一 はじまりは、いつもこう…… ―― 序章 ――
文字数 3,245文字
唖然とした。唖然として立ち竦んだ。
「……」
また、これだ…… なんで、こうドジなんだろう――
唖然と立ち竦む私の前、日傘を手に純白に輝く下ろしたてのドレスを纏った貴婦人が首を傾げていた。
五年前、十八の誕生日を前に札幌に住む叔母のところを訪ねることになった。
相変わらずのグチャグチャな雪どけが一段落して乾いた道路にホッと顔が緩む頃。そう、ようやく春らしくなった頃、定期的に函館へ荷物を運んでいる叔父のトラックに便乗して仙台から夜の東北道を北へと向かった。
「話し相手になってくれるんだったら、お礼をしないとな」
叔父が餞別だと言ってお小遣いを渡してくる。
「えーッ、なんか申し訳ないよ」
「ま、いいから取っとけ」
「じゃ、遠慮なく頂きます。ありがとうね、叔父さん。話し相手はバッチリ任せて!」
が――
そう返して、あッ! という間に爆睡した。狙い通りに餞別を手に入れた達成感に、その何たるかも理解せずに「これで、すすきのに繰り出すぞ」と呟いて、落ちた。
――そう、
離陸して水平飛行に移行したかのように緩やかな上下を繰り返し、ルルルルルと優しいエンジンの振動で身体を包み込むゆりかごに―― 『絶対寝てはいけない! ここで寝たら女が廃る!』という呪文に誘われながら、いや、抗いながら感じてはいけないはずの幸福感に包まれて落ちた。
そして――
「恭子、しばらく止まらんからここでトイレに行っておけ」と、前沢というサービスエリアで叔父に起こされた。「歯を磨かないと――」そう言いながら寝惚け眼でバックを手にトラックを降りた。
「うッ、な、なに、この風の冷たさ!」
さっきまで浸っていたなんともいえない温もりを、心地よさを雪解け時期の北風が首元から容赦なく剥ぎ取っていく。
ま、まだこんなに寒いの! ――む、無理。
トラックから二十五メートルぐらいのところまで頑張ったが、足が止まった。どうしようもないほどに温かい車の中が恋しい。――振り返って不思議そうにしている叔父さんに「やっぱトイレいいや」と鼻をすすった。
「大丈夫か、しばらく止まらんぞ」
「うん。大丈夫」
「エンジンかけたままだから、戻って寝台で寝てろ」
「うん、そうする」
首を引っ込めながら足早にトラックへ向かった。
エンジンをかけたままのトラックの中はとても暖かった。
「あぁ、固まった身体が溶け出して行くようだ」
ホッとしながら運転席の後ろにある寝台にもぐり込んだ。
――で、
エンジンが切れる音で目を覚ました。
いつの間に寝ちゃったんだろう? 確か、外に出て……
寝てばかりで話し相手にならない罪悪感を忘れうつらうつらしていた。心地よいゆりかごの余韻に浸っていた。洗濯したての匂いがするタオルケットに絡まり「気を遣って洗ってくれたんだ」と口にしながらうつらうつらしていた。
が、優しい振動で包み込むゆりかごは、もうない。――ただただシーンとしている。
……やっぱ、走ってないとダメだなぁ。
「もう、明るくなってる」
諦め顔に寝台のカーテンを開けた。
あれ? いない。
「一服しに行ったんだなぁ」そう口にしながらトラックを降りた。
唖然とした。唖然として立ち竦んだ。
「……」
また、これだ…… なんで、こうドジなんだろう――
唖然として立ち竦む私の前、気品ある佇まいを見せるトラックは叔父のものとは比べるもない。朝日を浴びてどこもかしこも『これでもか!』というほどにキラキラしている。まるで下ろしたてのドレスを纏った貴婦人かのようにさえ見えている。
「叔父さんのとは、まるっきり違うなぁ。……確かに車の中の匂いも違ってた。ホント、なんでこうドジなんだろう、私」
諦め顔に寝台に置いてあったバックを手に取ると、座席に座ったまま一縷の望みに縋った。首を伸ばして辺りを見回した。――だが、叔父のトラックがあるはずもない。薄れゆく意識の中とはいえトラックがサービスエリアから離陸して本線で水平飛行に移行したのを覚えている。
「もう、随分遠くに来てるよねぇ。時間だって結構経ってる」
……
「ま、こうなったらしょうがない、運転手さんだけが頼りだ」
そこはドライブインの駐車場で駐めてあるのは乗って来たトラックだけ、人影もなく食堂も開く気配がない。見回せば少し離れたところに立派なトイレがあってその横に自動販売機と喫煙所が見えている。
「きっと、トイレだなぁ。よしッ、今のうちに買っておこう」
お詫びがてら運転手さんにコーヒーを買おうと思い自動販売機に向かうと、四十歳ぐらいの小柄な女の人が箒と塵取りを手に喫煙所から出て来るのが見えた。
あ、食堂を開けるんだ。
ホッとしながら近づいて行くと、その人は「お早う、随分と早いわね。連結線に乗るの?」と声をかけてきた。
「お早うございます」
頭を下げて笑みを返し、連結線? 駅があるの? と首を傾げた。
「この時期若い子たちは皆んな浮き足だっているよね。私もそうだったもの。じゃ、頑張ってね」
楽しそうにそう言って女の人は食堂の方へ歩いて行く。
運転手さんじゃなくてあの人に事情を話した方がいいかとも思った。でも、それは後でも話せるので、先ずは運転手さんにお詫びをしなければと自動販売機に向かった。
自動販売機で自分のココアを買い、運転手さんに渡すコーヒーに無糖、微糖…… 後口スッキリ? え? 甘さ控えめ…… と、あまりの種類の多さに迷った。
「朝だから甘いやつにしよう」
たっぷりミルクコーヒーという物を選び、我ながら気の利いた選択だとほくそ笑んでトラックへ向き直った。
「う、嘘でしょう――」固まった。
「あの人が運転手さんだったんだ。確かに、エンジンのかかる音がしてた」
遠ざかって行くトラックを、ただボーッと見送った。
トラックがドライブインを出て交差点を曲がると、早朝の静寂の中に「チュンチュン」と楽しそうな鳥たちの囀りだけが妙に浮かび上がって聞こえている。
蒼く晴れ渡った空を見上げた。
そして、問いかける。
「ここって、どこなの?」と――
でも、すぐに手にしたペットボトルに顔を向けた。「ブラックにしなくてよかった。苦くて飲めないからなぁ」と胸を撫で下ろした。「そうだ、歯磨きだった」と、トイレに向かった。
――『ホント、思い悩むことをしない子だねぇ』と言う母の顔が浮かんでくる。
で、すぐに母は続けた。
『ホント、似なくていいとこだけお父さんに似て。少しは可愛い素振りくらい見せないと男子にモテないわよ』
「はいはい」
ドライブインは少し小高いところにあり、駐車場の端にある小さな見晴らし台に立って手をかざした。右の方に一キロぐらい離れて町が、左には同じくらいのところに神社のような屋根が見えている。
「そんなには遠くない、早く町に行って叔父さんに連絡しよう。急ぎの荷物は無いからのんびり行くって言ってたし、まだサービスエリアにいるかもしれない」
手にしたバックを肩にかけようとして、思わず声を上げた。
「アハハ、忘れてた。スマホって電話できるんだった。ホント、なんでこうドジなんだろう。きっと、またお父さんだ」
照れながらバックからスマホを取り出した。
でも、すぐに意気消沈。
「電波、来てない―― どうしてだろ、あんな立派な町があるのに」漏らすように口にした。
が、合点がいくのに時間はかからなかった。
確かめるように辺りの樹々を見回した。
「ここは、ない。――うん、確かにここはないけど、どっかで強い風が吹いてるんだ。また、流されちゃってんだなぁ、電波君。――ま、しょうがない、そのうちくるでしょう」
風の状況をみながらてくてくと歩いて、トラックが曲がった交差点まで行って足を止めた。スマホを持ち上げて少しの間眺めた。なぜか、綺麗な屋根が見える神社らしき物が妙に気になっていた。
「そうだよ、立派な電波塔見えてたし、もし電波きてなかったら、電話だって貸してもらえる」
スマホをバックに戻して、左の神社らしき建物の方へと足を向けた。
「……」
また、これだ…… なんで、こうドジなんだろう――
唖然と立ち竦む私の前、日傘を手に純白に輝く下ろしたてのドレスを纏った貴婦人が首を傾げていた。
五年前、十八の誕生日を前に札幌に住む叔母のところを訪ねることになった。
相変わらずのグチャグチャな雪どけが一段落して乾いた道路にホッと顔が緩む頃。そう、ようやく春らしくなった頃、定期的に函館へ荷物を運んでいる叔父のトラックに便乗して仙台から夜の東北道を北へと向かった。
「話し相手になってくれるんだったら、お礼をしないとな」
叔父が餞別だと言ってお小遣いを渡してくる。
「えーッ、なんか申し訳ないよ」
「ま、いいから取っとけ」
「じゃ、遠慮なく頂きます。ありがとうね、叔父さん。話し相手はバッチリ任せて!」
が――
そう返して、あッ! という間に爆睡した。狙い通りに餞別を手に入れた達成感に、その何たるかも理解せずに「これで、すすきのに繰り出すぞ」と呟いて、落ちた。
――そう、
離陸して水平飛行に移行したかのように緩やかな上下を繰り返し、ルルルルルと優しいエンジンの振動で身体を包み込むゆりかごに―― 『絶対寝てはいけない! ここで寝たら女が廃る!』という呪文に誘われながら、いや、抗いながら感じてはいけないはずの幸福感に包まれて落ちた。
そして――
「恭子、しばらく止まらんからここでトイレに行っておけ」と、前沢というサービスエリアで叔父に起こされた。「歯を磨かないと――」そう言いながら寝惚け眼でバックを手にトラックを降りた。
「うッ、な、なに、この風の冷たさ!」
さっきまで浸っていたなんともいえない温もりを、心地よさを雪解け時期の北風が首元から容赦なく剥ぎ取っていく。
ま、まだこんなに寒いの! ――む、無理。
トラックから二十五メートルぐらいのところまで頑張ったが、足が止まった。どうしようもないほどに温かい車の中が恋しい。――振り返って不思議そうにしている叔父さんに「やっぱトイレいいや」と鼻をすすった。
「大丈夫か、しばらく止まらんぞ」
「うん。大丈夫」
「エンジンかけたままだから、戻って寝台で寝てろ」
「うん、そうする」
首を引っ込めながら足早にトラックへ向かった。
エンジンをかけたままのトラックの中はとても暖かった。
「あぁ、固まった身体が溶け出して行くようだ」
ホッとしながら運転席の後ろにある寝台にもぐり込んだ。
――で、
エンジンが切れる音で目を覚ました。
いつの間に寝ちゃったんだろう? 確か、外に出て……
寝てばかりで話し相手にならない罪悪感を忘れうつらうつらしていた。心地よいゆりかごの余韻に浸っていた。洗濯したての匂いがするタオルケットに絡まり「気を遣って洗ってくれたんだ」と口にしながらうつらうつらしていた。
が、優しい振動で包み込むゆりかごは、もうない。――ただただシーンとしている。
……やっぱ、走ってないとダメだなぁ。
「もう、明るくなってる」
諦め顔に寝台のカーテンを開けた。
あれ? いない。
「一服しに行ったんだなぁ」そう口にしながらトラックを降りた。
唖然とした。唖然として立ち竦んだ。
「……」
また、これだ…… なんで、こうドジなんだろう――
唖然として立ち竦む私の前、気品ある佇まいを見せるトラックは叔父のものとは比べるもない。朝日を浴びてどこもかしこも『これでもか!』というほどにキラキラしている。まるで下ろしたてのドレスを纏った貴婦人かのようにさえ見えている。
「叔父さんのとは、まるっきり違うなぁ。……確かに車の中の匂いも違ってた。ホント、なんでこうドジなんだろう、私」
諦め顔に寝台に置いてあったバックを手に取ると、座席に座ったまま一縷の望みに縋った。首を伸ばして辺りを見回した。――だが、叔父のトラックがあるはずもない。薄れゆく意識の中とはいえトラックがサービスエリアから離陸して本線で水平飛行に移行したのを覚えている。
「もう、随分遠くに来てるよねぇ。時間だって結構経ってる」
……
「ま、こうなったらしょうがない、運転手さんだけが頼りだ」
そこはドライブインの駐車場で駐めてあるのは乗って来たトラックだけ、人影もなく食堂も開く気配がない。見回せば少し離れたところに立派なトイレがあってその横に自動販売機と喫煙所が見えている。
「きっと、トイレだなぁ。よしッ、今のうちに買っておこう」
お詫びがてら運転手さんにコーヒーを買おうと思い自動販売機に向かうと、四十歳ぐらいの小柄な女の人が箒と塵取りを手に喫煙所から出て来るのが見えた。
あ、食堂を開けるんだ。
ホッとしながら近づいて行くと、その人は「お早う、随分と早いわね。連結線に乗るの?」と声をかけてきた。
「お早うございます」
頭を下げて笑みを返し、連結線? 駅があるの? と首を傾げた。
「この時期若い子たちは皆んな浮き足だっているよね。私もそうだったもの。じゃ、頑張ってね」
楽しそうにそう言って女の人は食堂の方へ歩いて行く。
運転手さんじゃなくてあの人に事情を話した方がいいかとも思った。でも、それは後でも話せるので、先ずは運転手さんにお詫びをしなければと自動販売機に向かった。
自動販売機で自分のココアを買い、運転手さんに渡すコーヒーに無糖、微糖…… 後口スッキリ? え? 甘さ控えめ…… と、あまりの種類の多さに迷った。
「朝だから甘いやつにしよう」
たっぷりミルクコーヒーという物を選び、我ながら気の利いた選択だとほくそ笑んでトラックへ向き直った。
「う、嘘でしょう――」固まった。
「あの人が運転手さんだったんだ。確かに、エンジンのかかる音がしてた」
遠ざかって行くトラックを、ただボーッと見送った。
トラックがドライブインを出て交差点を曲がると、早朝の静寂の中に「チュンチュン」と楽しそうな鳥たちの囀りだけが妙に浮かび上がって聞こえている。
蒼く晴れ渡った空を見上げた。
そして、問いかける。
「ここって、どこなの?」と――
でも、すぐに手にしたペットボトルに顔を向けた。「ブラックにしなくてよかった。苦くて飲めないからなぁ」と胸を撫で下ろした。「そうだ、歯磨きだった」と、トイレに向かった。
――『ホント、思い悩むことをしない子だねぇ』と言う母の顔が浮かんでくる。
で、すぐに母は続けた。
『ホント、似なくていいとこだけお父さんに似て。少しは可愛い素振りくらい見せないと男子にモテないわよ』
「はいはい」
ドライブインは少し小高いところにあり、駐車場の端にある小さな見晴らし台に立って手をかざした。右の方に一キロぐらい離れて町が、左には同じくらいのところに神社のような屋根が見えている。
「そんなには遠くない、早く町に行って叔父さんに連絡しよう。急ぎの荷物は無いからのんびり行くって言ってたし、まだサービスエリアにいるかもしれない」
手にしたバックを肩にかけようとして、思わず声を上げた。
「アハハ、忘れてた。スマホって電話できるんだった。ホント、なんでこうドジなんだろう。きっと、またお父さんだ」
照れながらバックからスマホを取り出した。
でも、すぐに意気消沈。
「電波、来てない―― どうしてだろ、あんな立派な町があるのに」漏らすように口にした。
が、合点がいくのに時間はかからなかった。
確かめるように辺りの樹々を見回した。
「ここは、ない。――うん、確かにここはないけど、どっかで強い風が吹いてるんだ。また、流されちゃってんだなぁ、電波君。――ま、しょうがない、そのうちくるでしょう」
風の状況をみながらてくてくと歩いて、トラックが曲がった交差点まで行って足を止めた。スマホを持ち上げて少しの間眺めた。なぜか、綺麗な屋根が見える神社らしき物が妙に気になっていた。
「そうだよ、立派な電波塔見えてたし、もし電波きてなかったら、電話だって貸してもらえる」
スマホをバックに戻して、左の神社らしき建物の方へと足を向けた。