第9話 蓬莱川イングリッシュガーデンの消滅~部長に告白~
文字数 2,531文字
イングリッシュガーデンの花がほころび始めた頃、台風13号がやってきた。古い母子寮の雨戸が一晩中ガタついた。
台風が去った日曜日の朝、種原山の枝葉が道路に散乱する中、私は自転車で蓬莱川に向かった。
橋に着くと、もう既に小関部長が来ていて川を眺めていた。部長は白いTシャツにグレイのジャージで髪に寝癖をつけて、普段より幼い感じだった。
自転車を留めて、私も部長の隣に並んで橋から川を見る。
水嵩 が怖いくらい増していて勢いよく流れる濁った水は、私達のイングリッシュガーデンをすっかり飲み込んでいた。
「まあ、仕方ない。台風すごかったもんな。川が氾濫しなかっただけよかったよ。来年になったら、もしかして下流のどこかで芽を出すかもな」
「はい」
「高山、そんな顔するなよ」
「……はい」
「もしかしたら青やんと深田のコスモスは芽を出すかもよ。あいつら、少し高い所に植えていたもんな」
部長は笑ってくれた。
それでも私はドス黒い流れを見ていると、胸騒ぎがするのだった。
1学期の終業式が終わってから、ナスやピーマン、オクラ、インゲンを収穫しみんなで分配した。
そしてこの日を境に3年生は引退。
最近になって1年生の男子2人、女子1人が入部してきて、小関先輩とケイラ先輩は「安心して引退していける」と言った。
みんなでお弁当を食べながら新しい部長を決めた。結局新部長は、ジャンケンに負けた深田先輩に決まった。深田先輩は最後まで
「いっそのこと、1年生だけど高山さんでよくないすか? 」とゴネていた。
私は、
「これから部長のことはなんて呼べばいいですか?」
「そんなの好きなように呼んでくれ」
「順ちゃんって呼んであげたら?」
ケイラ先輩がからかう。みんな笑っているけど、私は胸にぽっかり穴が開いたようになっていた。
明日から夏休み。
小関部長改め先輩にずっと会えないのだ。先輩は受験生だから、邪魔してはいけないことはよくわかっている。
「真奈ちゃん、この世の終わりみたいな顔しないで。じゃあ私達は先に帰るわね。たまには畑を見に来るわ」
ケイラ先輩は小関先輩以外の部員を引きずって帰っていった。
物置小屋の影のベンチに小関先輩と2人で座った。
先輩の右足はサポーターだけになり、ほぼ自然に歩けるようになった。
「ほれ、俺の分の野菜やるよ。俺は少しでいいんだ。俺んち親父と俺の父子家庭でさ、まさかの俺が家事担当だよ。こんなに食材使いきれないし」
「……先輩の話もっと聞きたかった」
「俺の話なんて面白くないよ」
「あの、ごめんなさい。一刻も早く帰って受験勉強したいですよね」
「舐めんなよ、俺わりと評点はいいんだぞ。それにな、受験の数学が数1と数Aだけなのだ。古文と漢文も無いという」
先輩が機嫌がよさそうなので、
「あの、先輩、私、先輩のことが」
風がザッと吹いてハーブが揺れた。この日常が急に壊れる日がくるかもしれない、躊躇なんてしていられない、伝えたいことは言葉にしておきたい。
「好きです、先輩、私、先輩の彼女になりたいんです。彼女になったら一緒にいられるんですよね?」
先輩は「おっと」と軽くのけぞった。少し宙を見たあと、
「すごくうれしい……でも正直よくわからないんだ。俺も高山のこと好きだけど、友達とか妹のような気もするし。俺にはもったいないっていうか。俺なんかのどこがいいわけ?」
「わからないけど……好きです。理由がないとダメですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
たまには連絡すると言った。そして、
「推薦入試が11月の18と19で、発表が28日。合格したら、ちゃんと返事するから。それまで待って」
先輩と別れてから、私はぼんやり歩いた。用務員のおじさんがいたので、野菜を少しお裾分けした。
帰り道、橋の真ん中から蓬莱川を眺めて、「ああ、私はショックを受けているんだな」と思った。
なにがショックだった?
返事はイエスとは限らないことかな。
友達? 妹? 恋愛感情が無いってこと? それって私を女として見ていないってこと?
他の男からは、一切女として見られたくはないけれど、先輩は別だよ。
先輩が私を見る眼差しは、友達や妹ではなかったように思えたけど、私の勘違いだったのか。
勝手に勘違いした私がバカだけど、思わせぶりに優しくして、勘違いさせた先輩も悪い……と思うよ。
私は真剣に告白したのに、先輩に軽くキープにされてしまったこともショックだったな。即断られても大ショックだけど。
俺にはもったいないなんて、そんな振るときの構文聞きたくなかった。
大丈夫、私、ひどい目に遭って乗り越えてきたじゃない。大丈夫だよ、このくらい。
でもため息が出る。先輩にも男特有のズルさ、冷たさがあるのかな。恋愛に関してはこんな幼稚な私だから、軽くあしらわれてしまうかも。
気を取り直して顔を上げると、道の先で手を振っている人がいる。
大山さんだった。大山さんは、母親が生活保護を申請するときにお世話になった民生委員 のお爺さん。
穏やかで冷静できついことを言わないので、母親はずっと頼り切りだ。
「高山さん、おや、大収穫ですね」
「はい。園芸部で栽培したんです。こんなに食べきれないので大山さん、よかったらどうぞ」
「それなら、近くのたんぽぽ食堂に寄付しましょうか。子ども食堂をやっていましてね、喜ばれますよ。一緒に行きませんか?」
大山さんについて行く。
すぐに種原山自然公園入口にある可愛いお店に着いた。今まで通りすがりに見てはいたけど、入ったことは一度も無かった。
『準備中』の札。私は大山さんに続き「こんにちは」と会釈して入った。準備中にも関わらず、お婆さん2人に高校生くらいの女の子1人がいた。
厨房に向かって、
「畑中さん、中央高校園芸部の高山さんから、こんなに野菜をいただきました」
奥から優しげな女の人が出てきた。
「まあ、いろんなお野菜がいっぱい。ありがとう」
と言ったあと私を見て、少し驚いた風に何度も瞬きをした。
テーブル席に座っていた、ふわふわパーマで派手なエンジのワンピースを着たお婆さんと、白髪混じりの短髪のお婆さんもそれぞれに呟いた。目を細めながら、
「あら、大山さん、すごい子連れてきたわねぇ」
「ほんとだわ、一体後ろに何人いるんだい?」
台風が去った日曜日の朝、種原山の枝葉が道路に散乱する中、私は自転車で蓬莱川に向かった。
橋に着くと、もう既に小関部長が来ていて川を眺めていた。部長は白いTシャツにグレイのジャージで髪に寝癖をつけて、普段より幼い感じだった。
自転車を留めて、私も部長の隣に並んで橋から川を見る。
「まあ、仕方ない。台風すごかったもんな。川が氾濫しなかっただけよかったよ。来年になったら、もしかして下流のどこかで芽を出すかもな」
「はい」
「高山、そんな顔するなよ」
「……はい」
「もしかしたら青やんと深田のコスモスは芽を出すかもよ。あいつら、少し高い所に植えていたもんな」
部長は笑ってくれた。
それでも私はドス黒い流れを見ていると、胸騒ぎがするのだった。
1学期の終業式が終わってから、ナスやピーマン、オクラ、インゲンを収穫しみんなで分配した。
そしてこの日を境に3年生は引退。
最近になって1年生の男子2人、女子1人が入部してきて、小関先輩とケイラ先輩は「安心して引退していける」と言った。
みんなでお弁当を食べながら新しい部長を決めた。結局新部長は、ジャンケンに負けた深田先輩に決まった。深田先輩は最後まで
「いっそのこと、1年生だけど高山さんでよくないすか? 」とゴネていた。
私は、
「これから部長のことはなんて呼べばいいですか?」
「そんなの好きなように呼んでくれ」
「順ちゃんって呼んであげたら?」
ケイラ先輩がからかう。みんな笑っているけど、私は胸にぽっかり穴が開いたようになっていた。
明日から夏休み。
小関部長改め先輩にずっと会えないのだ。先輩は受験生だから、邪魔してはいけないことはよくわかっている。
「真奈ちゃん、この世の終わりみたいな顔しないで。じゃあ私達は先に帰るわね。たまには畑を見に来るわ」
ケイラ先輩は小関先輩以外の部員を引きずって帰っていった。
物置小屋の影のベンチに小関先輩と2人で座った。
先輩の右足はサポーターだけになり、ほぼ自然に歩けるようになった。
「ほれ、俺の分の野菜やるよ。俺は少しでいいんだ。俺んち親父と俺の父子家庭でさ、まさかの俺が家事担当だよ。こんなに食材使いきれないし」
「……先輩の話もっと聞きたかった」
「俺の話なんて面白くないよ」
「あの、ごめんなさい。一刻も早く帰って受験勉強したいですよね」
「舐めんなよ、俺わりと評点はいいんだぞ。それにな、受験の数学が数1と数Aだけなのだ。古文と漢文も無いという」
先輩が機嫌がよさそうなので、
「あの、先輩、私、先輩のことが」
風がザッと吹いてハーブが揺れた。この日常が急に壊れる日がくるかもしれない、躊躇なんてしていられない、伝えたいことは言葉にしておきたい。
「好きです、先輩、私、先輩の彼女になりたいんです。彼女になったら一緒にいられるんですよね?」
先輩は「おっと」と軽くのけぞった。少し宙を見たあと、
「すごくうれしい……でも正直よくわからないんだ。俺も高山のこと好きだけど、友達とか妹のような気もするし。俺にはもったいないっていうか。俺なんかのどこがいいわけ?」
「わからないけど……好きです。理由がないとダメですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
たまには連絡すると言った。そして、
「推薦入試が11月の18と19で、発表が28日。合格したら、ちゃんと返事するから。それまで待って」
先輩と別れてから、私はぼんやり歩いた。用務員のおじさんがいたので、野菜を少しお裾分けした。
帰り道、橋の真ん中から蓬莱川を眺めて、「ああ、私はショックを受けているんだな」と思った。
なにがショックだった?
返事はイエスとは限らないことかな。
友達? 妹? 恋愛感情が無いってこと? それって私を女として見ていないってこと?
他の男からは、一切女として見られたくはないけれど、先輩は別だよ。
先輩が私を見る眼差しは、友達や妹ではなかったように思えたけど、私の勘違いだったのか。
勝手に勘違いした私がバカだけど、思わせぶりに優しくして、勘違いさせた先輩も悪い……と思うよ。
私は真剣に告白したのに、先輩に軽くキープにされてしまったこともショックだったな。即断られても大ショックだけど。
俺にはもったいないなんて、そんな振るときの構文聞きたくなかった。
大丈夫、私、ひどい目に遭って乗り越えてきたじゃない。大丈夫だよ、このくらい。
でもため息が出る。先輩にも男特有のズルさ、冷たさがあるのかな。恋愛に関してはこんな幼稚な私だから、軽くあしらわれてしまうかも。
気を取り直して顔を上げると、道の先で手を振っている人がいる。
大山さんだった。大山さんは、母親が生活保護を申請するときにお世話になった
穏やかで冷静できついことを言わないので、母親はずっと頼り切りだ。
「高山さん、おや、大収穫ですね」
「はい。園芸部で栽培したんです。こんなに食べきれないので大山さん、よかったらどうぞ」
「それなら、近くのたんぽぽ食堂に寄付しましょうか。子ども食堂をやっていましてね、喜ばれますよ。一緒に行きませんか?」
大山さんについて行く。
すぐに種原山自然公園入口にある可愛いお店に着いた。今まで通りすがりに見てはいたけど、入ったことは一度も無かった。
『準備中』の札。私は大山さんに続き「こんにちは」と会釈して入った。準備中にも関わらず、お婆さん2人に高校生くらいの女の子1人がいた。
厨房に向かって、
「畑中さん、中央高校園芸部の高山さんから、こんなに野菜をいただきました」
奥から優しげな女の人が出てきた。
「まあ、いろんなお野菜がいっぱい。ありがとう」
と言ったあと私を見て、少し驚いた風に何度も瞬きをした。
テーブル席に座っていた、ふわふわパーマで派手なエンジのワンピースを着たお婆さんと、白髪混じりの短髪のお婆さんもそれぞれに呟いた。目を細めながら、
「あら、大山さん、すごい子連れてきたわねぇ」
「ほんとだわ、一体後ろに何人いるんだい?」