七十七 谷内の町
文字数 3,009文字
改築が終わった納屋は誰もが羨むほど洒落たガレージに変わっていた。
直君のバイクの脇には小さなトラクターが置かれ、それは沙夜先輩が小さい頃にお母様にせがんで造ってもらった初代ポニー号で、自分の趣味に私を引き入れるために沙夜先輩から送られた物である。
「そんな思い入れのある大切な物を受け取れません。それに、トラクターはちょっと――」
そう言って断ったが「きっ子はこれが大好きなんだけど、まだ運転できないのよね」という、そんな呟きにも似た言葉に目の色を変えてしまった。それからは、純菜先輩と二人で足繁く納屋に通ってはバイクとトラクターを眺めたり磨いたりしている。
ポニー号を磨いていると「私もバイクとトラクターの免許をとろうかなぁ」と、先輩が何気に口にした。
戸惑いを覚えた。
「いやいや、それは」と僅かに引いていた。いや、かなり引いた。
が、ふと頭をよぎるものが――
「先輩、もしかして―― 御厨は免許って要らないんじゃ。だって沙夜先輩がこれをもらったの、確か五年生の時だって」
「それって、沙夜だけ特別だったんじゃないの」
そう言いながらも二人はあたふたと、可笑しなほどにあたふたと秋葉ちゃんのところに急いだ。
昼食の用意をしていたアキちゃんは、手を止めて「はい、御厨では免許は要らないですよ。お巡りさんは警護班の人たちが順番にやってますから」と、当たり前のように返してくる。
「アキちゃんッ、今日のお昼は外で食べよう。あたしが奢るから。で、御厨にバイク屋さんてあるよね」
先輩を差し置いて私は興奮していた。
「はい、谷内モールに」
「谷内モール…… あの駐車場が十台ぐらいしか無くて、小さなスーパーとクリーニング
屋さんと、お蕎麦屋さんだけなのにモールって大きな看板があるとこ?」
「はい」
モチベーションを下げた。
そう、当たり前である。こんな田舎町にアレがあるはずがない。
完全に冷静さを失っていた。
散歩がてら谷内モールに向かった。
「越して来て谷内の町を歩くのは初めてですね」と、アキちゃんはとても楽しそうだ。
先輩も「家でのんびりするのもいいけど、外に出てものんびりは変わらないからいいね」と、町を取り囲む山々へ目を向けている。
が、やはり私のモチベーションは上がらない。
近くの河原に沿って桜並木の道を歩き、鳥たちの囀る声を聞きながら十五分程で町に入った。町並みは殆どが平屋でゆったりとしたつくりをしていた。道幅も広く、少し背の高い駅や学校、病院、役場、全ての位置関係が見渡せる。
「ここが、駅前の屋根付き商店街か―― 思いの外、活気があっていい感じだね」
私がそう言うと、アキちゃんは昔を懐かしむ顔になった。
「学校が終わると小さい子は駄菓子屋さん。中学生はお腹を空かせて総菜屋さん。高校生はお小遣いが多いので食堂や茶店へと皆して繰り出すんです。商店街のお婆ちゃんやお爺ちゃんは大活躍です」
「でもさぁ、高校生にもなったら、さすがにここでは満足できないんじゃない? かといって、外に出る手段はそうそうないだろうし」
「ここでは高校の二年生になると雫石での実習が始まります。それを手始めにして外に繋がっていき、関連の企業で働く者や研究所で大学課程を得る者に分かれていきます。だから、みんな二年の雫石実習が待ち遠しくて、待ち遠しくてしょうがないんです」
「そうか、それならみんな我慢できるか」
「いえいえ、問題は中学の二年から高一の男子です。年に四、五回は脱走を企てる者が出ます。まぁ、みんな御厨を出てすぐに確保されてしまうんですけどね。で、脱出するほうも阻止するほうも年中行事のようになっていて、今年はどこまで行ったとか、新しいルートを探し当てたとか、警護班の威信にかけても! とかやってます」
「なんか楽しそうだね。しかし、あの年頃の男子って、なんでああお馬鹿なんだろうね。まぁ、好奇心旺盛な年頃なんだろうからしょうがないか」
「それが、女子には分からないんですけど――」
アキちゃんは、周りを気にしながら口籠った。
「え? どうしたの」訝しげに訊いた。
「どうも、脱走をそそのかしている人がいるようで――」
「なんか、らしくないよ」と、やはり訝しげな顔を向けた。
彼女はほんのり顔を赤らめ、ウジウジと始める。
「そんな年頃の男の子たちに『盛岡に行けば、読み終わったHな本がいろんなところに捨ててあるぞ!』みたいなことが毎年どこからともなく漏れ伝わってくるらしくて―― さすがにここではそんな本は手に入らないし、この狭い谷内で見ていたことがばれた日にはそれはもう大変です。親は恥ずかしくて家を出れないです。そんな状況下にあって悶々としてる子たちにその囁きは、なんていうか――」
「……ホント、男子って馬鹿だよね」
「それが、女子の中にもませた子がいて『応援するから、成功したらちょっとだけ見せてね!』って火をつけるんで、それを聞いた男子たちは目の色を変えて計画を練ったりするんです」
「それって、ナッちゃんだよね」との私に、アキちゃんは「はい」と素直に頷く。
「しかし、まとまりがあるように見えても、ここ御厨にもレジスタンスみたいなのがやっぱいるんだね。きっと、ろくなオヤジじゃないよ」
「おそらく、貞任様じゃないかと」
「……」
返す言葉がなかった。が、気を取り直して問いかけた。
「で、最高記録は? どこまで逃亡できたの」
「二十年程前の一組の例外を除いて、監視区域から一キロも行かずに捕まります。五キロを超えれば殿堂入りです」
「その一組って、もしかして……」不審げに問いかけた。
「はい、貞任様と山吹様のお兄さん、義平様です。盛岡の郊外に入ったところで確保されたんですけど、三日間に及ぶ逃走劇だったんですよ」
「なんか、あの人『諸悪の根源』って感じに見えてきた」
「でも、凄かったらしいですよ。三日間のサバイバルでは全て山の中で食料を調達し、熊と四回も戦ったらしいです。熊たたきを持っているといっても中学生ですから」
「熊たたき?」キョトンと見返した。
「金属バットです」
「……」
傍らで笑いを堪らえるようにしていた先輩が呆れ顔に「はいはい」と割って入った。話を元に戻すかのように問いかけた。
「で、アキちゃん。谷内の人口ってどれくらいなの?」
「神楽ノ宮とか御厨全体で五千人程で、その内の半分ぐらいが谷内駅周辺にいます。それ以外で七百人程が雫石や本社など御厨の外に出ているといわれています」
「遠野に感じが似てるけど―― やっぱ、ちっちゃいか」
「ええ、遠野の五分の一ぐらいでしょうか。でも、駅前はこちらの方が活気があります」
そんな話をしながら町の中を十五分程歩き、町並みがまばらになってくると谷内モールの看板が見えた。
近くに行って数えるとモールの駐車場は二十台程の広さがあり、スーパー自体は豪華なドラッグストアー風で、すぐ隣にクリーニング店、その隣が古風な佇まいのお蕎麦屋さんになっている。そして、お蕎麦屋さんの脇に『郊外型ショッピングモール谷内』との看板が堂々と立っていた。
「郊外型って、駅から歩いて二十分だよ。それにちっちゃな店が三軒しかないし……」
これじゃ、原付きぐらいしか置いて無いか――
モチベーションが上がる気配がない私の横「でも、品揃えが凄いんですよ」と、アキちゃんは自慢げな顔をしている。
この娘、本社にいた時にモールとか行ってないんだろうか……
直君のバイクの脇には小さなトラクターが置かれ、それは沙夜先輩が小さい頃にお母様にせがんで造ってもらった初代ポニー号で、自分の趣味に私を引き入れるために沙夜先輩から送られた物である。
「そんな思い入れのある大切な物を受け取れません。それに、トラクターはちょっと――」
そう言って断ったが「きっ子はこれが大好きなんだけど、まだ運転できないのよね」という、そんな呟きにも似た言葉に目の色を変えてしまった。それからは、純菜先輩と二人で足繁く納屋に通ってはバイクとトラクターを眺めたり磨いたりしている。
ポニー号を磨いていると「私もバイクとトラクターの免許をとろうかなぁ」と、先輩が何気に口にした。
戸惑いを覚えた。
「いやいや、それは」と僅かに引いていた。いや、かなり引いた。
が、ふと頭をよぎるものが――
「先輩、もしかして―― 御厨は免許って要らないんじゃ。だって沙夜先輩がこれをもらったの、確か五年生の時だって」
「それって、沙夜だけ特別だったんじゃないの」
そう言いながらも二人はあたふたと、可笑しなほどにあたふたと秋葉ちゃんのところに急いだ。
昼食の用意をしていたアキちゃんは、手を止めて「はい、御厨では免許は要らないですよ。お巡りさんは警護班の人たちが順番にやってますから」と、当たり前のように返してくる。
「アキちゃんッ、今日のお昼は外で食べよう。あたしが奢るから。で、御厨にバイク屋さんてあるよね」
先輩を差し置いて私は興奮していた。
「はい、谷内モールに」
「谷内モール…… あの駐車場が十台ぐらいしか無くて、小さなスーパーとクリーニング
屋さんと、お蕎麦屋さんだけなのにモールって大きな看板があるとこ?」
「はい」
モチベーションを下げた。
そう、当たり前である。こんな田舎町にアレがあるはずがない。
完全に冷静さを失っていた。
散歩がてら谷内モールに向かった。
「越して来て谷内の町を歩くのは初めてですね」と、アキちゃんはとても楽しそうだ。
先輩も「家でのんびりするのもいいけど、外に出てものんびりは変わらないからいいね」と、町を取り囲む山々へ目を向けている。
が、やはり私のモチベーションは上がらない。
近くの河原に沿って桜並木の道を歩き、鳥たちの囀る声を聞きながら十五分程で町に入った。町並みは殆どが平屋でゆったりとしたつくりをしていた。道幅も広く、少し背の高い駅や学校、病院、役場、全ての位置関係が見渡せる。
「ここが、駅前の屋根付き商店街か―― 思いの外、活気があっていい感じだね」
私がそう言うと、アキちゃんは昔を懐かしむ顔になった。
「学校が終わると小さい子は駄菓子屋さん。中学生はお腹を空かせて総菜屋さん。高校生はお小遣いが多いので食堂や茶店へと皆して繰り出すんです。商店街のお婆ちゃんやお爺ちゃんは大活躍です」
「でもさぁ、高校生にもなったら、さすがにここでは満足できないんじゃない? かといって、外に出る手段はそうそうないだろうし」
「ここでは高校の二年生になると雫石での実習が始まります。それを手始めにして外に繋がっていき、関連の企業で働く者や研究所で大学課程を得る者に分かれていきます。だから、みんな二年の雫石実習が待ち遠しくて、待ち遠しくてしょうがないんです」
「そうか、それならみんな我慢できるか」
「いえいえ、問題は中学の二年から高一の男子です。年に四、五回は脱走を企てる者が出ます。まぁ、みんな御厨を出てすぐに確保されてしまうんですけどね。で、脱出するほうも阻止するほうも年中行事のようになっていて、今年はどこまで行ったとか、新しいルートを探し当てたとか、警護班の威信にかけても! とかやってます」
「なんか楽しそうだね。しかし、あの年頃の男子って、なんでああお馬鹿なんだろうね。まぁ、好奇心旺盛な年頃なんだろうからしょうがないか」
「それが、女子には分からないんですけど――」
アキちゃんは、周りを気にしながら口籠った。
「え? どうしたの」訝しげに訊いた。
「どうも、脱走をそそのかしている人がいるようで――」
「なんか、らしくないよ」と、やはり訝しげな顔を向けた。
彼女はほんのり顔を赤らめ、ウジウジと始める。
「そんな年頃の男の子たちに『盛岡に行けば、読み終わったHな本がいろんなところに捨ててあるぞ!』みたいなことが毎年どこからともなく漏れ伝わってくるらしくて―― さすがにここではそんな本は手に入らないし、この狭い谷内で見ていたことがばれた日にはそれはもう大変です。親は恥ずかしくて家を出れないです。そんな状況下にあって悶々としてる子たちにその囁きは、なんていうか――」
「……ホント、男子って馬鹿だよね」
「それが、女子の中にもませた子がいて『応援するから、成功したらちょっとだけ見せてね!』って火をつけるんで、それを聞いた男子たちは目の色を変えて計画を練ったりするんです」
「それって、ナッちゃんだよね」との私に、アキちゃんは「はい」と素直に頷く。
「しかし、まとまりがあるように見えても、ここ御厨にもレジスタンスみたいなのがやっぱいるんだね。きっと、ろくなオヤジじゃないよ」
「おそらく、貞任様じゃないかと」
「……」
返す言葉がなかった。が、気を取り直して問いかけた。
「で、最高記録は? どこまで逃亡できたの」
「二十年程前の一組の例外を除いて、監視区域から一キロも行かずに捕まります。五キロを超えれば殿堂入りです」
「その一組って、もしかして……」不審げに問いかけた。
「はい、貞任様と山吹様のお兄さん、義平様です。盛岡の郊外に入ったところで確保されたんですけど、三日間に及ぶ逃走劇だったんですよ」
「なんか、あの人『諸悪の根源』って感じに見えてきた」
「でも、凄かったらしいですよ。三日間のサバイバルでは全て山の中で食料を調達し、熊と四回も戦ったらしいです。熊たたきを持っているといっても中学生ですから」
「熊たたき?」キョトンと見返した。
「金属バットです」
「……」
傍らで笑いを堪らえるようにしていた先輩が呆れ顔に「はいはい」と割って入った。話を元に戻すかのように問いかけた。
「で、アキちゃん。谷内の人口ってどれくらいなの?」
「神楽ノ宮とか御厨全体で五千人程で、その内の半分ぐらいが谷内駅周辺にいます。それ以外で七百人程が雫石や本社など御厨の外に出ているといわれています」
「遠野に感じが似てるけど―― やっぱ、ちっちゃいか」
「ええ、遠野の五分の一ぐらいでしょうか。でも、駅前はこちらの方が活気があります」
そんな話をしながら町の中を十五分程歩き、町並みがまばらになってくると谷内モールの看板が見えた。
近くに行って数えるとモールの駐車場は二十台程の広さがあり、スーパー自体は豪華なドラッグストアー風で、すぐ隣にクリーニング店、その隣が古風な佇まいのお蕎麦屋さんになっている。そして、お蕎麦屋さんの脇に『郊外型ショッピングモール谷内』との看板が堂々と立っていた。
「郊外型って、駅から歩いて二十分だよ。それにちっちゃな店が三軒しかないし……」
これじゃ、原付きぐらいしか置いて無いか――
モチベーションが上がる気配がない私の横「でも、品揃えが凄いんですよ」と、アキちゃんは自慢げな顔をしている。
この娘、本社にいた時にモールとか行ってないんだろうか……