四 小さな妖かしたち
文字数 4,056文字
お昼を少し過ぎた頃、夢中になって遊ぶ子供たちのところに蒼波様がやって来た。
誰よりも一番高く玉石を積み上げようと必死になっていたきっ子ちゃんが「ハッ!」として顔を向けると、蒼波様はきっ子ちゃんの前まで行って俯いてしまった顔をしゃがんでのぞき込む。
「きっ子、今日は恭子がいてくれるから大丈夫ですね」
その優しい声に、僅かに戸惑いの残る顔を上げたきっ子ちゃんは「はい、大丈夫です」と頑張って笑みを返した。蒼波様は、そんなきっ子ちゃんを抱き上げると、その顔を静かに首元へとあてがい「いい子ですね」と優しく抱きしめた。自分の頬をきっ子ちゃんの頭にあてがい、少しの間、まるで赤子をあやすかのようにしていた。
あぁ、羨ましいなぁ――
見入っている私に蒼波様が笑みを向けた。
「恭子、鬼子をお願いしますね」と、きっ子ちゃんを預け、女童さんたちを連れて川の方へ向かった。
川面の上を、流れの中程へと進んで行く。
流されることなく川面に浮かぶ女童さんたちは、別れを惜しむかのように皆して手を振った。年長の女童さんが手を下ろして深くお辞儀をすると蒼波様へと身を寄せて跪き、同じようにして一人ずつ身を寄せていく。
最後に蒼波様が跪くと、その身体は少しづつ水のように透き通り始め、川面に反射する日差しのように輝き出した。
光浩様に深く頭を垂れて静かに身を沈めていく姿を、蒼波様と女童さんたちをきっ子ちゃんを抱いたままただ見つめていた。着ていた着物は、まるで別れを惜しむかのように川面を鮮やかに彩っている。
「――綺麗だなぁ」
「蒼波は海神なんだ。川を上ってこの山奥まで会いに来てくれるんだ」
「久しぶりにお会いになるのだと仰っていましたが、女童さんたちはいつもきっ子ちゃんと遊んでるように言っていたような――」
「百年ぶりぐらいかなぁ。早いときは、五十年ぐらいのときもあるけど」
川面を見つめたまま、光浩様が当たり前のように返してくる。
「百年、ですか――」
なんかスケールというか、感覚が違いすぎる。完全に別世界だ……
恐る恐る問いかける。
「蒼樹様が山の神様で、蒼波様が海の神様。……蒼樹様や蒼波様がお仕えする光浩様は、神様たちよりもっと偉いお方――ですよね」
「私か? 皆は、私のことを蒼屋根ノ主 といっている。ただの人だよ、きっと」
光浩様は微かな笑みを浮かべ、私はその意味深な言葉を問いかけるようにきっ子ちゃんへ顔を向けた。でも、きっ子ちゃんは照れながら「僕は、いつも鬼ごっこの鬼なの」と、腕の中で恥じらうように俯く。
光浩様と顔を見合わせた。気づかれぬようにして、少しだけ笑った。
昼食をまほろばの丘で食べることを伝えにきっ子ちゃんは御社に、私と光浩様は蒼樹様の背に乗ってまほろばの丘に向かった。
怖くて閉じていた目を少しづつ開けた。「わぁーッ、初めて空を飛んだ!」としがみつく腕に力を入れた。
「もっと高く飛んでみるかい」
「えーッ、これ以上高くは無理です」
そう返し、恐る恐る見渡して「森の上を飛んでるだけで、それだけでとても気持ちがいいです」と青い山々を望んだ。光浩様は僅かに顔を向けて「大丈夫そうだね」と笑っている。
「では、蒼樹、少し遠回りをしようか」
「御意」
「えッ!」
蒼樹様はどんどんスピードを上げてまほろばの丘の上を通り過ぎ、森の上から山の上へと駆け上がって行く。
また、しがみつく腕に力を入れて目を瞑った。
「怖いかい」
閉じた目を開けて「はい。――でも、もう大丈夫です」と返した。遠ざかる山々と蒼い空を瞳に映して「これって、夢なのかなぁ」と口にした。そして、すぐに「あッ、海だ!」とはしゃぐように声を上げた。
太平洋を近くに見下ろす源兵衛平という山の頂を通り過ぎると、蒼樹様は高度を下げて森の上を駆け下った。一気に海へと走り出た。
視界からもの凄い勢いで遠ざかっていく陸を、ただ唖然と見ていた。
なんて、速いんだろう…… きっと、飛行機よりも速いんだろうなぁ。そう呟くと、蒼樹様はゆっくり旋回を始めた。
視界から陸が消えて、空の蒼一色になった。
「恭子、見てごらん。皆、手を振ってる」
蒼樹様が旋回している中心に顔を向けると、一糸纏わぬ水の身体を輝かせながら蒼波様と女童さんたちが手を振っていた。
「わぁ、とっても綺麗だなぁ」感嘆の声を漏らした。「見送りに来ましたよ!」と、大きな声で手を振った。
蒼樹様は速度を緩めて二回程蒼波様たちの周りを旋回すると、徐々に速度を上げ三回目は大きく回って陸へ向かった。振り返り、蒼波様たちが見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
陸に入ると、蒼樹様は森の上を駆け上がって源兵衛平の頂から山々の上へと一気に飛び上がった。
その白く輝く背で、瞳に蒼く、あまりにも蒼く澄んだ空色だけを映した。
光浩様と私をまほろばの丘に降ろした蒼樹様は「御社に行って昼餉を取って来ます」と言い残し、丘の下へ駆け出して行った。
でも、すぐに女童さんを背に乗せて戻って来た。
「紅 か、どうした」
蒼樹様の背から降りる女童さんに光浩様が声をかけると、紅と呼ばれた六、七歳の女童さんは慌ててその場に跪き「これを」と抱えていたものを差し出すように持ち上げた。
「恭子にポン太を見せたいから先に連れて行ってくれと鬼子に頼まれたようです」
蒼樹様が呆れ顔を向けると、光浩様は嬉しそうに「ポン太か! どれどれ、歩けるようになったと鬼子が言っていたが」と、女童さんのところまで行ってポン太という子犬を抱き上げた。
「紅、お前も一緒にお昼を食べていくか?」
「いいえ、そんなことをしたら母様に叱られます」
小さいながらも、女童さんはしっかりした口調だった。
「紅葉 は相変わらず固いなぁ」
光浩様がそう言って笑うと「それでは」と女童さんは深く頭を垂れ、あッ! という間にその場から消えてしまう。
「えッ! 紅ちゃん、まるでくノ一さんみたい」
驚く私の横「今度こそ、昼餉を持って参ります」と蒼樹様は立ち上がった。「鬼子を忘れるなよ」との光浩様に「御意」と返し、紅ちゃんと同じように、あッ! という間に丘の下へと消えてしまう。
光浩様が芝の上にポン太ちゃんを下ろすと、そのおぼつかない足取りに思わず「まぁ、可愛いワンちゃん。おいで!」としゃがんで両手を広げた。
「恭子、それは犬ではないよ」
「え? ポン太ちゃんだから、子狸ですか?」
「いやいや、乳が良くてまるまる太っているが、それは狐の子だ」
「狐の子、ポン太なのに……」
「鬼子の名付けも私に似ていい加減だ」
「そうか、子狐さんだったんだね。さぁ、おいで、ポンちゃん」
チョコンと座り、首をかしげて二人の話を聞いていた風のポンちゃんは「おいで、ポンちゃん」に反応したかのように楽しげに走り出した。でも、後ろ足は勢いよく走り出しても前足がついて行かずに前のめりに転がってしまう。その後も、しゃがんで「おいで!」と手を叩く私に抱かれたいとの気持ちで焦り、どうしても上手く歩けない。
「あぁ、この子も可愛い!」進み出て抱き上げた。
抱かれたポンちゃんはご満悦な顔になり、それを見ていた光浩様が何気に口にする。
「ポン太は、さっきいた紅の弟なんだ」
「……え?」
少し経つと、丘の下から蒼樹様が駆けてくるのが見えた。その背では包みを抱えたきっ子ちゃんが必死になって掴まっている。
躍り出るかのようして丘の上に現れた蒼樹様が伏せると、きっ子ちゃんは一息吐いてから包を大事そうに抱えて降りた。「もう、飛んでくれればいいのに、きれいに盛り付けてくれたお弁当が台無しですよ」と、困惑顔で持って来た包みを光浩様に渡した。
光浩様が包を開け始めると、きっ子ちゃんはワクワクした顔で開かれていく包みをのぞき込んだ。開かれた重箱の中を見て「えーッ! ほら、ぐちゃぐちゃになってますよ」と、はしゃぐように言った。
横目でそれを見ていた蒼樹様は「食べてしまえば同じだ」と無責任な声で返した。
「もう、沙樹様に謝ってくださいね。頑張って作ってくれたんですから」
笑みを隠せないまま怒った素振りのきっ子ちゃんに「だから、食べてしまえば同じだ」と、蒼樹様が繰り返す。少しの間を置いて「そうか! そうですよね。気がつきませんでした」ときっ子ちゃんが笑い「きっ子、そうではないだろう」と光浩様が呆れ顔を向ける。
皆して笑った早春の丘は風もなく、日だまりの中で食べる形が崩れたおむすびはとても美味しかった。「ホントに美味しいね」と笑顔を向ける私の目からは涙が零れ、きっ子ちゃんが「大丈夫ですか?」と、ポンちゃんを抱いたまま愛くるしい顔でのぞき込んでくる。
「とても美味しくて、とても嬉しくて、涙が出ただけ」
涙を拭いながらそう返すと、きっ子ちゃんは「ずっと、ここにいればいいのに――」と光浩様を見上げた。
昼食を終えると、皆んなで蒼樹様の背に乗って御社に向かった。
「恭子、今日は鬼子のところに泊まりなさい」
「きっ子ちゃんのところですか」
「きっ子は小さいが立派な屋敷を持っている。ポン太がいるとはいえ、いつも一人だから喜ぶ」
「そうしましょう、そうしましょう」
光浩様の前に乗っていたきっ子ちゃんは大喜びしている。
「沙樹が良いと言いましょうか」
「蒼樹、それは大丈夫だ。内緒にすればいいだけだ」
「もう、鬼子が言ってしまいました」
「え、きっ子、恭子のことを沙樹に言ったのか」
「はい。嬉しくて、とっても嬉しくて、沙樹様にも会わせると約束しました」
きっ子ちゃんは楽しくてしょうがない! といった顔で返し、御社に着くと待っていたかのように沙樹様が出迎えた。
挨拶を交わすと「あぁ、この人も綺麗だなぁ」と、胸の中で感嘆の声を漏らした。光浩様の周りは綺麗な人ばかりで、今日は見惚れてばかりだ。――きっと、私なんてお側にすら置いてもらえない。
そう呟いていた。
「主様が、そう仰るのなら仕方がありませんね」
そう言って、沙樹様は笑った。私がきっ子ちゃんのお屋敷に泊まることを許した。
誰よりも一番高く玉石を積み上げようと必死になっていたきっ子ちゃんが「ハッ!」として顔を向けると、蒼波様はきっ子ちゃんの前まで行って俯いてしまった顔をしゃがんでのぞき込む。
「きっ子、今日は恭子がいてくれるから大丈夫ですね」
その優しい声に、僅かに戸惑いの残る顔を上げたきっ子ちゃんは「はい、大丈夫です」と頑張って笑みを返した。蒼波様は、そんなきっ子ちゃんを抱き上げると、その顔を静かに首元へとあてがい「いい子ですね」と優しく抱きしめた。自分の頬をきっ子ちゃんの頭にあてがい、少しの間、まるで赤子をあやすかのようにしていた。
あぁ、羨ましいなぁ――
見入っている私に蒼波様が笑みを向けた。
「恭子、鬼子をお願いしますね」と、きっ子ちゃんを預け、女童さんたちを連れて川の方へ向かった。
川面の上を、流れの中程へと進んで行く。
流されることなく川面に浮かぶ女童さんたちは、別れを惜しむかのように皆して手を振った。年長の女童さんが手を下ろして深くお辞儀をすると蒼波様へと身を寄せて跪き、同じようにして一人ずつ身を寄せていく。
最後に蒼波様が跪くと、その身体は少しづつ水のように透き通り始め、川面に反射する日差しのように輝き出した。
光浩様に深く頭を垂れて静かに身を沈めていく姿を、蒼波様と女童さんたちをきっ子ちゃんを抱いたままただ見つめていた。着ていた着物は、まるで別れを惜しむかのように川面を鮮やかに彩っている。
「――綺麗だなぁ」
「蒼波は海神なんだ。川を上ってこの山奥まで会いに来てくれるんだ」
「久しぶりにお会いになるのだと仰っていましたが、女童さんたちはいつもきっ子ちゃんと遊んでるように言っていたような――」
「百年ぶりぐらいかなぁ。早いときは、五十年ぐらいのときもあるけど」
川面を見つめたまま、光浩様が当たり前のように返してくる。
「百年、ですか――」
なんかスケールというか、感覚が違いすぎる。完全に別世界だ……
恐る恐る問いかける。
「蒼樹様が山の神様で、蒼波様が海の神様。……蒼樹様や蒼波様がお仕えする光浩様は、神様たちよりもっと偉いお方――ですよね」
「私か? 皆は、私のことを蒼屋根ノ
光浩様は微かな笑みを浮かべ、私はその意味深な言葉を問いかけるようにきっ子ちゃんへ顔を向けた。でも、きっ子ちゃんは照れながら「僕は、いつも鬼ごっこの鬼なの」と、腕の中で恥じらうように俯く。
光浩様と顔を見合わせた。気づかれぬようにして、少しだけ笑った。
昼食をまほろばの丘で食べることを伝えにきっ子ちゃんは御社に、私と光浩様は蒼樹様の背に乗ってまほろばの丘に向かった。
怖くて閉じていた目を少しづつ開けた。「わぁーッ、初めて空を飛んだ!」としがみつく腕に力を入れた。
「もっと高く飛んでみるかい」
「えーッ、これ以上高くは無理です」
そう返し、恐る恐る見渡して「森の上を飛んでるだけで、それだけでとても気持ちがいいです」と青い山々を望んだ。光浩様は僅かに顔を向けて「大丈夫そうだね」と笑っている。
「では、蒼樹、少し遠回りをしようか」
「御意」
「えッ!」
蒼樹様はどんどんスピードを上げてまほろばの丘の上を通り過ぎ、森の上から山の上へと駆け上がって行く。
また、しがみつく腕に力を入れて目を瞑った。
「怖いかい」
閉じた目を開けて「はい。――でも、もう大丈夫です」と返した。遠ざかる山々と蒼い空を瞳に映して「これって、夢なのかなぁ」と口にした。そして、すぐに「あッ、海だ!」とはしゃぐように声を上げた。
太平洋を近くに見下ろす源兵衛平という山の頂を通り過ぎると、蒼樹様は高度を下げて森の上を駆け下った。一気に海へと走り出た。
視界からもの凄い勢いで遠ざかっていく陸を、ただ唖然と見ていた。
なんて、速いんだろう…… きっと、飛行機よりも速いんだろうなぁ。そう呟くと、蒼樹様はゆっくり旋回を始めた。
視界から陸が消えて、空の蒼一色になった。
「恭子、見てごらん。皆、手を振ってる」
蒼樹様が旋回している中心に顔を向けると、一糸纏わぬ水の身体を輝かせながら蒼波様と女童さんたちが手を振っていた。
「わぁ、とっても綺麗だなぁ」感嘆の声を漏らした。「見送りに来ましたよ!」と、大きな声で手を振った。
蒼樹様は速度を緩めて二回程蒼波様たちの周りを旋回すると、徐々に速度を上げ三回目は大きく回って陸へ向かった。振り返り、蒼波様たちが見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
陸に入ると、蒼樹様は森の上を駆け上がって源兵衛平の頂から山々の上へと一気に飛び上がった。
その白く輝く背で、瞳に蒼く、あまりにも蒼く澄んだ空色だけを映した。
光浩様と私をまほろばの丘に降ろした蒼樹様は「御社に行って昼餉を取って来ます」と言い残し、丘の下へ駆け出して行った。
でも、すぐに女童さんを背に乗せて戻って来た。
「
蒼樹様の背から降りる女童さんに光浩様が声をかけると、紅と呼ばれた六、七歳の女童さんは慌ててその場に跪き「これを」と抱えていたものを差し出すように持ち上げた。
「恭子にポン太を見せたいから先に連れて行ってくれと鬼子に頼まれたようです」
蒼樹様が呆れ顔を向けると、光浩様は嬉しそうに「ポン太か! どれどれ、歩けるようになったと鬼子が言っていたが」と、女童さんのところまで行ってポン太という子犬を抱き上げた。
「紅、お前も一緒にお昼を食べていくか?」
「いいえ、そんなことをしたら母様に叱られます」
小さいながらも、女童さんはしっかりした口調だった。
「
光浩様がそう言って笑うと「それでは」と女童さんは深く頭を垂れ、あッ! という間にその場から消えてしまう。
「えッ! 紅ちゃん、まるでくノ一さんみたい」
驚く私の横「今度こそ、昼餉を持って参ります」と蒼樹様は立ち上がった。「鬼子を忘れるなよ」との光浩様に「御意」と返し、紅ちゃんと同じように、あッ! という間に丘の下へと消えてしまう。
光浩様が芝の上にポン太ちゃんを下ろすと、そのおぼつかない足取りに思わず「まぁ、可愛いワンちゃん。おいで!」としゃがんで両手を広げた。
「恭子、それは犬ではないよ」
「え? ポン太ちゃんだから、子狸ですか?」
「いやいや、乳が良くてまるまる太っているが、それは狐の子だ」
「狐の子、ポン太なのに……」
「鬼子の名付けも私に似ていい加減だ」
「そうか、子狐さんだったんだね。さぁ、おいで、ポンちゃん」
チョコンと座り、首をかしげて二人の話を聞いていた風のポンちゃんは「おいで、ポンちゃん」に反応したかのように楽しげに走り出した。でも、後ろ足は勢いよく走り出しても前足がついて行かずに前のめりに転がってしまう。その後も、しゃがんで「おいで!」と手を叩く私に抱かれたいとの気持ちで焦り、どうしても上手く歩けない。
「あぁ、この子も可愛い!」進み出て抱き上げた。
抱かれたポンちゃんはご満悦な顔になり、それを見ていた光浩様が何気に口にする。
「ポン太は、さっきいた紅の弟なんだ」
「……え?」
少し経つと、丘の下から蒼樹様が駆けてくるのが見えた。その背では包みを抱えたきっ子ちゃんが必死になって掴まっている。
躍り出るかのようして丘の上に現れた蒼樹様が伏せると、きっ子ちゃんは一息吐いてから包を大事そうに抱えて降りた。「もう、飛んでくれればいいのに、きれいに盛り付けてくれたお弁当が台無しですよ」と、困惑顔で持って来た包みを光浩様に渡した。
光浩様が包を開け始めると、きっ子ちゃんはワクワクした顔で開かれていく包みをのぞき込んだ。開かれた重箱の中を見て「えーッ! ほら、ぐちゃぐちゃになってますよ」と、はしゃぐように言った。
横目でそれを見ていた蒼樹様は「食べてしまえば同じだ」と無責任な声で返した。
「もう、沙樹様に謝ってくださいね。頑張って作ってくれたんですから」
笑みを隠せないまま怒った素振りのきっ子ちゃんに「だから、食べてしまえば同じだ」と、蒼樹様が繰り返す。少しの間を置いて「そうか! そうですよね。気がつきませんでした」ときっ子ちゃんが笑い「きっ子、そうではないだろう」と光浩様が呆れ顔を向ける。
皆して笑った早春の丘は風もなく、日だまりの中で食べる形が崩れたおむすびはとても美味しかった。「ホントに美味しいね」と笑顔を向ける私の目からは涙が零れ、きっ子ちゃんが「大丈夫ですか?」と、ポンちゃんを抱いたまま愛くるしい顔でのぞき込んでくる。
「とても美味しくて、とても嬉しくて、涙が出ただけ」
涙を拭いながらそう返すと、きっ子ちゃんは「ずっと、ここにいればいいのに――」と光浩様を見上げた。
昼食を終えると、皆んなで蒼樹様の背に乗って御社に向かった。
「恭子、今日は鬼子のところに泊まりなさい」
「きっ子ちゃんのところですか」
「きっ子は小さいが立派な屋敷を持っている。ポン太がいるとはいえ、いつも一人だから喜ぶ」
「そうしましょう、そうしましょう」
光浩様の前に乗っていたきっ子ちゃんは大喜びしている。
「沙樹が良いと言いましょうか」
「蒼樹、それは大丈夫だ。内緒にすればいいだけだ」
「もう、鬼子が言ってしまいました」
「え、きっ子、恭子のことを沙樹に言ったのか」
「はい。嬉しくて、とっても嬉しくて、沙樹様にも会わせると約束しました」
きっ子ちゃんは楽しくてしょうがない! といった顔で返し、御社に着くと待っていたかのように沙樹様が出迎えた。
挨拶を交わすと「あぁ、この人も綺麗だなぁ」と、胸の中で感嘆の声を漏らした。光浩様の周りは綺麗な人ばかりで、今日は見惚れてばかりだ。――きっと、私なんてお側にすら置いてもらえない。
そう呟いていた。
「主様が、そう仰るのなら仕方がありませんね」
そう言って、沙樹様は笑った。私がきっ子ちゃんのお屋敷に泊まることを許した。