第1話 「許さなくてはならない」

文字数 1,152文字

 どうしても違和感を覚えてしまう言葉があります。
 そのうちのひとつが「許さなくてはならない」。

 この言葉を目にするたび、どうにもうまく呑み込めずに喉元に引っかかったまま、魚の小骨のような違和感がいつまでもチクチクと残るのです。
 許せない相手がいるからこその「許さなくてはならない」。もちろん、状況は千差万別、さまざまな事情があると思いますが、ほとんどの場合、被害を被った側に対して用いられる言葉ではないでしょうか。

 日常のちいさないさかいから、とても言葉にできないような痛ましい事件まで、いまこの瞬間もどこかでだれかが痛みに耐えて拳を握り、涙を呑んでわが身を(さいな)む不運を嘆いているかもしれません。もしそれが人為的にもたらされたものであれば、その相手を恨めしく思い、許せない、許さない、と憎しみを抱くのは自然な感情のように思います。

 やがて時が過ぎ、自分の身に起きた痛みをともなうできごとは過去のものとなります。あくまで時間的には、です。周りからすれば過去のできごとであっても、当人にとっては忘れることなどできない生々しい傷痕のまま。かさぶたを()いで血を流し、またかさぶたを剥いでは血を流し、の繰り返し。忘れたくてもできないのです。
 そして、だれかがいうのです。

「いつまでも囚われていたら幸せになれない。相手を許してあげなくては。きっと反省している。許して、忘れて、前に進まなくては」

 そうなのかもしれません。きっとそのとおりなのでしょう。
 でもできない。
 許す? どうやって?

 謝られたら許さなくてはならないのでしょうか。
 謝ったほうはきっと、謝罪したことで肩の荷を降ろしたような気持ちになって、ほどなくそのこと自体を忘れてゆくのでしょう。
 では、謝られたほうは、どうでしょうか。
 もちろん、状況によります。ごめんね。ううん、いいよ。で済むなら話は早いのですが、ごめんで済むなら警察はいらない、という言葉もあります。
 ほんとうに、わだかまりがほどけて、前に進めるようならよいのです。でも、そうではない場合「許さなくてはならない」という言葉はまるで呪いのように耳からするりと入ってきて心を蝕みはじめるのです。

 許さなくてはならないのに、許せない自分はダメな人間なのかもしれない。心が狭い人間なんだ。許せない自分のほうがきっとおかしいのだ、と。

 すこし極端な話になってしまったかもしれません。
 たんにわたし自身が、第三者が当事者に対して口にする「許さなくてはならない」という言葉が呪いのように思えて気持ちが悪い、という話なのです。わたしがだいぶひねくれているからそう感じるのかもしれません。

 許すも許さないも、どちらでもよいのです。許しても許さなくても、それを選んだひと自身の価値に変わりはない。そう思います。
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