三 女神様
文字数 4,326文字
あっという間だった。
蒼樹様が徐々にスピードを緩めて周りが明るくなり始めると、きっ子ちゃんにしがみついていたモリコたちはいつの間にか姿を消し、とても広い河原に出た。
そこは早春の優しい日差しに包まれていて「あぁ、温かい」と思わず声が漏れた。知らず知らずに固まっていた身体が雪どけのようにせせらぎの中へと溶け出していく。
「とってもいいところだなぁ」
独り言のように言って周りを見回すと、広い河原の中程に小さな川が流れ、若い女の人が七、八歳から十二歳ぐらいの女の子たちを遊ばせていた。
「一、二、三…… 今日はカッパさんたち皆んな来てますよ!」
きっ子ちゃんは目を輝かせた。振り返って嬉しそうに光浩様を見上げている。
で、私は…… あれが、河童。河童というよりは、おカッパ頭の座敷童子じゃないの? と首を傾げた。
きっ子ちゃんの声に気づいた女の子たちは「あッ、光浩様!」と駆け出したが、後ろにいる私に気づいて足を止めた。
その中を蒼樹様が女の人のところへゆっくり近づいて行く。
目を見張った。とても綺麗な人だなぁ、こんな綺麗な人は見たことがない。と、見惚れてしまった。女の子、いや、女童さんたちは赤を基調とした着物に身を包んでいたが、その女の人は白地に薄紫色の桔梗の柄が入った着物に身を包み、その肌の白さと相まって透き通るほどに美しい。
女神様が着物を着たら、こんな感じなんだろうか―― ホント、間違いなく、異世界だなぁ。
蒼樹様が前まで行くと、その女の人は光浩様に笑顔を向けながら跪いた。「ご無沙汰をしておりました」と深く頭を垂れた。
「蒼波、沙樹の見立てた着物は気に入ったか」
蒼波と呼ばれた女の人は、顔を上げて「はい、とても綺麗で皆大はしゃぎでした」と嬉しそうに返した。
「それは良かった」
光浩様がそう言って笑うと、蒼波様は笑みを残したまま立ち上がり「きっ子も元気そうですね」と、いつものことのように手を差し伸べた。
待ち侘びていたかのようにきっ子ちゃんは嬉しそうな顔で手を広げた。「蒼波様、女の人の迷い人さんなんですよ」と、身を預けながらも僅かに恥じらいを見せている。
「そうなのですか! それは珍しいですね」蒼波様は驚いて見せた。
「恭子、これは蒼波。蒼樹と同じように私に仕えてくれている」
「恭子といいます」
きっ子ちゃんを抱いて笑顔を向けている蒼波様に、蒼樹様の上から失礼にならないようにと深くお辞儀をした。
「光浩様に仕えている蒼波といいます」
笑みを返した蒼波様は眩しいほどに綺麗だった。挨拶をして頂いただけでうっとりと見惚れてしまうほどに。
蒼波様は待ちきれないといった顔のきっ子ちゃんを砂の上に下ろし、きっ子ちゃんは楽しそうな顔を私に向けてから少し離れたところで様子をうかがっている女童さんたちへと一目散に駆け出して行く。
その後ろ姿に顔を向けながら私は動揺し始めていた。どうやって蒼樹様から降りるのだろうとドキドキし始めていた。期待と戸惑いが入り交じっている。
……さっきのきっ子ちゃんも、こんな感じだったんだろうか。
――あ、
光浩様が蒼樹様から飛び降りた。ドキドキが止まらない私に「さあ」と、手を伸ばしてくる。
少しの恥じらいを見せながら身体を預けた。
一瞬だった。蒼樹様の背から砂の上までの一瞬だったが、なんというか…… そう、お姫様になった。
何年ぶりだろう、お父さん以来だ。なんか、まだドキドキしてる。
そんな余韻に浸っていると「いいところだろう」と、光浩様が声をかけてきた。
「はい、とてもいいところです。お天気も良くて、とても気持ちがいいです」
そう返して顔の火照りを隠すように周りを見回した。遠くに見える丘に目を止めた。
「あの丘は、まほろばの丘。もう少しすれば、あの丘の一本桜が見事な花をつける」
「まほろばの丘―― あそこに立って周りを見渡したら気持ちが良さそうだなぁ」
感嘆の声を漏らすと、光浩様は蒼く晴れ渡った空を見上げた。
「恭子。今日は風もなくて暖かい。お昼は、あの一本桜の下で食べようか」
「あ、はい。なんか、何から何まですみません」
母の口癖を真似て返した。いや、返してしまった。なんて、貧キャラなんだろう……
火照りが消えかけた顔を、また赤らめた。
「私は何もしてないよ、蒼樹と二人では味気ないから付き合ってもらっただけだよ。きっ子も一緒になって賑やかになったけどね」
「はい、とてもびっくり―― じゃなくて、驚くことばかりでびっくりしました。――あッ」
口を押さえた。
「ハハハ、それは良かった。連れて来たかいがあった」
「はい。――それにしても、いつもニコニコしていてきっ子ちゃんはホント可愛いですね」
光浩様は遊んでいるきっ子ちゃんたちへ顔を向けた。
「あれは、笑うために生まれてきたんだ」
「本当にそう思わせるような笑い顔です」
きっ子ちゃんのことをもっと訊こうと思った。でも、光浩様が優しい顔で女童さんたちと遊ぶきっ子ちゃんを見ていたので、問いかけることをせずに同じように子どもたちの方へ顔を向けた。
「……え?」目が点になった。
女童さんたちは「鬼さんこちら!」と、きっ子ちゃんを鬼にして逃げ回っていたが、川の中に入って「きっ子ちゃん、こっち、こっちッ!」と手を叩く女童さんは着物の裾を濡らすことなく川の流れの上に立っていた。何度も見返したが、水の上を歩いているようにしか見えない。
が、さらに唖然とした。
女童さんたちが皆んなして川の上に逃げると「水の上はズルいです!」と、ふてたふりをして背を向けたきっ子ちゃんの額に小さな角が見えた。
「驚いたかい」
「あれは、角ですか? きっ子ちゃんの額のところに、あるのは」
「きっ子は心が和んでいるときや楽しいとき、額の真ん中に小枝のような小さな角を一つ付ける。普段は見せないようにしているけどね。そして、不安や恐怖に接すると鬼のような角が二つつくんだ。まぁ、鬼のような角といっても小さくて可愛いやつだけど」
「だから鬼子という名前なのですね」
「角が一つだといい名が思いつかなくてね。――初めて会う者には警戒して二つの角を出すんだが、恭子にはそれがなかった。余程気に入ったのだろう」
「私も、きっ子ちゃんを見た時に胸がキュンとして『ようやく、会えた!』みたいな、なんかとても懐かしいというか、嬉しいというか、そんな気持ちになりました」
「そうか、それは良かった。きっ子が聞いたら大喜びだ。で、恭子、私は蒼波と話をしてくる。少しの間鬼子たちと遊んでいてくれ。きっと女童たちも喜ぶ」
離れたところで話をしている蒼波様と蒼樹様のところに光浩様は向かい、私はきっ子ちゃんたちが遊ぶ川の近くに行って小さな岩の上に腰を下ろした。
川に入りたくないきっ子ちゃんをからかうようにしていた女童さんたちがはしゃぎながらもチラチラと私の方を見始めると、夢中になって女童さんたちを追いかけていたきっ子ちゃんも私が近くに来ていることに気づいた。「たんまッ!」と言って振り向き「恭子ちゃんも一緒に!」と駆け出して来る。玉石に足を取られてはよろめき、楽しそうな顔を向けては、またよろめきながら駆けて来る。後ろで「きっ子ちゃん、鬼のたんまはなしだよ!」と年長の女童さんが叫ぶと、足を止めて振り返り「じゃ、一抜けた!」と大きな声で返した。「鬼の一抜けはできないんだってばッ!」という声にも耳を貸さずにヨロヨロと私のところに辿り着く。
抱き上げてギュッってしたい! そんな衝動を抑えて問いかけた。
「きっ子ちゃん、良かったの? 一抜けはズルいって言ってるよ」
「うん、いいの。いつだって『きっ子ちゃんは角があるから鬼だよ』って鬼ばっかやらされるから、カッパさんたちの方が反対にズルいんです」
「森にいたときのように跳ねないの? 玉石に足を取られて転びそうだったよ」
「玉石の上だと、行きたいところじゃなくて別の方に行っちゃうの」
「そうなんだ」そう返しながら、可愛くてしょうがないという顔を向けた。そして、その視線が僅かに額にある角へ動くときっ子ちゃんは「ハッ!」として俯いた。
目を瞑って力を入れた。
「――角、消そうとしているの?」
「おかしいでしょ、これあると」
きっ子ちゃんは、角を消せないまま恥じらうように小さな声で返した。
「全然おかしくないよ、とっても可愛い。っていうか、カッコいい」
「格好いい?」
キョトンと見上げたきっ子ちゃんは、私が「うん、とってもカッコいいよ」と笑みを返すと恥ずかしそうに「良かった」と口にして俯いた。
あぁ、なんて可愛いんだろう。ギュって抱きしめたいッ! また、そんな衝動にかられた。
――「お姉さんはどこから来たのですか」
「え?」
いつの間に来ていたのだろう、女童さんたちが前にいて不思議そうな顔を向けていた。きっ子ちゃんに見惚れていた私が慌てていると、年長の女童さんが問いかけてくる。
「御厨の人、ではないですよね」
「え? あ、私は宮城県というところから来たの。本当は北海道というところに行こうとしたんだけど、間違ってここに迷い込んじゃったみたい」
忘れてた! 叔父さんに連絡しないとだった―― 心の中で声を上げた。
「恭子ちゃんは、その北海移動ってところに行ってしまうの」
傍らにいたきっ子ちゃんが悲しそうに見上げてくる。
あぁ、なんて可愛いんだろう。食べちゃいたいくらい! また、心の中で声を上げた。
自らの置かれた状況を思い出しながらも、その泣きそうな顔を見たとたん現実に背を向けた。この夢のような世界へと浸り直した。『ホント、思い悩むことをしない子だねぇ』と言う母の口癖は、もうどこからも聞こえてこない。
「北海移動じゃなくて北海道。きっ子ちゃんと、まだまだ一緒にいるから大丈夫だよ」
「え、ホントに?」
「うん、せっかくきっ子ちゃんに会えたんだから、まだ帰らないよ」
「あぁ、良かった」きっ子ちゃんは照れるようにして俯いた。
ああ、やっぱギュってしたい! そう強く思った。でも、女童さんたちが近くにいたので我慢していると、今度は年少の女童さんが「良かった」と、ホッとするかのように見上げてくる。
何故? という顔を返した。
「私たちが帰る時に、きっ子ちゃんがいつも泣いちゃうからホッとしているんです。――きっ子ちゃん、今日は泣かないよね」
年長の女童さんがそう言って顔を向けると、きっ子ちゃんは恥じらいながらもコクリと頷いた。
あぁ、ダメだ。やっぱ、ギュってしたい。頬擦りがしたい!
その後は、ケラケラと笑うきっ子ちゃんを背負って走り回った。鬼になって、川面の上を逃げる女童さんたちを追いかけ回した。
蒼樹様が徐々にスピードを緩めて周りが明るくなり始めると、きっ子ちゃんにしがみついていたモリコたちはいつの間にか姿を消し、とても広い河原に出た。
そこは早春の優しい日差しに包まれていて「あぁ、温かい」と思わず声が漏れた。知らず知らずに固まっていた身体が雪どけのようにせせらぎの中へと溶け出していく。
「とってもいいところだなぁ」
独り言のように言って周りを見回すと、広い河原の中程に小さな川が流れ、若い女の人が七、八歳から十二歳ぐらいの女の子たちを遊ばせていた。
「一、二、三…… 今日はカッパさんたち皆んな来てますよ!」
きっ子ちゃんは目を輝かせた。振り返って嬉しそうに光浩様を見上げている。
で、私は…… あれが、河童。河童というよりは、おカッパ頭の座敷童子じゃないの? と首を傾げた。
きっ子ちゃんの声に気づいた女の子たちは「あッ、光浩様!」と駆け出したが、後ろにいる私に気づいて足を止めた。
その中を蒼樹様が女の人のところへゆっくり近づいて行く。
目を見張った。とても綺麗な人だなぁ、こんな綺麗な人は見たことがない。と、見惚れてしまった。女の子、いや、女童さんたちは赤を基調とした着物に身を包んでいたが、その女の人は白地に薄紫色の桔梗の柄が入った着物に身を包み、その肌の白さと相まって透き通るほどに美しい。
女神様が着物を着たら、こんな感じなんだろうか―― ホント、間違いなく、異世界だなぁ。
蒼樹様が前まで行くと、その女の人は光浩様に笑顔を向けながら跪いた。「ご無沙汰をしておりました」と深く頭を垂れた。
「蒼波、沙樹の見立てた着物は気に入ったか」
蒼波と呼ばれた女の人は、顔を上げて「はい、とても綺麗で皆大はしゃぎでした」と嬉しそうに返した。
「それは良かった」
光浩様がそう言って笑うと、蒼波様は笑みを残したまま立ち上がり「きっ子も元気そうですね」と、いつものことのように手を差し伸べた。
待ち侘びていたかのようにきっ子ちゃんは嬉しそうな顔で手を広げた。「蒼波様、女の人の迷い人さんなんですよ」と、身を預けながらも僅かに恥じらいを見せている。
「そうなのですか! それは珍しいですね」蒼波様は驚いて見せた。
「恭子、これは蒼波。蒼樹と同じように私に仕えてくれている」
「恭子といいます」
きっ子ちゃんを抱いて笑顔を向けている蒼波様に、蒼樹様の上から失礼にならないようにと深くお辞儀をした。
「光浩様に仕えている蒼波といいます」
笑みを返した蒼波様は眩しいほどに綺麗だった。挨拶をして頂いただけでうっとりと見惚れてしまうほどに。
蒼波様は待ちきれないといった顔のきっ子ちゃんを砂の上に下ろし、きっ子ちゃんは楽しそうな顔を私に向けてから少し離れたところで様子をうかがっている女童さんたちへと一目散に駆け出して行く。
その後ろ姿に顔を向けながら私は動揺し始めていた。どうやって蒼樹様から降りるのだろうとドキドキし始めていた。期待と戸惑いが入り交じっている。
……さっきのきっ子ちゃんも、こんな感じだったんだろうか。
――あ、
光浩様が蒼樹様から飛び降りた。ドキドキが止まらない私に「さあ」と、手を伸ばしてくる。
少しの恥じらいを見せながら身体を預けた。
一瞬だった。蒼樹様の背から砂の上までの一瞬だったが、なんというか…… そう、お姫様になった。
何年ぶりだろう、お父さん以来だ。なんか、まだドキドキしてる。
そんな余韻に浸っていると「いいところだろう」と、光浩様が声をかけてきた。
「はい、とてもいいところです。お天気も良くて、とても気持ちがいいです」
そう返して顔の火照りを隠すように周りを見回した。遠くに見える丘に目を止めた。
「あの丘は、まほろばの丘。もう少しすれば、あの丘の一本桜が見事な花をつける」
「まほろばの丘―― あそこに立って周りを見渡したら気持ちが良さそうだなぁ」
感嘆の声を漏らすと、光浩様は蒼く晴れ渡った空を見上げた。
「恭子。今日は風もなくて暖かい。お昼は、あの一本桜の下で食べようか」
「あ、はい。なんか、何から何まですみません」
母の口癖を真似て返した。いや、返してしまった。なんて、貧キャラなんだろう……
火照りが消えかけた顔を、また赤らめた。
「私は何もしてないよ、蒼樹と二人では味気ないから付き合ってもらっただけだよ。きっ子も一緒になって賑やかになったけどね」
「はい、とてもびっくり―― じゃなくて、驚くことばかりでびっくりしました。――あッ」
口を押さえた。
「ハハハ、それは良かった。連れて来たかいがあった」
「はい。――それにしても、いつもニコニコしていてきっ子ちゃんはホント可愛いですね」
光浩様は遊んでいるきっ子ちゃんたちへ顔を向けた。
「あれは、笑うために生まれてきたんだ」
「本当にそう思わせるような笑い顔です」
きっ子ちゃんのことをもっと訊こうと思った。でも、光浩様が優しい顔で女童さんたちと遊ぶきっ子ちゃんを見ていたので、問いかけることをせずに同じように子どもたちの方へ顔を向けた。
「……え?」目が点になった。
女童さんたちは「鬼さんこちら!」と、きっ子ちゃんを鬼にして逃げ回っていたが、川の中に入って「きっ子ちゃん、こっち、こっちッ!」と手を叩く女童さんは着物の裾を濡らすことなく川の流れの上に立っていた。何度も見返したが、水の上を歩いているようにしか見えない。
が、さらに唖然とした。
女童さんたちが皆んなして川の上に逃げると「水の上はズルいです!」と、ふてたふりをして背を向けたきっ子ちゃんの額に小さな角が見えた。
「驚いたかい」
「あれは、角ですか? きっ子ちゃんの額のところに、あるのは」
「きっ子は心が和んでいるときや楽しいとき、額の真ん中に小枝のような小さな角を一つ付ける。普段は見せないようにしているけどね。そして、不安や恐怖に接すると鬼のような角が二つつくんだ。まぁ、鬼のような角といっても小さくて可愛いやつだけど」
「だから鬼子という名前なのですね」
「角が一つだといい名が思いつかなくてね。――初めて会う者には警戒して二つの角を出すんだが、恭子にはそれがなかった。余程気に入ったのだろう」
「私も、きっ子ちゃんを見た時に胸がキュンとして『ようやく、会えた!』みたいな、なんかとても懐かしいというか、嬉しいというか、そんな気持ちになりました」
「そうか、それは良かった。きっ子が聞いたら大喜びだ。で、恭子、私は蒼波と話をしてくる。少しの間鬼子たちと遊んでいてくれ。きっと女童たちも喜ぶ」
離れたところで話をしている蒼波様と蒼樹様のところに光浩様は向かい、私はきっ子ちゃんたちが遊ぶ川の近くに行って小さな岩の上に腰を下ろした。
川に入りたくないきっ子ちゃんをからかうようにしていた女童さんたちがはしゃぎながらもチラチラと私の方を見始めると、夢中になって女童さんたちを追いかけていたきっ子ちゃんも私が近くに来ていることに気づいた。「たんまッ!」と言って振り向き「恭子ちゃんも一緒に!」と駆け出して来る。玉石に足を取られてはよろめき、楽しそうな顔を向けては、またよろめきながら駆けて来る。後ろで「きっ子ちゃん、鬼のたんまはなしだよ!」と年長の女童さんが叫ぶと、足を止めて振り返り「じゃ、一抜けた!」と大きな声で返した。「鬼の一抜けはできないんだってばッ!」という声にも耳を貸さずにヨロヨロと私のところに辿り着く。
抱き上げてギュッってしたい! そんな衝動を抑えて問いかけた。
「きっ子ちゃん、良かったの? 一抜けはズルいって言ってるよ」
「うん、いいの。いつだって『きっ子ちゃんは角があるから鬼だよ』って鬼ばっかやらされるから、カッパさんたちの方が反対にズルいんです」
「森にいたときのように跳ねないの? 玉石に足を取られて転びそうだったよ」
「玉石の上だと、行きたいところじゃなくて別の方に行っちゃうの」
「そうなんだ」そう返しながら、可愛くてしょうがないという顔を向けた。そして、その視線が僅かに額にある角へ動くときっ子ちゃんは「ハッ!」として俯いた。
目を瞑って力を入れた。
「――角、消そうとしているの?」
「おかしいでしょ、これあると」
きっ子ちゃんは、角を消せないまま恥じらうように小さな声で返した。
「全然おかしくないよ、とっても可愛い。っていうか、カッコいい」
「格好いい?」
キョトンと見上げたきっ子ちゃんは、私が「うん、とってもカッコいいよ」と笑みを返すと恥ずかしそうに「良かった」と口にして俯いた。
あぁ、なんて可愛いんだろう。ギュって抱きしめたいッ! また、そんな衝動にかられた。
――「お姉さんはどこから来たのですか」
「え?」
いつの間に来ていたのだろう、女童さんたちが前にいて不思議そうな顔を向けていた。きっ子ちゃんに見惚れていた私が慌てていると、年長の女童さんが問いかけてくる。
「御厨の人、ではないですよね」
「え? あ、私は宮城県というところから来たの。本当は北海道というところに行こうとしたんだけど、間違ってここに迷い込んじゃったみたい」
忘れてた! 叔父さんに連絡しないとだった―― 心の中で声を上げた。
「恭子ちゃんは、その北海移動ってところに行ってしまうの」
傍らにいたきっ子ちゃんが悲しそうに見上げてくる。
あぁ、なんて可愛いんだろう。食べちゃいたいくらい! また、心の中で声を上げた。
自らの置かれた状況を思い出しながらも、その泣きそうな顔を見たとたん現実に背を向けた。この夢のような世界へと浸り直した。『ホント、思い悩むことをしない子だねぇ』と言う母の口癖は、もうどこからも聞こえてこない。
「北海移動じゃなくて北海道。きっ子ちゃんと、まだまだ一緒にいるから大丈夫だよ」
「え、ホントに?」
「うん、せっかくきっ子ちゃんに会えたんだから、まだ帰らないよ」
「あぁ、良かった」きっ子ちゃんは照れるようにして俯いた。
ああ、やっぱギュってしたい! そう強く思った。でも、女童さんたちが近くにいたので我慢していると、今度は年少の女童さんが「良かった」と、ホッとするかのように見上げてくる。
何故? という顔を返した。
「私たちが帰る時に、きっ子ちゃんがいつも泣いちゃうからホッとしているんです。――きっ子ちゃん、今日は泣かないよね」
年長の女童さんがそう言って顔を向けると、きっ子ちゃんは恥じらいながらもコクリと頷いた。
あぁ、ダメだ。やっぱ、ギュってしたい。頬擦りがしたい!
その後は、ケラケラと笑うきっ子ちゃんを背負って走り回った。鬼になって、川面の上を逃げる女童さんたちを追いかけ回した。