第45話 須川睦月(42歳)~画像フォルダ~

文字数 2,050文字

 旦那の様子がおかしいのはすぐに気がついた。上手く隠しているつもりでも、不自然に浮ついている(ほころ)びは(にじ)むものよ。

 旦那が上機嫌でお風呂に入っているとき、洗濯物を取り出しているとスマホの振動音がした。私は耳がいいのだ。シャツにくるまれたスマホを見ると、


 福田史子
『新着メッセージがあります』


 福田史子?
スマホを手に取り、旦那の誕生日を入力。違う。葉月の誕生日を入力。解除できた。

 福田史子って誰?

〈ミントタイムでの2時間残業お疲れ様でした〉

〈また来週の残業のときにセミナー資料を持って行きますね〉

〈私の専属カメラマンさんへ〉

〈セミナー参加のサービスです〉

 最後に画像が送られてきていた。
ちょっとぽっちゃりした安っぽい女が、パープルのランジェリー姿で股を開いている。なんだこれは。中身が見えているじゃないか。素人の画像は生々しく、汚い。背景から漂う荒んだ生活感。

「なに勝手に見てんの」
 旦那が背後に立っていた。

「これ違うんだよ、取引先に連れて行かれたキャバクラの子なんだよ、しつこくて困っているんだよ、それ、勝手に変な画像送ってきてさ、ホントまいっちゃうよ、まさか浮気と勘違いしていないよね? そんな訳ないでしょ、浮気にしたってコレはあり得ない、俺だってちょっとは相手選ぶよ」

「セミナーってなに?」
「セミナー? それふざけているんだよ、意味わかんねえ、もう、むっちゃんいい加減にして! 違うって言っているでしょ、しつこい! 怒るよ」

 私が専業主婦だから舐めているんだ。私から離婚は切り出さないと思っているんだ。
私はその日から旦那と目を合わせていない。


 最近ずっと咳が止まらない。微熱も続いている。マイコプラズマ肺炎なのか新型ウイルスなのかわからないけど、病院で薬を処方してもらって私は寝室に籠もり、旦那はリビングで寝るようになった。
 葉月がおかゆとリンゴとスポーツドリンクを持ってきてくれた。


 ある朝、リビングのソファーで寝ていた旦那の反応が無かった。
泉水地域医療センターに運び、手を尽くしたが2日後に亡くなった。
3月27日。動脈瘤破裂によるくも膜下出血。享年47歳。
 こんなに急に亡くなるのなら、私だってもう少し違った対応をしたのに。

 長かった咳は少しずつだがやっと治まってきたものの、やるせない出来事は続いた。

 あると思っていた預金が直前に次々と引き出されていた。当てにしていた生命保険が解約されていた。
私が馬鹿だった。旦那はちゃらんぽらんなのを知っていたのに管理しなかった。ずっと専業主婦でPTAの役員なんかをして満足していた。

 そして旦那のスマホを解約する前に、 ”福田史子” の画像や動画を全部見てしまった。

 ショックだったが涙も出なかった。あまりに内容が下品で馬鹿馬鹿しくて。
いったいどこで調達したんだ、このマイクロビキニとアダルトグッズ。福田のだらしない体がはみ出して揺れている。福田の演技がかったあえぎ声。旦那は私には絶対できないようなことを、福田で色々試して撮影している。
確かに旦那は生前、カメラが趣味だったな……

 私はその動画や画像を自分のスマホに移すと、たまに見返した。私は感情が麻痺していった。


 ある日病院から帰ると、葉月がリビングテーブルでタオルを握りしめ泣いていた。
「どうしたの? 何かあったの?」
 葉月がしゃっくり上げながらピンクのスイートピーを指さし言った。
「たか、高山さんから、ひっく、花を、花を、貰った。リラックスできる、花、なんだって」
「そうなの」

 ピンクのスイートピー、なんて綺麗な色だろう。
暖かな色彩が私の中に雨のように注がれ、私はそれまでカラカラに乾いていたことに気がついた。
なんて優しい色。こんな色、しばらく忘れていた。

 ……私はこれから綺麗なものだけを見ていこう。
もうあの動画や画像は消そう。
旦那が亡くなった映像が脳裏に残るこのソファーは捨てて、小さいアパートに引っ越そう。
そしてこのスイートピーみたいな色のファブリックを、少しずつでいいからそろえていこう。

 私は福田史子と同じであろう貧困層に落ちぶれてしまったけど、それは見通しが甘かった自分の落ち度だ。自分の気持ちだけは、落ちぶれさせないでいよう。
今まで気がつかなかったけど、周囲はこんなに優しかったじゃないか。
葉月に美味しいご飯を食べさせてくれたり、相談にのってくれたり、心配してスイートピーをくれたり。
プライドが高く、誰かを頼るなんて考えられなかった以前の私には、知り得なかった世界だ。
私もいつかは受けた恩を、誰かに返したい。


 旦那と福田の画像を消した。
すると、1年前の12月に3人で教会のライトアップを見に行って、並んで撮った画像が出てきた。
(きら)びやかな教会をバックに3人で笑っている。

 1年前まではこんなに幸せだったのに。いったいどうしてこんなことになったの。今日だけは愚痴を言わせて。どうしてなの? 仲も悪くなかったのに。

 私をこんなに泣かせて。旦那は今、どんな気持ちで私達を見ているのだろうか。

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登場人物紹介

高山 真奈


カルト宗教『原理神州鍵宮梯子の会』と信者の父親から、母親と二人で逃亡。中学3年生の夏休みに泉水市へ移り住んだ。美少女だが極力目立たないよう、男の子っぽく装っている。

高山 悟


高山真奈の父親。真奈を梯子の会に入れ、洗脳していた。偏執症。

小関 順


園芸部の部長。気さくな性格。父子家庭。

石川 ケイラ


園芸部の先輩。パキスタン人と日本人のハーフ。

田中 秀一


符丁神社の宮司。無邪気で明るく子どもっぽいが、お祓いスキルは抜群。霊能力者。独身。

中原 美弥


真奈の友達。ナツメグオタ。レンコン信者。

大山 仁市


真奈の母親が頼りにしている民生委員。

村瀬 芽依


泉工医大理工学部の学生 たんぽぽ食堂で学習補助をしている。

二宮 治子


たんぽぽ食堂のオーナー。資産家。

天宮 開(第3部の主人公)


女子中学生 たんぽぽ食堂の常連で勉強仲間 父親が経営していた会社が倒産して貧困となったが、ポテンシャルが高く逆境をものともしない 優秀で数学が好き バイセクシャル 

成田 宗也(第4部の主人公)


高専生 たんぽぽ食堂の常連で勉強仲間 父親が失踪しているため母子家庭状態 


アイドルのような甘い顔立ちだが、父親に似ているため自分の顔が嫌い 真面目でやや不器用な性格

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