九十二 御厨に棲まうもの
文字数 2,798文字
沙夜先輩以下十九騎が帰陣すると新たに履き終わった四騎を各方面への見張りにつけ、貞任様を含む二十騎は次の戦いに備えて眠りに就いた。
ニノ指示所でも私と塔子さん、入れ代わった二名のスタッフを残して道真様も屋敷に戻った。
「もう、五時か―― あっという間に一日が終わっちゃいましたね」
「本当、あっという間ですね」
相槌を打った塔子さんは面持ちを変えて不安気に続けた。
「さっき言っていた御厨が向こうにもあるという話し。もし御蔵が他にも沢山あったら大変なことになりますね。鬼神のような貞任様や沙夜様がいるといっても、数百の敵が来たら大変なことに」
「向こうもそんなに数を揃えることはできないと思います。だから妖かしが術を使い繰り返し、繰り返しものの具を使えるようにしているんだと―― おそらく今回は親になる妖かしが習熟をしていたのではないかと思います」
「練習ですか。山神様が妖かしを一体倒してくださったのは大きいですね」
「はい。この前、今回と直君はだんだんと凄くなっています」
話を変えた。
「塔子さん。貞任様と先輩がものの具を履き続けたらどうなりますか」
「前に厨川家以外のものの具で履き続け、三ヶ月程で命を落とした者がいると父から聞いています。でも、あのお二方ならそうはならないだろうと父が言っていました。ただ、命は落とさずとも現実世界へはお戻りにならない可能性もあるのではないかと」
「前に、貞任様が『履いているとものの具に喰われてもいいとさえ思う』と言っていました。平常状態で同期率が低ければ命を落とし、臨戦状態で同期率が高い状態なら取り込まれてしまう。そんな気がします」
「ものの具に、喰われる……」
「もしくは御神体が覚醒した時点で、もう現実世界には戻れないのかとも――」
「美波さんを前に私が言うのもおかしいのですが、……御厨はどうなってしまうのでしょう」
何も返さずにサブモニタに映る先輩へ、白砂の上で眠る沙夜先輩へと目を向けた。
御神体の覚醒。履くのは誰なんだろう―― 帰ってきた先輩が慌てるようにして光浩様のところに行ったのは……
いつも光浩様と麟ちゃんを見てきた。
御蔵に触れた二ヶ月前からほぼ毎日欠かさずに監視モニタに記録された二人を見ている。御蔵は御厨で最も大切なものを見守るかのように二人を見てその記録を私が見る。
望まなくとも御蔵に触れるということは光浩様と麟ちゃんを見つめ続けることになった。
二人は御社、白砂ノ御所、一本桜のある丘、御社という日課をこなしている。御厨がどんな状況にあろうといつも二人で楽しそうに笑いながら歩いている。御蔵と同じように山神様も見守り、ことが起きれば沙夜先輩が、貞任様が、御厨の全てが二人を守る。
護神兵の秘密を解き明かす。それ自体も難解だけど、そんなことじゃない……
御蔵に造り出されるものの具、それ等が守る御神体。そして、山神様と海神様、鬼神のような沙夜先輩に貞任様。
ホント、神々の宴を見ているよう――
そうだ、貞任様だ。
「少し一服しませんか」
塔子さんを休憩に誘った。
休憩所に着くと、紙コップにお茶を注ぐ私に「山吹ですか?」と塔子さんが問いかけてくる。
なぜ私が塔子さんを指示所から連れ出したのかを察していた。
「はい、さすが塔子さんですね。――私は理解していませんでした。沙夜先輩と貞任様のことを。御厨で云う巫女とは神に仕える者ではなくて、神そのものだということを。御厨の人たちが、世界経済を牛耳ることさえできる人たちがなんの躊躇もなく今までの暮らしを捨ててここの質素な暮らしに入ったかを―― だからハルちゃんは戸惑うことなく、いいえ、当たり前のように命をかけて直君を守ったんですね」
塔子さんは渡されたお茶へ視線を落とし、僅かに笑みを浮かべた。
「義家様もかなり戸惑ったみたいです。山吹は義家様の大変仲の良かったご兄弟の忘れ形見です。赤子の時に引き取られ実子の義平様より可愛がられて育ちました。女の子が欲しかった義家様に溺愛されてきました。山吹は私より少し歳が下なんですが、小さい頃から仲が良くていつも山吹の家に行って遊んでいました。山吹がどれほど家族に大切に育てられたかを見てきています。その山吹を沙夜様から『貞任様に輿入れをさせたい』と言われた時はさすがの義家様も戸惑ったと思います。目に入れても痛くないほどの我が子であれ本妻とはあまりにも恐れ多いと。厨川家の御曹司に側でお世話する者として御社に入れただけで『弟から女の子を引き取り、上手くやった』と口さがない者たちに言われるでしょうし、山吹自身も御厨の女たちの目を気にしますしね。それが輿入れですから―― 随分とご辞退の旨を申し上げたようです。貞任様は代々続く厨川家の初めての男子で小さな頃から義平様とハチャメチャをしていましたが、まさか御厨の者から嫁を取るとはと皆んな驚いています」
「……そうか、側に仕える者という選択もあったんだ」
「小さい時から山吹は貞任様を義平様より本当のお兄様のように慕い、貞任様も山吹を大切にしてきました。御厨の女たちは山吹と仲良くなって貞任様のお近くへ行くのに夢中だったんですよ」
「塔子さんは常に一等席ですね」
「はい、それはもう唯一の自慢でした。ですが、それだけでも随分と陰口を――」
「それほど貞任様に大切にされた山吹さんが先輩のお母様に連れられて七年も離ればなれに」
「同世代の女たちの目の色は変わりましたよ。気まぐれにでも褥に呼ばれたらと、貞任様を見る目が異常でした」
「褥に、って――」
「しょうがありません。それが女です。ただ、あれだけハチャメチャな貞任様がなぜか山吹一筋なんですよ」
「そうなんですか」
「はい、山吹だけしか見ていません。ハチャメチャで異常なほどお強いのですがお心根はとてもお優しい方で、山吹しか見ない貞任様ご自身への不満も山吹への嫉妬も全て許させてしまうんです」
「なんか、色々と神レベルですね」
「はい」
「私は普通の結婚で、山吹さんは貞任様の子をもうけるんだと思っていました。でも、まるで神の領域にあるような貞任様を見て、お二人の結婚に違和感を持ってしまいました」
「山吹も覚悟の上です。――御厨の者の命は、巫女様のためにあるのですから」
そう言って塔子さんは笑みを向けた。
御厨の者の命は、巫女のためにあるか――
それって、この二ヶ月の四苦八苦が跡形もなく消えてしまうほど的を射すぎた答えですよ、塔子さん。
次の襲撃までは時間的な余裕がありそうだとのことで「少しでも休めるときに、休め」と道真様から指示が入り、二名のスタッフを残して私たちは塔子さんの部屋に入った。
塔子さんを仮眠用ベットに寝かせ、私はソファーに横たわった。
今度の夢はきっ子ちゃんがいいなぁ――
目を閉じれば、また夢をみるだろうと思った。
そして、その想いどおりに夢の中へと――
ニノ指示所でも私と塔子さん、入れ代わった二名のスタッフを残して道真様も屋敷に戻った。
「もう、五時か―― あっという間に一日が終わっちゃいましたね」
「本当、あっという間ですね」
相槌を打った塔子さんは面持ちを変えて不安気に続けた。
「さっき言っていた御厨が向こうにもあるという話し。もし御蔵が他にも沢山あったら大変なことになりますね。鬼神のような貞任様や沙夜様がいるといっても、数百の敵が来たら大変なことに」
「向こうもそんなに数を揃えることはできないと思います。だから妖かしが術を使い繰り返し、繰り返しものの具を使えるようにしているんだと―― おそらく今回は親になる妖かしが習熟をしていたのではないかと思います」
「練習ですか。山神様が妖かしを一体倒してくださったのは大きいですね」
「はい。この前、今回と直君はだんだんと凄くなっています」
話を変えた。
「塔子さん。貞任様と先輩がものの具を履き続けたらどうなりますか」
「前に厨川家以外のものの具で履き続け、三ヶ月程で命を落とした者がいると父から聞いています。でも、あのお二方ならそうはならないだろうと父が言っていました。ただ、命は落とさずとも現実世界へはお戻りにならない可能性もあるのではないかと」
「前に、貞任様が『履いているとものの具に喰われてもいいとさえ思う』と言っていました。平常状態で同期率が低ければ命を落とし、臨戦状態で同期率が高い状態なら取り込まれてしまう。そんな気がします」
「ものの具に、喰われる……」
「もしくは御神体が覚醒した時点で、もう現実世界には戻れないのかとも――」
「美波さんを前に私が言うのもおかしいのですが、……御厨はどうなってしまうのでしょう」
何も返さずにサブモニタに映る先輩へ、白砂の上で眠る沙夜先輩へと目を向けた。
御神体の覚醒。履くのは誰なんだろう―― 帰ってきた先輩が慌てるようにして光浩様のところに行ったのは……
いつも光浩様と麟ちゃんを見てきた。
御蔵に触れた二ヶ月前からほぼ毎日欠かさずに監視モニタに記録された二人を見ている。御蔵は御厨で最も大切なものを見守るかのように二人を見てその記録を私が見る。
望まなくとも御蔵に触れるということは光浩様と麟ちゃんを見つめ続けることになった。
二人は御社、白砂ノ御所、一本桜のある丘、御社という日課をこなしている。御厨がどんな状況にあろうといつも二人で楽しそうに笑いながら歩いている。御蔵と同じように山神様も見守り、ことが起きれば沙夜先輩が、貞任様が、御厨の全てが二人を守る。
護神兵の秘密を解き明かす。それ自体も難解だけど、そんなことじゃない……
御蔵に造り出されるものの具、それ等が守る御神体。そして、山神様と海神様、鬼神のような沙夜先輩に貞任様。
ホント、神々の宴を見ているよう――
そうだ、貞任様だ。
「少し一服しませんか」
塔子さんを休憩に誘った。
休憩所に着くと、紙コップにお茶を注ぐ私に「山吹ですか?」と塔子さんが問いかけてくる。
なぜ私が塔子さんを指示所から連れ出したのかを察していた。
「はい、さすが塔子さんですね。――私は理解していませんでした。沙夜先輩と貞任様のことを。御厨で云う巫女とは神に仕える者ではなくて、神そのものだということを。御厨の人たちが、世界経済を牛耳ることさえできる人たちがなんの躊躇もなく今までの暮らしを捨ててここの質素な暮らしに入ったかを―― だからハルちゃんは戸惑うことなく、いいえ、当たり前のように命をかけて直君を守ったんですね」
塔子さんは渡されたお茶へ視線を落とし、僅かに笑みを浮かべた。
「義家様もかなり戸惑ったみたいです。山吹は義家様の大変仲の良かったご兄弟の忘れ形見です。赤子の時に引き取られ実子の義平様より可愛がられて育ちました。女の子が欲しかった義家様に溺愛されてきました。山吹は私より少し歳が下なんですが、小さい頃から仲が良くていつも山吹の家に行って遊んでいました。山吹がどれほど家族に大切に育てられたかを見てきています。その山吹を沙夜様から『貞任様に輿入れをさせたい』と言われた時はさすがの義家様も戸惑ったと思います。目に入れても痛くないほどの我が子であれ本妻とはあまりにも恐れ多いと。厨川家の御曹司に側でお世話する者として御社に入れただけで『弟から女の子を引き取り、上手くやった』と口さがない者たちに言われるでしょうし、山吹自身も御厨の女たちの目を気にしますしね。それが輿入れですから―― 随分とご辞退の旨を申し上げたようです。貞任様は代々続く厨川家の初めての男子で小さな頃から義平様とハチャメチャをしていましたが、まさか御厨の者から嫁を取るとはと皆んな驚いています」
「……そうか、側に仕える者という選択もあったんだ」
「小さい時から山吹は貞任様を義平様より本当のお兄様のように慕い、貞任様も山吹を大切にしてきました。御厨の女たちは山吹と仲良くなって貞任様のお近くへ行くのに夢中だったんですよ」
「塔子さんは常に一等席ですね」
「はい、それはもう唯一の自慢でした。ですが、それだけでも随分と陰口を――」
「それほど貞任様に大切にされた山吹さんが先輩のお母様に連れられて七年も離ればなれに」
「同世代の女たちの目の色は変わりましたよ。気まぐれにでも褥に呼ばれたらと、貞任様を見る目が異常でした」
「褥に、って――」
「しょうがありません。それが女です。ただ、あれだけハチャメチャな貞任様がなぜか山吹一筋なんですよ」
「そうなんですか」
「はい、山吹だけしか見ていません。ハチャメチャで異常なほどお強いのですがお心根はとてもお優しい方で、山吹しか見ない貞任様ご自身への不満も山吹への嫉妬も全て許させてしまうんです」
「なんか、色々と神レベルですね」
「はい」
「私は普通の結婚で、山吹さんは貞任様の子をもうけるんだと思っていました。でも、まるで神の領域にあるような貞任様を見て、お二人の結婚に違和感を持ってしまいました」
「山吹も覚悟の上です。――御厨の者の命は、巫女様のためにあるのですから」
そう言って塔子さんは笑みを向けた。
御厨の者の命は、巫女のためにあるか――
それって、この二ヶ月の四苦八苦が跡形もなく消えてしまうほど的を射すぎた答えですよ、塔子さん。
次の襲撃までは時間的な余裕がありそうだとのことで「少しでも休めるときに、休め」と道真様から指示が入り、二名のスタッフを残して私たちは塔子さんの部屋に入った。
塔子さんを仮眠用ベットに寝かせ、私はソファーに横たわった。
今度の夢はきっ子ちゃんがいいなぁ――
目を閉じれば、また夢をみるだろうと思った。
そして、その想いどおりに夢の中へと――