第42話 ネットの反響とお便り②
文字数 2,865文字
椎貝さんと西園寺の間になにがあったのか、私と大家さんは知りたくて仕方ない。
1週間後の土曜日、準備中の札が下がり男の人と小中学生がいなくなった昼下がり、椎貝さんは重い口を開いた。
「月曜日はお騒がせしました」
村瀬さんがキョトンとしている。
「もう体調はいいの?」大家さんがサッと椎貝さんの前に座り、スタンバイする。
「はい、大丈夫です」
椎貝さんは私を見て、「あの男の人は西園寺といいましたっけ?」
「そう、西園寺要って名前らしいです。本名かどうかはわからないけど」
「……今からする話は、みなさん気分が悪くなるかもしれません。でも、これ以上被害者を増やしてはならないので、恥を忍んで話します。いえ、私の恥なんてどうでもいい。みなさんにも西園寺を監視してもらいたいのです。西園寺を加害者にさせないためにも」
私が小学5年生のときに、と椎貝さんは言葉を選びながらもしっかりと話し出した。
私が小学5年生のときに、両親とショッピングモールに行ったときのことです。
お母さんと妹がトイレに行くというので、お父さんと私は本屋さんで立ち読みをしていました。なかなかお母さんと妹が戻ってこないので、様子を見てくるとお父さんに声かけてトイレに行きました。
入口にある多目的トイレに、呼び出しランプが点いていたのです。
私は学校で「困っている人を見たら、声をかけてあげましょう」と習いました。
私はノックをしました。
中から「うぅ……」という微かなうめき声が聞こえました。引き戸は鍵がかかっていませんでした。
少し開けて中を覗くと、中学生くらいのとても痩せた男の子が便座に座って、頭を抱えうなだれていました。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、
「頭が痛くて動けない、鞄に薬が入っているからそれを取って欲しい。お願いします」
とても優しくて悲しそうな声でした。
洗面台のところにリュックが置いてありました。
私がリュックを取りに中に入ると、男はフラッと立ち上がりトイレに鍵をかけたのです。
思ったより背が高かった。なにかボタンも押しました。呼び出しランプを消したのかもしれません。男の動作には無駄がありませんでした。
「で? 困っている人を助けようとしたの? ありがとう」
抑揚のない声に、全身鳥肌が立って金縛りになりました。
「大丈夫、少し実験するだけ」
そう言いながら男はズボンと下着を下ろすとまた便座に座ってなにかゴソゴソして、それから私の手を掴み……股間に持っていって……
それは硬くなっていて、私はこのまま乱暴されて殺されるのかもしれない、そう思ったのは男の手が冷たくて、そしてずっと無表情だったから。
でも次の瞬間、硬かったものが、こう、グニャリと折れたんです。
私が「あ」という表情を浮かべると、私は男に肩を突き飛ばされて壁に激突しました。
「実験失敗」
男は呟くと、サッと荷物を肩に掛けてトイレを出て行きました。
……私も洋服を直してトイレを出て、走って本屋に戻って父親を探しました。
それから私はどうしてこんな目にあったのかを自問自答しました。
母親は私のことを「うかつだ」と言いました。たぶん失言だと思います。母親は感情的になっていましたから。
父親は「俺が目を離した、俺の責任だ」と言って、しばらく家の中が落ち着かなくなりました。
私のせいです。
私が世間知らずで愚かで、考え無しにドアを開けたりするから、魔につけ入られてしまうのです。
私はあの男に罰を与えることはできないのか、自分を救うことはできないのか、たくさんの本を読みました。そこで聖書に出会ったのです。
「その男が西園寺なのね」大家さんは前のめり。
「はい。右首筋の大きな赤い痣、口元の黒子、そしてあの声。間違えようがありません」
私は話の途中からずっと、ライブで聞いた西園寺の語りが頭の中を渦巻いていた。
オマエはスペアだ
そんなクソアニメがあったな
でもショッピングモールの宇宙人あれは俺だ
いるだろスパイスの名前のJK
ほら これが証拠
美弥ちゃんの言うとおり、そのまま『マジカル・カンファレンス』第9話 “ショッピングモールの宇宙人” だ。ステージ上の演出じゃなかったんだ。
田中宮司も以前言っていた。
「このアニメさー、現実にどこかで起こっているような気がするんだよ。けっこう現実とシンクロしているときがあってさ」
西園寺に罪の意識は無いのか。
Twitterでファンが、
“賛否両論あるみたいだけど 洗脳されている信者を救うためにメンバーが危険を冒して作った曲ということはわかって欲しい“
と言っていたけど、違う。西園寺はただ面白がっているだけだ。ターゲットが右往左往するのが楽しくてたまらないのだ。
「西園寺はサイコパスだ」
不意に出た私の言葉に、大家さんが同意した。
「そうだわ、違和感はそれなのよ。ロリコンでEDのサイコパスよ。もうみんな近寄ってはダメよ」
「大家さん、EDってなんですか? 」
「インポテンツ、不能のこと。ちゃんと勃起しないのよ。治療すればいいのに。あの顔は治療していない顔よ。だからイライラしてそんな犯罪するんでしょ。泉水地域医療センターにED外来があるわ。行けばいいのに」
「そうなんですね」椎貝さんが感心したように呟く。
一呼吸おいて、それまで黙っていた村瀬さんの質問が始まった。
「あの、椎貝さん、聖書で解決したの? 自分を救うことと、西園寺に罰を与えること」
椎貝さんは村瀬さんに向き直った。
「はい。私は救われました。西園寺に罰を与えるという考えは改めました。聖書の教えで、復讐を考えてはいけないのです」
大家さんが、立ってお茶を煎れに行った。大家さんは “聖書の教え” というものが生理的に受け付けないようだ。
「復讐は神の御手にゆだねるべきなのです。報復は神の仕事だから、私は神の怒りにまかせます」
村瀬さんは、怪訝そうな顔をした。
「じゃあなんにもできないの? 」
「憎しみに囚われてはいけないのです、善をもって悪に打ち勝たなければなりません」
「サイコパスには通用しないんじゃない? 打つ手無いってこと? 」
私は思い出していた。
「村瀬さん、田中宮司も同じようなこと言っていましたよ。報復はアチラ側の仕事だから任せなさい、報復を考えちゃダメって」
椎貝さんは私を見て大きく頷いた。
「私にできることはたかがしれています。せめて西園寺を監視して、彼が救われるよう祈ります。……私はずっと彼のことを考え続けてきました。一番会いたくないけど、一番会いたかった。彼もずっと苦しんでいるはずなんです。先ほどの大家さんの話はとても得るものがありました。なんとか治療を勧めてあげようと思います」
大家さんと村瀬さんが、「え?」という顔をした。
「どうやって勧めるの!??」2人同時の裏返った声。
「お手紙を書こうと思います。お店のポストに投函します」
……椎貝さん……自分で意識していないのかもしれないけど、炭火のように怒り続けているんだ、強い……
私はこのときから椎貝さんに対し、更に一目置くようになった。
1週間後の土曜日、準備中の札が下がり男の人と小中学生がいなくなった昼下がり、椎貝さんは重い口を開いた。
「月曜日はお騒がせしました」
村瀬さんがキョトンとしている。
「もう体調はいいの?」大家さんがサッと椎貝さんの前に座り、スタンバイする。
「はい、大丈夫です」
椎貝さんは私を見て、「あの男の人は西園寺といいましたっけ?」
「そう、西園寺要って名前らしいです。本名かどうかはわからないけど」
「……今からする話は、みなさん気分が悪くなるかもしれません。でも、これ以上被害者を増やしてはならないので、恥を忍んで話します。いえ、私の恥なんてどうでもいい。みなさんにも西園寺を監視してもらいたいのです。西園寺を加害者にさせないためにも」
私が小学5年生のときに、と椎貝さんは言葉を選びながらもしっかりと話し出した。
私が小学5年生のときに、両親とショッピングモールに行ったときのことです。
お母さんと妹がトイレに行くというので、お父さんと私は本屋さんで立ち読みをしていました。なかなかお母さんと妹が戻ってこないので、様子を見てくるとお父さんに声かけてトイレに行きました。
入口にある多目的トイレに、呼び出しランプが点いていたのです。
私は学校で「困っている人を見たら、声をかけてあげましょう」と習いました。
私はノックをしました。
中から「うぅ……」という微かなうめき声が聞こえました。引き戸は鍵がかかっていませんでした。
少し開けて中を覗くと、中学生くらいのとても痩せた男の子が便座に座って、頭を抱えうなだれていました。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、
「頭が痛くて動けない、鞄に薬が入っているからそれを取って欲しい。お願いします」
とても優しくて悲しそうな声でした。
洗面台のところにリュックが置いてありました。
私がリュックを取りに中に入ると、男はフラッと立ち上がりトイレに鍵をかけたのです。
思ったより背が高かった。なにかボタンも押しました。呼び出しランプを消したのかもしれません。男の動作には無駄がありませんでした。
「で? 困っている人を助けようとしたの? ありがとう」
抑揚のない声に、全身鳥肌が立って金縛りになりました。
「大丈夫、少し実験するだけ」
そう言いながら男はズボンと下着を下ろすとまた便座に座ってなにかゴソゴソして、それから私の手を掴み……股間に持っていって……
それは硬くなっていて、私はこのまま乱暴されて殺されるのかもしれない、そう思ったのは男の手が冷たくて、そしてずっと無表情だったから。
でも次の瞬間、硬かったものが、こう、グニャリと折れたんです。
私が「あ」という表情を浮かべると、私は男に肩を突き飛ばされて壁に激突しました。
「実験失敗」
男は呟くと、サッと荷物を肩に掛けてトイレを出て行きました。
……私も洋服を直してトイレを出て、走って本屋に戻って父親を探しました。
それから私はどうしてこんな目にあったのかを自問自答しました。
母親は私のことを「うかつだ」と言いました。たぶん失言だと思います。母親は感情的になっていましたから。
父親は「俺が目を離した、俺の責任だ」と言って、しばらく家の中が落ち着かなくなりました。
私のせいです。
私が世間知らずで愚かで、考え無しにドアを開けたりするから、魔につけ入られてしまうのです。
私はあの男に罰を与えることはできないのか、自分を救うことはできないのか、たくさんの本を読みました。そこで聖書に出会ったのです。
「その男が西園寺なのね」大家さんは前のめり。
「はい。右首筋の大きな赤い痣、口元の黒子、そしてあの声。間違えようがありません」
私は話の途中からずっと、ライブで聞いた西園寺の語りが頭の中を渦巻いていた。
オマエはスペアだ
そんなクソアニメがあったな
でもショッピングモールの宇宙人あれは俺だ
いるだろスパイスの名前のJK
ほら これが証拠
美弥ちゃんの言うとおり、そのまま『マジカル・カンファレンス』第9話 “ショッピングモールの宇宙人” だ。ステージ上の演出じゃなかったんだ。
田中宮司も以前言っていた。
「このアニメさー、現実にどこかで起こっているような気がするんだよ。けっこう現実とシンクロしているときがあってさ」
西園寺に罪の意識は無いのか。
Twitterでファンが、
“賛否両論あるみたいだけど 洗脳されている信者を救うためにメンバーが危険を冒して作った曲ということはわかって欲しい“
と言っていたけど、違う。西園寺はただ面白がっているだけだ。ターゲットが右往左往するのが楽しくてたまらないのだ。
「西園寺はサイコパスだ」
不意に出た私の言葉に、大家さんが同意した。
「そうだわ、違和感はそれなのよ。ロリコンでEDのサイコパスよ。もうみんな近寄ってはダメよ」
「大家さん、EDってなんですか? 」
「インポテンツ、不能のこと。ちゃんと勃起しないのよ。治療すればいいのに。あの顔は治療していない顔よ。だからイライラしてそんな犯罪するんでしょ。泉水地域医療センターにED外来があるわ。行けばいいのに」
「そうなんですね」椎貝さんが感心したように呟く。
一呼吸おいて、それまで黙っていた村瀬さんの質問が始まった。
「あの、椎貝さん、聖書で解決したの? 自分を救うことと、西園寺に罰を与えること」
椎貝さんは村瀬さんに向き直った。
「はい。私は救われました。西園寺に罰を与えるという考えは改めました。聖書の教えで、復讐を考えてはいけないのです」
大家さんが、立ってお茶を煎れに行った。大家さんは “聖書の教え” というものが生理的に受け付けないようだ。
「復讐は神の御手にゆだねるべきなのです。報復は神の仕事だから、私は神の怒りにまかせます」
村瀬さんは、怪訝そうな顔をした。
「じゃあなんにもできないの? 」
「憎しみに囚われてはいけないのです、善をもって悪に打ち勝たなければなりません」
「サイコパスには通用しないんじゃない? 打つ手無いってこと? 」
私は思い出していた。
「村瀬さん、田中宮司も同じようなこと言っていましたよ。報復はアチラ側の仕事だから任せなさい、報復を考えちゃダメって」
椎貝さんは私を見て大きく頷いた。
「私にできることはたかがしれています。せめて西園寺を監視して、彼が救われるよう祈ります。……私はずっと彼のことを考え続けてきました。一番会いたくないけど、一番会いたかった。彼もずっと苦しんでいるはずなんです。先ほどの大家さんの話はとても得るものがありました。なんとか治療を勧めてあげようと思います」
大家さんと村瀬さんが、「え?」という顔をした。
「どうやって勧めるの!??」2人同時の裏返った声。
「お手紙を書こうと思います。お店のポストに投函します」
……椎貝さん……自分で意識していないのかもしれないけど、炭火のように怒り続けているんだ、強い……
私はこのときから椎貝さんに対し、更に一目置くようになった。