第23話 たんぽぽ食堂で聞き取り調査~先輩の家庭事情~
文字数 2,879文字
「それ、聞いちゃいます?」
食事はもう終わった。
全部きれいに美味しくいただいた。
トレイを片付けると、村瀬さんが私達2人にほうじ茶を煎れてくれた。
そして私達のテーブルには何故か、大家さん、田所さん、村瀬さんが包囲している。
「さあ、親権の続きを話せ」と言わんばかりに。
「で、どうして君はお父さんについてきたの?」
大家さんの追及に、先輩は観念した様子だった。
頭を掻き、
「えーと、一言で言うと……」
「一言で言おうとしなくていいから詳しく話しなさいな。時間はあるんでしょ?」
大家さんが突っ込む。
「まぁ気質が似ている同士がくっついた感じ、俺とオヤジ、母と弟って」
「離婚の原因は何なの?」
大家さんの空気を読まない性格に感謝。私じゃこんなこと聞けない。
「うーん、母と弟は野球バカで……弟をレギュラーにするため母はコーチと不倫していて、それがバレて離婚です」
大家さんと田所さんが顔を見合わせる。
「そんなことって本当にあるんだ!」
「スポーツにのめり込むと冷静じゃいられなくなる親って、けっこういるらしいよ」
「一種の宗教じゃない」
「父兄はすぐ気がつくだろうね」
「子どもの教育上よくないわ」
おばあさん2人は先輩の話に夢中になっている。私はいまひとつピンとこなかった。
それから、「君は野球はやっていなかったの?」と、大家さんは追求の手を緩めない。
先輩は湯飲みを両手で持ち、ほうじ茶を見つめながら呟いた。
「……俺は生まれつき足首が弱くて、怪我ばっかりしてスポーツはあんまりで、それで母は運動神経のいい弟に夢中でかかりきりで。俺は小さい頃から家事担当ですよ。まあ、それが今、役に立ってはいるんですけど。あの、母は保険の外交員で、ほとんど家に居なかったんです。支部長だったかな? 厚化粧の派手なババアですよ」
田所さんが口を開いた。
「あんた、傍目にはわかりにくい苦労をしているね。だから少し大人っぽいんだね」
すると先輩はニコッと笑った。
「実際、離婚してくれて心の底から嬉しかった。母の理不尽な八つ当たりとイキリ倒す弟から解放されて、最高に幸せ。……風邪引くと、試合前の弟にうつすなって嫌な顔されたし。毎日、夕飯用意して泥だらけのユニフォーム洗濯しての繰り返し。文句は言われても、全然感謝なんかされない。……オヤジ普段は温厚なんだけど、離婚のときは母とコーチ相手に裁判をしていた。父兄からホテルの写真を見せられたらしいんですよ。俺聞いちゃって。そして関東統括室勤務だったのに、価値観激変したらしく泉水工場に異動願い出して今に到るですよ」
先輩は時折言葉を詰まらせ自虐気味に笑いながら、工場の方角を指さした。
村瀬さんはボソッと、
「そうか、弟さんへの養育費だけは払っているのね」
「ハタチまでは払うって決めたそうです。でも母も弟も金遣い荒いバカだから、不満だらけで感謝なんてしていないだろうなぁ。離婚するときも野球ができなくなったらどうするんだみたいな大喧嘩して、オヤジが辞めればいいだろって言ったら母が逆上してモノ投げて、そりゃあもう大騒ぎ」
先輩はおどけてボールを投げるポーズをとった。
「なんか悪かったわね、興味本位で嫌なこと思い出させて」
大家さんにしては珍しいフォローだ。
すると先輩はスッキリした表情で伸びをして、
「いや、今の幸せを再確認できたっていうか。ギリ、天神中学校の入学式に間に合ったんですよ。ここに越して来てから、自分の好きなように伸び伸び仕切れるからすごく楽しい。みんなも俺の話ちゃんと聞いてくれるし」
「あなた面白い子ね。今度、お父さんを連れていらっしゃいよ。お父さんおいくつなの?」
「47歳。でももう枯れちゃって余生を過ごしている雰囲気、まるで消化試合ですよ」
「消化試合? 47は若いわ、枯れるにはまだまだ早過ぎるわよ」
2人で食堂を出て、少し種原山を散歩することにした。
「高山さ-ん」
すぐに、後ろから村瀬さんが追いかけてきた。
村瀬さんは息を切らしながら、
「あの、ちょっと、さっきの雰囲気では言い出せなかったんだけど、やっぱり、言っておきたいことがあって」
村瀬さんの真剣な表情に、2人で少し緊張して村瀬さんの言葉を待った。
「高山さんから聞いたんだけど、君、義肢装具 学科に推薦合格したんだって?」
「はい」
「あのね、合格した開放感で遊びたいだろうけど、一般入試の人と同じように勉強しておいた方がいいわよ。入学してから差がついちゃうから」
勉強の話だった。
私と先輩は顔を見合わせホッとして微笑んだ。
すると村瀬さんは少しムキになって、
「真面目な話、ホントだから。だから推薦は、とかいって差別されたくないでしょ?」
そして私に向いて、
「八島がね、最初泉工医大を舐めてかかって手を抜いた挙げ句、単位落として取り戻すのが大変だったのよ。気を抜いちゃダメなの」
先輩が「なんの勉強したらいいんですか?」と聞くと、
「んー、そうね、とりあえず泉工医大の過去問でもやっておけば?」
「了解です」
先輩がそう答えたのを聞いて、村瀬さんは満足した表情を浮かべ食堂へと戻っていった。
これが村瀬さんの持ち味。村瀬さんは真面目でいつも色々考えているけど、みんなとはちょっとだけ違うことを考えていたりする。そこが新鮮で年上だけど可愛いと思う。
2人きりになり並んで歩きながら先輩の顔を見ると、普段と違っていてハッとした。
いつもは虚勢を張ったり照れ隠しのような仏頂面なのに、やっぱり色々思い出してしまったのかな?
種原山で迷子になった子どもみたいな心もとない表情をしていた。
私は小さい頃の先輩が可哀相になって、いてもたってもいられなくなり、
「やっぱり先輩は主役だよ。初めて見たときから特別だった」
そう言いながら、勇気を振り絞り自分から先輩と手を繋いだ。
異性と手を繋ぐのは大丈夫なはず、中学校の卒業式で実験済み。
先輩は「おっと」と軽く驚いたあと私を見て、すぐに「ちょこざいな」とギュッと握り返してきた。
この感触は、あのときのクラスメイトとの握手とはまったくの別物。
感度が手に集中してしまったかのよう、
「あっ」
私は驚いて小さく声をあげてしまった。
「お、おい、変な声出すなよ」
先輩が笑う。
種原山を空 っ風が吹き抜けているというのに、私は真っ赤になった。すると先輩は、
「いったん、いったん解除な」
と繋いだ手を外すと、巻いていたマフラーを私に巻いてくれた。
「先輩が寒くなっちゃう」
「いいの、いいの、デートの時やってみたかったことの一つだから」
それから今度は指を交差させて手を繋いできた。
やっぱり2つ年上なだけある。先輩がいつもよりずっと大人に思えた。
「デートの時にやってみたかったこと、いっぱいあるんだよね」
ドキッとして私は先輩の顔を見ると、先輩は平静を装っている風だけど瞳は熱っぽかった。
私はこのまま見つめ合っていたら接触の進捗が早まってしまう気がして、慌てて下を向いて歩いた。
道の向こうからハイキングの家族連れが二組歩いてきた。先輩は苦笑いでため息をついて、この日は手を繋ぐまでで終了した。
食事はもう終わった。
全部きれいに美味しくいただいた。
トレイを片付けると、村瀬さんが私達2人にほうじ茶を煎れてくれた。
そして私達のテーブルには何故か、大家さん、田所さん、村瀬さんが包囲している。
「さあ、親権の続きを話せ」と言わんばかりに。
「で、どうして君はお父さんについてきたの?」
大家さんの追及に、先輩は観念した様子だった。
頭を掻き、
「えーと、一言で言うと……」
「一言で言おうとしなくていいから詳しく話しなさいな。時間はあるんでしょ?」
大家さんが突っ込む。
「まぁ気質が似ている同士がくっついた感じ、俺とオヤジ、母と弟って」
「離婚の原因は何なの?」
大家さんの空気を読まない性格に感謝。私じゃこんなこと聞けない。
「うーん、母と弟は野球バカで……弟をレギュラーにするため母はコーチと不倫していて、それがバレて離婚です」
大家さんと田所さんが顔を見合わせる。
「そんなことって本当にあるんだ!」
「スポーツにのめり込むと冷静じゃいられなくなる親って、けっこういるらしいよ」
「一種の宗教じゃない」
「父兄はすぐ気がつくだろうね」
「子どもの教育上よくないわ」
おばあさん2人は先輩の話に夢中になっている。私はいまひとつピンとこなかった。
それから、「君は野球はやっていなかったの?」と、大家さんは追求の手を緩めない。
先輩は湯飲みを両手で持ち、ほうじ茶を見つめながら呟いた。
「……俺は生まれつき足首が弱くて、怪我ばっかりしてスポーツはあんまりで、それで母は運動神経のいい弟に夢中でかかりきりで。俺は小さい頃から家事担当ですよ。まあ、それが今、役に立ってはいるんですけど。あの、母は保険の外交員で、ほとんど家に居なかったんです。支部長だったかな? 厚化粧の派手なババアですよ」
田所さんが口を開いた。
「あんた、傍目にはわかりにくい苦労をしているね。だから少し大人っぽいんだね」
すると先輩はニコッと笑った。
「実際、離婚してくれて心の底から嬉しかった。母の理不尽な八つ当たりとイキリ倒す弟から解放されて、最高に幸せ。……風邪引くと、試合前の弟にうつすなって嫌な顔されたし。毎日、夕飯用意して泥だらけのユニフォーム洗濯しての繰り返し。文句は言われても、全然感謝なんかされない。……オヤジ普段は温厚なんだけど、離婚のときは母とコーチ相手に裁判をしていた。父兄からホテルの写真を見せられたらしいんですよ。俺聞いちゃって。そして関東統括室勤務だったのに、価値観激変したらしく泉水工場に異動願い出して今に到るですよ」
先輩は時折言葉を詰まらせ自虐気味に笑いながら、工場の方角を指さした。
村瀬さんはボソッと、
「そうか、弟さんへの養育費だけは払っているのね」
「ハタチまでは払うって決めたそうです。でも母も弟も金遣い荒いバカだから、不満だらけで感謝なんてしていないだろうなぁ。離婚するときも野球ができなくなったらどうするんだみたいな大喧嘩して、オヤジが辞めればいいだろって言ったら母が逆上してモノ投げて、そりゃあもう大騒ぎ」
先輩はおどけてボールを投げるポーズをとった。
「なんか悪かったわね、興味本位で嫌なこと思い出させて」
大家さんにしては珍しいフォローだ。
すると先輩はスッキリした表情で伸びをして、
「いや、今の幸せを再確認できたっていうか。ギリ、天神中学校の入学式に間に合ったんですよ。ここに越して来てから、自分の好きなように伸び伸び仕切れるからすごく楽しい。みんなも俺の話ちゃんと聞いてくれるし」
「あなた面白い子ね。今度、お父さんを連れていらっしゃいよ。お父さんおいくつなの?」
「47歳。でももう枯れちゃって余生を過ごしている雰囲気、まるで消化試合ですよ」
「消化試合? 47は若いわ、枯れるにはまだまだ早過ぎるわよ」
2人で食堂を出て、少し種原山を散歩することにした。
「高山さ-ん」
すぐに、後ろから村瀬さんが追いかけてきた。
村瀬さんは息を切らしながら、
「あの、ちょっと、さっきの雰囲気では言い出せなかったんだけど、やっぱり、言っておきたいことがあって」
村瀬さんの真剣な表情に、2人で少し緊張して村瀬さんの言葉を待った。
「高山さんから聞いたんだけど、君、
「はい」
「あのね、合格した開放感で遊びたいだろうけど、一般入試の人と同じように勉強しておいた方がいいわよ。入学してから差がついちゃうから」
勉強の話だった。
私と先輩は顔を見合わせホッとして微笑んだ。
すると村瀬さんは少しムキになって、
「真面目な話、ホントだから。だから推薦は、とかいって差別されたくないでしょ?」
そして私に向いて、
「八島がね、最初泉工医大を舐めてかかって手を抜いた挙げ句、単位落として取り戻すのが大変だったのよ。気を抜いちゃダメなの」
先輩が「なんの勉強したらいいんですか?」と聞くと、
「んー、そうね、とりあえず泉工医大の過去問でもやっておけば?」
「了解です」
先輩がそう答えたのを聞いて、村瀬さんは満足した表情を浮かべ食堂へと戻っていった。
これが村瀬さんの持ち味。村瀬さんは真面目でいつも色々考えているけど、みんなとはちょっとだけ違うことを考えていたりする。そこが新鮮で年上だけど可愛いと思う。
2人きりになり並んで歩きながら先輩の顔を見ると、普段と違っていてハッとした。
いつもは虚勢を張ったり照れ隠しのような仏頂面なのに、やっぱり色々思い出してしまったのかな?
種原山で迷子になった子どもみたいな心もとない表情をしていた。
私は小さい頃の先輩が可哀相になって、いてもたってもいられなくなり、
「やっぱり先輩は主役だよ。初めて見たときから特別だった」
そう言いながら、勇気を振り絞り自分から先輩と手を繋いだ。
異性と手を繋ぐのは大丈夫なはず、中学校の卒業式で実験済み。
先輩は「おっと」と軽く驚いたあと私を見て、すぐに「ちょこざいな」とギュッと握り返してきた。
この感触は、あのときのクラスメイトとの握手とはまったくの別物。
感度が手に集中してしまったかのよう、
「あっ」
私は驚いて小さく声をあげてしまった。
「お、おい、変な声出すなよ」
先輩が笑う。
種原山を
「いったん、いったん解除な」
と繋いだ手を外すと、巻いていたマフラーを私に巻いてくれた。
「先輩が寒くなっちゃう」
「いいの、いいの、デートの時やってみたかったことの一つだから」
それから今度は指を交差させて手を繋いできた。
やっぱり2つ年上なだけある。先輩がいつもよりずっと大人に思えた。
「デートの時にやってみたかったこと、いっぱいあるんだよね」
ドキッとして私は先輩の顔を見ると、先輩は平静を装っている風だけど瞳は熱っぽかった。
私はこのまま見つめ合っていたら接触の進捗が早まってしまう気がして、慌てて下を向いて歩いた。
道の向こうからハイキングの家族連れが二組歩いてきた。先輩は苦笑いでため息をついて、この日は手を繋ぐまでで終了した。