第4話 泉水市立天神中学校~リスタート~
文字数 2,969文字
2度目の移転先、泉水市へは急行と鈍行で長い時間をかけて移動した。
いくつも県を越え、途中でビジネスホテルに一泊した。
母親と二人暮らしになってからは、自由にテレビを見られるようになった。
母親はいつの間にか男の子のアイドルグループ『センシング37G』にハマって、よく歌番組やバラエティを見ていた。
私も母子寮の談話室で一緒に見たことがあるのだが、大勢の男の子が私達に選んでもらおうと必死になっているのが伝わってきて、見ていてたまに辛くなった。梯子の会にいた頃の自分が重なってしまったので。
気にすると面倒なので母親には言わなかったが。
自分の信者を増やして教祖様に気に入られようと必死なのね。
あなた達はしょせんただの駒 。スペアはいくらでもいる。
「真奈も男の子だったら、センシンググループに入れたかもね」
母親は「カッコいい」という意味合いでよくそれを言った。
私は家を出てからすぐに、長かった髪をバッサリ切って短くした。ポニーテールは内藤女史の好みだった。
厚めに前髪も作ってなるべく顔を隠すようにした。背も伸びてきたので、よく男の子に間違えられた。
間違えた相手は慌てて謝ったけど、私はしてやったりという気分だった。
ビジネスホテルでも母親が歌番組を見ていた。『センシング37G』のお兄さんユニットというのが出てきて『虹色ジャイロコンパス』を歌い踊った。
君を指す羅針盤 隠れても無駄さ
もう君は逃げられない
君との距離を測るスコープ
逃げても無駄さ
どこまでも追いかける
虹に梯子をかけて
コンパスかざし君を探そう
無駄な抵抗はBAN!
僕に夢中にさせてあげる
明るいメロディーにパラノイアのような歌詞。私だけでなく、さすがに母親も気分が悪くなったみたいだ。
チャンネルを替えると、台風の進路予測が映し出された。母親は呟いた。
「一日遅かったら直撃だったね」
そして私と母親は、ひっそりと泉水市に潜り込んだのだった。
中学3年生の夏休み明けに天神中学校に転校した。
転校生の私をクラスメイトは珍しがってくれて、学校行事と受験勉強に追われるうちに虚しさは次第に消えていった。
中学校の卒業式のあと、学級委員長の牧田君に声をかけられた。
「た、高山さん」
隣の席で天神中学校ルールと勉強を教えてくれた男の子だった。
牧田君は「わからないことは俺に聞いて」と毎日言ってくれた。そのお陰もあり、転校当初は285人中126位だった成績は、卒業時には41位になった。
私は世間一般の常識に疎 いので、仕切って世話を焼いてくれる牧田君の存在は、ありがたかった。
「あの、合格したら高校別になるし、記念に、握手してもらっても、いいかな」
いつもは早口で滑舌のいい牧田君がしどろもどろだ。
私はセンシンググループの握手会風景を思い出し、差し出した牧田君の左手を両手で包み込み、ジッと目を見た。
うん、大丈夫。中年男は今も怖いけど、同世代の知っている男の子なら大丈夫、手を触ることはできるみたい。
その日曇り空で風が冷たかったのだが、牧田君の手は熱かった。
「温かい」
「あっ……」
「勉強を教えてくれてありがとう」
すると牧田君は慌てて早口でまくし立てた。
「感謝するのは俺の方だよ、高山さんが神頼みなんてしなくても実力でいけるって言ってくれて、俺、腹が据わったんだ。合格発表はまだだけど、俺やり切ったから後悔ない」
「牧田君なら大丈夫だよ、泉水第一にきっと合格している」
「卒業しても連絡していいかな?」
そのとき、伊藤さんが駆け寄って来たと思ったら牧田君を押しのけた。
「私も、私も握手して!」
私は伊藤さんの手を両手で包んだ。
「伊藤さん、いつも親切にしてくれてありがとう。バレーボール楽しかったな」
すると伊藤さんはみるみる目に涙を溜め、
「それはこっちのセリフだよ、高山さんのトスが一番上手だった。高山さんと一緒だと自分が上手くなった気がしたもん。やだ、こんなことならもっといっぱい話せばよかった……」
河合さんもおずおずと近づいてきたので、
「河合さん、色々教えてくれてありがとう。お話し面白かったよ」
後ろの席の河合さんが誰かとおしゃべりしているのを、私はBGMのように聞いて「なるほど」「へえ、そういうものなんだ」と思い、たまに「フフッ」となった。
「私も握手お願い。キレイ系の美人なのに一般常識ズレまくりでほっとけないし、ド天然で純情なギャップが最高だったよ。マッキーだって、高山さんに勉強教えるようになってから成績バク上げしたんだから。記念写真……はNGだったよね。ごめん。苦労しているのに全然それを見せなくてさ、本当にすごいって思う」
ここでは途中で、
「父親のVDで逃げて隠れている。このことは内緒にして欲しいんだ」
とみんなに告げた。母親は猛反対だったが。
最初の逃避先で、毎回、写真を理由無しに断るのが面倒だったし、嘘を言うのが疲れたからだ。
田村君も、私の前に立った。
田村君はいつも物静かなのに、歌が驚くほど上手だった。
文化祭の『歌うまコンテスト』で聞いたあの歌。みんなはバンドやコーラスで出場したけど、田村君はカラオケをバックに一人で朗々と歌い上げた。
高く高く伸びる楽器のような澄んだ声と、初めて聞いた美しいメロディ。
田村君が1位でないのは何故なのかと疑問に思い、審査員の先生方に確認しに行った。次の日から私は、定期的に『歌うまコンテスト』を開催して欲しいと生徒会や放送部にリクエストを出し続けた。
父親と瀬下理事が夢に出てフラッシュバックした翌日は、田村君にお願いして、文化祭で歌った『SWITCHED-ON LOTUS 』を中庭で口ずさんでもらった。
私は花壇のレンガに座り頬杖をついて目を閉じ、「自分は救われたのだ」と実感したのだ。
田村君は、私がお礼を言う前に話し出した。
「高山さんは茶化 さないで真剣に俺の歌を聞いてくれて、恥ずかしくなるくらいリクエストしてくれて、中学校最高の思い出ができた。ありがとう。高校が別になっちゃうのは寂しいけど」
みんなが私との別れを惜しんでくれている。
“感情に流されてはいけません、感情の奴隷になっては開祖様の声が聞こえなくなります”
“色情 は悪魔の罠です、思考を濁 らせてはいけません、獣に堕ちるつもりですか”
感情の堤防が決壊する。
思わず涙がこぼれて、なんとか声を振り絞った。
「ここに逃げてきてよかった」
みんなも泣いている。
梯子の会に洗脳されていた頃は、誰も私に近づかなかった。
以前私の前で、梯子の会のお経をふざけて唱えた男子2人女子1人がいたのだが、下校途中81歳の運転する軽自動車に突っ込まれて3人とも重傷を負った。それから私に関わると呪われるという噂が広まったのだ。
以前の場所とこの場所は、本当に地続きなのだろうか。よく河合さんが読んでいる小説の『異世界転生』が現実に起きたのではないだろうか。
そういえば、泉水市に移転してから、何度か同じ夢を見た。
猫を抱いた女の子が、私に向かって話している夢。
女の子の顔は逆光で見えない。
おはよう 気分はいかが
よかったね 無事そこにたどり着けて
私は南郷峠 を越えられなかったから
あなたの人生はこれからまた始まる
周りの人の話をよく聞いて
私の分まで泣いたり笑ったり楽しんでね
いくつも県を越え、途中でビジネスホテルに一泊した。
母親と二人暮らしになってからは、自由にテレビを見られるようになった。
母親はいつの間にか男の子のアイドルグループ『センシング37G』にハマって、よく歌番組やバラエティを見ていた。
私も母子寮の談話室で一緒に見たことがあるのだが、大勢の男の子が私達に選んでもらおうと必死になっているのが伝わってきて、見ていてたまに辛くなった。梯子の会にいた頃の自分が重なってしまったので。
気にすると面倒なので母親には言わなかったが。
自分の信者を増やして教祖様に気に入られようと必死なのね。
あなた達はしょせんただの
「真奈も男の子だったら、センシンググループに入れたかもね」
母親は「カッコいい」という意味合いでよくそれを言った。
私は家を出てからすぐに、長かった髪をバッサリ切って短くした。ポニーテールは内藤女史の好みだった。
厚めに前髪も作ってなるべく顔を隠すようにした。背も伸びてきたので、よく男の子に間違えられた。
間違えた相手は慌てて謝ったけど、私はしてやったりという気分だった。
ビジネスホテルでも母親が歌番組を見ていた。『センシング37G』のお兄さんユニットというのが出てきて『虹色ジャイロコンパス』を歌い踊った。
君を指す羅針盤 隠れても無駄さ
もう君は逃げられない
君との距離を測るスコープ
逃げても無駄さ
どこまでも追いかける
虹に梯子をかけて
コンパスかざし君を探そう
無駄な抵抗はBAN!
僕に夢中にさせてあげる
明るいメロディーにパラノイアのような歌詞。私だけでなく、さすがに母親も気分が悪くなったみたいだ。
チャンネルを替えると、台風の進路予測が映し出された。母親は呟いた。
「一日遅かったら直撃だったね」
そして私と母親は、ひっそりと泉水市に潜り込んだのだった。
中学3年生の夏休み明けに天神中学校に転校した。
転校生の私をクラスメイトは珍しがってくれて、学校行事と受験勉強に追われるうちに虚しさは次第に消えていった。
中学校の卒業式のあと、学級委員長の牧田君に声をかけられた。
「た、高山さん」
隣の席で天神中学校ルールと勉強を教えてくれた男の子だった。
牧田君は「わからないことは俺に聞いて」と毎日言ってくれた。そのお陰もあり、転校当初は285人中126位だった成績は、卒業時には41位になった。
私は世間一般の常識に
「あの、合格したら高校別になるし、記念に、握手してもらっても、いいかな」
いつもは早口で滑舌のいい牧田君がしどろもどろだ。
私はセンシンググループの握手会風景を思い出し、差し出した牧田君の左手を両手で包み込み、ジッと目を見た。
うん、大丈夫。中年男は今も怖いけど、同世代の知っている男の子なら大丈夫、手を触ることはできるみたい。
その日曇り空で風が冷たかったのだが、牧田君の手は熱かった。
「温かい」
「あっ……」
「勉強を教えてくれてありがとう」
すると牧田君は慌てて早口でまくし立てた。
「感謝するのは俺の方だよ、高山さんが神頼みなんてしなくても実力でいけるって言ってくれて、俺、腹が据わったんだ。合格発表はまだだけど、俺やり切ったから後悔ない」
「牧田君なら大丈夫だよ、泉水第一にきっと合格している」
「卒業しても連絡していいかな?」
そのとき、伊藤さんが駆け寄って来たと思ったら牧田君を押しのけた。
「私も、私も握手して!」
私は伊藤さんの手を両手で包んだ。
「伊藤さん、いつも親切にしてくれてありがとう。バレーボール楽しかったな」
すると伊藤さんはみるみる目に涙を溜め、
「それはこっちのセリフだよ、高山さんのトスが一番上手だった。高山さんと一緒だと自分が上手くなった気がしたもん。やだ、こんなことならもっといっぱい話せばよかった……」
河合さんもおずおずと近づいてきたので、
「河合さん、色々教えてくれてありがとう。お話し面白かったよ」
後ろの席の河合さんが誰かとおしゃべりしているのを、私はBGMのように聞いて「なるほど」「へえ、そういうものなんだ」と思い、たまに「フフッ」となった。
「私も握手お願い。キレイ系の美人なのに一般常識ズレまくりでほっとけないし、ド天然で純情なギャップが最高だったよ。マッキーだって、高山さんに勉強教えるようになってから成績バク上げしたんだから。記念写真……はNGだったよね。ごめん。苦労しているのに全然それを見せなくてさ、本当にすごいって思う」
ここでは途中で、
「父親のVDで逃げて隠れている。このことは内緒にして欲しいんだ」
とみんなに告げた。母親は猛反対だったが。
最初の逃避先で、毎回、写真を理由無しに断るのが面倒だったし、嘘を言うのが疲れたからだ。
田村君も、私の前に立った。
田村君はいつも物静かなのに、歌が驚くほど上手だった。
文化祭の『歌うまコンテスト』で聞いたあの歌。みんなはバンドやコーラスで出場したけど、田村君はカラオケをバックに一人で朗々と歌い上げた。
高く高く伸びる楽器のような澄んだ声と、初めて聞いた美しいメロディ。
田村君が1位でないのは何故なのかと疑問に思い、審査員の先生方に確認しに行った。次の日から私は、定期的に『歌うまコンテスト』を開催して欲しいと生徒会や放送部にリクエストを出し続けた。
父親と瀬下理事が夢に出てフラッシュバックした翌日は、田村君にお願いして、文化祭で歌った『
私は花壇のレンガに座り頬杖をついて目を閉じ、「自分は救われたのだ」と実感したのだ。
田村君は、私がお礼を言う前に話し出した。
「高山さんは
みんなが私との別れを惜しんでくれている。
“感情に流されてはいけません、感情の奴隷になっては開祖様の声が聞こえなくなります”
“
感情の堤防が決壊する。
思わず涙がこぼれて、なんとか声を振り絞った。
「ここに逃げてきてよかった」
みんなも泣いている。
梯子の会に洗脳されていた頃は、誰も私に近づかなかった。
以前私の前で、梯子の会のお経をふざけて唱えた男子2人女子1人がいたのだが、下校途中81歳の運転する軽自動車に突っ込まれて3人とも重傷を負った。それから私に関わると呪われるという噂が広まったのだ。
以前の場所とこの場所は、本当に地続きなのだろうか。よく河合さんが読んでいる小説の『異世界転生』が現実に起きたのではないだろうか。
そういえば、泉水市に移転してから、何度か同じ夢を見た。
猫を抱いた女の子が、私に向かって話している夢。
女の子の顔は逆光で見えない。
おはよう 気分はいかが
よかったね 無事そこにたどり着けて
私は
あなたの人生はこれからまた始まる
周りの人の話をよく聞いて
私の分まで泣いたり笑ったり楽しんでね