七十 暗鬼(一)
文字数 2,540文字
婚儀の次の日、サトちゃんとお昼を食べながら「明日はお休みだから遠野に行こう!」ということで盛り上がった。食べ終わると御社で二時から打ち合わせがあり「これほど嬉しいことはない!」と言わんばかりのサトちゃんに明日の車の段取りをお願いして一人で御所を後にした。
打ち合わせが始まると、予想通り昨日の婚儀の話で盛り上がった。三時を過ぎても一向に議題に入る気配がない。
いや、それ自体が議題に置き換わった。
「ご挨拶だけでも」と顔を出しに来た山吹さんが部屋に入ると、沙夜の「夕食には少し早いですが」を合図に色とりどりの食中酒と肴が次々に運び込まれ、出席できなかった主力メンバーを入れての三次会の様相を呈してくる。
そう、本日の議題など「こんな時期に、そんなことしなくていい」との貞任様を欺く沙夜の虚言でしかなかったのだ。
長引くなぁ、これは――
はしゃぎ気味の沙夜を見ながらそう呟くと、四時を過ぎたところでサトちゃんに連絡を入れて、遅くなるから先に帰るよう伝えた。
「純菜、今日はごめんね。賄い以外誰にも言ってなかったの」
「まぁ、そうでしょうね。貞任様ならいざしらず、山吹さん相手じゃすぐに感づかれる。でも、とっても楽しかったよ、今日は。貞任様の照れた顔なんてそうそうお目にかかれないしね」
「なら、よかった」
神楽ノ宮まで送ってきた沙夜と別れ、いつもより遅い連結線を待った。
その待ち時間で遠野に行くことを話そうと美波に連絡を入れた。
「私、まだ仕事?」
「はい。これから、って感じです」
「そうか、相変わらず頑張ってるね。急なんだけど明日遠野に行くの。八時に雫石を出るんだけど、美波もどう?」
「ごめんなさい。きっ子ちゃんに行くって約束してあって、あの笑顔は裏切れないです」
「そう言うと思った。サトちゃんには、きっと二人だけだろうって言ってある。気にしなくていいよ。次は前もって話すからきっ子ちゃんも一緒に行けるように頑張って」
「一緒に―― そうですよね。外を見せてあげたいですよね。盛岡の街とか見せたらビックリしますよね」
受話器の向こうの美波は思いの外冷静な声で返してきた。
どうしたんだろう、らしくない。
きっ子ちゃんのことで何か分かったんだろうか……
「先輩。直君のこと、もう大丈夫ですか」
「うん。婚儀の前、二人で話した。何も変わってなかった。私が少し神経質になっちゃってたみたい」
「そう、ですか―― なら、良かった」
「気になってること、あるの?」
「私の思い過ごしかもしれませんので、息抜きしたらその後で話をさせてください」
「分かった。きっ子ちゃんにもお土産買ってくるね」
「はい、期待して待ってます」
やはり、らしくない…… そう思いながら電話を切った。
表情を緩めて直の番号を打ち込んだ。
「まだ、仕事してる?」
「ああ。でも、もうすぐ終わる。お姉、今どこにいるんだ? しばらく振りに飯でもどうだ。谷内に『稲穂』っていう美味い店を――」
「――あ、ごめん。よく聞き取れない。本走行に入っちゃったみたい。構内速度に戻ったらかけ直す」
そう言って電話を切った。
いつもこうだ。多賀城さんに言って直してもらわないとだなぁ。
五分程して構内速度に戻るとすぐにかけ直した。
「あッ、ごめんね。本走行に入ると通信状態が悪くなるみたい」
「そうなのか」
「もう少しで雫石に着くところ。明日早いから、今日は上がっちゃったの。これからサトちゃんとミーティング。直は?」
「――そうか、もう戻ってるのか」
「え? 何かあったの」
「いや、なんでもない」
「ならいいけど。――でねぇ、直。明日の朝、早めに出て遠野に行くの! 直も一緒にどう?」
「そうか、遠野か…… やっと念願が叶うってことか」
「うん。久し振りにお母さんに会いに行くって感じ」
「ごめん、俺は行けない」
「そう言うと思った」
「俺の代わりに河童見て来てくれよ」
「か、河童は無理よ。でも、座敷わらしなら会える気がしないでもないけど」
「座敷わらしか―― お姉が、いつも叔母さんに脅かされて泣いていたやつだな」
「やめてよ、泣いていたのは私の横にいた直よ。『あッ! 来てるんじゃない?』って言うと顔が真剣になってすぐにしがみついてきてたんだから。口では『お姉ちゃんは僕が守る』って、そう言ってくれてたんだけどね」
「そうか、それをお姉にも言ってたのか」
「いつになったら守ってくれるような立派な男に成るんだかね」
「――もうすぐ、なるさ」
「はいはい。早く飛び方解明して、護神兵のように飛んで助けに来て!」
「――」
「どうしたの? ごめん、疲れてた?」
「いや、そんなことない」
「早く帰って休みなさい。ずっと休みも取らずにやっていたんでしょ。たまにはこっちでゆっくり過ごしたら」
「ああ、そうだな」
「じゃ、そろそろ切るね」
「ああ」
直は切らずにそのままだった。
「どうして切らないの?」
「何言ってんだよ、いつだって言いたいだけ言ってさっさと切ってんのはお姉だろ」
「そうだった? ――ごめん、今日は直が先に切って」
「ああ。気を付けて行って来いよ」
「うん。ありがとう」
ほんの僅かな時間だったが久し振りに直と、母親気取りで面倒をみていた頃の直と話をした気がした。
「そうだよね、会社に入ってからは計画に夢中で直のことを考えてあげる余裕がなかった。小さい頃はいつだって一緒にいたのに、――ごめんね、直」
◇
次の日、連結線を待つ間、研究棟の玄関脇にある応接室に来ていた。
窓の向こうには車を取りに行った里絵を待つお姉が見えている。
「こうして見るとお姉もなかなかいい女だなぁ。確かに沙夜さんといい勝負してる。――いや、やっぱ上品さってもんが足りてないか」
そう呟くように言って、少しだけ笑った。
玄関の前に立って透き通るように蒼く晴れ渡った空を見上げている。その顔は、皆んなを連れて雫石に向かった時のように活き活きとしていた。
里絵の運転する車が玄関脇に停まり、車に乗り込んだお姉はシートベルトを付けながら窓越しに私の部屋を見上げた。
「行って来るね、直」とでも言ってるのだろう、里絵に聞こえないよう口にして表情を緩めた。
そんなお姉に、笑みを返した。
「ああ。じゃあな、純菜お姉ちゃん」と――
打ち合わせが始まると、予想通り昨日の婚儀の話で盛り上がった。三時を過ぎても一向に議題に入る気配がない。
いや、それ自体が議題に置き換わった。
「ご挨拶だけでも」と顔を出しに来た山吹さんが部屋に入ると、沙夜の「夕食には少し早いですが」を合図に色とりどりの食中酒と肴が次々に運び込まれ、出席できなかった主力メンバーを入れての三次会の様相を呈してくる。
そう、本日の議題など「こんな時期に、そんなことしなくていい」との貞任様を欺く沙夜の虚言でしかなかったのだ。
長引くなぁ、これは――
はしゃぎ気味の沙夜を見ながらそう呟くと、四時を過ぎたところでサトちゃんに連絡を入れて、遅くなるから先に帰るよう伝えた。
「純菜、今日はごめんね。賄い以外誰にも言ってなかったの」
「まぁ、そうでしょうね。貞任様ならいざしらず、山吹さん相手じゃすぐに感づかれる。でも、とっても楽しかったよ、今日は。貞任様の照れた顔なんてそうそうお目にかかれないしね」
「なら、よかった」
神楽ノ宮まで送ってきた沙夜と別れ、いつもより遅い連結線を待った。
その待ち時間で遠野に行くことを話そうと美波に連絡を入れた。
「私、まだ仕事?」
「はい。これから、って感じです」
「そうか、相変わらず頑張ってるね。急なんだけど明日遠野に行くの。八時に雫石を出るんだけど、美波もどう?」
「ごめんなさい。きっ子ちゃんに行くって約束してあって、あの笑顔は裏切れないです」
「そう言うと思った。サトちゃんには、きっと二人だけだろうって言ってある。気にしなくていいよ。次は前もって話すからきっ子ちゃんも一緒に行けるように頑張って」
「一緒に―― そうですよね。外を見せてあげたいですよね。盛岡の街とか見せたらビックリしますよね」
受話器の向こうの美波は思いの外冷静な声で返してきた。
どうしたんだろう、らしくない。
きっ子ちゃんのことで何か分かったんだろうか……
「先輩。直君のこと、もう大丈夫ですか」
「うん。婚儀の前、二人で話した。何も変わってなかった。私が少し神経質になっちゃってたみたい」
「そう、ですか―― なら、良かった」
「気になってること、あるの?」
「私の思い過ごしかもしれませんので、息抜きしたらその後で話をさせてください」
「分かった。きっ子ちゃんにもお土産買ってくるね」
「はい、期待して待ってます」
やはり、らしくない…… そう思いながら電話を切った。
表情を緩めて直の番号を打ち込んだ。
「まだ、仕事してる?」
「ああ。でも、もうすぐ終わる。お姉、今どこにいるんだ? しばらく振りに飯でもどうだ。谷内に『稲穂』っていう美味い店を――」
「――あ、ごめん。よく聞き取れない。本走行に入っちゃったみたい。構内速度に戻ったらかけ直す」
そう言って電話を切った。
いつもこうだ。多賀城さんに言って直してもらわないとだなぁ。
五分程して構内速度に戻るとすぐにかけ直した。
「あッ、ごめんね。本走行に入ると通信状態が悪くなるみたい」
「そうなのか」
「もう少しで雫石に着くところ。明日早いから、今日は上がっちゃったの。これからサトちゃんとミーティング。直は?」
「――そうか、もう戻ってるのか」
「え? 何かあったの」
「いや、なんでもない」
「ならいいけど。――でねぇ、直。明日の朝、早めに出て遠野に行くの! 直も一緒にどう?」
「そうか、遠野か…… やっと念願が叶うってことか」
「うん。久し振りにお母さんに会いに行くって感じ」
「ごめん、俺は行けない」
「そう言うと思った」
「俺の代わりに河童見て来てくれよ」
「か、河童は無理よ。でも、座敷わらしなら会える気がしないでもないけど」
「座敷わらしか―― お姉が、いつも叔母さんに脅かされて泣いていたやつだな」
「やめてよ、泣いていたのは私の横にいた直よ。『あッ! 来てるんじゃない?』って言うと顔が真剣になってすぐにしがみついてきてたんだから。口では『お姉ちゃんは僕が守る』って、そう言ってくれてたんだけどね」
「そうか、それをお姉にも言ってたのか」
「いつになったら守ってくれるような立派な男に成るんだかね」
「――もうすぐ、なるさ」
「はいはい。早く飛び方解明して、護神兵のように飛んで助けに来て!」
「――」
「どうしたの? ごめん、疲れてた?」
「いや、そんなことない」
「早く帰って休みなさい。ずっと休みも取らずにやっていたんでしょ。たまにはこっちでゆっくり過ごしたら」
「ああ、そうだな」
「じゃ、そろそろ切るね」
「ああ」
直は切らずにそのままだった。
「どうして切らないの?」
「何言ってんだよ、いつだって言いたいだけ言ってさっさと切ってんのはお姉だろ」
「そうだった? ――ごめん、今日は直が先に切って」
「ああ。気を付けて行って来いよ」
「うん。ありがとう」
ほんの僅かな時間だったが久し振りに直と、母親気取りで面倒をみていた頃の直と話をした気がした。
「そうだよね、会社に入ってからは計画に夢中で直のことを考えてあげる余裕がなかった。小さい頃はいつだって一緒にいたのに、――ごめんね、直」
◇
次の日、連結線を待つ間、研究棟の玄関脇にある応接室に来ていた。
窓の向こうには車を取りに行った里絵を待つお姉が見えている。
「こうして見るとお姉もなかなかいい女だなぁ。確かに沙夜さんといい勝負してる。――いや、やっぱ上品さってもんが足りてないか」
そう呟くように言って、少しだけ笑った。
玄関の前に立って透き通るように蒼く晴れ渡った空を見上げている。その顔は、皆んなを連れて雫石に向かった時のように活き活きとしていた。
里絵の運転する車が玄関脇に停まり、車に乗り込んだお姉はシートベルトを付けながら窓越しに私の部屋を見上げた。
「行って来るね、直」とでも言ってるのだろう、里絵に聞こえないよう口にして表情を緩めた。
そんなお姉に、笑みを返した。
「ああ。じゃあな、純菜お姉ちゃん」と――