十一 平次郎なるもの
文字数 3,296文字
「臭うなぁ、ガンガン臭う」男は言った。
ふてぶてしく椅子に座り、呆れ顔を机の向こうにいる男へ向けて返した。
「あんたも、ガンガン臭ってますよ」と――
飯能署に出向くと高清水署長が玄関で待ち構えていた。
取調室に案内した高清水は「中で担当が待っています。どうぞ、お入りください」と愛想良く笑い、私だけが部屋へと入った。
顔には出さないが、呆気にとられていた。
取り調べ机の向こうに狸が座っている。正確に言えば、人に化けてはいるものの「俺は狸だッ、何が悪い!」そう言わんばかりの顔で男が座っているのだ。
「……ん?」
訝しげな顔を向けていると、どこからともなく遠い昔に嗅いだことのある匂いに包まれた。山の中で遊び回っていた時のような、そんな懐かしい気分になっていった。
男は不敵な笑みを浮かべた。私を見据えたまま徐ろに口を開く。
「ほう、臭うか―― お前、ここいらの狐じゃないなぁ。……神川の辺りか?」
ど、どこだよ、それ…… しかし、狸のくせして生意気な奴だなぁ。
さらに深く、ふてぶてしく椅子に座り直した。
「北、岩手ですよ」
「ほう、岩手ねぇ。で、なんで北の化け狐が関東まで来たんだ」
「仕事ですよ、し、ご、と!」
「ほう、仕事か。そりゃ、遠くからご苦労なこった」
「こう見えても設計者なんでね。客先に装置を納入したんで、それを立ち上げに来たってことですよ」
男はニヤリと笑った。
「ほう、客先ねぇ」
フッ、少し驚かせてやっか――
「御厨製薬ですよ」自慢気に返した。
「御厨製薬―― ほう、かなりの大手だなぁ」
「フフッ、なんだ分かってるじゃないですか、ほうほうの旦那」
「……?」
「御厨グループは、既に世界財閥にも肩を並べるほどですよ。いや、もう越えてるなぁ」と、さらに自慢気に返した。
「――ほう、御厨グループときたか」
男は意味ありげに返すと「そうか、それはいい話を聞いた」と言いながら、脇に置かれたポットに手を伸ばした。
「このお茶は、結構行けてるぞ。狭山茶ってやつだ。岩手じゃ、そうそう飲めないだろ」
自慢気にお茶を淹れると、そのお茶を私の前に置いて僅かに面持ちを変えた。
「じゃ、話を変えようか。――で、あの屍は、半妖は誰にやられたんだ」
ようやく本題に入ってきやがった。と、不敵な笑みを浮かべて徐に身を乗り出した。
「ああ、あれね。この話を聞いたら驚きますよ。あんた等には想像すら出来んだろうが、うちのお山にはスゲーおっかねえ山神様が―― えッ!」
『ジリリリリーン!』と、けたたましい音で火災報知器が鳴り響いた。
「……火? 火が出たのかッ!」
男はあたふたと立ち上がった。すると、まるでそれに合わせたかのようにドアが開いた。若い婦警が「失礼します」と、部屋の中に入って来た。
「誰かが間違って火災報知器のボタンを押したようです。誤報ですのでご安心ください」
「な、なんだ。誤報かよ」
火に異常なほどの反応を見せた男はホッとした顔で返した。すると、そんな男をジッと見ていた婦警が一歩進み出て扉を閉める。
「ったく、まんまと術にはまりやがって。やっぱ、ついて来て良かったよ」
「……? あッ、紅姉!」
慌てて机の向こうにいる男に向き直った。
「えーッ」
背が低くて狸顔だったまん丸に太った男は、背が高くて厳つい身体つきの男に変わっていた。
「化かしたのかッ」睨めつけた。
「そうじゃないよ、蒼太。お前が警戒心なさ過ぎなんだ」
「そうだ、その女の言うとおりだ。それで半妖とは驚きだ」
「な、なんだとッ」
興奮する私に「落ち着け、蒼太」と言って、紅姉は帽子を取った。長い髪を振りほどき、その艶めかしい素振りとともに、なんともいえない甘い香りが漂ってくる。
「私が換気口で様子を見てたからいいようなものの、お前は何から何まで言っちゃうところだったんだぞ」
そう言って私に呆れ顔を向けると、すぐに面持ちを変えた。「まぁ、いいや。こうなったら、これはこれで話が早い」と、傍らにある椅子を手に取って、その長い足を組んで座った。
男をジーッと見つめて問いかける。
「で、死んだ半妖とはどんな関係なの」
食い入るように紅姉を見ていた男は、何気に目をそらした。
そして、僅かに緊張した面持ちで返す。
「関係なんて持ってない。俺等は代々半妖まがいで妖かしへは近づかないようにしてきた」
そして、私も続いた。
「関係なんて持ってない。川越で初めて半妖だと気づいた」と――
紅姉は少しの間を取って、また問いかける。
「俺等って?」
応えようとすると、男は私を遮るようにして先に言った。
「多摩と武蔵野の狸を統べる高清水の家だ」
私も負けじと続く。
「御厨の野原一家だ。こう見えてもれっきとした半妖だ」と――
紅姉は、また間を取った。いや、私を睨めつけている。
「……? ――はッ!」とした。
私が俯くと、紅姉は気を取り直したかのように続けた。
「で、お前は?」
「俺は弟だ。惣領の高清水平太郎の弟だ」
俯いたまま「俺は弟だ。紅姉の、あなたの弟だ」と、聞こえないように返した。
「んんッ」
「――」
紅姉は、続けた。
「それって、あの高清水署長のことか」
「ああ、そうだ」
「お前もここにいるのか」
「いや、俺は埼玉県警本部に行ってる」
「名前は?」
「小堀平次郎」
「ふーん、平次郎ちゃんか。で、年は幾つなの」
なんとも優しい、いや、甘い声だった。
「山の歳で十、里の歳では四十――です」平次郎はほんのり顔を赤らめた。
その時、廊下の方から「あ、署長」と言う声が聞こえた。
「ちッ!」
舌打ちして、ほどいた髪を束ねながら「蒼太、後は適当にやれ」と、紅姉は立ち上がった。
すぐに取調室のドアが開き「小堀刑事、今の警報は怪しいですぞ!」と転がるようにして慌てた高清水が入って来た。
「今、誤報とお話ししたところです」
紅姉はそう言って高清水に敬礼し、私へ僅かな笑みを残して部屋の出口に向かった。
高清水は、そんな紅姉を目で追いながら「そ、そうか、ご苦労様。ありがとうね」と返した。紅姉が出口でもう一度敬礼をして部屋を出て行くと「あんなべっぴんがここにいたかぁ? ……しかし、なんとも言えんいい匂いだ」と恍惚の表情へと変わっていた。
「なぁ、兄ちゃん。あの女はなんていう名前だ?」
いたたまれずに、傍らの平次郎が問いかける。
「いやぁ、初めて見たなぁ。あの色気は新人じゃないよなぁ」
高清水は首を捻った。思いついたかのように「総務課長に聞いてみるか」と、平次郎を連れて部屋を出て行く。
扉が開け放たれた取調室に一人取り残された。
「適当にやれも何も、誰もいないんじゃやりようがない。しかし、紅姉が凄いのか、あの二人が馬鹿なのか……」
呆れ顔に立ち上がった。
受付のところまで行って周りを見回すが、高清水も平次郎も見当たらない。遠くで「名栗! 総務課長はどこだ」と二人の大声だけが聞こえている。
しょうがないので、受付の婦警に帰る旨を伝えて署を出た。
「紅姉が俺と話してるのに俺には聞かずに署内を聞き回るって、やっぱ紅姉の術は強烈だなぁ。しかし、紅姉がいなかったらどうなってたんだろう……」
取調室に入るなり化け狸の術にはまった。そうなることを見切っていた紅姉は私を見守って見事に化け狸共を手玉に取った。
「やっぱ、御厨の半妖三姉妹は凄いや。もっと蒲焼き食わしてやるか」
紅姉が戻っているだろう家へと急いだ。
蒼太、もう大丈夫そうだから私は仕事に戻る。
もどきはいいが半妖には気をつけるんだよ。怪しいと思ったら無理せずに連絡しなさい。
また、蒲焼き食べに来るね。
紅
「書き置きか―― 携帯にかけてくれればいいのに」
手にした書き置きを少しの間眺めていた。
「綺麗な字だなぁ。……俺たちの前ではいつだって馬鹿姉ちゃんやってるけど、辛い修行や嫌な仕事をして、きっと命を張ってギリギリのとこでやってんだろうなぁ。――鬼子様の後を追っかけて野山を駆け巡っていただけの俺じゃ、姉ちゃんたちの足下にも及ばないってこと、なんだろうなぁ」
自分の不甲斐なさに敗北感を感じた。
ふてぶてしく椅子に座り、呆れ顔を机の向こうにいる男へ向けて返した。
「あんたも、ガンガン臭ってますよ」と――
飯能署に出向くと高清水署長が玄関で待ち構えていた。
取調室に案内した高清水は「中で担当が待っています。どうぞ、お入りください」と愛想良く笑い、私だけが部屋へと入った。
顔には出さないが、呆気にとられていた。
取り調べ机の向こうに狸が座っている。正確に言えば、人に化けてはいるものの「俺は狸だッ、何が悪い!」そう言わんばかりの顔で男が座っているのだ。
「……ん?」
訝しげな顔を向けていると、どこからともなく遠い昔に嗅いだことのある匂いに包まれた。山の中で遊び回っていた時のような、そんな懐かしい気分になっていった。
男は不敵な笑みを浮かべた。私を見据えたまま徐ろに口を開く。
「ほう、臭うか―― お前、ここいらの狐じゃないなぁ。……神川の辺りか?」
ど、どこだよ、それ…… しかし、狸のくせして生意気な奴だなぁ。
さらに深く、ふてぶてしく椅子に座り直した。
「北、岩手ですよ」
「ほう、岩手ねぇ。で、なんで北の化け狐が関東まで来たんだ」
「仕事ですよ、し、ご、と!」
「ほう、仕事か。そりゃ、遠くからご苦労なこった」
「こう見えても設計者なんでね。客先に装置を納入したんで、それを立ち上げに来たってことですよ」
男はニヤリと笑った。
「ほう、客先ねぇ」
フッ、少し驚かせてやっか――
「御厨製薬ですよ」自慢気に返した。
「御厨製薬―― ほう、かなりの大手だなぁ」
「フフッ、なんだ分かってるじゃないですか、ほうほうの旦那」
「……?」
「御厨グループは、既に世界財閥にも肩を並べるほどですよ。いや、もう越えてるなぁ」と、さらに自慢気に返した。
「――ほう、御厨グループときたか」
男は意味ありげに返すと「そうか、それはいい話を聞いた」と言いながら、脇に置かれたポットに手を伸ばした。
「このお茶は、結構行けてるぞ。狭山茶ってやつだ。岩手じゃ、そうそう飲めないだろ」
自慢気にお茶を淹れると、そのお茶を私の前に置いて僅かに面持ちを変えた。
「じゃ、話を変えようか。――で、あの屍は、半妖は誰にやられたんだ」
ようやく本題に入ってきやがった。と、不敵な笑みを浮かべて徐に身を乗り出した。
「ああ、あれね。この話を聞いたら驚きますよ。あんた等には想像すら出来んだろうが、うちのお山にはスゲーおっかねえ山神様が―― えッ!」
『ジリリリリーン!』と、けたたましい音で火災報知器が鳴り響いた。
「……火? 火が出たのかッ!」
男はあたふたと立ち上がった。すると、まるでそれに合わせたかのようにドアが開いた。若い婦警が「失礼します」と、部屋の中に入って来た。
「誰かが間違って火災報知器のボタンを押したようです。誤報ですのでご安心ください」
「な、なんだ。誤報かよ」
火に異常なほどの反応を見せた男はホッとした顔で返した。すると、そんな男をジッと見ていた婦警が一歩進み出て扉を閉める。
「ったく、まんまと術にはまりやがって。やっぱ、ついて来て良かったよ」
「……? あッ、紅姉!」
慌てて机の向こうにいる男に向き直った。
「えーッ」
背が低くて狸顔だったまん丸に太った男は、背が高くて厳つい身体つきの男に変わっていた。
「化かしたのかッ」睨めつけた。
「そうじゃないよ、蒼太。お前が警戒心なさ過ぎなんだ」
「そうだ、その女の言うとおりだ。それで半妖とは驚きだ」
「な、なんだとッ」
興奮する私に「落ち着け、蒼太」と言って、紅姉は帽子を取った。長い髪を振りほどき、その艶めかしい素振りとともに、なんともいえない甘い香りが漂ってくる。
「私が換気口で様子を見てたからいいようなものの、お前は何から何まで言っちゃうところだったんだぞ」
そう言って私に呆れ顔を向けると、すぐに面持ちを変えた。「まぁ、いいや。こうなったら、これはこれで話が早い」と、傍らにある椅子を手に取って、その長い足を組んで座った。
男をジーッと見つめて問いかける。
「で、死んだ半妖とはどんな関係なの」
食い入るように紅姉を見ていた男は、何気に目をそらした。
そして、僅かに緊張した面持ちで返す。
「関係なんて持ってない。俺等は代々半妖まがいで妖かしへは近づかないようにしてきた」
そして、私も続いた。
「関係なんて持ってない。川越で初めて半妖だと気づいた」と――
紅姉は少しの間を取って、また問いかける。
「俺等って?」
応えようとすると、男は私を遮るようにして先に言った。
「多摩と武蔵野の狸を統べる高清水の家だ」
私も負けじと続く。
「御厨の野原一家だ。こう見えてもれっきとした半妖だ」と――
紅姉は、また間を取った。いや、私を睨めつけている。
「……? ――はッ!」とした。
私が俯くと、紅姉は気を取り直したかのように続けた。
「で、お前は?」
「俺は弟だ。惣領の高清水平太郎の弟だ」
俯いたまま「俺は弟だ。紅姉の、あなたの弟だ」と、聞こえないように返した。
「んんッ」
「――」
紅姉は、続けた。
「それって、あの高清水署長のことか」
「ああ、そうだ」
「お前もここにいるのか」
「いや、俺は埼玉県警本部に行ってる」
「名前は?」
「小堀平次郎」
「ふーん、平次郎ちゃんか。で、年は幾つなの」
なんとも優しい、いや、甘い声だった。
「山の歳で十、里の歳では四十――です」平次郎はほんのり顔を赤らめた。
その時、廊下の方から「あ、署長」と言う声が聞こえた。
「ちッ!」
舌打ちして、ほどいた髪を束ねながら「蒼太、後は適当にやれ」と、紅姉は立ち上がった。
すぐに取調室のドアが開き「小堀刑事、今の警報は怪しいですぞ!」と転がるようにして慌てた高清水が入って来た。
「今、誤報とお話ししたところです」
紅姉はそう言って高清水に敬礼し、私へ僅かな笑みを残して部屋の出口に向かった。
高清水は、そんな紅姉を目で追いながら「そ、そうか、ご苦労様。ありがとうね」と返した。紅姉が出口でもう一度敬礼をして部屋を出て行くと「あんなべっぴんがここにいたかぁ? ……しかし、なんとも言えんいい匂いだ」と恍惚の表情へと変わっていた。
「なぁ、兄ちゃん。あの女はなんていう名前だ?」
いたたまれずに、傍らの平次郎が問いかける。
「いやぁ、初めて見たなぁ。あの色気は新人じゃないよなぁ」
高清水は首を捻った。思いついたかのように「総務課長に聞いてみるか」と、平次郎を連れて部屋を出て行く。
扉が開け放たれた取調室に一人取り残された。
「適当にやれも何も、誰もいないんじゃやりようがない。しかし、紅姉が凄いのか、あの二人が馬鹿なのか……」
呆れ顔に立ち上がった。
受付のところまで行って周りを見回すが、高清水も平次郎も見当たらない。遠くで「名栗! 総務課長はどこだ」と二人の大声だけが聞こえている。
しょうがないので、受付の婦警に帰る旨を伝えて署を出た。
「紅姉が俺と話してるのに俺には聞かずに署内を聞き回るって、やっぱ紅姉の術は強烈だなぁ。しかし、紅姉がいなかったらどうなってたんだろう……」
取調室に入るなり化け狸の術にはまった。そうなることを見切っていた紅姉は私を見守って見事に化け狸共を手玉に取った。
「やっぱ、御厨の半妖三姉妹は凄いや。もっと蒲焼き食わしてやるか」
紅姉が戻っているだろう家へと急いだ。
蒼太、もう大丈夫そうだから私は仕事に戻る。
もどきはいいが半妖には気をつけるんだよ。怪しいと思ったら無理せずに連絡しなさい。
また、蒲焼き食べに来るね。
紅
「書き置きか―― 携帯にかけてくれればいいのに」
手にした書き置きを少しの間眺めていた。
「綺麗な字だなぁ。……俺たちの前ではいつだって馬鹿姉ちゃんやってるけど、辛い修行や嫌な仕事をして、きっと命を張ってギリギリのとこでやってんだろうなぁ。――鬼子様の後を追っかけて野山を駆け巡っていただけの俺じゃ、姉ちゃんたちの足下にも及ばないってこと、なんだろうなぁ」
自分の不甲斐なさに敗北感を感じた。