第14話 凪の昼と氾濫する夜①~浸食する父親の意識~
文字数 3,165文字
午前中は符丁神社でバイト。たまに土日の午後にお祓いの仕事が入るときもあった。
お昼にたんぽぽ食堂で出来たてご飯をいただき、バイトのない日はそのまま食堂で勉強した。
だんだん食堂の人間模様がわかってきた。
村瀬さんの恋人が百川 さんだということも。
たまに外のベンチで、村瀬さんが百川さんから説教されているのを見た。
村瀬さん、つき合うならあんな厳 つくて怖そうな百川さんじゃなくて、優しくてわがままきいてくれそうな麦倉 さんの方がいいんじゃないかな、なんて私は思った。
でもよく考えたら、自分だって仏頂面でぶっきらぼうな小関先輩がいいんだもの、人のことは言えないな。
説教といっても、つまり、百川さんが村瀬さんを溺愛するが故、束縛する一種のプレイというものらしい。
私の知らない世界だ。
いつも嬉々として下世話な話を大げさにするのは背の高い八島 さん。
そう言われてみれば、なるほど、イチャイチャしているようにしか見えなくなった。
八島さんの目つきは苦手。
いやらしい意味ではなく、人に値段や点数を付けているような、値踏 みというのかな。
なんとなく、私のことをバカにしているのは伝わってくる。
貧乏だからきっと頭も悪いのだろうと決めつけているみたいだ。
初めの頃、一番苦手だったのはスーパーヤオシンの店長さんだった。
背は低いけど、瀬下 理事に似た色黒坊主だったので鳥肌が立った。
でもひょうきんで明るくて声が甲高くて落ち着きが無くて、目の前で動いている様 は瀬下理事とは真逆だったので、少しずつ少しずつ慣れてはきた。
たんぽぽ食堂に食材を提供してくれているというし、もっと自然に接しなければと思う。
毎日、小中学生が入れ替わり立ち替わりお昼ご飯を食べに来ては、そのうちの二、三人が夏休みの宿題や読書を少しして帰った。
たまに”満身創痍 ”といった子どもを大山さんは見つけ出し連れてくる。大山さんは忙しい。
「こうしている間も、どこかで子どもが窮地に立たされているのではないかと思うと、いてもたってもいられないのです」
いつも自転車でパトロールをしている。
週に何回か、成田 君という境川高専2年生の男の子もやってきた。
村瀬さんと天宮さん、成田君は真面目で口数が少ない。今日は八島さんが来たので少し賑やか。
「お、今日のメンバーは誰が男か女か、一見 さんにはわかりにくいぞ」
軽口をたたいた後、さっそく八島さんは大家さんとおしゃべりを始めた。
「大家さん、たんぽぽ自習室の雰囲気も様変わりしましたねー」
「そうね、1年前は八島みたいに騒々しい子どもが多かったのにね」
「あいつら悪ガキと一緒にしないでくださいよ。やっぱり村瀬と天宮ちゃんのシビアな対応が、なんつーか敷居を高くしますよね」
ふと、村瀬さんが視線を動かしたが、そのまま無視していた。代わりに天宮さんが反応した。
「騒いで勉強の邪魔しないでって、私はお願いしただけだよ、あいつらに」
「そんなにうるさかったかぁ?」
「あいつら、誰と誰がつき合っているとかそんな話ばっかりしていて鬱陶しいんだよ」
村瀬さんがため息をつき、口を開いた。
「おしゃべりして邪魔する子たちって、他人の足を引っ張ることで自分の劣勢 を誤魔化しているのよ。不幸だから他人に迷惑をかけていいとはならないわ」
「ほら出た! その冷たい言い方。大山さんの前ではそんなこと言わないくせに」
「村瀬さんは優しいですよ」
成田君がすぐに返したので、私も続いた。
「はい。村瀬さんの言っていることは正論です」
「なんだなんだ、村瀬軍団かよ。百川さんが東京に就職決まってコイツ内心めちゃくちゃ落ち込んでいるから、みんなで慰めてやってくれよな!」
村瀬さんは一瞬、八島さんを睨んだ。それからフッと力を抜き、
「八島、私達の勉強の邪魔をしないでね」
と鼻で笑った。
平気そうに振る舞っていた村瀬さんだったけど、八島さんが食堂を出て行ったあと、しばらくぼんやりしていた。
母親も文句を言わずに道の駅にパートに行くようになった。職場にセンシンググループのファンがいて、すぐに打ち解けたとか言っていた。
明るく雑多で健康的な毎日。
そして「小関先輩、今ごろなにをしているのかな」と折に触れ思った。
いつの間にか食堂の常連おじさん達に「姫」とあだ名をつけられていた。
「世が世なら高貴な生まれなのに、運命のいたずらで貧困に身をやつしているに違いない」
「身分を隠すために髪を短くして、Tシャツにジーンズ姿で庶民に紛れている」
「男嫌いの姫。我々おじさんを一瞥 だにしない……」
すると天宮さんがおじさん達に向かって、
「ボタンの掛け違いで貧困に身をやつしているのは私の方なんだけど」
一番年配に見える泉水 信金のおじさんは困り顔で笑った。
「そういうリアルな話はおじさんにはちと荷が重いな」
天宮さんは無愛想だけど慣れると面白い子だった。
「来た来た、伏線回収」
「主役どっちだ」
たまに出る独り言が面白くて、国語の勉強をしているのかと思って覗き込んだら、数学だったので驚いた。
【真奈と志穂はまだ見つからない。あんなことがあって俺は肩身が狭くても、研修施設に行き二重帳簿を作りお勤めを果たしお布施をしているというのに、あいつらは俺の苦労もわかろうともしない。養ってやったのに。どこかで惨めな思いで後悔しながら野垂れ死ぬまえに、許しを請えば考えてやってもいい。恩知らずめ。来月で病気休暇が切れるな、また診断書もらいに行かないと。1枚5千円もするんだぞ。病休中で給料が低いというのに。興信所を雇う金が作れない。警察に捜索願を出してもあいつら全然動いてくれようとしない。税金泥棒め。支部長や幹部に真奈の捜索を懇願しても、取り合ってもくれない。あの人を小馬鹿にしたような態度はなんだ。内藤女史は最近、男子に杖術を教えだして、真奈のことなんてすっかり忘れてしまったようだ。精神統一して目を閉じマントラを唱えながら梯子に登る。そのまましばらく目を閉じたまま、目を凝らす。雨に紛れ隠れているつもりだろうが無駄だ。もう少しすれば、真奈の傷だらけの背中が見えてくるはずだ。】
泥水のように父親の意識が入ってきて、明け方に目が覚める。
それはもう以前から。
乗り物酔いをしているような気持ちの悪さ。
口をゆすいで顔を洗って水を飲んで、そっと外に出て深呼吸する。
それから道路を渡って3分ほど自転車に乗って符丁神社へ行き、榊の木の周辺を掃除して水やりをして、そうすると少しは落ち着いてくるのだ。
パラノイアじみた父親の生霊に汚染されている自分が、人並みに高校生活を送るだけならまだしも、恋愛までしようとしているのは身の程知らずなのではないか。少し笑えてくる。
自嘲気味に笑うのだが、笑えば少しは体が軽くなって、鳥の声が「大丈夫だよ」という風に聞こえてくる。
帰り道はもう犬を連れ散歩している人がちらほらいて、私はこの世界の一員なのだと実感できるまでに回復する。
最近では犬に怯えられることも少なくなった。
【病院ではちゃんと薬は飲んでいるのかと聞かれた。目つきの悪い医者め。俺に指図するなと思う。同じことばかり聞くな。頭が痛い首が熱い耳鳴りがする眠れない考えがまとまらないんだよ。黙って診断書だけさっさと出せばいいんだ。待ち時間なんとかしろ。帰りにスーパーでパートの久保さんを見かけたので慌てて隠れた。二重顎で相変わらず太っていたな。俺が休みに入る前、心配する風を装いどこが悪いんですかと根掘り葉掘り聞いてきたウルサイ女。気のせいなんかじゃ無くて本当に具合が悪いんだよ。もしかしたら開祖様がなにかご不満なのだろうか。お布施が足りないのかもしれない。梯子の上でマントラを唱え続けると、大きな錆びた橋が見えてくる。この川を遡っていけば真奈にたどり着けるような気がする。】
お昼にたんぽぽ食堂で出来たてご飯をいただき、バイトのない日はそのまま食堂で勉強した。
だんだん食堂の人間模様がわかってきた。
村瀬さんの恋人が
たまに外のベンチで、村瀬さんが百川さんから説教されているのを見た。
村瀬さん、つき合うならあんな
でもよく考えたら、自分だって仏頂面でぶっきらぼうな小関先輩がいいんだもの、人のことは言えないな。
説教といっても、つまり、百川さんが村瀬さんを溺愛するが故、束縛する一種のプレイというものらしい。
私の知らない世界だ。
いつも嬉々として下世話な話を大げさにするのは背の高い
そう言われてみれば、なるほど、イチャイチャしているようにしか見えなくなった。
八島さんの目つきは苦手。
いやらしい意味ではなく、人に値段や点数を付けているような、
なんとなく、私のことをバカにしているのは伝わってくる。
貧乏だからきっと頭も悪いのだろうと決めつけているみたいだ。
初めの頃、一番苦手だったのはスーパーヤオシンの店長さんだった。
背は低いけど、
でもひょうきんで明るくて声が甲高くて落ち着きが無くて、目の前で動いている
たんぽぽ食堂に食材を提供してくれているというし、もっと自然に接しなければと思う。
毎日、小中学生が入れ替わり立ち替わりお昼ご飯を食べに来ては、そのうちの二、三人が夏休みの宿題や読書を少しして帰った。
たまに”
「こうしている間も、どこかで子どもが窮地に立たされているのではないかと思うと、いてもたってもいられないのです」
いつも自転車でパトロールをしている。
週に何回か、
村瀬さんと天宮さん、成田君は真面目で口数が少ない。今日は八島さんが来たので少し賑やか。
「お、今日のメンバーは誰が男か女か、
軽口をたたいた後、さっそく八島さんは大家さんとおしゃべりを始めた。
「大家さん、たんぽぽ自習室の雰囲気も様変わりしましたねー」
「そうね、1年前は八島みたいに騒々しい子どもが多かったのにね」
「あいつら悪ガキと一緒にしないでくださいよ。やっぱり村瀬と天宮ちゃんのシビアな対応が、なんつーか敷居を高くしますよね」
ふと、村瀬さんが視線を動かしたが、そのまま無視していた。代わりに天宮さんが反応した。
「騒いで勉強の邪魔しないでって、私はお願いしただけだよ、あいつらに」
「そんなにうるさかったかぁ?」
「あいつら、誰と誰がつき合っているとかそんな話ばっかりしていて鬱陶しいんだよ」
村瀬さんがため息をつき、口を開いた。
「おしゃべりして邪魔する子たちって、他人の足を引っ張ることで自分の
「ほら出た! その冷たい言い方。大山さんの前ではそんなこと言わないくせに」
「村瀬さんは優しいですよ」
成田君がすぐに返したので、私も続いた。
「はい。村瀬さんの言っていることは正論です」
「なんだなんだ、村瀬軍団かよ。百川さんが東京に就職決まってコイツ内心めちゃくちゃ落ち込んでいるから、みんなで慰めてやってくれよな!」
村瀬さんは一瞬、八島さんを睨んだ。それからフッと力を抜き、
「八島、私達の勉強の邪魔をしないでね」
と鼻で笑った。
平気そうに振る舞っていた村瀬さんだったけど、八島さんが食堂を出て行ったあと、しばらくぼんやりしていた。
母親も文句を言わずに道の駅にパートに行くようになった。職場にセンシンググループのファンがいて、すぐに打ち解けたとか言っていた。
明るく雑多で健康的な毎日。
そして「小関先輩、今ごろなにをしているのかな」と折に触れ思った。
いつの間にか食堂の常連おじさん達に「姫」とあだ名をつけられていた。
「世が世なら高貴な生まれなのに、運命のいたずらで貧困に身をやつしているに違いない」
「身分を隠すために髪を短くして、Tシャツにジーンズ姿で庶民に紛れている」
「男嫌いの姫。我々おじさんを
すると天宮さんがおじさん達に向かって、
「ボタンの掛け違いで貧困に身をやつしているのは私の方なんだけど」
一番年配に見える
「そういうリアルな話はおじさんにはちと荷が重いな」
天宮さんは無愛想だけど慣れると面白い子だった。
「来た来た、伏線回収」
「主役どっちだ」
たまに出る独り言が面白くて、国語の勉強をしているのかと思って覗き込んだら、数学だったので驚いた。
【真奈と志穂はまだ見つからない。あんなことがあって俺は肩身が狭くても、研修施設に行き二重帳簿を作りお勤めを果たしお布施をしているというのに、あいつらは俺の苦労もわかろうともしない。養ってやったのに。どこかで惨めな思いで後悔しながら野垂れ死ぬまえに、許しを請えば考えてやってもいい。恩知らずめ。来月で病気休暇が切れるな、また診断書もらいに行かないと。1枚5千円もするんだぞ。病休中で給料が低いというのに。興信所を雇う金が作れない。警察に捜索願を出してもあいつら全然動いてくれようとしない。税金泥棒め。支部長や幹部に真奈の捜索を懇願しても、取り合ってもくれない。あの人を小馬鹿にしたような態度はなんだ。内藤女史は最近、男子に杖術を教えだして、真奈のことなんてすっかり忘れてしまったようだ。精神統一して目を閉じマントラを唱えながら梯子に登る。そのまましばらく目を閉じたまま、目を凝らす。雨に紛れ隠れているつもりだろうが無駄だ。もう少しすれば、真奈の傷だらけの背中が見えてくるはずだ。】
泥水のように父親の意識が入ってきて、明け方に目が覚める。
それはもう以前から。
乗り物酔いをしているような気持ちの悪さ。
口をゆすいで顔を洗って水を飲んで、そっと外に出て深呼吸する。
それから道路を渡って3分ほど自転車に乗って符丁神社へ行き、榊の木の周辺を掃除して水やりをして、そうすると少しは落ち着いてくるのだ。
パラノイアじみた父親の生霊に汚染されている自分が、人並みに高校生活を送るだけならまだしも、恋愛までしようとしているのは身の程知らずなのではないか。少し笑えてくる。
自嘲気味に笑うのだが、笑えば少しは体が軽くなって、鳥の声が「大丈夫だよ」という風に聞こえてくる。
帰り道はもう犬を連れ散歩している人がちらほらいて、私はこの世界の一員なのだと実感できるまでに回復する。
最近では犬に怯えられることも少なくなった。
【病院ではちゃんと薬は飲んでいるのかと聞かれた。目つきの悪い医者め。俺に指図するなと思う。同じことばかり聞くな。頭が痛い首が熱い耳鳴りがする眠れない考えがまとまらないんだよ。黙って診断書だけさっさと出せばいいんだ。待ち時間なんとかしろ。帰りにスーパーでパートの久保さんを見かけたので慌てて隠れた。二重顎で相変わらず太っていたな。俺が休みに入る前、心配する風を装いどこが悪いんですかと根掘り葉掘り聞いてきたウルサイ女。気のせいなんかじゃ無くて本当に具合が悪いんだよ。もしかしたら開祖様がなにかご不満なのだろうか。お布施が足りないのかもしれない。梯子の上でマントラを唱え続けると、大きな錆びた橋が見えてくる。この川を遡っていけば真奈にたどり着けるような気がする。】