第8話 蓬莱橋から見える世界~私の矢車草~
文字数 2,263文字
梅雨の時期になり、あんなに雨に打たれ続けたら発育しないのではないだろうかと、蓬莱川の土手を見る度に心配になった。
前に住んでいた地域より、泉水市は風が強く朝晩の冷え込みが厳しい。
雨の日は部活は休みだけど、念のため3年2組へ行く。
「小関―、弟子が迎えに来たぞ-」
「あ! 高山さん、ねえバレーボール部に入らない? 球技大会で見たよ。中学のときバレーやってた?」
部長が「ちょっと、うちの部員にちょっかい出さないでー」と叫びながら、少し足を引きずり出てきた。
「部長、今日の部活は無し、ですか?」
部長は特別なので、どうしても敬語になってしまう。
「うん、土砂降りだもんね」部長は笑う。部活がないので、今日の先輩は制服のワイシャツ姿。ジロジロ見てしまう。
「なに?」
「ワイシャツ姿もかっこいいです」
「高山だけだよ、そんなこと言ってくれるの」
階段を一緒にゆっくり降りて昇降口までお供する。あまりの激しい雨と落雷に、部長は口をポカンと開けて空を見上げたあと、
「小降りになるまで少し学食で待つ?」
「はい!」
部長が自販機のグレープフルーツジュースを奢ってくれた。部長に聞きたいことは山ほどあるけれど、優先順位の上位からピックアップする。
「質問したいことが」
「なに?」
「部長はどこの大学を受験するんですか?」
「推薦で泉工医大の義肢装具学科を受けるつもり」
「農学部じゃないんですね」
「うん……実は右足が先天性内反足っていって小さい頃から何度か手術しててさ、足首がちょっと弱くて怪我しやすいんだ。でさ、俺よりももっと大変な人をサポートしたいってずっと思っていてさ」
いつも部長から、がさつな見た目の裏に温かさを感じていた。それと一本筋が通ったようなところ。私の人を見る目はなかなか確かだ。
「尊敬します」
「いやっ、俺なんかたいしたことねーよ」部長はぶっきらぼうに答えた。
「泉工医大の福祉医療学部になるんですか? 街中にある」
「うん、そう。実習はね、三依市の雲間境温泉リハビリセンターってところでやったりするみたい」
「……部長は県外の遠くの大学に行っちゃうのかと思っていたから……よかった」
「いや、まだ受かってないから! ちょっと特殊で募集人数少ないから受験対策しないと。高山、ニコニコし過ぎ」
私は勝手にほころんでしまう口元を抑えながら、
「頑張れば私も泉工医大にいけるかな」
部長はボソッと、
「まったく、もう。こんなポンコツな俺のどこがいいんだか」
翌週、部活の後片付けをしていたときのことだった。
「お先に」「お疲れさん」みんなの声を聞きながら、私は物置小屋の中でスコップや竹箒、熊手を立てかけて並べていた。そのときふと、スコップの柄の木の感触が
『杖と似ている』
と思った瞬間、血の気が引いて私はその場に座り込んでしまった。
物置小屋を覗いた部長が慌てて、
「どうした、高山?」
右足の装具のせいでしゃがむことのできない部長は、中腰で私の顔を覗き込み、
「具合悪いのか?」
言葉が出ない私に、
「待ってろ、タオル冷やしてくる」
部長は私が暑さでまいったと思ったらしい。
外の水道で自分のタオルを絞ると、「ちゃんと洗ったから大丈夫」と、また中腰のまま左手で後頭部を支えながら、右手で私のおでこに冷たいタオルを当ててくれた。
「あんまり無理すんなよ、すぐ俺に声かけろって」
部長の手のひらは、思っていたより大きくて指が長かった。男なんだなって実感して、息苦しさのようなものを感じた。
部長は家まで送ってくれると言ったが、まだ足が完治していない部長の負担になることは避けたかったので、「もう大丈夫です」と言って別れた。
帰り道、遠回りして逢来橋から川を眺めた。
いつの間にか梅雨が明けると、あっという間に自称イングリッシュガーデンが勢いを増してきた。
ケイラ先輩のデルフィニウムの優しく小さな青い花、部長のタチアオイが白い蕾を膨らませ、青木先輩の紫と白のスイートアリッサムが背が低いながらも頑張っている。深田先輩の白いシュウメイギクもちらほらほころび初めた。
そして私の矢車草。種から植えたのにもうみんなに追いついてきて、花はまだだけど風に揺れている。
あのとき部長は小声で「高山の雰囲気」と言った。二人きりのとき、スマホで画像を見せてくれて、
「白と青と紫とピンクの、すっきりとしたきれいな花だよ」
と素っ気なく部長は教えてくれた。周りが白と青の花の中で映えるよと。
世界は美しいものなんだな。世界にはこんなにたくさんの人がいて、音楽があふれ、たくさんの花が咲いている。
川を渡ってくる風。まるで刑期が終えたかのような清々しさ。ただ部長のことだけは気持ちのコントロールが出来なくて、すぐ顔を見たくなる。
天空には新月。
梯子の会のマークは、赤い梯子の上に青い新月の図柄で、幹部は黄色い新月だった。
『梯子に登って過去と未来を見通して、邪悪な勢力からの攻撃を反射させるのです』って今思うと、だれも攻撃していないのに勝手に暴走を始めるアレルギーみたいだ。
足りない足りないと、父親はいつも強迫観念に囚われて朝晩必死でお題目を唱えていた。
月が赤いから開祖様がお怒りだとか、右肩が痛いのは拝みが足りないせいだとか、すべてを歪んだ因果関係に集約して、父親はまだあそこで地獄のループを繰り返しているのだろう。
神様はあそこにはいないのに。ご神体の中身は空洞だ。
父親が言っていた『御利益』って一体なんだったのだろう。
こんなに拝んでいるのだから自分だけは救ってというのは、あさましい乞食みたいだ。
前に住んでいた地域より、泉水市は風が強く朝晩の冷え込みが厳しい。
雨の日は部活は休みだけど、念のため3年2組へ行く。
「小関―、弟子が迎えに来たぞ-」
「あ! 高山さん、ねえバレーボール部に入らない? 球技大会で見たよ。中学のときバレーやってた?」
部長が「ちょっと、うちの部員にちょっかい出さないでー」と叫びながら、少し足を引きずり出てきた。
「部長、今日の部活は無し、ですか?」
部長は特別なので、どうしても敬語になってしまう。
「うん、土砂降りだもんね」部長は笑う。部活がないので、今日の先輩は制服のワイシャツ姿。ジロジロ見てしまう。
「なに?」
「ワイシャツ姿もかっこいいです」
「高山だけだよ、そんなこと言ってくれるの」
階段を一緒にゆっくり降りて昇降口までお供する。あまりの激しい雨と落雷に、部長は口をポカンと開けて空を見上げたあと、
「小降りになるまで少し学食で待つ?」
「はい!」
部長が自販機のグレープフルーツジュースを奢ってくれた。部長に聞きたいことは山ほどあるけれど、優先順位の上位からピックアップする。
「質問したいことが」
「なに?」
「部長はどこの大学を受験するんですか?」
「推薦で泉工医大の義肢装具学科を受けるつもり」
「農学部じゃないんですね」
「うん……実は右足が先天性内反足っていって小さい頃から何度か手術しててさ、足首がちょっと弱くて怪我しやすいんだ。でさ、俺よりももっと大変な人をサポートしたいってずっと思っていてさ」
いつも部長から、がさつな見た目の裏に温かさを感じていた。それと一本筋が通ったようなところ。私の人を見る目はなかなか確かだ。
「尊敬します」
「いやっ、俺なんかたいしたことねーよ」部長はぶっきらぼうに答えた。
「泉工医大の福祉医療学部になるんですか? 街中にある」
「うん、そう。実習はね、三依市の雲間境温泉リハビリセンターってところでやったりするみたい」
「……部長は県外の遠くの大学に行っちゃうのかと思っていたから……よかった」
「いや、まだ受かってないから! ちょっと特殊で募集人数少ないから受験対策しないと。高山、ニコニコし過ぎ」
私は勝手にほころんでしまう口元を抑えながら、
「頑張れば私も泉工医大にいけるかな」
部長はボソッと、
「まったく、もう。こんなポンコツな俺のどこがいいんだか」
翌週、部活の後片付けをしていたときのことだった。
「お先に」「お疲れさん」みんなの声を聞きながら、私は物置小屋の中でスコップや竹箒、熊手を立てかけて並べていた。そのときふと、スコップの柄の木の感触が
『杖と似ている』
と思った瞬間、血の気が引いて私はその場に座り込んでしまった。
物置小屋を覗いた部長が慌てて、
「どうした、高山?」
右足の装具のせいでしゃがむことのできない部長は、中腰で私の顔を覗き込み、
「具合悪いのか?」
言葉が出ない私に、
「待ってろ、タオル冷やしてくる」
部長は私が暑さでまいったと思ったらしい。
外の水道で自分のタオルを絞ると、「ちゃんと洗ったから大丈夫」と、また中腰のまま左手で後頭部を支えながら、右手で私のおでこに冷たいタオルを当ててくれた。
「あんまり無理すんなよ、すぐ俺に声かけろって」
部長の手のひらは、思っていたより大きくて指が長かった。男なんだなって実感して、息苦しさのようなものを感じた。
部長は家まで送ってくれると言ったが、まだ足が完治していない部長の負担になることは避けたかったので、「もう大丈夫です」と言って別れた。
帰り道、遠回りして逢来橋から川を眺めた。
いつの間にか梅雨が明けると、あっという間に自称イングリッシュガーデンが勢いを増してきた。
ケイラ先輩のデルフィニウムの優しく小さな青い花、部長のタチアオイが白い蕾を膨らませ、青木先輩の紫と白のスイートアリッサムが背が低いながらも頑張っている。深田先輩の白いシュウメイギクもちらほらほころび初めた。
そして私の矢車草。種から植えたのにもうみんなに追いついてきて、花はまだだけど風に揺れている。
あのとき部長は小声で「高山の雰囲気」と言った。二人きりのとき、スマホで画像を見せてくれて、
「白と青と紫とピンクの、すっきりとしたきれいな花だよ」
と素っ気なく部長は教えてくれた。周りが白と青の花の中で映えるよと。
世界は美しいものなんだな。世界にはこんなにたくさんの人がいて、音楽があふれ、たくさんの花が咲いている。
川を渡ってくる風。まるで刑期が終えたかのような清々しさ。ただ部長のことだけは気持ちのコントロールが出来なくて、すぐ顔を見たくなる。
天空には新月。
梯子の会のマークは、赤い梯子の上に青い新月の図柄で、幹部は黄色い新月だった。
『梯子に登って過去と未来を見通して、邪悪な勢力からの攻撃を反射させるのです』って今思うと、だれも攻撃していないのに勝手に暴走を始めるアレルギーみたいだ。
足りない足りないと、父親はいつも強迫観念に囚われて朝晩必死でお題目を唱えていた。
月が赤いから開祖様がお怒りだとか、右肩が痛いのは拝みが足りないせいだとか、すべてを歪んだ因果関係に集約して、父親はまだあそこで地獄のループを繰り返しているのだろう。
神様はあそこにはいないのに。ご神体の中身は空洞だ。
父親が言っていた『御利益』って一体なんだったのだろう。
こんなに拝んでいるのだから自分だけは救ってというのは、あさましい乞食みたいだ。