第36話 不穏なフライヤー
文字数 3,167文字
放課後、美弥 ちゃんが見せたいものがあるというので、5組に行った。
美弥ちゃんというのは中原さんのこと。
「ねえねえ、真奈ちん見てよこれ、カッコいいでしょ~」
美弥ちゃんは1枚のチラシを広げた。
上半分は写真で、この景色は何度も見たことがある。
「蓬莱橋だ!」
「橋はどうでもいいから」
夕暮れの蓬莱橋の上で、それぞれ別の方向を向いて佇む3人の男。
日が落ちる手前、少し不安を煽るような写真。
「このチラシなあに?」
「真奈ちん、フライヤーって言って。『バイブル・シャッフル』っていうバンドのライブ告知が載っているのよ。通称『バイブ』」
「はあ」
「聞いたら絶対癖になるから。見て、このサイ君のかっこよさ」
美弥ちゃんが指さす真ん中の男のシルエット、どこかで見覚えがある。
「あれ? これって西園寺?」
「真奈ちん、サイ君知っているの!?」
「近所の雑貨屋さんでバイトしているよ」
美弥ちゃんの興奮はピークに達し、さっそく帰りに『北欧雑貨フィンランド』を案内することに。
道すがら、私は美弥ちゃんから延々と西園寺の話を聞かされた。
「バイブル・シャッフルはね、西園寺要 がボーカルとベース、堀川直也 がギターとサブボーカル、桐谷晋 がドラム、3か月前にキーボードが脱退しちゃったの」
「ライブスタジオ・スローターハウスに月一で出ている。駅東口近くだよ。一緒に行ってくれる人いないかな」
「サイ君、女のファンに素っ気なくてね、またそれがいいんだけど。男のファンもいっぱいいるんだよ」
「サイ君の低く響く厚みのある声が中毒で動画リピートしちゃうの。ライブ動員数増えてきているから、推すなら今なのよ」
「キュン死するラブソングからトリッキーな楽曲やハードなものまで色々あるから、一曲聴いただけで好き嫌いを判断しないで欲しいんだ」
美弥ちゃんの話、全然わからない。
「あー真奈ちん、全然興味無いって顔。聞けば絶対はまるって」
「ライブって不良がよく行く所でしょ。危ないよ。いつの間にか薬物を打たれるって聞いたことあるよ」
「なにそれ、どこの世界線の話? 観客はみんな普通の人だよ。ああ、段々緊張して手汗がヤバイ」
美弥ちゃんは制服のスカートで手汗を拭いた。
フィンランドが見えてきた。
「美弥ちゃん、私は外で待っているね」
「ええ! なんでよ、一緒にいてよ、私一人じゃ無理だよ」
「順君と大家さんからあんまり西園寺に近づくなって言われているの」
「出た。過保護な彼氏に謎の大家。じゃあ、入口までは一緒に入って、お願い」
「わかったよ」
フィンランドは正面が硝子張りになっていて、外から少し中の様子がうかがえる。
ドアを開けて中に入ると、女の子が5,6人と学生服の男2人いた。レジの西園寺の近くにたむろしている。
美弥ちゃんはなにか買って、西園寺と少しでもいいから話がしたいみたい。安くて手頃な品を探すため、店内を物色し出した。
手持ち無沙汰な私は入口付近で文鎮 を見ていた。
ペーパーウエイトっていうのか。色使いがきれいだけど所詮文鎮。食堂のテーブルにある黒い文鎮で十分だ。
それから壁側のキーホルダーを見た。魚のキーホルダー可愛いな。300円か。
順君の家の鍵につけてあげたいな。大山さんの部屋の鍵にも。二人とも壊れた残骸のようなキーホルダーを付けているから。そうしたら順君と大山さんがおそろいになっちゃうな、想像していたら美弥ちゃんが来た。
「レジ近くのケバい女達、常連感を出してマウント合戦だよ。男2人はバンドやっているみたいでサイ君をリスペクトする目が熱い熱い」
手で扇いで顔に風を送っている。
「美弥ちゃん、このキーホルダーがお店の中で安い方かもしれない」
「どれどれ、本当だ。この緑色好き。これにしよう」
美弥ちゃんが緊張でガチガチになりながらレジに向かった。
西園寺が気がついて、美弥ちゃんに声を掛けた。
「あ、これ、昨日入荷したばかりなんだ。色違いで俺も持っている」
西園寺はポケットから鍵を取り出し、銀色の魚のキーホルダーを美弥ちゃんの目の前で揺らした。
「あっ、わ、私もそっちにしようかな、シルバーの、それと同じの」
「おそろいだね」
私は美弥ちゃんが催眠術にかかった瞬間を見たのだ。
あの目はよく知っている。
宗教にはまった人の目だ。西園寺の声を初めて聞いたが、予想外に優しく猫なで声で聞き取りやすくて……そしてもっともっと聞いていたいような声だった。声が脳を侵食していくみたい。
熱いお風呂から出たみたいにぼーっとした美弥ちゃんと一緒にお店の外に出たとき、西園寺ファンの学生服男2人組も出てきたのだが、その2人の会話に耳を奪われた。
「西園寺さんの新曲ヤバイよな」
「梯子の歌1と2ね」
「西園寺さん炎上待ちらしい。拡散してくれって」
「マジ? 西園寺さん、怖いものねえのかな」
「だよな。直也さんは焦っていてウケる」
私は思わず話しかけてしまった。
「梯子の歌ってなに?」
西園寺の偽物みたいに前髪を伸ばした男の子と、シャツのボタンを4つ開けて黒いTシャツをのぞかせた男の子が驚いたように私を見た。
「ライブ行ったことないの?」
「無い」
美弥ちゃんが我に返って目をパチクリ。私はもう一度質問した。
「梯子の歌って、宗教団体の梯子の会のこと?」
「そうだよ」
「梯子の会を讃える歌みたいなもの?」
黒Tシャツ男が大笑いした。
「バーカ。西園寺さん、カルト宗教に喧嘩売っているんだよ。最初クリスタルギルド梯子の会をターゲットにして『梯子の歌』を作ったんだけど、最近、元祖を見つけたって言って『梯子の歌2』を作ったんだよ」
「動画で元祖原理なんとかの修行風景を見つけたときの西園寺さん、悪魔みたいに超はしゃいでいたよな」
前髪長男が笑いながら言った言葉に美弥ちゃんは、
「サイ君がはしゃぐことなんてあるの?」
「俺たちの前でならあるよ。残念だけど西園寺さん、女嫌いのサイコパスだから」
「そうそう、残念でした。さっき店にいたピアスとメンヘラと金髪なんて特に嫌いだよ」
美弥ちゃんはムッとして言った。
「え? 私にはさっきレジで神対応だったけど」
男2人は鼻で笑いながら帰って行った。
私はもう一度美弥ちゃんにフライヤーというものを見せてもらった。
6月19日金曜日 18:30オープン 19:00スタート
『洗脳カンファレンス~梯子の会の皆さまもふるってご参加ください~』
一般 前売り2000円 当日2500円
学割 前売り1000円 当日1200円
別途ドリンク代500円有り
「美弥ちゃん、学割前売りというものを買うしかないね」
と言うと、美弥ちゃんは驚いた。
「どうしたの急に。梯子の会になにかあるの?」
帰り道、歩きながら話した。
「父親が、その元祖梯子の会の熱狂的な信者なの。中2のとき、父親が幹部役員に取り入るために関係のない私を施設に連れて行って、レイプされそうになって。抵抗したら暴行受けて打撲して、それで母親とここに逃げてきたの。あ、レイプはされなかったよ。これは内緒にしてね」
アレンジを加え改編した話をしているうちに、本当にそうだったような錯覚に陥る。
私は信者ではなく、部外者。
杖術はそういう教室に通っていただけ。
開祖様とか教祖様とか、意味がわからない。カルト宗教にはまるなんてどうかしている。
洗脳されていた私を、また洗脳しているのだ。
美弥ちゃんは驚いた後、目に涙を溜め私に抱きついて言った。
「なにそれ、どこの世界線の話だよ」
蓬莱橋の上。中学校の時、夕暮れ時に一人でよく橋から川をながめた。
クラスメイトの森さんが遠くから私を見ていたのを知っていたけど、私のことは苦手だったみたい、話しかけてはこなかった。
梯子のお守りを持つなって言ったせいかもしれない。
今はもうあの頃とは違う。今は私を抱きしめてくれる友達や恋人がいるのだ。
美弥ちゃんというのは中原さんのこと。
「ねえねえ、真奈ちん見てよこれ、カッコいいでしょ~」
美弥ちゃんは1枚のチラシを広げた。
上半分は写真で、この景色は何度も見たことがある。
「蓬莱橋だ!」
「橋はどうでもいいから」
夕暮れの蓬莱橋の上で、それぞれ別の方向を向いて佇む3人の男。
日が落ちる手前、少し不安を煽るような写真。
「このチラシなあに?」
「真奈ちん、フライヤーって言って。『バイブル・シャッフル』っていうバンドのライブ告知が載っているのよ。通称『バイブ』」
「はあ」
「聞いたら絶対癖になるから。見て、このサイ君のかっこよさ」
美弥ちゃんが指さす真ん中の男のシルエット、どこかで見覚えがある。
「あれ? これって西園寺?」
「真奈ちん、サイ君知っているの!?」
「近所の雑貨屋さんでバイトしているよ」
美弥ちゃんの興奮はピークに達し、さっそく帰りに『北欧雑貨フィンランド』を案内することに。
道すがら、私は美弥ちゃんから延々と西園寺の話を聞かされた。
「バイブル・シャッフルはね、
「ライブスタジオ・スローターハウスに月一で出ている。駅東口近くだよ。一緒に行ってくれる人いないかな」
「サイ君、女のファンに素っ気なくてね、またそれがいいんだけど。男のファンもいっぱいいるんだよ」
「サイ君の低く響く厚みのある声が中毒で動画リピートしちゃうの。ライブ動員数増えてきているから、推すなら今なのよ」
「キュン死するラブソングからトリッキーな楽曲やハードなものまで色々あるから、一曲聴いただけで好き嫌いを判断しないで欲しいんだ」
美弥ちゃんの話、全然わからない。
「あー真奈ちん、全然興味無いって顔。聞けば絶対はまるって」
「ライブって不良がよく行く所でしょ。危ないよ。いつの間にか薬物を打たれるって聞いたことあるよ」
「なにそれ、どこの世界線の話? 観客はみんな普通の人だよ。ああ、段々緊張して手汗がヤバイ」
美弥ちゃんは制服のスカートで手汗を拭いた。
フィンランドが見えてきた。
「美弥ちゃん、私は外で待っているね」
「ええ! なんでよ、一緒にいてよ、私一人じゃ無理だよ」
「順君と大家さんからあんまり西園寺に近づくなって言われているの」
「出た。過保護な彼氏に謎の大家。じゃあ、入口までは一緒に入って、お願い」
「わかったよ」
フィンランドは正面が硝子張りになっていて、外から少し中の様子がうかがえる。
ドアを開けて中に入ると、女の子が5,6人と学生服の男2人いた。レジの西園寺の近くにたむろしている。
美弥ちゃんはなにか買って、西園寺と少しでもいいから話がしたいみたい。安くて手頃な品を探すため、店内を物色し出した。
手持ち無沙汰な私は入口付近で
ペーパーウエイトっていうのか。色使いがきれいだけど所詮文鎮。食堂のテーブルにある黒い文鎮で十分だ。
それから壁側のキーホルダーを見た。魚のキーホルダー可愛いな。300円か。
順君の家の鍵につけてあげたいな。大山さんの部屋の鍵にも。二人とも壊れた残骸のようなキーホルダーを付けているから。そうしたら順君と大山さんがおそろいになっちゃうな、想像していたら美弥ちゃんが来た。
「レジ近くのケバい女達、常連感を出してマウント合戦だよ。男2人はバンドやっているみたいでサイ君をリスペクトする目が熱い熱い」
手で扇いで顔に風を送っている。
「美弥ちゃん、このキーホルダーがお店の中で安い方かもしれない」
「どれどれ、本当だ。この緑色好き。これにしよう」
美弥ちゃんが緊張でガチガチになりながらレジに向かった。
西園寺が気がついて、美弥ちゃんに声を掛けた。
「あ、これ、昨日入荷したばかりなんだ。色違いで俺も持っている」
西園寺はポケットから鍵を取り出し、銀色の魚のキーホルダーを美弥ちゃんの目の前で揺らした。
「あっ、わ、私もそっちにしようかな、シルバーの、それと同じの」
「おそろいだね」
私は美弥ちゃんが催眠術にかかった瞬間を見たのだ。
あの目はよく知っている。
宗教にはまった人の目だ。西園寺の声を初めて聞いたが、予想外に優しく猫なで声で聞き取りやすくて……そしてもっともっと聞いていたいような声だった。声が脳を侵食していくみたい。
熱いお風呂から出たみたいにぼーっとした美弥ちゃんと一緒にお店の外に出たとき、西園寺ファンの学生服男2人組も出てきたのだが、その2人の会話に耳を奪われた。
「西園寺さんの新曲ヤバイよな」
「梯子の歌1と2ね」
「西園寺さん炎上待ちらしい。拡散してくれって」
「マジ? 西園寺さん、怖いものねえのかな」
「だよな。直也さんは焦っていてウケる」
私は思わず話しかけてしまった。
「梯子の歌ってなに?」
西園寺の偽物みたいに前髪を伸ばした男の子と、シャツのボタンを4つ開けて黒いTシャツをのぞかせた男の子が驚いたように私を見た。
「ライブ行ったことないの?」
「無い」
美弥ちゃんが我に返って目をパチクリ。私はもう一度質問した。
「梯子の歌って、宗教団体の梯子の会のこと?」
「そうだよ」
「梯子の会を讃える歌みたいなもの?」
黒Tシャツ男が大笑いした。
「バーカ。西園寺さん、カルト宗教に喧嘩売っているんだよ。最初クリスタルギルド梯子の会をターゲットにして『梯子の歌』を作ったんだけど、最近、元祖を見つけたって言って『梯子の歌2』を作ったんだよ」
「動画で元祖原理なんとかの修行風景を見つけたときの西園寺さん、悪魔みたいに超はしゃいでいたよな」
前髪長男が笑いながら言った言葉に美弥ちゃんは、
「サイ君がはしゃぐことなんてあるの?」
「俺たちの前でならあるよ。残念だけど西園寺さん、女嫌いのサイコパスだから」
「そうそう、残念でした。さっき店にいたピアスとメンヘラと金髪なんて特に嫌いだよ」
美弥ちゃんはムッとして言った。
「え? 私にはさっきレジで神対応だったけど」
男2人は鼻で笑いながら帰って行った。
私はもう一度美弥ちゃんにフライヤーというものを見せてもらった。
6月19日金曜日 18:30オープン 19:00スタート
『洗脳カンファレンス~梯子の会の皆さまもふるってご参加ください~』
一般 前売り2000円 当日2500円
学割 前売り1000円 当日1200円
別途ドリンク代500円有り
「美弥ちゃん、学割前売りというものを買うしかないね」
と言うと、美弥ちゃんは驚いた。
「どうしたの急に。梯子の会になにかあるの?」
帰り道、歩きながら話した。
「父親が、その元祖梯子の会の熱狂的な信者なの。中2のとき、父親が幹部役員に取り入るために関係のない私を施設に連れて行って、レイプされそうになって。抵抗したら暴行受けて打撲して、それで母親とここに逃げてきたの。あ、レイプはされなかったよ。これは内緒にしてね」
アレンジを加え改編した話をしているうちに、本当にそうだったような錯覚に陥る。
私は信者ではなく、部外者。
杖術はそういう教室に通っていただけ。
開祖様とか教祖様とか、意味がわからない。カルト宗教にはまるなんてどうかしている。
洗脳されていた私を、また洗脳しているのだ。
美弥ちゃんは驚いた後、目に涙を溜め私に抱きついて言った。
「なにそれ、どこの世界線の話だよ」
蓬莱橋の上。中学校の時、夕暮れ時に一人でよく橋から川をながめた。
クラスメイトの森さんが遠くから私を見ていたのを知っていたけど、私のことは苦手だったみたい、話しかけてはこなかった。
梯子のお守りを持つなって言ったせいかもしれない。
今はもうあの頃とは違う。今は私を抱きしめてくれる友達や恋人がいるのだ。