第42話 毒親とその周辺

文字数 2,312文字

 毒親、という言葉をわたしがちゃんと認識したのは、じつはごく最近になってからのことです。
 それまでにも見聞きする機会はあったと思うのですが、自分がまさにその「毒親」に育てられた(あるいは育児放棄された)人間であるという意識はありませんでした。

 この表現はいつからあるのだろうとふと思い、検索してみると、なんと、1989年に作られた言葉とのこと。(ウィキペディアより)

 そんな以前からあったとは。驚きました。

 英語表記だと「toxic parents」。
「毒と比喩されるような悪影響をこどもに及ぼす親」を表す言葉とのこと。

 わたしはつねづね自分の母親をかなりヤバい人間だとは思っていましたが、その母親がどうやら毒親である、と認識したのは、つまりごく最近のことで。

「あ、世間的に見てもやっぱりヤバい人間だったんだ」
 と納得(?)しました。

 というのも、わたしの母親は外面のいいタイプで(これは見た目も性格的にも、という二重の意味で)、彼女が浮気性で、既婚者でありながらよその男たちと関係を持ったり、あげくの果てに男と出奔(しゅっぽん)したりしても、なぜか周囲のおとなたちは
「お母さん、美人だったからね」
 のひとことですませたり、
「お母さんにも事情があったんよ」
 となぜか肩を持つ始末。
 まあ、裏ではなんといわれていたか知りませんが。

 家が近所でよく遊んでいた兄妹からは、
「うちのお母さんが、桐子ちゃんはお母さんがおらんようになったから、もう桐子ちゃんと遊んだらいけんって」
 と一方的に絶縁され、それ以来、顔を合わせても言葉を交わすこともなくなりました。

 うっすらと記憶にあるわたしの母親は、感情的で気分屋で、機嫌が悪いときにはすぐに怒鳴るし手が出る人間だったと思います。
 あと、前述したように男癖が悪くて、おまけに金遣いも荒く、わたしのお年玉はすべて横領されましたし、なんなら父親に借金まで押しつけてトンズラした最低な人間です。
 何回もねちねちと聞かされたのは、わたしがまだ小さいころ、母親が宝くじかなにかで当選した十万円を封筒に入れて置いていたのを、わたしがぐずったかなにかで手を煩わせたあいだに、だれかに盗まれたという話。

 知らんがな。
 そんな大金、無造作に置いておくなよ。
 というか、わたしが母親から被った被害額は十万どころの話ではないのだが。

 なんか、書いていて気が滅入ってきた……。

 わたしの周囲のおとなたちが(ごく一部を除いて)わたしの前で母親についてマイナスの発言をしなかったのは、もちろんわたしへの配慮もあったのだと思います。じつの娘の前でおおっぴらに母親の悪口をいうわけにはいきませんよね。
 でも、
「お母さんにもなにか事情があったんよ」
 とか
「困ったお母さんだけど、血の繋がった母親なんだから、桐子ちゃんがおとなになって許してあげないと」
 とか、そういういかにもステレオタイプなことをたびたびいわれました。

 このひとたちは、いったいどの立場からものをいっているのだろう、と思いました。
 少なくとも、わたしの(がわ)に立った発言ではないな、とも。

 さすがに父親と、幼馴染みのひまわりちゃんは、母親のことをいいようにはいいませんでしたが、むしろそのことに少しホッとしていたくらいです。
 なぜかというと、あまりにも周囲(母方の祖母を含む)が母親に対して甘いので、ひねくれたわたしは、わたしみたいなこどもがいたから母親は嫌気が差して家を出たのかもしれない、と思っていました。
 そのくらい、周囲のおとなたちからの
「お母さんを許してあげなさい」という圧がすごかった。
 なにかの宗教の教えなのか? と思うくらい。

 なんなら、母親から受けた数々の仕打ちそのものよりも「血の繋がった親子なんだから分かり合える」という周囲のおとなたちからの謎の押しつけのほうが不快で、より鮮明に記憶に残っているほどです。


 先日、美容師さん(40代男性)と話をしているときに、毒親についての話題になったのですが、彼は毒親というものをはじめて知ったらしく、
「それって、どんなの?」
 と聞かれたので
「こどもにとってヤバい親。こどもを支配しようとしたり」
 とざっくり説明したところ、
「えー、でも、こどもが親のいうこと聞くのはあたりまえじゃない?」
 と返されて思わず絶句しました。
 ふだんからわりと反骨精神というか、世のなかに対してもの申すといったところのあるひとだったので、
「あー、毒親ヤバいよね」
 みたいな返事を勝手に想像していました。
 そういえばこの美容師さん、実家を出て独立しているけれど、いまでもお母さんと仲良しだと聞いているし、きっと家族関係は良好なのだと思います。

(ちなみに、わたしの母親がヤバい人間だというのは、それとなく話したことがあります)

 そうか、経験したことないひとには想像もつかないよね。勝手に期待して申し訳ない、と反省。
 この話題は早々に切り上げました。


 自分の母親に対する認識と、周囲のひとの親に対する認識のズレというか温度差をものすごく感じることがあります。
 みんな、母性とか血の繋がりとか、そういうものを妄信できるのすごいなと思うし、嫌味ではなく、なんらかのしあわせを享受できる家庭環境なんだろうなと思います。

 わたしは自分が母親になるという選択肢を早いうちから除外して生きてきました。それを後悔したことはありません。
 連日のように、親からの虐待により幼い命が奪われるというニュースを目にするたび痛ましく、自分はこの子と同じ運命をたどっていたかもしれないし、あるいはその母親であったかもしれない、と思うと、どうにもやるせない気持ちになります。
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