第35話 重荷を神様に預けてみる?
文字数 2,295文字
最近、須川葉月 ちゃんという小学6年生の女の子が食堂にやって来るようになった。
とても常識的で気立てがよく、あまりアクがない。
大家さんが話していた。
「あの子の家は母子家庭よ。お父さんが急死したんだって。お母さんは工場のパート収入だけだから大変よ。遺族年金も微々たるものじゃないかしら。中流から下流に流れるときってあっという間ね」
大家さんはすごいな。家の中を覗いてきたみたいに話す。
大山さんが須川さん母子を食堂に連れて来て、相談に乗っていたのを見たことがある。
葉月ちゃんのお母さん、私の母親と気が合いそうだった。
生活に追われながらいろんなことを諦めて、身も心も乾いている雰囲気が全身から漂っていた。
ある日食堂のテレビで、私の知らない俳優が ”くも膜下出血” で亡くなったというニュースが流れたときのことだった。
葉月ちゃんはみんなに向かってにボソッと、
「私のお父さんも3月にくも膜下で亡くなったんです」
そして続けて、
「あのとき私がすぐに気がついていれば、お父さんは死なないで済んだのかも」
「どういうこと?」
隣のテーブルの大家さんが即座に返した。
「……お父さん酔っ払って帰って来て、頭痛いってソファーで凄いイビキかいて寝ちゃったんです。私、布団掛けてそのままにして……次の日、意識不明になっていて」
みんな一瞬静まりかえった。田所さんが、
「それは仕方ない、くも膜下は急に起きる。お前さんのせいじゃないよ」
すると葉月ちゃんは言葉を詰まらせながら言った。
「……私、大きなイビキがくも膜下出血の前兆だなんて知らなくて。すぐに救急車呼んだら助かったって、お祖母ちゃんに言われて……でもその頃お父さん毎晩酔って遅くに帰ってきてイビキかいていたから、いつものことだと思ってほったらかしにしちゃって」
「私もそんなことは知らない。私も放置する。外野の勝手な言い分は聞き流していい」
私の言葉の後で大家さんがサバサバと言った。
「そうそう。逆に命を取り留めたとしても、中途半端に助かると後遺症が残るから! あとで本人と家族が大変。寿命だったのよ」
おじさん達がささやく。
「大家さんと姫はいつも直球だな」
「間違ったことは言っちゃいないんだけどね」
私は、クリスチャンの椎貝さんなら葉月ちゃんにどんな言葉をかけるのかな、と思った。
大家さんも田所さんも同じことを思ったのか、みんなで椎貝さんを見た。
椎貝さんはゆっくりと口を開いた。
「葉月ちゃん、悩みは手放して、持っている重荷は神様に預けてみて?」
「神様に?」
「そう、私はイエス様だけど、葉月ちゃんの好きな神様でいいのよ。神様は私達の重荷を軽々と背負ってくださるから」
「でもでも私、全然神様のこと信じていないのに、そんなときだけ利用してもいいの? 神様からセコいって思われない?」
うん、私もそう思う。
梯子の神様は厳しくて、悩みを神様に引き渡すようなそういった発想は……考えただけで恐ろしい。
椎貝さんは微笑んだ。
「神様はね、葉月ちゃんが心を痛めている姿を見る方がお辛いのよ。神様を信じて、感謝して、ゆだねてみて?」
田所さんも感心したようにしみじみと、
「そうだね、いつまでも故人を偲び続けると成仏の妨げにもなるしね」
キリスト教と仏教が混ざり合ってゴチャゴチャしているけど、葉月ちゃんの顔がスッキリしたのを感じた。
簡単に救われてもいいというのは、なんというか、目から鱗だった。
キリスト教が流行る訳だ。なかなか便利な道具だ。私は宗教は『道具』だと思うようになった。
私はつい質問した。
「椎貝さんの家族はみんなクリスチャンなんですか?」
「ううん、私だけよ」
「どうして椎貝さんはクリスチャンになったんですか?」
すると椎貝さんは目を少し伏せた。
「それは……また、話せるときがきたら話すね」
大家さんの目にチラッと、好奇心の色が映った。
大家さんは最初、椎貝さんを邪険にしていたがあっという間に仲良くなった。
椎貝さんがコーポ種原の間取 りを褒めたのだ。
「風通しが良くて日が入って明るくて、収納も計算されていて、とても有能な建築士さんが設計されたのですね」
みるみる大家さんの顔は華やいだ。
「わかるの? 設計の素晴らしさ。私が間取りを考えたのよ!」
「大家さんが考えたのですか、すごい」
「大家業、長いからね。コーポ種原は私の集大成よ! 実は風水にもこだわっているのよ。健康的な毎日が送れて、好きな勉強に思いっきり打ち込める環境を作ったつもり」
「素晴らしいです。私、北欧建築が好きで建築士になりたくて環境工学システムに入ったんです。また色々教えてください」
「私でよければなんでも聞いて。前の住人の百川はね、東京のスーパーゼネコンに就職したのよ。あなたもきっといいところに就職できるわよ」
近くに村瀬さんがいた。
ゴールデンウィークは、東京と泉水市の中間地点で百川さんと会ったと言っていた。百川さん、仕事と移動疲れのせいか、ホテルでずっと寝ていたらしい。
大家さんが椎貝さんと仲良くなったのを見て、麦倉さんと八島さんは少し椎貝さんに話しかけるようになった。
あの二人にいつまでも恋人ができない理由が、なんとなくわかった。
順君に聞いてみた。
「順君は知り合いがクリスチャンだったらどう思う?」
「真奈の質問はいつも唐突だな。キリスト教だろ? 俺、魔女裁判とか火あぶりとか踏み絵とか拷問とか怖いワードがいっぱい浮かんできてそれもNGなんだよ。殉教 って意味わかんねえよ。キリスト教信仰しているヤツって、すげーメンタルだなって尊敬するわ」
大人っぽく見えていたけど、順君は本当に怖がりやさんだ。
とても常識的で気立てがよく、あまりアクがない。
大家さんが話していた。
「あの子の家は母子家庭よ。お父さんが急死したんだって。お母さんは工場のパート収入だけだから大変よ。遺族年金も微々たるものじゃないかしら。中流から下流に流れるときってあっという間ね」
大家さんはすごいな。家の中を覗いてきたみたいに話す。
大山さんが須川さん母子を食堂に連れて来て、相談に乗っていたのを見たことがある。
葉月ちゃんのお母さん、私の母親と気が合いそうだった。
生活に追われながらいろんなことを諦めて、身も心も乾いている雰囲気が全身から漂っていた。
ある日食堂のテレビで、私の知らない俳優が ”くも膜下出血” で亡くなったというニュースが流れたときのことだった。
葉月ちゃんはみんなに向かってにボソッと、
「私のお父さんも3月にくも膜下で亡くなったんです」
そして続けて、
「あのとき私がすぐに気がついていれば、お父さんは死なないで済んだのかも」
「どういうこと?」
隣のテーブルの大家さんが即座に返した。
「……お父さん酔っ払って帰って来て、頭痛いってソファーで凄いイビキかいて寝ちゃったんです。私、布団掛けてそのままにして……次の日、意識不明になっていて」
みんな一瞬静まりかえった。田所さんが、
「それは仕方ない、くも膜下は急に起きる。お前さんのせいじゃないよ」
すると葉月ちゃんは言葉を詰まらせながら言った。
「……私、大きなイビキがくも膜下出血の前兆だなんて知らなくて。すぐに救急車呼んだら助かったって、お祖母ちゃんに言われて……でもその頃お父さん毎晩酔って遅くに帰ってきてイビキかいていたから、いつものことだと思ってほったらかしにしちゃって」
「私もそんなことは知らない。私も放置する。外野の勝手な言い分は聞き流していい」
私の言葉の後で大家さんがサバサバと言った。
「そうそう。逆に命を取り留めたとしても、中途半端に助かると後遺症が残るから! あとで本人と家族が大変。寿命だったのよ」
おじさん達がささやく。
「大家さんと姫はいつも直球だな」
「間違ったことは言っちゃいないんだけどね」
私は、クリスチャンの椎貝さんなら葉月ちゃんにどんな言葉をかけるのかな、と思った。
大家さんも田所さんも同じことを思ったのか、みんなで椎貝さんを見た。
椎貝さんはゆっくりと口を開いた。
「葉月ちゃん、悩みは手放して、持っている重荷は神様に預けてみて?」
「神様に?」
「そう、私はイエス様だけど、葉月ちゃんの好きな神様でいいのよ。神様は私達の重荷を軽々と背負ってくださるから」
「でもでも私、全然神様のこと信じていないのに、そんなときだけ利用してもいいの? 神様からセコいって思われない?」
うん、私もそう思う。
梯子の神様は厳しくて、悩みを神様に引き渡すようなそういった発想は……考えただけで恐ろしい。
椎貝さんは微笑んだ。
「神様はね、葉月ちゃんが心を痛めている姿を見る方がお辛いのよ。神様を信じて、感謝して、ゆだねてみて?」
田所さんも感心したようにしみじみと、
「そうだね、いつまでも故人を偲び続けると成仏の妨げにもなるしね」
キリスト教と仏教が混ざり合ってゴチャゴチャしているけど、葉月ちゃんの顔がスッキリしたのを感じた。
簡単に救われてもいいというのは、なんというか、目から鱗だった。
キリスト教が流行る訳だ。なかなか便利な道具だ。私は宗教は『道具』だと思うようになった。
私はつい質問した。
「椎貝さんの家族はみんなクリスチャンなんですか?」
「ううん、私だけよ」
「どうして椎貝さんはクリスチャンになったんですか?」
すると椎貝さんは目を少し伏せた。
「それは……また、話せるときがきたら話すね」
大家さんの目にチラッと、好奇心の色が映った。
大家さんは最初、椎貝さんを邪険にしていたがあっという間に仲良くなった。
椎貝さんがコーポ種原の
「風通しが良くて日が入って明るくて、収納も計算されていて、とても有能な建築士さんが設計されたのですね」
みるみる大家さんの顔は華やいだ。
「わかるの? 設計の素晴らしさ。私が間取りを考えたのよ!」
「大家さんが考えたのですか、すごい」
「大家業、長いからね。コーポ種原は私の集大成よ! 実は風水にもこだわっているのよ。健康的な毎日が送れて、好きな勉強に思いっきり打ち込める環境を作ったつもり」
「素晴らしいです。私、北欧建築が好きで建築士になりたくて環境工学システムに入ったんです。また色々教えてください」
「私でよければなんでも聞いて。前の住人の百川はね、東京のスーパーゼネコンに就職したのよ。あなたもきっといいところに就職できるわよ」
近くに村瀬さんがいた。
ゴールデンウィークは、東京と泉水市の中間地点で百川さんと会ったと言っていた。百川さん、仕事と移動疲れのせいか、ホテルでずっと寝ていたらしい。
大家さんが椎貝さんと仲良くなったのを見て、麦倉さんと八島さんは少し椎貝さんに話しかけるようになった。
あの二人にいつまでも恋人ができない理由が、なんとなくわかった。
順君に聞いてみた。
「順君は知り合いがクリスチャンだったらどう思う?」
「真奈の質問はいつも唐突だな。キリスト教だろ? 俺、魔女裁判とか火あぶりとか踏み絵とか拷問とか怖いワードがいっぱい浮かんできてそれもNGなんだよ。
大人っぽく見えていたけど、順君は本当に怖がりやさんだ。