五十二 御蔵(一)
文字数 3,372文字
喫煙所から戻ると、沙夜さんお気に入りのジャスミン茶が振る舞われていた。
「なんだ、またこれか――」
「貞任様はジャスミン茶お嫌いですか?」
「いや、そうではないよ純菜。嫌いではないが、一服してたらコーヒーが飲みたくなってなぁ。直行に美味いガテマラ飲ましてやると一本だけで帰って来たんだ」
「クスッ」と肩を竦めた沙夜さんは、嬉しそうに「はいはい、もう用意させてあります」と席を立った。女たちも同じように肩を竦めて顔を見合わせて笑っている。
どうやら、ジャスミン茶の次はグアテマラを飲ませることになっていたらしい。
お姉が御厨に来ることを沙夜さんに約束したのが寮の近くにあった美味いグアテマラを淹れてくれるパン屋だったらしく、その話題で盛り上がっていたところに帰って来たようだ。
和気藹々とやっている中、知らず知らずに美波に目をやっていた。
喫煙所で貞任様に美波のことを訊かれたからである。そこはかとなく訊いてはいたが随分と気になっているようだった。もしかして、美波のことが…… と、私も気になった。ありえないことではあるが、義理の姉さん? と、動揺した。
……いやいや、絶対にない。あるはずがないッ! 首を振った。
コーヒーが運ばれて来ると貞任様おすすめのグアテマラ、デザートに出された沙夜さんお気に入りのラム入りモンブランを堪能した。
グアテマラは思いの外飲みやすく酸味が少ないのが気に入った。ラム入りモンブランは我々庶民ではそうそう味わえないものだと、そう思った。その、鼻から抜ける芳醇な香りは遠い異国の地へと私を誘った。
――白く輝く宮殿を背に数え切れないほどの白い薔薇が咲き誇り、その中で「こっちだよ、直君!」と、手を振る姿がみえてくる――
「どうだ、純菜。時間はまだあるが話を続けるか」
頃合いとみた貞任様が、現実に引き戻す。
「できることなら、私たちが業務に当たる場所を見せて頂きたいです。また、そちらに行けばそれなりにお聞きしたいことが出るかとは思いますが」
「了解した。では、御蔵へ参ろう」
楽しそうだなぁ、貞任様――
御蔵というところは白砂ノ御所の敷地内にあり、庭を挟んだ向こう側にある侍所といわれる建物に向かった。
沙夜さんに代わって貞任様がお姉に説明しながら歩き、その後ろを沙夜さんと私が並んで歩く。――そうなりかけた。が、美波が「先輩、釣殿の下の池には魚がいるんですか!」と、なんともくだらないことで引き止める。
「はぁ――」また、お前か…… ため息を零して、貞任様とお姉の後に独り続いた。
「御社を除けば御厨の主要な施設は殆どこの屋敷の中にある。研究、開発施設は地下にありかなり広くて屋敷の五倍程度はあるが、御蔵はそれほど大きくもなければそれを調べる施設も然程ではない。皆が乗って来た車、輸送機の試作開発。少量ながらも生産があるので地下施設の大半はそれらが占めている。純菜には何度か来てもらっているが、護神兵に関する施設だけで狭い範囲しか見てもらってない」
「それでも充分に広い施設だと感じました。ただ、御厨に入るのがいつも日が沈んでからで、外に出てもしょうがないとニノ指示所ばかりにいました」
「そうか、申し訳のないことをしたね。ここにはいいところが一杯ある。これから時間をかけてゆっくり見てくれ」
「はい、そうさせて頂きます。――貞任様。ずっと気になっていたのですが、先程の子どもたちはどこから来たのですか?」
「この屋敷の南側で、一キロ程離れたところに谷内 という町がある。そこに将門等家人の家々があって、そこから遊びにやって来る。学校や病院、モールもあってなかなかいい町だ。本当はそこを御厨の駅にしたかったらしいのだが、如何せん御所に近すぎてなぁ。ただ、谷内にも駅があって、蒸気機関車もどきで神楽ノ宮と結ばれている。今日は別だが、普段は侍所と東ノ対以外は全て開放しているから、この庭も寝殿もピクニックやら何やらで結構賑わってる」
「そうなのですか。……谷内、是非行ってみたいです!」
「そのうち暇を見て沙夜と行ってみればいい。ゆったりしていい町だ。関東に出ている者たちは二、三ヶ月に一度は帰りたくなるらしい。小さい子を持った者はいつも見かけるから、指示通りに向こうへ行って仕事をしているのかと疑ったものだよ。まぁ、若い連中は年に一度帰ればいいほうなんだが」
「そうですか、そんなに良いところですか」そう口にしてお姉は谷内の町へと顔を向けた。
叔母さんや、母さんが育った町か――
「さあ、着いた。ここが御蔵がある侍所だ。ここからは主の道真に案内をさせよう」
庭から見る侍所はそれほど大きくは見えなかったが、反対側、東の築地までは百メートル程あり、その間は深く掘り下げられ、地下格納庫からの出入りに利用する空間のように思えた。
「それでは純菜さん、先ずは御蔵をお見せいたしましょう」
貞任様と沙夜さんは道を開けて、道真様と私たちを先行させた。
侍所の東側にある階段で三十メートル程掘り下げられた場所に下りると地下広場のような空間になっていた。奥行きもかなりあり寝殿奥の北ノ対の下まで続いている。裏庭が吹き抜けになっていて思いの外明るい。
「ここは陽馬を留め置く馬寄になっており、二十五騎が控えることができます。で、あの奥に見えるのが御蔵です」
道真様が指差す方へ目を凝らすと、裏庭の吹き抜けから光が差し込む向こう側、薄暗い空間に上下を地下広場の天井と床に挟まれた巨大な亀のような物が見えた。
皆んなが一様に不安な表情に変わると、道真様は「大丈夫です。大きな亀の造形物だと思ってください」と笑った。
「その、道真様の言いようだと……」
「え? お姉、あれも生きてるって言いたいのか!」
「いやいや、そこまでではありません」
その、道真様の意味深な返しに横へ顔を向けた。
「……え? 私? 分かんない、分かんないって」美波は首を振った。
「なんだ、分かんないのかよ」
「あのねぇ、直君。私、超能力者じゃないんだかんね」
「はいはい。大丈夫そうだから行ってみよう」
呆れ顔に言ってお姉が歩き出す。
近くまで行くと「でかいなぁ」と、御蔵の顔を見上げた。小さい頃、動画で観た亀の巨大怪獣を思い出した。さすがに牙は付いていないもののそうそう近づけないほどにリアルな造りをしている。
「この中に入って、ものの具を履きます」
「この中で――」
「はい、この中に二十五体のものの具とそれを履くための二つの室むろ、二十五頭の陽馬を収める厩、外に出たものの具に指示を出すところがあります」
「この亀の置物、いや、建物は地下格納庫への出入口ということですか?」
「いいえ、この中に全てがあります」
「確かに、大きな器ではありますが……」お姉は訝しげな顔で建物全体を見回した。
「中の、それほど広くはないところに二十五体のものの具と二十五頭の陽馬を収めることができます。御蔵より出た形態では五対程しか収まらないような空間にではありますが」
「形態を変えて収められている。そういうこと、ですか」
「これも、ものの具と同じで内部を確かめる手段がないのです。――蔵や室の向こうでは全てが溶けて混ざり合っているのかもしれません」
「調査班。今更ですが妙な呼称だと感じていました。ですが、確かに調査ですね。それも難題もいいところ、といった感じでしょうか」
「はい。情けないのですが解らんことが山積みです」そう言って道真様は笑った。
そして、続けた。
「では、参りましょう」と――
「……え? 私たちも入れる、というか、入るんですか!」
「はい、この中が皆さんの職場です」
僅かな沈黙の後「えーッ」と、皆んなで声を上げた。
焦り顔に振り返った。
笑って頷く貞任様と沙夜さんに「行きましょう先輩、胃袋の中に」と美波は覚悟を決め、お姉は「食道の辺りでいい気がするけど」と、なんとも心許なく返した。
道真様が顔の前に立つと、大きな亀は人が入れるほどに小さく口を開いた。皆して美波に顔を向けた。が、美波はじっと口の中を見ている。微動だにしない。
「反応を示さないってことは、ただのフェイクってことか?」
「ううん、――怖いだけ」
また、沈黙が流れた。が、その中に「ククク」と笑いが漏れる。
「大丈夫です。私たちがついています。さあ、行きましょう!」
「なんだ、またこれか――」
「貞任様はジャスミン茶お嫌いですか?」
「いや、そうではないよ純菜。嫌いではないが、一服してたらコーヒーが飲みたくなってなぁ。直行に美味いガテマラ飲ましてやると一本だけで帰って来たんだ」
「クスッ」と肩を竦めた沙夜さんは、嬉しそうに「はいはい、もう用意させてあります」と席を立った。女たちも同じように肩を竦めて顔を見合わせて笑っている。
どうやら、ジャスミン茶の次はグアテマラを飲ませることになっていたらしい。
お姉が御厨に来ることを沙夜さんに約束したのが寮の近くにあった美味いグアテマラを淹れてくれるパン屋だったらしく、その話題で盛り上がっていたところに帰って来たようだ。
和気藹々とやっている中、知らず知らずに美波に目をやっていた。
喫煙所で貞任様に美波のことを訊かれたからである。そこはかとなく訊いてはいたが随分と気になっているようだった。もしかして、美波のことが…… と、私も気になった。ありえないことではあるが、義理の姉さん? と、動揺した。
……いやいや、絶対にない。あるはずがないッ! 首を振った。
コーヒーが運ばれて来ると貞任様おすすめのグアテマラ、デザートに出された沙夜さんお気に入りのラム入りモンブランを堪能した。
グアテマラは思いの外飲みやすく酸味が少ないのが気に入った。ラム入りモンブランは我々庶民ではそうそう味わえないものだと、そう思った。その、鼻から抜ける芳醇な香りは遠い異国の地へと私を誘った。
――白く輝く宮殿を背に数え切れないほどの白い薔薇が咲き誇り、その中で「こっちだよ、直君!」と、手を振る姿がみえてくる――
「どうだ、純菜。時間はまだあるが話を続けるか」
頃合いとみた貞任様が、現実に引き戻す。
「できることなら、私たちが業務に当たる場所を見せて頂きたいです。また、そちらに行けばそれなりにお聞きしたいことが出るかとは思いますが」
「了解した。では、御蔵へ参ろう」
楽しそうだなぁ、貞任様――
御蔵というところは白砂ノ御所の敷地内にあり、庭を挟んだ向こう側にある侍所といわれる建物に向かった。
沙夜さんに代わって貞任様がお姉に説明しながら歩き、その後ろを沙夜さんと私が並んで歩く。――そうなりかけた。が、美波が「先輩、釣殿の下の池には魚がいるんですか!」と、なんともくだらないことで引き止める。
「はぁ――」また、お前か…… ため息を零して、貞任様とお姉の後に独り続いた。
「御社を除けば御厨の主要な施設は殆どこの屋敷の中にある。研究、開発施設は地下にありかなり広くて屋敷の五倍程度はあるが、御蔵はそれほど大きくもなければそれを調べる施設も然程ではない。皆が乗って来た車、輸送機の試作開発。少量ながらも生産があるので地下施設の大半はそれらが占めている。純菜には何度か来てもらっているが、護神兵に関する施設だけで狭い範囲しか見てもらってない」
「それでも充分に広い施設だと感じました。ただ、御厨に入るのがいつも日が沈んでからで、外に出てもしょうがないとニノ指示所ばかりにいました」
「そうか、申し訳のないことをしたね。ここにはいいところが一杯ある。これから時間をかけてゆっくり見てくれ」
「はい、そうさせて頂きます。――貞任様。ずっと気になっていたのですが、先程の子どもたちはどこから来たのですか?」
「この屋敷の南側で、一キロ程離れたところに
「そうなのですか。……谷内、是非行ってみたいです!」
「そのうち暇を見て沙夜と行ってみればいい。ゆったりしていい町だ。関東に出ている者たちは二、三ヶ月に一度は帰りたくなるらしい。小さい子を持った者はいつも見かけるから、指示通りに向こうへ行って仕事をしているのかと疑ったものだよ。まぁ、若い連中は年に一度帰ればいいほうなんだが」
「そうですか、そんなに良いところですか」そう口にしてお姉は谷内の町へと顔を向けた。
叔母さんや、母さんが育った町か――
「さあ、着いた。ここが御蔵がある侍所だ。ここからは主の道真に案内をさせよう」
庭から見る侍所はそれほど大きくは見えなかったが、反対側、東の築地までは百メートル程あり、その間は深く掘り下げられ、地下格納庫からの出入りに利用する空間のように思えた。
「それでは純菜さん、先ずは御蔵をお見せいたしましょう」
貞任様と沙夜さんは道を開けて、道真様と私たちを先行させた。
侍所の東側にある階段で三十メートル程掘り下げられた場所に下りると地下広場のような空間になっていた。奥行きもかなりあり寝殿奥の北ノ対の下まで続いている。裏庭が吹き抜けになっていて思いの外明るい。
「ここは陽馬を留め置く馬寄になっており、二十五騎が控えることができます。で、あの奥に見えるのが御蔵です」
道真様が指差す方へ目を凝らすと、裏庭の吹き抜けから光が差し込む向こう側、薄暗い空間に上下を地下広場の天井と床に挟まれた巨大な亀のような物が見えた。
皆んなが一様に不安な表情に変わると、道真様は「大丈夫です。大きな亀の造形物だと思ってください」と笑った。
「その、道真様の言いようだと……」
「え? お姉、あれも生きてるって言いたいのか!」
「いやいや、そこまでではありません」
その、道真様の意味深な返しに横へ顔を向けた。
「……え? 私? 分かんない、分かんないって」美波は首を振った。
「なんだ、分かんないのかよ」
「あのねぇ、直君。私、超能力者じゃないんだかんね」
「はいはい。大丈夫そうだから行ってみよう」
呆れ顔に言ってお姉が歩き出す。
近くまで行くと「でかいなぁ」と、御蔵の顔を見上げた。小さい頃、動画で観た亀の巨大怪獣を思い出した。さすがに牙は付いていないもののそうそう近づけないほどにリアルな造りをしている。
「この中に入って、ものの具を履きます」
「この中で――」
「はい、この中に二十五体のものの具とそれを履くための二つの室むろ、二十五頭の陽馬を収める厩、外に出たものの具に指示を出すところがあります」
「この亀の置物、いや、建物は地下格納庫への出入口ということですか?」
「いいえ、この中に全てがあります」
「確かに、大きな器ではありますが……」お姉は訝しげな顔で建物全体を見回した。
「中の、それほど広くはないところに二十五体のものの具と二十五頭の陽馬を収めることができます。御蔵より出た形態では五対程しか収まらないような空間にではありますが」
「形態を変えて収められている。そういうこと、ですか」
「これも、ものの具と同じで内部を確かめる手段がないのです。――蔵や室の向こうでは全てが溶けて混ざり合っているのかもしれません」
「調査班。今更ですが妙な呼称だと感じていました。ですが、確かに調査ですね。それも難題もいいところ、といった感じでしょうか」
「はい。情けないのですが解らんことが山積みです」そう言って道真様は笑った。
そして、続けた。
「では、参りましょう」と――
「……え? 私たちも入れる、というか、入るんですか!」
「はい、この中が皆さんの職場です」
僅かな沈黙の後「えーッ」と、皆んなで声を上げた。
焦り顔に振り返った。
笑って頷く貞任様と沙夜さんに「行きましょう先輩、胃袋の中に」と美波は覚悟を決め、お姉は「食道の辺りでいい気がするけど」と、なんとも心許なく返した。
道真様が顔の前に立つと、大きな亀は人が入れるほどに小さく口を開いた。皆して美波に顔を向けた。が、美波はじっと口の中を見ている。微動だにしない。
「反応を示さないってことは、ただのフェイクってことか?」
「ううん、――怖いだけ」
また、沈黙が流れた。が、その中に「ククク」と笑いが漏れる。
「大丈夫です。私たちがついています。さあ、行きましょう!」