三十七 計画?
文字数 3,106文字
「みなかったなぁ、飛べない夢。ま、朝方まで騒いで露天風呂入って二時間も寝てない。これじゃ夢をみる暇もないか」
朝、目を覚ますといつものようにボヤきながらベッドから降りた。
身支度を整えて白衣を纏い、新しい職場へ向けて緩んだ気を引き締めるように「よしッ!」と声を出した。それなりにモチベーションを上げて部屋を出た。しかし、集合場所である二階の研修室の前まで行って、上に向けたはずのモチベーションはあらぬ方向へ傾いていく。それ自体を見失ってしまう。
「お早うございます。昨日は楽しかったですね!」
春菜、夏海両先輩は満面の笑みを向けてきた。が、呆気に取られて笑えなかった。
二人は白衣姿ではなく制服姿で、それも軍服のようなものを着ていた。
動揺を隠して研修室に入ると両先輩の姿に白衣姿の美波と里絵も呆気に取られ、スーツ姿のお姉だけが普段通りに挨拶を交わした。
異様な雰囲気の中、お姉を中央に白衣組と制服組が両翼に分かれて席に着くと、すぐに昨日の品の良い老人が制服で現れて先輩たちの上座に座った。
「それでは始めましょうか。これから自己紹介を行い、少しお話しをさせて頂きますが九時半には移動になります。詳しくは移動後、そちらでお話しをさせて頂きます。――雫石研究所支援室室長、北野純菜です。よろしくお願いします」
お姉の目配せで白衣組の美波、里絵、私が名前だけを言って頭を下げた。
「ほう、日高見さん。こちらの生まれですかな」
品の良い老人が訝しげな顔を向けてくる。
「いえ、関東です」
「ご両親も?」と訊かれ「はい、関東です」と返した。
「そうですか、要らぬことをお訊きした。こちらでしか聞かぬ姓なもので、お許しを」
違和感を持った。昨日までは沙夜さんの執事のように振る舞っていたが今日は別人のようなのだ。運転手から後ろでふんぞり返る社長のようになっている。
「えー、それではこちらの方を始めますかな。先ずは、私が警護班を預かります平野将門 と申します。お見知りおきを」
……嘘だろ、まるっきり平ノ将門だ。――で、警護班って何?
訝しげな目を向けた。
「こちらに控えておりますのが私めの孫娘で、川越ノ春菜と三浦ノ夏海。えーと、幾つになったかなぁ。確か、純菜殿のところにお預けしたのが十八の時だったから……」
「二十三です。お祖父様、名前の前にノは要りません。それに歳は誰も訊いていません」
夏海先輩が「またか」と言わんばかりに返すと、美波と里絵が顔を見合わせた。
共にお姉へ向き直る。
「そういうことなの。春菜と夏海はこちらの生まれで、育ちもこちら。五年前、会社には四つ程サバを読んで学卒として私に預けられたの。役目としては計画参加者の警護と機密漏洩の抑止。二人にはいい社会勉強って感じだったけどね」
計画? 警護? 抑止? で、二十三―― って、俺より年下!
両先輩に驚きの顔を向けた。
「遅い!」と、横の美波が小さく突っ込みを入れている。
「では、少し早いのですが移動したいと思います。先ずは雫石研究所の方に移動し、滞在する宿泊施設で部屋の割り当てを受けてもらいます。その後は早目の昼食を摂り、皆さんの職場になるところへ移動。白衣組の皆さんは研究案件についてのミーティングに入ります」
平野と名乗った老人を含めた七人は例のリムジンに乗り込んで研究所に向かった。
車の中ではいつも口数が多いはずの美波が窓の外をじっと見たまま何も言わず、里絵はお姉から指示を受けた事務用品、身の回り品のネット検索でパソコンに釘付け状態。
そんな二人を対面と横に置いて、いたたまれずに斜め前の夏海先輩に問いかけた。
「確か近いのは盛岡だと思ったんですが、ここからどれぐらいあるんですか」
「そんなに遠くないですよ。飛ばせば駅まで一時間ぐらいで行きます。落ち着いたらご案内しますね!」
昨日までの夏海先輩ではない。私より年上との設定から解き放たれた役者が自分に戻ったかのようである。一気に里絵レベルまで落ちている。
……さん付けもどうかと思うし、抵抗あるけど、やっぱちゃん付けだろうなぁ。
そんなことを思いながら二人を見ていると研究所のゲートが見えてきた。
前まで行くと立派なゲートは何も確認することなく開き、三人の守衛が通り過ぎるリムジンに深々と頭を下げた。先にも二百メートル程の間隔で二つのゲートが見えているが両方のゲートとも開き始めている。
「ゲートが三つもあって厳重そうなんだけど、止めて確認をする訳でもないし、次のゲートも開き始めてるし、なんか不用心じゃないですか」
そう夏海先輩に、いや、ナッちゃんに問いかけた。が、なぜかパソコンに見いっているはずの里絵が姿勢を正した。
すました顔を向けてくる。
「本社の研究室室長が乗っているんです。普通の所員と一緒では困ります」そうビシッ! と返された。
が、すぐに「余計なことは言わなくていいの、お願いした物が入手できるか黙って確認しなさい」とお姉にお叱りを受ける。
里絵は沈黙した。
フフ、いつまで秘書ごっこやってんだ。馬鹿め!
……しかし、室長かぁ。お姉は執行役員ってことになんのか? 確かに役員なら分からなくもないか――
何気なく視線を移すと美波がしかめっ面で小さく首を振っていた。助手席にいる老人だと目配せをしている。
何だよ美波の奴、さっきまでブスッってしてたくせに。あの爺ちゃんが何だよ……
「あッ」思わず声が漏れた。
平野将門は前の会長、平野社長の親父さんだ―― ったくお姉の奴、いくら引退したからって普通にしすぎだろ!
一人で焦っているとリムジンは三つ目のゲートを過ぎ、玄関で百名程の所員が出迎えているのが見えた。
「出迎えは要らんと言っておいたろう」
前会長が不機嫌そうに言うと運転手が頭をかいた。
「いやぁ、久し振りにお出でくださったので皆が出迎えたいと言いまして」
「所長が出迎えるなと言って、いうことを聞かずにあれだけ出て来たのか」
「面目ありません」
「えッ!」突然、お姉が声を出した。
「北野君だね、噂は聞いているよ。よろしくね」
「胆沢所長でしたか。すみません気が付きませんで」
さっきまで足を組んで背中を丸め、肘掛けに頬杖をついていたお姉は背筋を伸ばし「よろしくお願いします」とルームミラー越しに会釈をしている。
白衣組もあたふたと続いた。
「いいよ、やめてくれ。向こうと違って、こっちは皆んな気楽にやっているから」
「そんなこと言っておるから、皆ああやって仕事放っぽらかして出て来るんじゃ。……しかし、さすがにこの格好は違和感があるのう。二人とも、上着は車に置いて出なさい」
平野前会長は創業者の一人で現時点に於いても御厨製薬の最高権力者といわれている。その右腕が雫石研究所の胆沢義盛 所長であり、社長を差し置いて実質№2と目されている。
玄関前に着き、リムジンから降りると「ご無沙汰しております」と、前会長の周りを所員が取り囲んで収拾がつかない状態になった。「皆、出迎えてくれてありがとう」と、将門のお爺ちゃんは満面の笑みを返している。
夏海先輩、いや、ナッちゃんは予想どおりといった顔で「純菜様、こちらです」と、玄関脇の夜間通行口から皆んなを所内に入れた。
純菜様か―― 昨日は一つか二つ年上のお姉さんのような顔をして今日は箸が転がっても可笑しくてしょうがないような小娘。女は怖いねぇ、まるで狐につままれてるようだ。ま、沙夜さんは、沙夜さんだけは絶対にそんなことはないけど――
「直君、来てくれてありがとう」と、微笑む沙夜さんの顔が浮かんでいた。
思いの外ゴールは近い―― 直感めいたものを感じている。
朝、目を覚ますといつものようにボヤきながらベッドから降りた。
身支度を整えて白衣を纏い、新しい職場へ向けて緩んだ気を引き締めるように「よしッ!」と声を出した。それなりにモチベーションを上げて部屋を出た。しかし、集合場所である二階の研修室の前まで行って、上に向けたはずのモチベーションはあらぬ方向へ傾いていく。それ自体を見失ってしまう。
「お早うございます。昨日は楽しかったですね!」
春菜、夏海両先輩は満面の笑みを向けてきた。が、呆気に取られて笑えなかった。
二人は白衣姿ではなく制服姿で、それも軍服のようなものを着ていた。
動揺を隠して研修室に入ると両先輩の姿に白衣姿の美波と里絵も呆気に取られ、スーツ姿のお姉だけが普段通りに挨拶を交わした。
異様な雰囲気の中、お姉を中央に白衣組と制服組が両翼に分かれて席に着くと、すぐに昨日の品の良い老人が制服で現れて先輩たちの上座に座った。
「それでは始めましょうか。これから自己紹介を行い、少しお話しをさせて頂きますが九時半には移動になります。詳しくは移動後、そちらでお話しをさせて頂きます。――雫石研究所支援室室長、北野純菜です。よろしくお願いします」
お姉の目配せで白衣組の美波、里絵、私が名前だけを言って頭を下げた。
「ほう、日高見さん。こちらの生まれですかな」
品の良い老人が訝しげな顔を向けてくる。
「いえ、関東です」
「ご両親も?」と訊かれ「はい、関東です」と返した。
「そうですか、要らぬことをお訊きした。こちらでしか聞かぬ姓なもので、お許しを」
違和感を持った。昨日までは沙夜さんの執事のように振る舞っていたが今日は別人のようなのだ。運転手から後ろでふんぞり返る社長のようになっている。
「えー、それではこちらの方を始めますかな。先ずは、私が警護班を預かります
……嘘だろ、まるっきり平ノ将門だ。――で、警護班って何?
訝しげな目を向けた。
「こちらに控えておりますのが私めの孫娘で、川越ノ春菜と三浦ノ夏海。えーと、幾つになったかなぁ。確か、純菜殿のところにお預けしたのが十八の時だったから……」
「二十三です。お祖父様、名前の前にノは要りません。それに歳は誰も訊いていません」
夏海先輩が「またか」と言わんばかりに返すと、美波と里絵が顔を見合わせた。
共にお姉へ向き直る。
「そういうことなの。春菜と夏海はこちらの生まれで、育ちもこちら。五年前、会社には四つ程サバを読んで学卒として私に預けられたの。役目としては計画参加者の警護と機密漏洩の抑止。二人にはいい社会勉強って感じだったけどね」
計画? 警護? 抑止? で、二十三―― って、俺より年下!
両先輩に驚きの顔を向けた。
「遅い!」と、横の美波が小さく突っ込みを入れている。
「では、少し早いのですが移動したいと思います。先ずは雫石研究所の方に移動し、滞在する宿泊施設で部屋の割り当てを受けてもらいます。その後は早目の昼食を摂り、皆さんの職場になるところへ移動。白衣組の皆さんは研究案件についてのミーティングに入ります」
平野と名乗った老人を含めた七人は例のリムジンに乗り込んで研究所に向かった。
車の中ではいつも口数が多いはずの美波が窓の外をじっと見たまま何も言わず、里絵はお姉から指示を受けた事務用品、身の回り品のネット検索でパソコンに釘付け状態。
そんな二人を対面と横に置いて、いたたまれずに斜め前の夏海先輩に問いかけた。
「確か近いのは盛岡だと思ったんですが、ここからどれぐらいあるんですか」
「そんなに遠くないですよ。飛ばせば駅まで一時間ぐらいで行きます。落ち着いたらご案内しますね!」
昨日までの夏海先輩ではない。私より年上との設定から解き放たれた役者が自分に戻ったかのようである。一気に里絵レベルまで落ちている。
……さん付けもどうかと思うし、抵抗あるけど、やっぱちゃん付けだろうなぁ。
そんなことを思いながら二人を見ていると研究所のゲートが見えてきた。
前まで行くと立派なゲートは何も確認することなく開き、三人の守衛が通り過ぎるリムジンに深々と頭を下げた。先にも二百メートル程の間隔で二つのゲートが見えているが両方のゲートとも開き始めている。
「ゲートが三つもあって厳重そうなんだけど、止めて確認をする訳でもないし、次のゲートも開き始めてるし、なんか不用心じゃないですか」
そう夏海先輩に、いや、ナッちゃんに問いかけた。が、なぜかパソコンに見いっているはずの里絵が姿勢を正した。
すました顔を向けてくる。
「本社の研究室室長が乗っているんです。普通の所員と一緒では困ります」そうビシッ! と返された。
が、すぐに「余計なことは言わなくていいの、お願いした物が入手できるか黙って確認しなさい」とお姉にお叱りを受ける。
里絵は沈黙した。
フフ、いつまで秘書ごっこやってんだ。馬鹿め!
……しかし、室長かぁ。お姉は執行役員ってことになんのか? 確かに役員なら分からなくもないか――
何気なく視線を移すと美波がしかめっ面で小さく首を振っていた。助手席にいる老人だと目配せをしている。
何だよ美波の奴、さっきまでブスッってしてたくせに。あの爺ちゃんが何だよ……
「あッ」思わず声が漏れた。
平野将門は前の会長、平野社長の親父さんだ―― ったくお姉の奴、いくら引退したからって普通にしすぎだろ!
一人で焦っているとリムジンは三つ目のゲートを過ぎ、玄関で百名程の所員が出迎えているのが見えた。
「出迎えは要らんと言っておいたろう」
前会長が不機嫌そうに言うと運転手が頭をかいた。
「いやぁ、久し振りにお出でくださったので皆が出迎えたいと言いまして」
「所長が出迎えるなと言って、いうことを聞かずにあれだけ出て来たのか」
「面目ありません」
「えッ!」突然、お姉が声を出した。
「北野君だね、噂は聞いているよ。よろしくね」
「胆沢所長でしたか。すみません気が付きませんで」
さっきまで足を組んで背中を丸め、肘掛けに頬杖をついていたお姉は背筋を伸ばし「よろしくお願いします」とルームミラー越しに会釈をしている。
白衣組もあたふたと続いた。
「いいよ、やめてくれ。向こうと違って、こっちは皆んな気楽にやっているから」
「そんなこと言っておるから、皆ああやって仕事放っぽらかして出て来るんじゃ。……しかし、さすがにこの格好は違和感があるのう。二人とも、上着は車に置いて出なさい」
平野前会長は創業者の一人で現時点に於いても御厨製薬の最高権力者といわれている。その右腕が雫石研究所の
玄関前に着き、リムジンから降りると「ご無沙汰しております」と、前会長の周りを所員が取り囲んで収拾がつかない状態になった。「皆、出迎えてくれてありがとう」と、将門のお爺ちゃんは満面の笑みを返している。
夏海先輩、いや、ナッちゃんは予想どおりといった顔で「純菜様、こちらです」と、玄関脇の夜間通行口から皆んなを所内に入れた。
純菜様か―― 昨日は一つか二つ年上のお姉さんのような顔をして今日は箸が転がっても可笑しくてしょうがないような小娘。女は怖いねぇ、まるで狐につままれてるようだ。ま、沙夜さんは、沙夜さんだけは絶対にそんなことはないけど――
「直君、来てくれてありがとう」と、微笑む沙夜さんの顔が浮かんでいた。
思いの外ゴールは近い―― 直感めいたものを感じている。