九十一 鬼神
文字数 1,935文字
◇
息絶えたものの具を脱ぎ捨て東に向かって飛んだ。
「姿を消して飛び去る私を貞任といえども追って来ることはできまい」
しかし……
厨川のものの具を、貞任と沙夜を甘く見た。小娘たちを侍らしたが故重矢を射られずにすんだが、あれをまともに喰らえば一瞬で蒸発だった。……御神体が覚醒せずにあれほどの力があるとは既に鬼神の域に達しているのか。蒼樹、いや、あの小僧さえいなければと思ったが――
「甘く見てるとやられるぞ、兄さん」
そして、それから僅か数秒後のことだった。
……ん? も、もしやッ!
戦慄が走った。
その恐怖にこの身が震えた。
持てる全ての力を振り絞って必死に駆けた。
――だが、駆けることをやめた。やめるしかなかった。
余りにも速さが違いすぎる――
空中に立ち竦むようにして姿を現した。
そうする以外、手立てがなかった。
退路を塞ぐようにして麟に仕える―― いや、違う―― 光浩に仕える山神がいた。
僅かな対峙の後、なんの言葉を発することもなくひれ伏した。
「兄さん、どうやら最後のようです。我々は夜族を甘く見ていたようです」
そう呟くように口にすると、こんな身でありながらも―― と僅かに笑みが漏れた。遠く幼い頃の日々が走馬灯のように瞳の後ろに映し出されていく。
「要らぬことを――」
光浩に仕える山神は唸った。
そして、次の瞬間には「山へ帰れ」と耳元に、あまりにも懐かしい声と牙が届く。
◇
夏菜ちゃんの視線を映すモニタに見入っていた。
「沙夜先輩、光が抜けていった先が、山神様が見えますか」
「見えない。――おそらく春菜を手にかけたあの妖かしを仕留めて、既に御厨に向かっている」
「直君……」
漏らすように口にすると、傍らにいたスタッフが冷静な声で告げてくる。
「海自より打診。トドヶ崎約五十キロ先の海中に機影あり」
「先輩、また来ました。数は二十騎程です」
「分かった。――兄様、御厨をお願いします」
「承知した。直行もいる故、戻るのは俺だけでよい。皆連れて行け、いい実践訓練になる」
「はい。では、参ります」と沙夜先輩は駆け出し、貞任様を残して皆続いた。
沙夜先輩率いる十九騎が敵と交戦に入り二十騎の敵の十三騎を沙夜先輩が、残りの四騎を他のものの具が倒した。息絶えたそれらは飛翔体の上に載せられ、奔走する三騎と共に東へ向かって飛び去って行く。
「美波、奴らをどう見る」
白砂に置かれた床几に座り沙夜先輩たちの戦いを観ていた貞任様が問いかけてくる。
「先輩が倒したものの具の中に、おそらく四騎の親がいてそれぞれが四騎の添い人に力を与えて動かしていたのかと。逃した三騎は最後の親が逃げ出した時点で同行したものと思います」
「親になる妖かしか―― そいつ等を倒さぬ限り操り人形は湧いて出てきそうだな」
「はい」
躊躇いながら続けた。
「倒され添い人に連れて行かれるものの具にとどめを刺すか、捕まえることはできないのですか。そうしなければ操る親がいる限りものの具は復活するかと」
「我々はものの具を初めて履いた時に添い人から戦いのしきたりとして教え込まれる。添い人に託されたものの具には手を出すなと―― 確かに自らに当てはめれば、戦いに敗れて命を失った者、痛手を負った者を添い人が無事御蔵に連れ帰ってくれればそれが何よりだ。それ故、その教えがそのまま素直に入ってくる。だが、そんなことを言ってられん状況が来るやも知れぬし、やろうと思ってもものの具が許すかも分からん。――まぁ、二体ほど重矢で消滅もさせているし、そのうちに試してみるがな」
「ま、待ってください。先ずは私が御蔵に訊いてみます」
「ハハハ、頼む。それと、あれ等はどこから来るのかも訊いてくれ」
「そうですね。他に御蔵があるとは思ってませんでしたから訊いてもいませんでした」
「御蔵が? 何故、向こうにも御蔵があると思うんだ」
「機械仕掛けなら人の手で造ったとも思いますがあれは本物です。御蔵以外造れないと思います。それに、数もこちらと同じ二十五騎。おそらく同じような御蔵が存在するのではないかと―― 貞任様が前に仰っていた『向こうにも御厨があったら、やっかいなことになる』に近いものがあるかと」
「向こうにも御厨か―― だが、それにしては弱すぎるなぁ」
「それは貞任様と沙夜先輩がいるからで、お二人がいなければ劣勢かと思います」
「確かに沙夜以外一騎で当たれる者は秋葉だけで、他は二騎、三騎で向こうの一騎に当たるのがやっとだ。……御神体が目覚めなければこの状況が続くのだろうなぁ」
「はい。――ですが、幸運なことに御厨には鬼神のようなお二方がいます」
「鬼神か――」
貞任様は遥か東の空を見据え、呟くかのように口にした。
息絶えたものの具を脱ぎ捨て東に向かって飛んだ。
「姿を消して飛び去る私を貞任といえども追って来ることはできまい」
しかし……
厨川のものの具を、貞任と沙夜を甘く見た。小娘たちを侍らしたが故重矢を射られずにすんだが、あれをまともに喰らえば一瞬で蒸発だった。……御神体が覚醒せずにあれほどの力があるとは既に鬼神の域に達しているのか。蒼樹、いや、あの小僧さえいなければと思ったが――
「甘く見てるとやられるぞ、兄さん」
そして、それから僅か数秒後のことだった。
……ん? も、もしやッ!
戦慄が走った。
その恐怖にこの身が震えた。
持てる全ての力を振り絞って必死に駆けた。
――だが、駆けることをやめた。やめるしかなかった。
余りにも速さが違いすぎる――
空中に立ち竦むようにして姿を現した。
そうする以外、手立てがなかった。
退路を塞ぐようにして麟に仕える―― いや、違う―― 光浩に仕える山神がいた。
僅かな対峙の後、なんの言葉を発することもなくひれ伏した。
「兄さん、どうやら最後のようです。我々は夜族を甘く見ていたようです」
そう呟くように口にすると、こんな身でありながらも―― と僅かに笑みが漏れた。遠く幼い頃の日々が走馬灯のように瞳の後ろに映し出されていく。
「要らぬことを――」
光浩に仕える山神は唸った。
そして、次の瞬間には「山へ帰れ」と耳元に、あまりにも懐かしい声と牙が届く。
◇
夏菜ちゃんの視線を映すモニタに見入っていた。
「沙夜先輩、光が抜けていった先が、山神様が見えますか」
「見えない。――おそらく春菜を手にかけたあの妖かしを仕留めて、既に御厨に向かっている」
「直君……」
漏らすように口にすると、傍らにいたスタッフが冷静な声で告げてくる。
「海自より打診。トドヶ崎約五十キロ先の海中に機影あり」
「先輩、また来ました。数は二十騎程です」
「分かった。――兄様、御厨をお願いします」
「承知した。直行もいる故、戻るのは俺だけでよい。皆連れて行け、いい実践訓練になる」
「はい。では、参ります」と沙夜先輩は駆け出し、貞任様を残して皆続いた。
沙夜先輩率いる十九騎が敵と交戦に入り二十騎の敵の十三騎を沙夜先輩が、残りの四騎を他のものの具が倒した。息絶えたそれらは飛翔体の上に載せられ、奔走する三騎と共に東へ向かって飛び去って行く。
「美波、奴らをどう見る」
白砂に置かれた床几に座り沙夜先輩たちの戦いを観ていた貞任様が問いかけてくる。
「先輩が倒したものの具の中に、おそらく四騎の親がいてそれぞれが四騎の添い人に力を与えて動かしていたのかと。逃した三騎は最後の親が逃げ出した時点で同行したものと思います」
「親になる妖かしか―― そいつ等を倒さぬ限り操り人形は湧いて出てきそうだな」
「はい」
躊躇いながら続けた。
「倒され添い人に連れて行かれるものの具にとどめを刺すか、捕まえることはできないのですか。そうしなければ操る親がいる限りものの具は復活するかと」
「我々はものの具を初めて履いた時に添い人から戦いのしきたりとして教え込まれる。添い人に託されたものの具には手を出すなと―― 確かに自らに当てはめれば、戦いに敗れて命を失った者、痛手を負った者を添い人が無事御蔵に連れ帰ってくれればそれが何よりだ。それ故、その教えがそのまま素直に入ってくる。だが、そんなことを言ってられん状況が来るやも知れぬし、やろうと思ってもものの具が許すかも分からん。――まぁ、二体ほど重矢で消滅もさせているし、そのうちに試してみるがな」
「ま、待ってください。先ずは私が御蔵に訊いてみます」
「ハハハ、頼む。それと、あれ等はどこから来るのかも訊いてくれ」
「そうですね。他に御蔵があるとは思ってませんでしたから訊いてもいませんでした」
「御蔵が? 何故、向こうにも御蔵があると思うんだ」
「機械仕掛けなら人の手で造ったとも思いますがあれは本物です。御蔵以外造れないと思います。それに、数もこちらと同じ二十五騎。おそらく同じような御蔵が存在するのではないかと―― 貞任様が前に仰っていた『向こうにも御厨があったら、やっかいなことになる』に近いものがあるかと」
「向こうにも御厨か―― だが、それにしては弱すぎるなぁ」
「それは貞任様と沙夜先輩がいるからで、お二人がいなければ劣勢かと思います」
「確かに沙夜以外一騎で当たれる者は秋葉だけで、他は二騎、三騎で向こうの一騎に当たるのがやっとだ。……御神体が目覚めなければこの状況が続くのだろうなぁ」
「はい。――ですが、幸運なことに御厨には鬼神のようなお二方がいます」
「鬼神か――」
貞任様は遥か東の空を見据え、呟くかのように口にした。