第33話 森奏絵 クリスタルギルドのおまじない②
文字数 3,407文字
夏休み明けに、高山真奈さんは転校してきた。
高山さんは髪が短く寝癖をつけていて、一見男の子みたいだった。
飾り気が無く持ち物も必要最低限で質素極まりなかったが、かえってそれがセンスよく見えると河合さん達が話していた。
「痩せているけど意外に胸がある」
と男子が噂していた。高山さんはそれを気にしたのか、サラシのように胸を全部覆うブラジャーをして胸を目立たせないようにしていた。
いつの間にか牧田君は、高山さんにかかりきりになっていた。
「マッキー、少しお節介過ぎない?」
河合さんが誰かに言い、私もそう思った。
私が模試の答えを牧田君に確認したとき、牧田君は隣の高山さんをチラチラ見ながら、今までに無くとても丁寧に優しく教えてくれた。
そのとき生まれた微かな違和感は、トゲのように残った。
高山さんは田村君と一緒に、片耳ずつイヤホンで音楽を聴いているときがあった。
文化祭のステージで田村君が変な歌を歌ってから、二人は仲良くなったのだ。
男子が「恋人同士」とからかうと、二人は中庭に移動して音楽を聴いていた。
そんな時牧田君は、さり気なく窓から中庭を監視してイラついていた。
私は長年の牧田ウオッチャーなので手に取るように感情の揺れがわかるのだ。
鈍くさい私がバレーボールの球を受け損ね、みんながため息をつく中、高山さんが走ってボールを拾いに行き、
「カバーできなくてごめん」と笑った。
みんなが高山さんと組みたがり、特に伊藤さんは昼休みもバレーボールにつき合わせていた。
高山さんは試合中いつも ”楽しくて仕方ない!” といった風情だった。
敵も味方もそれにつられて楽しいゲームができた。
私の数々のミスは空気を悪くしないで済み、心の中で感謝した。
小学校から一緒の窪塚 が、私が配ったプリントを「げー、菌がうつる」と叫んだら、高山さんが不思議そうに言った。
「言っている意味がわからない。そういうことは言わない方がいい」
またある日、窪塚が私の背中に千切った消しゴムを投げているのを見て、
「意味がわからない。そういうことはしない方がいい」
と、いつもの不思議そうな顔で言った。
窪塚が、
「うるせー、ナマポ」
と言うと、高山さんはキョトンとした顔のまま、
「ナマポって何?」
と尋ねた。
「生活保護だよ。おまえの顔写真晒すぞ」
窪塚は要するにバカなのだ。
もちろん勉強もできないド底辺で、本当は小心者のクセにすぐ感情的になり虚勢を張って、思ってもいないことを口走りトラブルを起こすのだ。
すぐに田村君と、意外なことに原田君が一瞬で駆けつけて窪塚を怒鳴りつけた。
大人しい田村君とふざけてばかりの原田君が、あんなに激高するところを初めて見た。
高山さんの顔は真っ青になり、手で口元を押さえ、その手は震えていた。
その場にいたクラスの女子達が「高山さん大丈夫?」と取り囲んだ。
牧田君はというと、硬直していた。多分「生活保護」のワードに驚いたのだろう。お坊ちゃんだから。
自分が原因でこんな騒ぎになったのだが、私は俯瞰 で見ていた。
ある瞬間女子達がそろって私を見たので、ご要望通り高山さんに向かって、
「高山さん、私のせいでごめんね」
と神妙な顔で頭を下げた。
だいたい人の感情なんて、ましてや中学生の感情なんて手に取るように読める。でも何故か、高山さんの感情はよく読めなかった。
というのも、高山さんは私が鞄に付けている梯子の会のお守りを指さし、私にだけ聞こえるようにこう言ったことがあるのだ。
「森さん、こういうものに頼らない方がいい」
「ただのお守りだよ」
私は笑って答えたのだが、高山さんの顔は険しかった。
いつも高山さんはみんなの話をキョトンとした顔で聞いていて、こんな顔をしたのは後にも先にもこの時だけだった。
窪塚はすっかりクラスで孤立した。
窪塚が報いを受けるようにと、小学6年生の頃に梯子の神様に託していた願いは、こんな形で成就した。
その報告をするためクリスタル・ショップに行こうかと思ったけど、途中で引き返した。
そういえば前回、テスト順位が上がったことを報告しに行ったとき、福ちゃんが「そんなに勉強してどうするの?」
と半笑いだったことを思い出したのだ。
この日を境に、私はショップに行くことはなくなった。
感情が消化不良、自家中毒を起こすような毎日。
私はなるべく余計なことは考えないようにした。受験勉強があって本当によかった。
受験校を決めるとき、両親は言った。
「念のため1つ落として泉水中央にしたら」
「落ちたら、私立にいくようなお金はうちには無い」
というようなこと。
「大丈夫だ、奏絵は賢い。泉水第一にしなさい」
ありがとう、お祖母ちゃん。そのつもりだよ。
高い塾に通うような子と一緒に走るようなハンデ戦だけど。
私は蓬莱橋で泣きながら気合いを入れた。
県立高校の受験は終わった。
今日は卒業式。いつもの癖で牧田君を目で追ったら、高山さんと握手しているのが見えた。河合さん伊藤さん田村君達も見える。
私はそのまま立ち去った。
県立高校の合格発表がネットにアップされた。
私は泉水第一に合格していた。牧田君の番号もあった。
自己採点をして泉水第一の合格の感触は掴んでいたので、さほど驚きはしなかった。
学校に行くと、7名合格してそのうち女子は私だけと知った。
お父さんがPTA会長で弁護士の娘、田川令佳は落ちたのか。
興奮した先生は思わず「大番狂わせ」「田川は体調が悪かったらしい」と言った。
失礼な。
過去問を繰り返すうちに、出題者の意図が私に語りかけてきたのだぞ。
お祖母ちゃんから食事は生もの禁止令が出て、1か月前からずっと鍋を食べて体調管理をしていたのだぞ。
父と母はハイテンションだった。
「泉水第一なんて金持ちばっかりだろ? うちなんか場違いもいいとこだ」
とはしゃいで、親戚や近所に自慢したくてたまらない様子だった。受験前はあんなにローテンションだったくせに。
お祖母ちゃんはというと、
「奏絵、おめでとう。これからが本番だ。気を引き締めて。勝って兜の緒を締めよ、だ」
といつも通りだった。
自分の部屋に帰って来た。
私は一息つくと、夕暮れを待って蓬莱橋に向かった。
私は人通りが途切れたのを確認して、橋の上から波動鉱石や水晶のキーホルダー、お守りを全部、川に捨てた。合格発表の日にこうするって前から決めていた。
ガラクタは一瞬で川に飲み込まれた。
私は途中で気がついていた。
福ちゃんはノリがいいだけで、頭がよくないということを。
感情で動いて、バカの善意を押しつけてくる。
私は受験勉強を重ねるうちに、論理的思考が身についたのだ。
クリスタルグッズに科学的根拠は無い。藁をも掴む思いを利用しているゲスな商売だ。
私はすぐに気がついていた。
牧田君は高山さんに片思いをしているということを。牧田君は計算高いということを。
そして高山さんは飾らないけれど、とても綺麗だということを。
私は牧田君を見ているうちに、いつの間にか牧田君の視線の先の高山さんを見るようになった。
そして夕暮れ時には、高山さんが蓬莱橋の上でぼんやりしているのをよく見かけた。頭が小さくて首が細く長く、シルエットですぐにわかった。
そんなとき私は慌てて引き返した。
可哀相な身の上は知っている。
でもそんな目を引くような外見をしているのだから、なにも思い悩む必要などないのに、と思った。
でも家に着いてから、「どうしたの?」って声をかけたら仲良くなれただろうかと、何度も夢想した。
卒業式のあのとき、私も握手してもらえばよかった。
窪塚の嫌がらせからかばってくれたお礼を、言えばよかった。
……でもこんな汚い肌だし、薬用クリームでベタベタになっているから、人と触れ合うことに躊躇してしまうんだ。
高山さんはまったく顔色を変えずに、私の手を握ってくれるだろうけど……
ああ、痒い、受験勉強のときに掻 きむしったアトピーがジクジクする。
牧田君と同じ高校へ行きたいという理由で始めた受験勉強だったけど、途中で別の目標ができていた。
私はアトピーの薬を作るんだ。
世界中にいる私を救うんだよ。私みたいにコンプレックスを抱えて泣いている子!
泉水第一合格は、私にとって単なる通過点だ。今日は少し早く寝たら、明日からまた勉強再開だ。
涙が止まらない。タオルを持ってくればよかった。
知らない人が見たらまるで、受験に落ちた子みたいだ。
高山さんは髪が短く寝癖をつけていて、一見男の子みたいだった。
飾り気が無く持ち物も必要最低限で質素極まりなかったが、かえってそれがセンスよく見えると河合さん達が話していた。
「痩せているけど意外に胸がある」
と男子が噂していた。高山さんはそれを気にしたのか、サラシのように胸を全部覆うブラジャーをして胸を目立たせないようにしていた。
いつの間にか牧田君は、高山さんにかかりきりになっていた。
「マッキー、少しお節介過ぎない?」
河合さんが誰かに言い、私もそう思った。
私が模試の答えを牧田君に確認したとき、牧田君は隣の高山さんをチラチラ見ながら、今までに無くとても丁寧に優しく教えてくれた。
そのとき生まれた微かな違和感は、トゲのように残った。
高山さんは田村君と一緒に、片耳ずつイヤホンで音楽を聴いているときがあった。
文化祭のステージで田村君が変な歌を歌ってから、二人は仲良くなったのだ。
男子が「恋人同士」とからかうと、二人は中庭に移動して音楽を聴いていた。
そんな時牧田君は、さり気なく窓から中庭を監視してイラついていた。
私は長年の牧田ウオッチャーなので手に取るように感情の揺れがわかるのだ。
鈍くさい私がバレーボールの球を受け損ね、みんながため息をつく中、高山さんが走ってボールを拾いに行き、
「カバーできなくてごめん」と笑った。
みんなが高山さんと組みたがり、特に伊藤さんは昼休みもバレーボールにつき合わせていた。
高山さんは試合中いつも ”楽しくて仕方ない!” といった風情だった。
敵も味方もそれにつられて楽しいゲームができた。
私の数々のミスは空気を悪くしないで済み、心の中で感謝した。
小学校から一緒の
「言っている意味がわからない。そういうことは言わない方がいい」
またある日、窪塚が私の背中に千切った消しゴムを投げているのを見て、
「意味がわからない。そういうことはしない方がいい」
と、いつもの不思議そうな顔で言った。
窪塚が、
「うるせー、ナマポ」
と言うと、高山さんはキョトンとした顔のまま、
「ナマポって何?」
と尋ねた。
「生活保護だよ。おまえの顔写真晒すぞ」
窪塚は要するにバカなのだ。
もちろん勉強もできないド底辺で、本当は小心者のクセにすぐ感情的になり虚勢を張って、思ってもいないことを口走りトラブルを起こすのだ。
すぐに田村君と、意外なことに原田君が一瞬で駆けつけて窪塚を怒鳴りつけた。
大人しい田村君とふざけてばかりの原田君が、あんなに激高するところを初めて見た。
高山さんの顔は真っ青になり、手で口元を押さえ、その手は震えていた。
その場にいたクラスの女子達が「高山さん大丈夫?」と取り囲んだ。
牧田君はというと、硬直していた。多分「生活保護」のワードに驚いたのだろう。お坊ちゃんだから。
自分が原因でこんな騒ぎになったのだが、私は
ある瞬間女子達がそろって私を見たので、ご要望通り高山さんに向かって、
「高山さん、私のせいでごめんね」
と神妙な顔で頭を下げた。
だいたい人の感情なんて、ましてや中学生の感情なんて手に取るように読める。でも何故か、高山さんの感情はよく読めなかった。
というのも、高山さんは私が鞄に付けている梯子の会のお守りを指さし、私にだけ聞こえるようにこう言ったことがあるのだ。
「森さん、こういうものに頼らない方がいい」
「ただのお守りだよ」
私は笑って答えたのだが、高山さんの顔は険しかった。
いつも高山さんはみんなの話をキョトンとした顔で聞いていて、こんな顔をしたのは後にも先にもこの時だけだった。
窪塚はすっかりクラスで孤立した。
窪塚が報いを受けるようにと、小学6年生の頃に梯子の神様に託していた願いは、こんな形で成就した。
その報告をするためクリスタル・ショップに行こうかと思ったけど、途中で引き返した。
そういえば前回、テスト順位が上がったことを報告しに行ったとき、福ちゃんが「そんなに勉強してどうするの?」
と半笑いだったことを思い出したのだ。
この日を境に、私はショップに行くことはなくなった。
感情が消化不良、自家中毒を起こすような毎日。
私はなるべく余計なことは考えないようにした。受験勉強があって本当によかった。
受験校を決めるとき、両親は言った。
「念のため1つ落として泉水中央にしたら」
「落ちたら、私立にいくようなお金はうちには無い」
というようなこと。
「大丈夫だ、奏絵は賢い。泉水第一にしなさい」
ありがとう、お祖母ちゃん。そのつもりだよ。
高い塾に通うような子と一緒に走るようなハンデ戦だけど。
私は蓬莱橋で泣きながら気合いを入れた。
県立高校の受験は終わった。
今日は卒業式。いつもの癖で牧田君を目で追ったら、高山さんと握手しているのが見えた。河合さん伊藤さん田村君達も見える。
私はそのまま立ち去った。
県立高校の合格発表がネットにアップされた。
私は泉水第一に合格していた。牧田君の番号もあった。
自己採点をして泉水第一の合格の感触は掴んでいたので、さほど驚きはしなかった。
学校に行くと、7名合格してそのうち女子は私だけと知った。
お父さんがPTA会長で弁護士の娘、田川令佳は落ちたのか。
興奮した先生は思わず「大番狂わせ」「田川は体調が悪かったらしい」と言った。
失礼な。
過去問を繰り返すうちに、出題者の意図が私に語りかけてきたのだぞ。
お祖母ちゃんから食事は生もの禁止令が出て、1か月前からずっと鍋を食べて体調管理をしていたのだぞ。
父と母はハイテンションだった。
「泉水第一なんて金持ちばっかりだろ? うちなんか場違いもいいとこだ」
とはしゃいで、親戚や近所に自慢したくてたまらない様子だった。受験前はあんなにローテンションだったくせに。
お祖母ちゃんはというと、
「奏絵、おめでとう。これからが本番だ。気を引き締めて。勝って兜の緒を締めよ、だ」
といつも通りだった。
自分の部屋に帰って来た。
私は一息つくと、夕暮れを待って蓬莱橋に向かった。
私は人通りが途切れたのを確認して、橋の上から波動鉱石や水晶のキーホルダー、お守りを全部、川に捨てた。合格発表の日にこうするって前から決めていた。
ガラクタは一瞬で川に飲み込まれた。
私は途中で気がついていた。
福ちゃんはノリがいいだけで、頭がよくないということを。
感情で動いて、バカの善意を押しつけてくる。
私は受験勉強を重ねるうちに、論理的思考が身についたのだ。
クリスタルグッズに科学的根拠は無い。藁をも掴む思いを利用しているゲスな商売だ。
私はすぐに気がついていた。
牧田君は高山さんに片思いをしているということを。牧田君は計算高いということを。
そして高山さんは飾らないけれど、とても綺麗だということを。
私は牧田君を見ているうちに、いつの間にか牧田君の視線の先の高山さんを見るようになった。
そして夕暮れ時には、高山さんが蓬莱橋の上でぼんやりしているのをよく見かけた。頭が小さくて首が細く長く、シルエットですぐにわかった。
そんなとき私は慌てて引き返した。
可哀相な身の上は知っている。
でもそんな目を引くような外見をしているのだから、なにも思い悩む必要などないのに、と思った。
でも家に着いてから、「どうしたの?」って声をかけたら仲良くなれただろうかと、何度も夢想した。
卒業式のあのとき、私も握手してもらえばよかった。
窪塚の嫌がらせからかばってくれたお礼を、言えばよかった。
……でもこんな汚い肌だし、薬用クリームでベタベタになっているから、人と触れ合うことに躊躇してしまうんだ。
高山さんはまったく顔色を変えずに、私の手を握ってくれるだろうけど……
ああ、痒い、受験勉強のときに
牧田君と同じ高校へ行きたいという理由で始めた受験勉強だったけど、途中で別の目標ができていた。
私はアトピーの薬を作るんだ。
世界中にいる私を救うんだよ。私みたいにコンプレックスを抱えて泣いている子!
泉水第一合格は、私にとって単なる通過点だ。今日は少し早く寝たら、明日からまた勉強再開だ。
涙が止まらない。タオルを持ってくればよかった。
知らない人が見たらまるで、受験に落ちた子みたいだ。