第16話 凪の昼~先輩とオープンキャンパスへ~
文字数 2,673文字
小関先輩からラインがあった。
「泉工医大福祉医療学部のオープンキャンパス行くんだけど、高山も行く?」
あんなに会いたくて会いたくて仕方がなかった先輩なのに、大学の正面入口で待ち合わせして顔を見た途端、急にドキドキして……上手くしゃべれなくなった。
「どうした? 顔が赤いけど、大丈夫か?」
先輩は心配して生協でスポーツドリンクを買ってくれた。
私は進学相談室の隅で、下を向いたまま早口で言った。
「私、少しここで休んでいます、先輩は義肢装具 学科を見学してきてください」
「わかった。なにかあったらラインして」
「はい」
恋愛って不自由だな。
恥ずかしくて眩しくて顔もあんまり見られない。
夏休み前は、なんであんなに躊躇無く接触できたのだろう。
なんにも考えていなかった。小学生だってあんなストレートな物言いはしないだろう。
何かにつけ追いかけ回して顔を見に行って、先輩の前で着替えたこともあった。
ああ、信じられない、今思うとあり得ない。
それじゃあ、確かに妹か友達止まりだ。
先輩がいなくなったあとは平常に戻って立ち上がり、フラッと近くの医療マネジメント科のパネル展示を見ていた。
チーム医療か。どこへでも普段着で溶け込めそうな先輩は適性があるだろうけど、私には向いていないな。大勢の中に入ると、自分がズレているって感じるもの。言葉の裏を読むのも苦手だし。
村瀬さんと天宮さんと一緒のときはズレは感じないけど。
きっとあの二人、特に天宮さんに関しては私同様もしくは私以上にズレていると信じたい。
「君、どこ志望?」
急に影ができて、振り返ると3人の大学生に囲まれていた。
「その制服は中央高校だね」
「どこか見たい場所があれば案内するよー」
知らない男の人は苦手。特に正面のこの人。
日焼けしているし、距離感おかしいし、脂ぎって男臭いし。
「大丈夫です」そう言うだけで精一杯だった。
「グンちゃん、彼女怯えているよー、このお兄さん怖いよねー」
思わず私は頷いてしまった。色黒の男の人を見ると今でも背筋が凍る。
「ひでー、俺、まだなんもしていないのに」
「あはははっ」
「グンちゃん、グイグイいき過ぎ」
「あの、通してください」
「俺、傷ついたんだけどー」
「グンちゃんが謝罪を要求するって」
「彼女カワイイー」
あ、これ絡まれているんだ。どうしよう。
私は下を向いたままペットボトルを握りしめる。
「高山―!」
顔を上げると先輩が見えた。
「すみません、ほら、行こ」
先輩は私の背中に手を回して、強引に3人から救出してくれた。
「なんだよ男連れかよ」
「高校生にしては渋いっつーか老けた彼氏だな」
歩きながら先輩は、「高山、ナンパははっきり断らないと。え?」
私の頬に涙が一筋こぼれていた。
「怖かった……」
「おまえいつもはしっかりしているのに」
「知らない男の人は怖いの」
ボソッと言うと、先輩は「マジかよ」と呟き、
「おまえ、誰にでもグイグイいけるのかと思っていた」
「私は……むしろ、男性恐怖症」
先輩は急に立ち止まって私の顔をしげしげと見つめたので、私はまた顔をそらしてしまった。
お昼の時間になったけど、大勢の高校生で食堂や休憩室はごった返し。
「高山、体調はどう? ご飯食べられる?」
「うん」
先輩のあとをついて行って、外の木陰のブロックに二人で座った。
先輩はリュックからシワシワの紙袋を出すと、
「高山は他人が握ったおにぎりって食べられる? 」
「人によるかも」
「俺が握ったんだけど」
私はびっくりして「食べたい」
「不格好だけど、ほれ」
アルミホイルに包まれた大きなおにぎりだった。先輩が水筒のコップに、冷たい麦茶も入れてくれた。
「あ、これ美味しい、すごい、梅干しと鮭と、昆布も入っている! こんな贅沢おにぎり初めて食べた」
「よかった。おにぎりの具って一つに絞れなくてさ、それで全部入れてしまったという」
「でも梅干しの味が最終的に勝つかな」
「そうなんだよ、やっぱりそう思う?」
二人で笑って目が合うと、ドキッとしてまた視線をそらしてしまった。
そしてまた無言に。おにぎりも食べ終えてしまった。
「なんかさ、高山、朝からツンツンしてる。前と感じが違う」
「……」
「怒っている? 俺がはっきりしないから」
「違う」
「じゃ、なに、気になるよ」
「……意識しすぎて緊張、しているの」
私は下を向いたまま、小声で言った。
「なっ、今さら」
「…………」
思わず両手を火照った頬に当てる。
「やめ、やめろよそういうの、伝染するだろ」
先輩は体育座りでそう困惑しながらも、理工学部も見学した方がいいんじゃないかなどと言ってくれて、二人でギクシャクしながらバスに乗りこんだ。
そして午後いっぱい、二人で更にギクシャクとスタンプラリーなんかをしながらカタコトの会話で理工学部を回った。
前を歩く先輩は何度も振り返り、何度かつんのめった。
理工学部は男の人だらけだったけど、あんまり怖くはなかった。
機械工学システムか電子工学システムかどちらか忘れたけど、筋電義手 のデモが始まった。
先輩こういう分野に興味あるんじゃないかと思い「先輩、もっと前に」と、思わず先輩の左肘をそっと押した。
すると「高山も見える? 」と言いながら、先輩が私の背中に左手を置いてくれた。
「見える」
「すごいな」
「すごい」
夢中になっているふりをして、ずっと先輩の手の感触に集中した。
手のひらも指先もやっぱり大きい。
それから電波観測や人工衛星で、地球環境の観測を行う研究センターを見学した。
私は、父親から逃げることばかり考えるのでなく、逆に私が更に高い場所で、父親と梯子の会の監視をすればいいのではないかなどと考えたりした。
大学生の説明を聞きモニターを見ながら、しばしばトリップして動かなくなってしまう私を、先輩は黙って待っていてくれた。
そんなこんなで時間を食って、村瀬さんが通っているバイオ工学システムまでは回りきれなかった。
結局私は最後まで挙動不審だった。
お互いの家が近いとわかって、蓬莱橋 でコスモスを眺めてから先輩が「じゃ」と別れるときも、私は無言でお辞儀をしただけだった。
誘ってくれてありがとう、楽しかったとか、受験勉強頑張ってくださいとか、きちんとした女の子なら言えることが一切言えなかった。
おにぎりのお礼に、たんぽぽ食堂で夕御飯を奢るとかもできたはずなのに。
先輩は呆れてしまったかもしれない。
私といてもつまらなかったと思う。
もう誘われないような気がする。
帰ってから湯船の中で落ち込んだ。
それでもなぜかこの日を境に、先輩はちょこちょこラインをくれるようになった。
「泉工医大福祉医療学部のオープンキャンパス行くんだけど、高山も行く?」
あんなに会いたくて会いたくて仕方がなかった先輩なのに、大学の正面入口で待ち合わせして顔を見た途端、急にドキドキして……上手くしゃべれなくなった。
「どうした? 顔が赤いけど、大丈夫か?」
先輩は心配して生協でスポーツドリンクを買ってくれた。
私は進学相談室の隅で、下を向いたまま早口で言った。
「私、少しここで休んでいます、先輩は
「わかった。なにかあったらラインして」
「はい」
恋愛って不自由だな。
恥ずかしくて眩しくて顔もあんまり見られない。
夏休み前は、なんであんなに躊躇無く接触できたのだろう。
なんにも考えていなかった。小学生だってあんなストレートな物言いはしないだろう。
何かにつけ追いかけ回して顔を見に行って、先輩の前で着替えたこともあった。
ああ、信じられない、今思うとあり得ない。
それじゃあ、確かに妹か友達止まりだ。
先輩がいなくなったあとは平常に戻って立ち上がり、フラッと近くの医療マネジメント科のパネル展示を見ていた。
チーム医療か。どこへでも普段着で溶け込めそうな先輩は適性があるだろうけど、私には向いていないな。大勢の中に入ると、自分がズレているって感じるもの。言葉の裏を読むのも苦手だし。
村瀬さんと天宮さんと一緒のときはズレは感じないけど。
きっとあの二人、特に天宮さんに関しては私同様もしくは私以上にズレていると信じたい。
「君、どこ志望?」
急に影ができて、振り返ると3人の大学生に囲まれていた。
「その制服は中央高校だね」
「どこか見たい場所があれば案内するよー」
知らない男の人は苦手。特に正面のこの人。
日焼けしているし、距離感おかしいし、脂ぎって男臭いし。
「大丈夫です」そう言うだけで精一杯だった。
「グンちゃん、彼女怯えているよー、このお兄さん怖いよねー」
思わず私は頷いてしまった。色黒の男の人を見ると今でも背筋が凍る。
「ひでー、俺、まだなんもしていないのに」
「あはははっ」
「グンちゃん、グイグイいき過ぎ」
「あの、通してください」
「俺、傷ついたんだけどー」
「グンちゃんが謝罪を要求するって」
「彼女カワイイー」
あ、これ絡まれているんだ。どうしよう。
私は下を向いたままペットボトルを握りしめる。
「高山―!」
顔を上げると先輩が見えた。
「すみません、ほら、行こ」
先輩は私の背中に手を回して、強引に3人から救出してくれた。
「なんだよ男連れかよ」
「高校生にしては渋いっつーか老けた彼氏だな」
歩きながら先輩は、「高山、ナンパははっきり断らないと。え?」
私の頬に涙が一筋こぼれていた。
「怖かった……」
「おまえいつもはしっかりしているのに」
「知らない男の人は怖いの」
ボソッと言うと、先輩は「マジかよ」と呟き、
「おまえ、誰にでもグイグイいけるのかと思っていた」
「私は……むしろ、男性恐怖症」
先輩は急に立ち止まって私の顔をしげしげと見つめたので、私はまた顔をそらしてしまった。
お昼の時間になったけど、大勢の高校生で食堂や休憩室はごった返し。
「高山、体調はどう? ご飯食べられる?」
「うん」
先輩のあとをついて行って、外の木陰のブロックに二人で座った。
先輩はリュックからシワシワの紙袋を出すと、
「高山は他人が握ったおにぎりって食べられる? 」
「人によるかも」
「俺が握ったんだけど」
私はびっくりして「食べたい」
「不格好だけど、ほれ」
アルミホイルに包まれた大きなおにぎりだった。先輩が水筒のコップに、冷たい麦茶も入れてくれた。
「あ、これ美味しい、すごい、梅干しと鮭と、昆布も入っている! こんな贅沢おにぎり初めて食べた」
「よかった。おにぎりの具って一つに絞れなくてさ、それで全部入れてしまったという」
「でも梅干しの味が最終的に勝つかな」
「そうなんだよ、やっぱりそう思う?」
二人で笑って目が合うと、ドキッとしてまた視線をそらしてしまった。
そしてまた無言に。おにぎりも食べ終えてしまった。
「なんかさ、高山、朝からツンツンしてる。前と感じが違う」
「……」
「怒っている? 俺がはっきりしないから」
「違う」
「じゃ、なに、気になるよ」
「……意識しすぎて緊張、しているの」
私は下を向いたまま、小声で言った。
「なっ、今さら」
「…………」
思わず両手を火照った頬に当てる。
「やめ、やめろよそういうの、伝染するだろ」
先輩は体育座りでそう困惑しながらも、理工学部も見学した方がいいんじゃないかなどと言ってくれて、二人でギクシャクしながらバスに乗りこんだ。
そして午後いっぱい、二人で更にギクシャクとスタンプラリーなんかをしながらカタコトの会話で理工学部を回った。
前を歩く先輩は何度も振り返り、何度かつんのめった。
理工学部は男の人だらけだったけど、あんまり怖くはなかった。
機械工学システムか電子工学システムかどちらか忘れたけど、
先輩こういう分野に興味あるんじゃないかと思い「先輩、もっと前に」と、思わず先輩の左肘をそっと押した。
すると「高山も見える? 」と言いながら、先輩が私の背中に左手を置いてくれた。
「見える」
「すごいな」
「すごい」
夢中になっているふりをして、ずっと先輩の手の感触に集中した。
手のひらも指先もやっぱり大きい。
それから電波観測や人工衛星で、地球環境の観測を行う研究センターを見学した。
私は、父親から逃げることばかり考えるのでなく、逆に私が更に高い場所で、父親と梯子の会の監視をすればいいのではないかなどと考えたりした。
大学生の説明を聞きモニターを見ながら、しばしばトリップして動かなくなってしまう私を、先輩は黙って待っていてくれた。
そんなこんなで時間を食って、村瀬さんが通っているバイオ工学システムまでは回りきれなかった。
結局私は最後まで挙動不審だった。
お互いの家が近いとわかって、
誘ってくれてありがとう、楽しかったとか、受験勉強頑張ってくださいとか、きちんとした女の子なら言えることが一切言えなかった。
おにぎりのお礼に、たんぽぽ食堂で夕御飯を奢るとかもできたはずなのに。
先輩は呆れてしまったかもしれない。
私といてもつまらなかったと思う。
もう誘われないような気がする。
帰ってから湯船の中で落ち込んだ。
それでもなぜかこの日を境に、先輩はちょこちょこラインをくれるようになった。