第17話 氾濫する夜~パラノイアのコスモス~
文字数 2,106文字
【ぬかるみの中に真奈の足跡を見つけた。3万円した教祖様新作の御札が効いている。隠そうとしても無駄なんだよ、馬鹿め。しかし足跡をたどって行くうちに道は途切れ、あっという間に泥水に飲み込まれ流されてしまう。
「ミーティング中だ、起こして」課長の声。
隣の新人に肩を叩かれ我に返った。
「すみません」さっき、夢の中でなにか大事なものを見たような気がするが、もう思い出せない。背中に汗をかいている。
毎晩長い夢をみているので午後になるとぼんやりするんだ。久保が俺の側のキャビネットを音を立てて開け閉めするのでびっくりする。絶対にわざとやっている。
俺がコピー機に置き忘れた書類を、金沢さんがそっと持ってきてくれた。金沢さんがいるから何とか出勤できている。
年長者である私に対し、朝の挨拶を向こうからしてくれる常識人は課長と金沢さんだけだ。
新参者のあいつらときたら、
「電話! 鳴っていますよ! ほら!」
「やること無いなら、これ全部シュレッダーかけておいてください」
「独り言のボリューム下げてください、気が散る」
ギャアギャア文句付けて、元病休者に対する配慮が無い。
あいつら全員、報いが来るよう開祖様に願掛けをする。】
【夢の中で川沿いを歩いている。対岸に白と薄紅 色のコスモスが揺れているのが見える。梯子を架けていたはずの橋が見当たらない。どうせ夢なのだ、そのまま川に入って渡ろうとすると、また氾濫に飲み込まれ流されてしまう。】
【今日は、仕事中に課長と金沢さんがミーティングルームに入っていくのを見た。何だろう、胸騒ぎがする。しばらくして出てきた金沢さんの表情が冷たくなっていて、このときから俺を無視するようになった。何故なのか。課長と一体なんの話をしたのか。俺のせいなのか。】
【みんなの声が神経に障る。医者が言っていた。「あまり無理はしないように」と。頭が重く咳も出る。仕事をお願いしてもこちらを見ない金沢さんが怖い。2階の保管庫で窓の外を眺め少し休んでいると、真下にある喫煙所の会話が聞こえてきた。
「金沢さん10月で解除なんですか?」
「ほら、ハシゴが復帰したから」
「無職じゃ可哀相~、お前結婚してやったら」
「金沢さん辞めてハシゴが残るんじゃ、全然仕事回んないって! また休むぜアイツ」
「あ~アイツ、空咳 ウザい、わざとらしいんだよ」
「逆だったらよかったのに、高山さんいなくても全然困らないから。いやむしろ、職場環境的に居ない方がいい。今すぐ辞めて欲しい」
「ハシゴ、絶対辞めないって! おまえ呪われるぞぉ~アマネクオワシマスハシゴノカミサマ、カイソサマ、ジャアクナルモノ、セカイニアダナスモノニ、シカルベキムクイヲ」
「なんちゃって新型うつ病だったのが、今、ホンマモンの病気ですよね」
「アイツ頭おかしいよ~辞めさせられないのかな~」
「机の御札と置物、捨てちゃおうか、どんな顔するかな」
「あの変なお経みたいな独り言、なんとかなりませんかね!」
それからみんなでゲラゲラ笑いながら俺のモノマネを始めた。怒りよりも何よりも、金沢さんが急に冷たくなった理由が腑 に落ちて血の気が引いた。
俺が戻ったせいでクビになる。それで怒っているのか。】
【今年は台風が多いな。川が氾濫する映像がテレビに流れ続ける。あれ? 見たことがあるような気がする。この感じ。どこで見たのだろうか。
境川の瀬は入れば深い
幾度ともなく溺れては
浮世の波間に手を振る
宝を得ても泡と消える
生まれてきて還る
その身にまとう衣 は絹か泥か
民謡のようなものが頭を渦巻く。どこかで聞いたような気もする。
俺はなんでこんなに夢の中で歩き回っているんだっけ……
真奈か。志穂もだ。2人を探していたんだ……でももう疲れた。もうどうでもいい。歩くのもうんざりだ。座り込んで対岸のコスモスを眺める。すると、またあっという間に川は氾濫し、俺は泥水に飲み込まれた。】
【病名は何でもいい。病院で診断書を出してもらった。
また俺が休めば金沢さんは辞めなくても済むだろう。どっちにしろ金沢さん無しで俺一人で仕事なんて無理なのだ。残業もできない体なのに。
それにしてもあんなに優しかった人が手のひら返しで冷たくなるなんて。人間は怖い。しばらくの間、誰にも会わずに家の中に籠もっていたい。真奈と志穂にももう会いたいとも思わない。誰にも会いたくない。怖い。】
【またしばらく休職することになった。今度は別の病名がついた。
新しい薬は医師の言いつけ通りにきちんと服用しているが、昼夜問わずに意識は氾濫し下流へ流されていく。いったいどこで間違えたのだろう。
結局俺の神様は俺に関心が無かった。
だいぶ無駄遣いをしてしまったようだ。今さらそれは認めたく無くてずるずるきてしまった。
今がどの季節なのかテレビをつけないとわからないけど、天気予報士が俺を馬鹿にして笑ったあと無視するので怖くなって消してしまう。
日に日に老いが加速しているようだが、脳裏に浮かぶ景色がある。
あの対岸のコスモスはきれいだった。
灰色の空の下そこだけ光が集まっていた。
現実で見たのか夢で見たのか忘れたが、ソファーに沈んで宝物のように反芻 している。】
「ミーティング中だ、起こして」課長の声。
隣の新人に肩を叩かれ我に返った。
「すみません」さっき、夢の中でなにか大事なものを見たような気がするが、もう思い出せない。背中に汗をかいている。
毎晩長い夢をみているので午後になるとぼんやりするんだ。久保が俺の側のキャビネットを音を立てて開け閉めするのでびっくりする。絶対にわざとやっている。
俺がコピー機に置き忘れた書類を、金沢さんがそっと持ってきてくれた。金沢さんがいるから何とか出勤できている。
年長者である私に対し、朝の挨拶を向こうからしてくれる常識人は課長と金沢さんだけだ。
新参者のあいつらときたら、
「電話! 鳴っていますよ! ほら!」
「やること無いなら、これ全部シュレッダーかけておいてください」
「独り言のボリューム下げてください、気が散る」
ギャアギャア文句付けて、元病休者に対する配慮が無い。
あいつら全員、報いが来るよう開祖様に願掛けをする。】
【夢の中で川沿いを歩いている。対岸に白と
【今日は、仕事中に課長と金沢さんがミーティングルームに入っていくのを見た。何だろう、胸騒ぎがする。しばらくして出てきた金沢さんの表情が冷たくなっていて、このときから俺を無視するようになった。何故なのか。課長と一体なんの話をしたのか。俺のせいなのか。】
【みんなの声が神経に障る。医者が言っていた。「あまり無理はしないように」と。頭が重く咳も出る。仕事をお願いしてもこちらを見ない金沢さんが怖い。2階の保管庫で窓の外を眺め少し休んでいると、真下にある喫煙所の会話が聞こえてきた。
「金沢さん10月で解除なんですか?」
「ほら、ハシゴが復帰したから」
「無職じゃ可哀相~、お前結婚してやったら」
「金沢さん辞めてハシゴが残るんじゃ、全然仕事回んないって! また休むぜアイツ」
「あ~アイツ、
「逆だったらよかったのに、高山さんいなくても全然困らないから。いやむしろ、職場環境的に居ない方がいい。今すぐ辞めて欲しい」
「ハシゴ、絶対辞めないって! おまえ呪われるぞぉ~アマネクオワシマスハシゴノカミサマ、カイソサマ、ジャアクナルモノ、セカイニアダナスモノニ、シカルベキムクイヲ」
「なんちゃって新型うつ病だったのが、今、ホンマモンの病気ですよね」
「アイツ頭おかしいよ~辞めさせられないのかな~」
「机の御札と置物、捨てちゃおうか、どんな顔するかな」
「あの変なお経みたいな独り言、なんとかなりませんかね!」
それからみんなでゲラゲラ笑いながら俺のモノマネを始めた。怒りよりも何よりも、金沢さんが急に冷たくなった理由が
俺が戻ったせいでクビになる。それで怒っているのか。】
【今年は台風が多いな。川が氾濫する映像がテレビに流れ続ける。あれ? 見たことがあるような気がする。この感じ。どこで見たのだろうか。
境川の瀬は入れば深い
幾度ともなく溺れては
浮世の波間に手を振る
宝を得ても泡と消える
生まれてきて還る
その身にまとう
民謡のようなものが頭を渦巻く。どこかで聞いたような気もする。
俺はなんでこんなに夢の中で歩き回っているんだっけ……
真奈か。志穂もだ。2人を探していたんだ……でももう疲れた。もうどうでもいい。歩くのもうんざりだ。座り込んで対岸のコスモスを眺める。すると、またあっという間に川は氾濫し、俺は泥水に飲み込まれた。】
【病名は何でもいい。病院で診断書を出してもらった。
また俺が休めば金沢さんは辞めなくても済むだろう。どっちにしろ金沢さん無しで俺一人で仕事なんて無理なのだ。残業もできない体なのに。
それにしてもあんなに優しかった人が手のひら返しで冷たくなるなんて。人間は怖い。しばらくの間、誰にも会わずに家の中に籠もっていたい。真奈と志穂にももう会いたいとも思わない。誰にも会いたくない。怖い。】
【またしばらく休職することになった。今度は別の病名がついた。
新しい薬は医師の言いつけ通りにきちんと服用しているが、昼夜問わずに意識は氾濫し下流へ流されていく。いったいどこで間違えたのだろう。
結局俺の神様は俺に関心が無かった。
だいぶ無駄遣いをしてしまったようだ。今さらそれは認めたく無くてずるずるきてしまった。
今がどの季節なのかテレビをつけないとわからないけど、天気予報士が俺を馬鹿にして笑ったあと無視するので怖くなって消してしまう。
日に日に老いが加速しているようだが、脳裏に浮かぶ景色がある。
あの対岸のコスモスはきれいだった。
灰色の空の下そこだけ光が集まっていた。
現実で見たのか夢で見たのか忘れたが、ソファーに沈んで宝物のように