四十四 御厨の話

文字数 3,444文字

 雫石では予定されていた所長以下との顔合わせがお姉の意向で延期されていた。

 私たちは御厨への説明を受けるためお姉の部屋にあるミーティングルームに入った。ハルちゃんの後ろで、こんなちっちゃいのによくあんな大熊に襲いかかったなぁ。と、その小さな背中を見ながら入った。連結線でシャワーを浴び、もう戦闘服のようなものは着ていない。私服に白衣を纏ったただの女子大生でしかない。

 しかし、大の男でも足が竦んでしまう、そんな状況だった。それを太刀一つで……

 普通じゃない――



「さあ、始めましょうか。私のほうから順を追って説明をしていくから、質問があればその都度ディスカッションする。それで、いい?」

 お姉は何もなかったかのように始めようとしている。だが、面には出さないもののかなり動揺しているのが分かった。付き合いは長い。察しもついている。「なぜ沙夜の、ハルやナツの本当の姿を垣間見たのに動揺していないの? なぜ私に問いかけてこないの?」そう言いたいのだろう。

 ……確かに、あの丘での感覚には今でも違和感を持っている。だが、当たり前のように受け入れて平然としていられる自分。そんな自分が自分の中の大半を占めている。今はそんな感じだった。

「フフッ」

 そんなことより、あの丘で申し訳なさそうに私に顔を向けていた沙夜さんが気になっていた。その沙夜さんに動揺することなく私は笑みを返している。あの憧れの沙夜さんにである。そう、私はさり気なく笑みを返しているのだ。

 もしかして、逆転してる? と、そっちのほうが気になっていた。

「浅はか過ぎる――」

 え? 何?

 横目に目を細める―― そんな残像を残し、お姉は向き直って始めた。

「先ずは雫石研究所。この研究所はその名のとおり岩手の雫石というところにあります。地下格納庫を備えたヘリポート、昨日泊まった施設等々全てを含めた名称が雫石研究所。その広大なエリアは有刺鉄線で外界から隔離され全域をサーモで監視し、それに加えて一キロ毎に警護班が配置された監視施設があります。そして、この雫石研究所の存在する理由。その最も重要な役割は御厨への唯一の連結手段になること」

 美波が質問の手を挙げた。

「ということは、ここは完全なフェイクで研究等は何もやっていないということですか?」

「いいえ、ここは最先端のバイオテクノロジーを駆使した世界でも屈指の研究施設そのもの、御厨製薬の莫大な収益を生むための主要な機関の一つよ」

「最大の存在理由が御厨への唯一の玄関になること。で、それは莫大な収益を生むことよりも優先される……」そう言って美波は考え込んだ。

「どう、ここでの質問、他にある?」

 里絵が申し訳なさそうに手を挙げた。

「ちょっと、というかかなり不安なんですが、私たちが生活するところってここでいいんですよね。御厨で暮らすとか言わないですよね」

「はぁ? サトちゃん、何言い出してんの」

 先を急ぎたい美波は置かれた状況を把握していない、いや、この期に及んでどこか余裕を見せる、そんな里絵に腹を立てた。

「そうなのよ、そこ迷っちゃってるのよね」

「えーッ、勘弁してくださいよ先輩。――サトちゃん。君は私が先輩を質問攻めにあわせると思って話をそらそうとしてるんだよね」

「違いますよ、そんなことはありません。美波ちゃんはいいですよ、目の前にニンジンぶら下がるとそれしか見えないし、なんて言うか、男役演じられるし」

「お、男役?」予想外の返しに美波はたじろいだ。

「でも、私や室長は女なんです。見ましたか、駅前の食堂。『下宿可、求む!』って、なっていましたよ。あんな田舎じゃエアコンも無いだろうし、お化粧だって汗かきながらするんですよ。髪だって湿気で上手くまとまらないんです。分ってます?」

「き、君は、余裕あんなぁ。……でも、確かにエアコン無いのはまずい、よね」

 また、やられてる。あれほど先を読める美波がなんで里絵にはいつもコロッとやられんだ? 里絵よ、そのコツを教えてくれ。できればお前を黙らせるやつも――

 ん? な、なんで睨んでんだ?



 向き直って、お姉は続けた。

「そうね。私も何度か御厨には行ってるけど住むと思ってみてなかったわ。リニアがあるからここがベースになるってね。でも、根詰めてやったら確かにこの往復は辛いかもしれないわね。ま、それでもしばらくはここをベースに考えて、どうしても向こうにいるようなら沙夜に言ってエアコンを付けてもらいましょう」

「心配ないですよ。沙夜先輩いつもあんなに綺麗にしていられるんだから、きっとここよりいいとこがあるんですよ」

 お姉は面持ちを変えた。

「美波、沙夜は違うんだよ。沙夜はこの御厨グループの総帥なの。お嬢様、いいえお姫様なの。それも世界一の大金持ちで米国に並ぶほどの権力の持ち主」

 そ、そんなに凄いのかよ沙夜さん。世界一って世界財閥より金持ってるってことか? まぁ、権力は話半分、いや百分の一としても確かに金は持っていそうだなぁ。

 戸惑いの表情を浮かべる私の横、その先に話が及ばないようにとの配慮か、何も言わずにいたハルちゃんが口を開いた。

「大丈夫ですよ。向こうは冬厳しいですけど、夏はとても涼しくて湿気もありません。関東からみれば雲泥の差です」

「なんか、髪を後ろに結ってるだけのハルちゃんじゃ説得力に欠けるなぁ」

「そんなぁ、サトちゃんが都会っ子すぎるんですよ」

 ――ここだ!

 申し訳なさそうに手を挙げた。

「すいません。……? あッ、すみません。よろしければ、ちょっとだけ吸わせて頂ければと――」

 やはり皆して沈黙した。だが、なぜか美波が表情を崩す。

「直君はそればっかだなぁ。いいですよ先輩、休憩にしましょう」

「そうね、美波がそう言うなら休憩にしよう。お昼からずっと休んでないしね」

 ベランダに出ると既に日は落ちていた。

 ……で、なんで出てきたんだ?

 私の後について部屋から出てきた美波が気になった。

「直君、私にも頂戴」

「え? 吸うのか」

「やめていたけど吸わずにはいられない、って感じ」

「そ、そうなんだ」

「昔、純菜先輩に教わったの『少し逃げ場がないとキツイよ』って。なんか、自分だけさっさとやめちゃったけどね」

「フフ、やめてないよお姉は。きっと吸いたくてウズウズしてるよ」と、嫌らしい笑みを浮かべたところでお姉がベランダに出て来た。

「――なッ」

「えッ、もしかして先輩吸うんですか!」

「うん、やめてない。隠れて吸ってるだけ」

 三人は横一列に並んで火を灯した。

「ハルが言ってたとおりね。雫石でも関東と違って空気が美味しいし湿気もない」

「そうですね。違いますね、色んな意味で。まるで別世界ですよ」

「――美波、私が知ってることみんな教えるね。今夜、朝までかかっても。本当は御厨というところをじっくり視て、感じて、残るか否かの判断というか、覚悟をしてもらいたかった。――直、今日多賀城さんに会ったでしょう。専務の連れは平野社長だったの」

「えッ、社長も来てんのか! なんか全員集合って感じだなぁ」

「そう、全員集合なの。もうすぐ御厨製薬の役員は全て入れ替わる。御厨鉄鋼、重工、造船、電子、東日本電力、その他全ての御厨グループが。もちろん、日本だけではなく世界中のね。そして各企業、組織の中核は御厨の存在を知らない一般の人たちで構成されることになる。一部を除いてだけど」

「政界ってことですね。……もしかして、総理も御厨の配下だったりして」

「さすがに私もそこまでは分からない。可能性は充分にあるけどね」

 美波は一呼吸置いた。

「先輩。ここはそれくらいにしましょう。サトちゃんも入れてやらないと可哀想です。とりあえず別世界に迷い込んだ仲間ですし、それに、もう三人は戻れるような状況じゃないですから」

 お姉は僅かに視線を落とした。

「美波、直―― 戻れないでいい? 御厨をちゃんと視させてあげる時間がないけど、どうしても一緒に来て欲しい」

 人に弱さを見せないはずのお姉が頼りなくとても小さく感じた。

 美波も、そう感じたのだろう「いいですよ、先輩となら」と笑みを返した。

「会社は何をしようとしてんだ?」と、喉まで出かかっていたが「右に、いや、左に同じ」と続いた。

「と、いうことだから、スーッとするやつとか一杯買っといてね、直君。向こうで買いに行ったら『しんせい』とか『わかば』しか置いて無いって言われそうだから」

「はいはい。――っていうか、百年前に発売されたタバコだぞ、あるわけないだろ」
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登場人物紹介

北野蒼太《きたの・そうた》(幼名:ポン太)野原家長男

南野方太《みなみの・ほうた》野原家次男

浅田恭子《あさだ・きょうこ》

南野紅《みなみの・べに》野原家次女

東野桜《ひがしの・さくら》野原家長女

西野緑《にしの・りょく》野原家三女

小堀平次郎《こぼり・へいじろう》

日高見直行《ひだかみ・なおゆき》二十五歳

北野純菜《きたの・じゅんな》二十八歳

厨川沙夜《くりやがわ・さや》二十八歳

厨川貞任《くりやがわ・さだとう》三十一歳

川越春菜《かわごえ・はるな》二十三歳

三浦夏海《みうら・なつみ》二十三歳

秋山里絵《あきやま・さとえ》二十三歳

浅田美波《あさだ・みなみ》

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