「しかし、ここはいい町だな」

「どうしたのしみじみと。飯能だっていいとこじゃないか」

「ああ、あそこも山が近くていいところだ。だが、ここは違う。日本じゃない。……いや、本当の日本なのかもしれんなぁ。他の国に左右されずに時が流れたら、きっとこうなってたって感じだ。そんな気がする」

「それって、褒めてんの?」

「ああ、娘を連れて越して来たいくらいだ」

「どう? 化けれそうならなんか服を見繕ってこようか」

「ここにいる限り無理そうだよ」

「どれだけおっかねェ思いしたんだかね」

「二回死んだ。そんな気分だ。――会いたかった人には、会えたのか」

「――ええ、会えました」

「その人なんだろ、あの術を解く鍵は」

「――ええ」

 やはり、声が沈んでいたようだ。

「ダメそうなのか」

 平次郎が、いや、平次郎さんが見上げてくる。

 躊躇いながら返した。

「あの御印は恭子様以外には効力がないみたいです。自我に目覚めただけなんだろうと仰ってました」

「自我って…… 自我に目覚めておかまになった。っていうのか」

「ええ、そう仰られました」

 平次郎さんは見上げた顔を河原の向こうの町並みに戻した。

「兄貴がおかまになりたかった……」

 そう呟くように言って、腕組みをした。――いや、そうしようとしたが無理があった。固くて曲がらぬ関節を曲げようと必死になっているうちに、堪らえ切れずにそのまま後ろに転がった。

 徐ろに起き上がった平次郎さんは、町並みへと視線を戻した。――何も言わずに見つめている。

「どうした平次郎さん。腕組みもせずに考え込んじゃって。なんか思い当たる節でもあったの」

 笑いを堪らえて問いかけた。

「狸が腕組みしてたら、絶対可笑しいだろう」

 そう力なく返し、平次郎さんは続けた。

「親父は女の子が欲しかったようでなぁ。どうしても一姫二太郎が良かったらしい。兄貴が小学校に上がる前の写真はほとんど女の子の格好で、いつも真っ赤なリボンを頭に付けて写ってた。写真の中の兄貴はそれが楽しくてしょうがないと言わんばかりに笑ってた」

 平太郎、平次郎の父、高清水大平太郎(たかしみずおおへいたろう)は、どうやら子煩悩であったようだ。



 平次郎さんを入れた籠を後部座席に置き、母の運転する車でレンタカーの鍵が入ったリュックを取りにドライブインに向かった。

 ドライブインに着いて、リュックを咥えた平次郎さんが戻って来ると「どこで売ってんだ? こんなの」と湧いてきた興味に勝てなかった。必要もないのにリュックを背負わせて「絶対、一人じゃ無理だろ!」と突っ込みを入れた。何を想像したのか、それとも目の前に座った狸の滑稽さなのか、母は声を殺して腹を抱えている。そんな母に懇願されて平次郎さんからリュックを取ると、何気に中身を確認した。

 呆れた。

「しかし、どういう事情なんだよ。鍵の他はウエットティッシュに、トイレットペーパーと香水。こんなもん入れなけりゃパンツぐらい入っただろう」

「そ、蒼太、もうやめて。い、息ができない」



 トラックの荷台に平次郎さんの籠を載せながら母へ「引っ越しには俺か方太が手伝いに来るよ」と言い残し、御厨を後にした。

 谷外の木工所を出るとトラックから降りてレンタカーまで行き、小さなリュックから鍵を取り出して平次郎さんを車の中に入れた。

 ――「なんだ、化けれるじゃないですか」と胸を撫で下ろした。

「ああ、なんか呪縛から解き放たれたようだ」

「良かった。これで、お嬢ちゃんに泣かれないですむ」

「すまなかった。お前さんが来てくれなかったら娘には二度と会えなかった」

 平次郎さんは頭を下げた。

「平次郎さんなら大丈夫ですよ。モリコが受け入れたってことは森の一部だってことです。高清水の狸は山を大切にしてきたんですね。日高見であれ、関東であれ、山神様は森の一部に危害など加えません。人の姿では無理ですが、娘さんが狸に戻れるようになったらまた来るといい」

「ああ、そうさせてもらうよ」平次郎さんは笑顔を返した。



 レンタカーは北上で乗り捨て、私の車で埼玉へ向かった。

「蒼ちゃん、俺は甘く見ていた。あそこは、御厨は人の世を変えてしまうぞ」

 助手席の平次郎さんが徐に口にした。

「また、主様たちが人を喰う話ですか。その話しなら、もう」

「いや、お前さんたちの主様は人など喰わんよ。だが、人の世を喰ってしまう、そんな気がする。俺ごときにはまだ見えないものばかりなんだろうが、あそこは神々の棲まうところだ。その神々が、その上の神様の目覚めを待ってる。そんな気がした」
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登場人物紹介

北野蒼太《きたの・そうた》(幼名:ポン太)野原家長男

南野方太《みなみの・ほうた》野原家次男

浅田恭子《あさだ・きょうこ》

南野紅《みなみの・べに》野原家次女

東野桜《ひがしの・さくら》野原家長女

西野緑《にしの・りょく》野原家三女

小堀平次郎《こぼり・へいじろう》

日高見直行《ひだかみ・なおゆき》二十五歳

北野純菜《きたの・じゅんな》二十八歳

厨川沙夜《くりやがわ・さや》二十八歳

厨川貞任《くりやがわ・さだとう》三十一歳

川越春菜《かわごえ・はるな》二十三歳

三浦夏海《みうら・なつみ》二十三歳

秋山里絵《あきやま・さとえ》二十三歳

浅田美波《あさだ・みなみ》

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