第37話 バンド『バイブル・シャッフル』
文字数 2,040文字
6月19日金曜日のライブチケットは購入した。
村瀬さんに話したら、
「ライブって1回も行ったことない。私も気分転換に行ってみたい」
椎貝さんは微笑みながらやんわりと断った。
「私は、いいわ。お誘いありがとう」
順君は露骨に機嫌悪くなった。
「え? そんなバンド知らない。略して『バイブ』? 真奈、そんな言葉使っちゃダメ。それエッチな言葉だから」
「俺バイトだよ。ライブハウスなんて危ないよ。ナンパされたらどうするの。行っちゃダメ。……え? もうチケット買っちゃったの? ああ……そうなんだ。オヤジのカルト宗教をディスっているんだ。なるほどね、そりゃ行ってみたくなるよね。でもさ、誰か他にしっかりした大人の人と一緒に行かないの? 村瀬さん? あの小っちゃい人かー、不安だな」
順君から条件が出された。
ライブは後方で見ること。男の子みたいな服装で行くこと。あんまり夢中になりすぎないこと。終わったとき、家に帰ったとき、逐一ラインすること。
「梯子の会の人に遭うと嫌だから、帽子かぶってマスクして行くつもりだよ」
「是非そうしてくれ」
部活が終わってから教室で、美弥ちゃんにバイブル・シャッフルの動画を見せてもらった。美弥ちゃんのスマホを覗き込む。
「予習して行った方が絶対いいから」
「梯子の歌を聞きたい」
「あれ、できたばっかりでまだアップされていないんだよ。まずは、ライブのタイトルになっているこの曲」
少し荒いライブ映像が映し出された。『洗脳カンファレンス』という曲。
引いた画像、ガチャガチャするギターと乱暴なドラムの前奏が続く。不協和音なのかな、前のめりなリズムが相まって、聞いていると焦ってくる。
西園寺がマイクに向かうと、意外なことに字幕無しでも歌詞が聞き取れた。
自分が本体だと いつから勘違い?
洗い替えして ロンダリング
サンプリングにカップリングで
見たことのないオマエのできあがり
さあ行け 部品同士通信して
位置情報確認 レミングでGO
屋上からGO
「ね、すごいでしょ。サイ君の声、生歌なんだよ。そのままCDにできるよね」
私の好きな声は、柔らかく伸びる順君や田村君の声、それに村瀬さんや大山さん畑中さんみたいな落ち着いた声。
でもこの西園寺の深く輪郭がシャープで、脳にダイレクトに響くような声も魅力がある。
「あとこのラブソングも聴いて」
また別の日のライブ映像が始まった。髪が今より短くTシャツ姿、服装がラフで少し前の映像みたい。
ショッピングモール プラットフォーム
網張って待っているから
諦めて餌 になれ 俺に食われろよ
家や学校に紛れても無駄
記憶の隙間に忍び込む
俺を忘れないよう 君を傷つけてあげる
「これ……ラブソングなの?」
「そうよ! 『天使をストーカー』 っていうの。聞こえる、この歓声」
そう言われて集中すると、間奏で
「サイくーん」「私を食べてー」「私を見つけてー」
悲鳴のような声が聞こえる。すごい人気だ。
「だいたい女に人気だと比例してアンチも増えるんだけど、サイ君の場合、男人気も凄いのよ。昨日の子達みたいに」
「ラブソングというより、宗教だな」
私が思わず呟くと、「それは否めない」と美弥ちゃんは腕を組んで頷いた。
それからライブのオープニングでかかるインストゥルメンタル『ドミネーション』、近況みたいなものをアドリブで西園寺が歌っているらしい『地磁気は乱れています』を聞いて私はぐったりした。
泉水市に潜入して2年弱、普通の女の子の擬態 がすっかり自分のものになって日常に溶け込み満足しているというのに、洗脳で視界と思考を狭められ蒙昧 な生活をしていたときのザラザラした感触がよみがえってくるのだ。
今思うと奴隷のようだった。
「……なんとなくライブ、憂鬱になってきたな」
私の言葉に美弥ちゃんは言った。
「真奈ちん、行かない後悔より行く後悔を選ぶべきなのよ。これがオタクの鉄則なの。バイブル・シャッフルはライブが本命なんだから。現場に行かないと見えてこないモノってのがあるのよ」
いつの間にか側で、私達のやり取りを聞いていた松岡君が言った。
「中原、あんまり高山さんを沼に引きずり込むなよ」
「マッちゃんも行く?」
「俺はいいよ、塾だし」
美弥ちゃんと松岡君は最近仲がいい。早くつき合えばいいのに、って思う。
さすが村瀬さんは真面目だ。
ネットで抜かりなく予習したらしい。
「実は1年前、ボーカルの超絶劣化版みたいな男にストーカーされたことがあるの。『天使をストーカー』聞いたらそのときの匂いみたいなもの思い出しちゃった。なんか、五感に訴えてくるものあるよね。あとね、『ゴルゴダの団地』って曲聞いた?」
「それは聞いていないです」
「ボーカルの人、毎回歌詞変わるのよ。アドリブかしら」
「もしかして村瀬さん、けっこう聞き込みました?」
「うん。癖になるわね、あの声。見た目は全然タイプじゃないけど」
村瀬さんも私と一緒で、終始眉間にシワを寄せていた。それでも渋い顔で言った。
「沼に落ちそう」と。
村瀬さんに話したら、
「ライブって1回も行ったことない。私も気分転換に行ってみたい」
椎貝さんは微笑みながらやんわりと断った。
「私は、いいわ。お誘いありがとう」
順君は露骨に機嫌悪くなった。
「え? そんなバンド知らない。略して『バイブ』? 真奈、そんな言葉使っちゃダメ。それエッチな言葉だから」
「俺バイトだよ。ライブハウスなんて危ないよ。ナンパされたらどうするの。行っちゃダメ。……え? もうチケット買っちゃったの? ああ……そうなんだ。オヤジのカルト宗教をディスっているんだ。なるほどね、そりゃ行ってみたくなるよね。でもさ、誰か他にしっかりした大人の人と一緒に行かないの? 村瀬さん? あの小っちゃい人かー、不安だな」
順君から条件が出された。
ライブは後方で見ること。男の子みたいな服装で行くこと。あんまり夢中になりすぎないこと。終わったとき、家に帰ったとき、逐一ラインすること。
「梯子の会の人に遭うと嫌だから、帽子かぶってマスクして行くつもりだよ」
「是非そうしてくれ」
部活が終わってから教室で、美弥ちゃんにバイブル・シャッフルの動画を見せてもらった。美弥ちゃんのスマホを覗き込む。
「予習して行った方が絶対いいから」
「梯子の歌を聞きたい」
「あれ、できたばっかりでまだアップされていないんだよ。まずは、ライブのタイトルになっているこの曲」
少し荒いライブ映像が映し出された。『洗脳カンファレンス』という曲。
引いた画像、ガチャガチャするギターと乱暴なドラムの前奏が続く。不協和音なのかな、前のめりなリズムが相まって、聞いていると焦ってくる。
西園寺がマイクに向かうと、意外なことに字幕無しでも歌詞が聞き取れた。
自分が本体だと いつから勘違い?
洗い替えして ロンダリング
サンプリングにカップリングで
見たことのないオマエのできあがり
さあ行け 部品同士通信して
位置情報確認 レミングでGO
屋上からGO
「ね、すごいでしょ。サイ君の声、生歌なんだよ。そのままCDにできるよね」
私の好きな声は、柔らかく伸びる順君や田村君の声、それに村瀬さんや大山さん畑中さんみたいな落ち着いた声。
でもこの西園寺の深く輪郭がシャープで、脳にダイレクトに響くような声も魅力がある。
「あとこのラブソングも聴いて」
また別の日のライブ映像が始まった。髪が今より短くTシャツ姿、服装がラフで少し前の映像みたい。
ショッピングモール プラットフォーム
網張って待っているから
諦めて
家や学校に紛れても無駄
記憶の隙間に忍び込む
俺を忘れないよう 君を傷つけてあげる
「これ……ラブソングなの?」
「そうよ! 『天使をストーカー』 っていうの。聞こえる、この歓声」
そう言われて集中すると、間奏で
「サイくーん」「私を食べてー」「私を見つけてー」
悲鳴のような声が聞こえる。すごい人気だ。
「だいたい女に人気だと比例してアンチも増えるんだけど、サイ君の場合、男人気も凄いのよ。昨日の子達みたいに」
「ラブソングというより、宗教だな」
私が思わず呟くと、「それは否めない」と美弥ちゃんは腕を組んで頷いた。
それからライブのオープニングでかかるインストゥルメンタル『ドミネーション』、近況みたいなものをアドリブで西園寺が歌っているらしい『地磁気は乱れています』を聞いて私はぐったりした。
泉水市に潜入して2年弱、普通の女の子の
今思うと奴隷のようだった。
「……なんとなくライブ、憂鬱になってきたな」
私の言葉に美弥ちゃんは言った。
「真奈ちん、行かない後悔より行く後悔を選ぶべきなのよ。これがオタクの鉄則なの。バイブル・シャッフルはライブが本命なんだから。現場に行かないと見えてこないモノってのがあるのよ」
いつの間にか側で、私達のやり取りを聞いていた松岡君が言った。
「中原、あんまり高山さんを沼に引きずり込むなよ」
「マッちゃんも行く?」
「俺はいいよ、塾だし」
美弥ちゃんと松岡君は最近仲がいい。早くつき合えばいいのに、って思う。
さすが村瀬さんは真面目だ。
ネットで抜かりなく予習したらしい。
「実は1年前、ボーカルの超絶劣化版みたいな男にストーカーされたことがあるの。『天使をストーカー』聞いたらそのときの匂いみたいなもの思い出しちゃった。なんか、五感に訴えてくるものあるよね。あとね、『ゴルゴダの団地』って曲聞いた?」
「それは聞いていないです」
「ボーカルの人、毎回歌詞変わるのよ。アドリブかしら」
「もしかして村瀬さん、けっこう聞き込みました?」
「うん。癖になるわね、あの声。見た目は全然タイプじゃないけど」
村瀬さんも私と一緒で、終始眉間にシワを寄せていた。それでも渋い顔で言った。
「沼に落ちそう」と。