第3話 瀬下理事
文字数 2,754文字
中学2年生の5月だった。杖術の演舞のあと、私は支部長と内藤女史に2階にある研修室に呼び出された。
初めて入った研修室の半分は和室で畳が敷いてあり、障子で仕切られていた。窓からは記念会館と鳥居がよく見えた。
畳の上には、知らないスーツ姿のおじさんがあぐらをかいていた。要職 にある幹部だと感じたので、直視はしなかった。
内藤女史が少しぶっきらぼうに、
「特別に身体検査をします。練習着を脱いでそこに立ちなさい」
ここでは大人の言うことは絶対服従だ。特に役員の言うことは。
私は言われたとおりポニーテールの髪を崩さないよう、Tシャツとジャージの練習着を脱いで畳んで足下に置いた。
白いスポーツブラとパンツ、ソックスと上履き姿で気をつけの姿勢をした。内藤女史は1分くらいで
「後ろ向いて」と言った。そしてまた1分で、「もういいです、服を着なさい」
内藤女史は終始不機嫌だった。
足下の練習着を拾い顔を上げると、窓の外、記念会館から男子が笑いながらぞろぞろ出て来るのが見えた。
小学5年生のあのときから、私はずっと男子が羨ましかった。
それから少しして、帰り道の車中で父親は言った。雨が続いていたので6月だったと思う。
「真奈、今度こそおめでとう。真奈は本部の瀬下 理事の後ろ盾を得られることになりそうだ。これからは杖術と学問だけでなく、立ち振る舞い、話術、見た目も磨くように。そして梯子の会にどのように貢献できるかを考えるように。大会でみんなのお手本となるとか。更に勉学に励み、有名大学に入って布教活動もしなければならないしね。英語の勉強はしているね? 会の教えを一人でも多くの人に伝えて、地球のカルマを減らさなければいけない。タイムリミットは近い。真奈、これからもやることがいっぱい山積みだぞ」
父親は珍しく機嫌がよく、話が止まらなかった。
翌週の日曜日、研修会館に到着するや否や、シャワーで身を清め浴衣に着替えさせられた。そしてまた2階の研修室に連れて行かれた。
内藤女史は私の目を見ずに、
「中で瀬下理事とお話しをするように。これも大事なお勤めだ。私は部屋の外で待機している」
と言った。まだ朝の9時だった。
私が恐る恐るドアを開けると、窓際の椅子に『瀬下理事』がいた。
白いシャツの前を開けていて、背の高い色黒の坊主頭、目に迫力があった。
私が棒立ちになっていると、理事が立ち上がり、
「今日はあまり時間がない、東京に戻らないといけないから」
と言いながら、私の背中をトンと押し、畳の部屋にうながした。その日は布団が敷いてあり、私は急いで上履きを脱いで端に正座した。
理事は私を布団の上に転がすと、上にまたがった。
ズボンの前が異様に膨らんでいる。
理事は両手で私の浴衣の合わせをグイッと広げた。そしてそのまま私の左胸を掴 みひねったのだ。
私は驚きと痛みで反射的に飛び起きると、手を払いのけ、床の間に飾ってあった杖を手に取り理事の喉元 で寸止 めした。
謝ってももう間に合わなかった。
理事は杖を引ったくり、泣きながら土下座をする私の背中を
「おまえはっ、自分がっ、何をしたかっ、わかっているのかっ」
怒鳴りながら何度も打ち据えた。途中で息ができなくなって、私はこのまま死ぬのかと覚悟した。
内藤女史が「失礼します!」と入ってきて興奮している理事を止め杖を奪い、私と一緒に土下座してくれた。
そのあと支部長と父親も入ってきた。理事が二人に吐き捨てるように何か言っているようだった。
父親が私の髪の毛を掴むと、
「いい加減大人になれ!」とビンタをした。
「顔はやめて、高山さん、まだ使い途があるし」支部長が制止する。
「真奈、取り返しのつかないことをしてくれた」
父親は自分の手を抑えながら泣いている。父親はどこも痛くないはずなのに。
「支部長! 私はこういうことは高山の仕事ではないと何度も言いましたよね!」
内藤女史が涙ぐみながら支部長に抗議して、支部長がウンザリした顔をしている。
「今ここでそんなこと言ったってさ……」
人が集まってくる。内藤女史が私のはだけた浴衣を直して、背中から大きなバスタオルを掛けてくれた。
瀬下理事は「車を回して」と言って荷物を持つと、白けた顔で出て行った。みんながサッと道を空けた。
医務室で診てもらい、骨は折れていないことを確認したとき、「理事のお慈悲だぞ」と父親は言った。ずっと付き添ってくれた内藤女史が、別れ際に言った。私の乱れた髪を調えながら、
「高山さん、杖術は嫌いにならないでね」
私は激痛で行ったり来たりする意識の中、それらを中空 で見下ろしていた。
腫れ上がった顔と鼻血、痛みが波打つ腕と背中。後部座席で私はうずくまり帰路についた。
「真奈が私を選んで生まれてきたんだ。だから全部受け入れるようにとの開祖様の教えを忘れたのか。お・ま・え・が! 進んで私の元にやって来たんだぞ。それを忘れたのか。開祖様のご意志の中では、おまえの意志など取るに足りないもの、一粒の砂のようなものだ。それなのに感情で動いて、感情の奴隷になって」
父親がなにか繰り返し怒鳴っていたが、だんだん意味がわからなくなっていった。
家に着くと、母親が私を布団に運んだ。
体中に湿布を貼り、頬とおでこに冷却シートを貼ってくれた。何度か支えて、スポーツドリンクを飲ませてくれた。口がよく開かなかった。次の日には、ゼリーやプリン、おかゆを口に入れてくれた。
「お母さん、給食当番の白衣、月曜日に学校に持って行かなきゃ」
日曜日の夜、私が痛む口でそう言うと母親は、
「お母さんが学校に行ってくるから大丈夫よ。先生にはしばらく休むって言うから」
些細なことだが私は安心して眠りについたのを覚えている。
今まで母親の話す言葉は耳に入っても上滑りして脳に届かなかったのだが、1週間学校を休み読経のお勤めも休んだら、意味がわかるようになった。
「真奈、お母さんと一緒に逃げよう。真奈の人生がおかしくなっちゃうよ。お母さんと普通の生活をしよう? 自分のために生きよう?」
昨夜から雨が降っていた。
日曜日の朝早く父親が研修施設に車で出かけたと同時に、母親と二人、バスで駅に向かった。駅に着くまで、このバスの中が一番恐怖だった。
帽子を深くかぶりマスクをして、窓の外も後方もそして前方も見られなかった。父親が、ふと気がついて追いかけてくるのではないか。待ち伏せしているのではないか。バスの中にいるのではないか。
駅に着いてからは人の波に自分を紛れ込ませた。プラットフォームに立ち新幹線が来るまでの時間、新幹線に乗り込み発車までの時間、停車時間には緊張で体中の節々の痛みを忘れた。
車窓の外は雨。ずっと雨がやまなければいいのに。
視界が遮 られるくらい、もっと激しく雨が降り続けばいいのに。
初めて入った研修室の半分は和室で畳が敷いてあり、障子で仕切られていた。窓からは記念会館と鳥居がよく見えた。
畳の上には、知らないスーツ姿のおじさんがあぐらをかいていた。
内藤女史が少しぶっきらぼうに、
「特別に身体検査をします。練習着を脱いでそこに立ちなさい」
ここでは大人の言うことは絶対服従だ。特に役員の言うことは。
私は言われたとおりポニーテールの髪を崩さないよう、Tシャツとジャージの練習着を脱いで畳んで足下に置いた。
白いスポーツブラとパンツ、ソックスと上履き姿で気をつけの姿勢をした。内藤女史は1分くらいで
「後ろ向いて」と言った。そしてまた1分で、「もういいです、服を着なさい」
内藤女史は終始不機嫌だった。
足下の練習着を拾い顔を上げると、窓の外、記念会館から男子が笑いながらぞろぞろ出て来るのが見えた。
小学5年生のあのときから、私はずっと男子が羨ましかった。
それから少しして、帰り道の車中で父親は言った。雨が続いていたので6月だったと思う。
「真奈、今度こそおめでとう。真奈は本部の
父親は珍しく機嫌がよく、話が止まらなかった。
翌週の日曜日、研修会館に到着するや否や、シャワーで身を清め浴衣に着替えさせられた。そしてまた2階の研修室に連れて行かれた。
内藤女史は私の目を見ずに、
「中で瀬下理事とお話しをするように。これも大事なお勤めだ。私は部屋の外で待機している」
と言った。まだ朝の9時だった。
私が恐る恐るドアを開けると、窓際の椅子に『瀬下理事』がいた。
白いシャツの前を開けていて、背の高い色黒の坊主頭、目に迫力があった。
私が棒立ちになっていると、理事が立ち上がり、
「今日はあまり時間がない、東京に戻らないといけないから」
と言いながら、私の背中をトンと押し、畳の部屋にうながした。その日は布団が敷いてあり、私は急いで上履きを脱いで端に正座した。
理事は私を布団の上に転がすと、上にまたがった。
ズボンの前が異様に膨らんでいる。
理事は両手で私の浴衣の合わせをグイッと広げた。そしてそのまま私の左胸を
私は驚きと痛みで反射的に飛び起きると、手を払いのけ、床の間に飾ってあった杖を手に取り理事の
謝ってももう間に合わなかった。
理事は杖を引ったくり、泣きながら土下座をする私の背中を
「おまえはっ、自分がっ、何をしたかっ、わかっているのかっ」
怒鳴りながら何度も打ち据えた。途中で息ができなくなって、私はこのまま死ぬのかと覚悟した。
内藤女史が「失礼します!」と入ってきて興奮している理事を止め杖を奪い、私と一緒に土下座してくれた。
そのあと支部長と父親も入ってきた。理事が二人に吐き捨てるように何か言っているようだった。
父親が私の髪の毛を掴むと、
「いい加減大人になれ!」とビンタをした。
「顔はやめて、高山さん、まだ使い途があるし」支部長が制止する。
「真奈、取り返しのつかないことをしてくれた」
父親は自分の手を抑えながら泣いている。父親はどこも痛くないはずなのに。
「支部長! 私はこういうことは高山の仕事ではないと何度も言いましたよね!」
内藤女史が涙ぐみながら支部長に抗議して、支部長がウンザリした顔をしている。
「今ここでそんなこと言ったってさ……」
人が集まってくる。内藤女史が私のはだけた浴衣を直して、背中から大きなバスタオルを掛けてくれた。
瀬下理事は「車を回して」と言って荷物を持つと、白けた顔で出て行った。みんながサッと道を空けた。
医務室で診てもらい、骨は折れていないことを確認したとき、「理事のお慈悲だぞ」と父親は言った。ずっと付き添ってくれた内藤女史が、別れ際に言った。私の乱れた髪を調えながら、
「高山さん、杖術は嫌いにならないでね」
私は激痛で行ったり来たりする意識の中、それらを
腫れ上がった顔と鼻血、痛みが波打つ腕と背中。後部座席で私はうずくまり帰路についた。
「真奈が私を選んで生まれてきたんだ。だから全部受け入れるようにとの開祖様の教えを忘れたのか。お・ま・え・が! 進んで私の元にやって来たんだぞ。それを忘れたのか。開祖様のご意志の中では、おまえの意志など取るに足りないもの、一粒の砂のようなものだ。それなのに感情で動いて、感情の奴隷になって」
父親がなにか繰り返し怒鳴っていたが、だんだん意味がわからなくなっていった。
家に着くと、母親が私を布団に運んだ。
体中に湿布を貼り、頬とおでこに冷却シートを貼ってくれた。何度か支えて、スポーツドリンクを飲ませてくれた。口がよく開かなかった。次の日には、ゼリーやプリン、おかゆを口に入れてくれた。
「お母さん、給食当番の白衣、月曜日に学校に持って行かなきゃ」
日曜日の夜、私が痛む口でそう言うと母親は、
「お母さんが学校に行ってくるから大丈夫よ。先生にはしばらく休むって言うから」
些細なことだが私は安心して眠りについたのを覚えている。
今まで母親の話す言葉は耳に入っても上滑りして脳に届かなかったのだが、1週間学校を休み読経のお勤めも休んだら、意味がわかるようになった。
「真奈、お母さんと一緒に逃げよう。真奈の人生がおかしくなっちゃうよ。お母さんと普通の生活をしよう? 自分のために生きよう?」
昨夜から雨が降っていた。
日曜日の朝早く父親が研修施設に車で出かけたと同時に、母親と二人、バスで駅に向かった。駅に着くまで、このバスの中が一番恐怖だった。
帽子を深くかぶりマスクをして、窓の外も後方もそして前方も見られなかった。父親が、ふと気がついて追いかけてくるのではないか。待ち伏せしているのではないか。バスの中にいるのではないか。
駅に着いてからは人の波に自分を紛れ込ませた。プラットフォームに立ち新幹線が来るまでの時間、新幹線に乗り込み発車までの時間、停車時間には緊張で体中の節々の痛みを忘れた。
車窓の外は雨。ずっと雨がやまなければいいのに。
視界が